「分離は全くありません……」(第二部)

エベン・アレグザンダー博士へのインタビュー

シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズ

脳神経外科医であるエベン・アレグザンダー博士は、臨死体験(NDE)をし、奇跡的な完全治癒により世界観が一変するまでは徹底した唯物主義者であった。博士は今、幸福と治癒において意識が果たす役割に関する著名な講演者となり、国際的に活躍している。シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズによるエベン・アレグザンダー博士へのインタビューの第一部(シェア・インターナショナル誌2022年2月号)において、アレグザンダー博士は、科学と宗教を合致させるという自分の仕事のきっかけや、生まれ変わりに対する信念、すべてのいのちが一つであるという理解について語った。

シェア・インターナショナル(以下SI):『癒し』という言葉は、実は『全体性』を意味するという、あなたの著書の中にあるこのシンプルな言葉が気に入りました。言い換えれば、『完全にする』ということです。肉体の生命を持続させることが最高の目標ではないということを、私は思い出します。むしろ、寿命が長かろうが短かろうが、愛をあらわす度合いや正しい人間関係をつくることの方が、もっと重要なのです。医師として、治療家として、これは正しい生き方の哲学であるとお考えでしょうか。

エベン・アレグザンダー:はい、それは決定的に重要なことだと思います。こうしたすべてのことを捉える最も良い方法は、個人の魂を見ることだと思います。もちろん、どの魂も本当のところは、個人的ではありませんが。これは、自身の目的を遂行しようとする魂の進化ではあり得ません。すべて、関係に関わることだからです。現代物理学とちょうど同じです。現代物理学が見いだしたことは、一つの電子や陽子について話しても意味がないということです。実際のところ絶えず起こっているのは、そうした電子や陽子の間の様々な関係だからです。この点において、意識の進化はとてもわくわくするものになると思います。意識の進化を成り立たせているのは、感性を持つ個別の存在者が、お互いとの関係や世界全体との関係、宇宙全体との関係について学ぶときに経験する事柄だからです。すべてのものが、こうした変容と意識の進化を経験する過程にあります。
 覚えておきたい大事なことは、それは旅路や、学ぶことと教えること、大きな規模での変容と意識の成長に関わるということです。つまり、多くの方法で、感性を持つ存在が自分自身の生きる目的や、自分と宇宙との関係についてのより深い理解に到達するということです。また、あなたがおっしゃるとおり、あらゆる犠牲を払ってでも肉体を生かしておくことに関するものではありません。それは、私たちが参加しているこのドラマ全体の最終目標ではありません。ドラマはもっと壮大であり、魂の集団としての私たちの共同の使命は数多くの転生にまたがるという認識を伴います。ですから、肉体が終わりを迎えることは、思い悩まなければならないことではありません。
 幼い子供を亡くした人々のケースがたくさんあります。そのような家族と突っ込んだ話し合いをした時に私が認識するようになったことは、旅立った子供を家族の中で最も強い魂、家族を実際に一つに結びつけた魂と見なされていることがよくあるということです。それは実際のところ、教訓を学ぶことに関係しているということが多くの例から明らかです。子供を失うという恐ろしい悲劇は、何らかの教訓と整合していることがよくあるということが分かるようになりました。家族同士が関係し合いながら、意識はずっと続いていくという教訓であり、そこから家族は恩恵を得るようです。旅立った愛しい子から得た最大の贈り物は、死についての展望、死の体験の共有、死後の意思疎通であった、と人々はよく私に言います。つまり、魂がまだつながり合っているという非常に具体的で力強い認識です。どのような喪失であったとしても、そのことによってすべてのことが価値を持つようになることが多いのです。

SI:「バイノーラルビート(両耳性うなり)」*についての章にとても興味を覚えました。バイノーラルビートの背後にある理論と、それが様々な精神的または肉体的な疾患で苦しむ人々をどのように助けることができるのかについて説明していただけますか。

* 〔編集者の註:バイノーラルビートはヒーリング・アコースティックス(治癒のための音響)の一形態であり、特に不安症や不眠症、その他の精神的ストレスの症状を和らげるということが証明されている。カレン・ニューウェル氏によると、『バイノーラルビートは、脳幹下部で相互作用する二つの別々の周波数が集束することによってつくり出され、脳の大脳皮質野によって感知されるうなりが生じる』──詳しくはsacredacoustics.comを参照〕

アレグザンダー:一つの非常に重要な点を指摘しておきたいと思います。バイノーラルビートは脳幹下部の神経回路に影響を与えるということです。それは独特なものです。今まであなたが耳にしたことのある、超越的な体験を授けたあらゆる音──聖歌、国歌、賛美歌など──は、聴覚を司る大脳皮質の側頭葉で処理されていました。
 セークリッド・アコースティックス(聖なる音響)とバイノーラルビートは──3億年前からある──脳幹下部を通ります。そこが、大きな力が入ってくるところだ、と私は考えます。このとても原始的なレベルにおいて意識に取り組むことができます。そこは、私たちの自由意志とプラシーボ(疑似薬)効果に関係するところでもあると考えています。例えば、プラシーボ効果を見てみると、それは非常に現実的なものであり、信念や態度、思考が健康状態や健康回復に途方もない影響力を及ぼすことがあるということが分かります。プラシーボ効果は始まりにすぎません。例えば、病気の自然回復のことを考えてみてください。意識科学研究所(IONS)に行って「自然回復」について調べれば、特定の霊的実践を通して自分のがんや感染症などを癒した人々の3,500件の症例を記述した、その研究所が発行した本が見つかるでしょう。セークリッド・アコースティックスは意識的な認識のこうした非常に深いレベルに入っていき、高次の魂と一つになるためのとても強力な手法です。そうすれば、魂はそのような治癒を可能にします。それは不安症の研究で分かっていることに似ています。
 臨死体験や、私の場合のような奇跡的治癒について検討しても、現代医学では説明できませんが、そのようなものは起こっています。霊的体験を伴うので、それは起こっているのです。ですから、これはすべて、このような最善の結果へと私たちを案内し導いていくことのできる私たちの精神と魂の本質についての、はるかに豊かで深い認知に関わるものです。そのような場合に、バイノーラルビートはとても効果的になり得るのだと考えています。

SI:バイノーラルビートを通して臨死体験のような体験を引き起こすことはできるでしょうか。これは医療分野での将来の治癒の一部になると思いますか。

アレグザンダー:こうした臨死体験のような体験をするために臨死体験をしなければならないか。私の答えは、いいえ、です。あなたは意識の探検者にならなければなりません。あなたが瞑想を行う人であれば、あるいは心を集中させる祈りを使用し、内面に深く入ってあの自我の声を休止させる方法を持っていれば、霊的な通路の実態や、それと自分との関係について知る必要のあるあらゆることを学び、そして知る道の途上にあるでしょう。ですから間違いなく、すべての人がそれに近づくことができます。瞑想や心を集中させる祈りはとても重要なものになり得るでしょう。もはや「ここ」や「今」に閉じ込められることのない、拡大する認識を実際に再現し、抱くことができるようになるからです。この点で、瞑想や心を集中させる祈りはとても大きな役割を果たすことができると思います。そうした魂の高次の様相は非常に、非常に強力です。私は瞑想の体験でそれにかろうじて触れただけですが、それでも、その様相がいかに強力になり得るかを認識するようになりました。
 1970年代中頃の当初の臨死体験研究者の一人であったケネス・リング氏は素晴らしい記事を書いています。必ずしも臨死体験をする必要はなく、臨死体験に気づき、こうした話を研究すれば、自分でより深い理解に達するのに大いに役立つということを明らかにしました。それが本当に大切なことだと思います。私たちの誰も、個人的にあらゆる体験をすることを期待すべきではないでしょう。他の人々の体験にも注意を払うとよいでしょう。
 私は他の人の体験に関心を抱いているだけでなく、こうした体験をできるだけ多く学びたいと思っています。何が可能であるかを理解する手助けとなるからです。瞑想と、心を集中させる祈りを通した体験のための舞台を、私が個人的に設定するための環境を整えたいとも思っています。カレンと私はワークショップでいつもこのようなことを考えています──臨死体験をしたことがない人々が瞑想で、特にセークリッド・アコースティックスを用いて、物質界を去った愛しい者たちに出会うという非常に現実的な体験をします。それはとても、とても助けになることがあります。このようなことをしょっちゅう目にしますので、瞑想だけでも、こうした人生が変わるような体験をすることがある、と確信をもって言うことができます。

SI:あなた自身の臨死体験に基づいて、医療分野でどのような変化が起こることを期待しますか。

アレグザンダー:私が期待する大きな変化は非常に急速に起こっています。『プルーフ・オブ・ヘブン』という本を書いた主な理由の一つは、医学界がこのようなことすべての現実性に目覚める一助になればよいと思ったからです。カレンと私はたくさんの医師や看護師、他の科学者からの声を聞きます。しかし確かなことは、『プルーフ・オブ・ヘブン』『マップ・オブ・ヘブン』『マインドに満ちた宇宙に生きる』という本で私たちがメッセージを発信したことについて、治癒を専門とする人たちが感謝の言葉を述べているということです。
 特に3冊目は、科学的な思考をする人や医学界にとって、前方への大きな飛躍となっています。そうした人々がこう言うのに役立つからです。マインドが根本的な要素となるこうしたより大きな現実こそが、最初から想定し理解すべき現実であり、マインドによって健康や治癒に途方もない力を及ぼすことができる、と。これは、そうしたことはあり得ないと主張しようとする馬鹿げた限定された唯物的モデルよりも、私たちが持つあらゆるデータと整合します。
 ですから、私が医療関係者をそのことに目覚めさせ、この世界の至るところで毎年起こっている何百万件もの臨死体験のふたを彼らが開けるのを手伝えば手伝うほど、この世界は変化するでしょう。私にとって、医学界の扉を開けることは、世界全体の扉を開けるための鍵となる要素の一つです。医療関係者はとても多くの形で、こうした話の門番の役目を果たしてきたからです──昏睡状態になる前の自分のように。私は唯物主義的な医師の一人でした。誰かの背中をたたいて、例えばこう言っていました。「そうですね、あなたはとても具合が悪かったのです。死にかけた脳はあらゆる種類の幻覚を起こします。だから、そのことを忘れてもいいのですよ」と。しかし、それは真実ではありません。こうした話や体験にはずっと多くのものがあるということを私たちは知っています。それは何らかの深い説明を必要とし、私たちの存在そのものについての真実を理解するのを助けてくれます。このような理由で、医学界の扉を開けることが私の大きな目標の一つとなっています。
 意識の研究において世界的に非常に尊敬されているたくさんの科学者が、私たちの本『マインドに満ちた宇宙に生きる』を推奨してくれていることを知っています。究極的には、それは科学の革命なのです。
 このより大きな見方は、個人だけでなく人類全体にとってもとてもわくわくするものです。私たちは肉体であり、誕生して死ぬだけの存在だと仮定する唯物主義のわびしくつまらない作り話よりもはるかに理に適った、ずっと大きな領域を提供してくれるものです。そうした作り話のすべては間違っており、実験データと合致しません。そのようなわけで、この革命が実際に、科学を根拠とした革命であるというのは非常に重要なことです。
 ここでは、はるかに深い何かが進行しています。それは、私たちが達しようとし始めたばかりのものですが、やがて人々は、これが信仰の革命ではないことを理解する必要があります。それは実在の本質、マインドと脳の関係、意識そのものについての科学的理解という革命なのです。そのようなわけで、きちんと理解することが非常に重要です。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

短い滞在

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)2008年4月5日に、私たちのグループはベンジャミン・クレーム氏のDVD講演会と、それに続く質疑応答のパネルディスカッションを開催しました。ドアを開けたままにしていた時、背の高い黒人で黒いシャツに黒いパンツ姿の男性が、やって来た第一弾の来場者の一人でした。彼はデズモンド・ツツ氏と似ていました。グループの誰もが彼に気づいていました。
 彼は観客席に入っていき、一人で腰を下ろしました。その後、すでに着席していた二人の女性に、知り合いであるかのように手を振りました。彼は席を移動して、その人たちと数分間おしゃべりをしに行きました。出現季報を渡されると、それを読んでいました。鉛筆と質問用紙は彼から断られて、長くはいられないのでと言われました。実際に、開始の5分前には、立ち上がって出ていきました。外のホールで、メンバーの一人が数分間彼と話をしました。その紳士は経営管理学の修士学位のために勉強していると言いました。それから、「今から私は仕事に行かなければなりませんが、戻ってくるつもりです」と言いました。彼が歩いて去っていく時、もう一人のメンバーが彼を見て、「この人はマイトレーヤだ」と思ったのです。彼はそのメンバーを見て、微笑みました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

召集か選抜か

(2)同じイベントの講演後、小柄な黒人の女性が展示テーブルにやって来ました。彼女は肩の長さの髪に黒いスーツを着ていました。名前はレノーアでした。
 彼女からこう尋ねられました。「私は少し仕事があってここに来て、あなたたちのチラシを見たのです。この発表会に来る必要があると思いました。それで質問があります。……イエスは双魚宮時代の世界教師でしたか? 人はどうやって覚者になりますか?   あなたたちは召集されたのか、それとも選ばれたのですか?」
 私が意識の進化について話すと、「あなたは輪廻転生というヒンズー教の概念について話していますね。私は三位一体やニカイア信条についての教義と共に、メソジストとして育ちました」と彼女は言いました。イエス覚者はキリスト教会と働くことになると伝えると、彼女はとても喜んで、「イエスは世界におられるの?」と言いました。イエスはマイトレーヤと緊密に働いておられることを伝えました。
 その訪問者はさらに、汚染や地球温暖化に関連した世界への懸念について話をしました。その後、「さて、読むための資料もすべていただきました。これからここに来た目的のことをするために戻らなくてはなりません」と彼女は言いました。来てくれたことについてお礼を述べると、彼女はスーツケースを引っ張りながら歩いて去っていきました。この人は特別な訪問者でしたか。

アン・マリー・ドハティ
米国、ジョージア州マリエッタ

【ベンジャミン・クレームの師は、『レノーア』がイエス覚者であったことを確認した】

読者質問欄

Q これは宗教的なメッセージですか。(2003年7月30日、ロサンゼルスでのベンジャミン・クレーム講演会)

A 私が提示しているのは情報であり、「情報」という言葉を強調したいと思います。私は福音伝道主義者ではありません。私は特に宗教的ではありませんし、どの宗教に属しているかも知りません。私はたいていの教会や寺院でくつろぐことができますが、宗教を教えるためにここにいるのではなく、宗教についてあまり知ってもいません。説教するつもりは全くありません。自分の知る情報をあなた方と分かち合うためにここにいるのであり、それはあなたが耳にすることのできる最も重要な情報であることは明らかです。特にこのような「困難な時代」においては。「困難な時代」という言葉は、現在の文明と文化の汚染を言い表すのに決して十分ではありませんが。

Q この30年間のあなたの活動を考えてみると、マイトレーヤや霊的ハイアラキーについて知っている人々もいるようですが、人類全体としてはそれについて何も知りません。(2004年、オランダ、アムステルダムでのインタビュー)

A 世界には65億人の人々がいます(2004年当時)。私はヒマラヤにいる師とテレパシー的な接触を持っています。私はロンドンに住んでいますが、師と私はいつでも話すことができます。私は彼に、このメッセージを聞いた人は全部でどのくらいいるのかを尋ねました。彼は「約3,000万人がこのメッセージを聞いた」と言いました。「メッセージに心を開いている人はどのくらいですか」と聞くと、師によれば「約2,000万人。2,000万人の人々は心を開いて信じている」ということでした。確信しているということではなく、その可能性に心を開いているということです。「確信している人はどのくらいいますか」。師は答えました。「約200万人」と。ですから、かなり大きな割合です。
〔編集者の註:ベンジャミン・クレームは2014年3月に同じ質問を受けた。〕

Q あなたの話を何人の人が聞きましたか。

A 私の師は、3,600万人が聞いたと言われました。その約3分の1、約1,200万人から1,300万人がそれを信じているか、本当だと受け入れています。3分の1は本当か分からないけれども心を開いています。3分の1は完全に拒否しています。

Q 政治家や世界の指導者、代表者もその中に含まれますか。

A マイトレーヤは舞台裏で、御自身の仕事の一部として彼らと会っています。世界の指導者、有名人、歴史に名を残すような人々と会っています。政府の長、外交官、ビジネスマン、社会的人物、一般の人々に至るまで様々です。マイトレーヤは、御自身のために働くことのできる人々にも姿を現しています。御自身の優先事項、計画を告げ、受け入れるならば共に働くよう伝えています。

Q マイトレーヤの計画とは何ですか。彼が私たちにもたらすメッセージは何で、世界の現状への関心事は何ですか。

A マイトレーヤの関心事は、私たちが自分自身を破壊しないことです。それは完全に可能だからです。

Q どうやって真我実現の道を選べばよいのですか。真我と接触することによってですか。(1990年、ロサンゼルスでのKLAインタビュー)

A マイトレーヤは、最初の段階は自分を知り自分を受け入れることであると言われます。あなたは誰の真似もしないで自分自身でいなければなりません。誰もが誰かを真似ています。自分の尊敬する人、偉大であると思う人──映画スターやポップスター、見栄えの良い人や金持ちの人──、あるいは自分が崇拝するものを真似ています。こうしたイメージを真似るのです。そのようにして、自らの個人性と同一化する能力を失い、輝きを失います。個人性という輝きを失ってしまえば、進歩することはできません。マイトレーヤは、まず初めに、自己を尊重しなければならないと言われます。犯罪や暴力、ドラッグなどはいつも自己尊重の欠如から起こります。ですから、私たちの都市で薬物依存や暴力や犯罪を克服するためには自己尊重を取り戻す必要があります。そうすれば、その自己尊重が徐々に自己認識につながります。自己認識は次第に真我実現につながります。瞑想はその真我実現への道ですが、それは形式的な瞑想ではなく、自分が本当に誰であるかという問題です。
 しかし、マインドの正直さを実行することも必要です。人はあることを考え、別のことを言い、また別のことをします。それはマインドの不正直さです。マインドの正直さとは、本当の考えを言い、本当の自分であり、自分でないもののふりをしないことです。
 人々は夢を生きています。アメリカン・ドリームがあります。あらゆる空想の中でそれをかなえようとします。人々はカウボーイのように手を脇につけて銃を構える用意をしたり、あるいは銃を取り出して遊び場にいるすべての人を殺したりします。映画や新聞で見たことがあるでしょう。人々は皆、自分の夢を、空想の生活を生きています。それはリアルではなく空想です。
 あなた自身でなければなりません。つまり、自分とは誰かを認識し、肉体ではなく自分の真の側面と同一化するということです。肉体と同一化すれば、肉体のあらゆる病気を表現することになるでしょう。しかし、それはどこにも導きません。感情と同一化すれば、完全な混沌につながります。それはあなたではありません。あなたはマインドの仕組みや構築物と同一化しています。「私はクリスチャンだ」とか「私は神学者だ」とか「私は民主主義者だ」などと言います。あなたはそれらのものではありません。あなたは不死の魂であり、それのみが、あなたが実現していくことのできるものです。それを本当に実現したとき、救済があります。それ以外の何も救済ではありません。それが真我実現です。
 もし私がマイトレーヤなら、真我実現をどうやって達成するかを告げることができるでしょうが、私はマイトレーヤではありません。マイトレーヤは、三つのこと──マインドの正直さ、スピリット(生気)の誠実さ、そして無執着──が不可欠であると言われます。肉体、感情的システムのエネルギー、マインドの構築物と同一化することに執着しないことです。あなたはこれらのものではありません。あなたは真我であり、真我を知ることで真我実現に達します。そのときにあなたは啓発され、私が何か他のことをあなたに言う必要はなくなります。

2022年2月号目次

 

覚者より
新たな始まりの先触れ
ベンジャミン・クレーム筆記

最高位からの贈りもの
ベンジャミン・クレーム筆記

「分離は全くありません……..」
エベン・アレグザンダー博士へのインタビュー
シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズ

偽善的な環境政策に対する警告

根本的な法則:原因と結果
グラハム・ピーブルズ

余暇の真の価値
エリッサ・グラーフ

時代の徴
世界中の徴
ダブル・ミラクル、クリスマスのハート

ポール・ホーケン著
『リジェネレーション:気候危機を一世代のうちに終わらせる』
シェア・ギルモアによる書評

世界の五大国が核戦争の回避を誓う
刑務所が収容過剰になった時
アナ・ビエによる報告

世界情勢
税金! 税金! 今すぐ私にもっと課税を!

Rアーバンプロジェクト:都市のコミュニティーのつながりを再創造する
ヴィンセント・マトス

調査して、現実に目を向け、行動を起こすことが 今ほど重要な時は、他にはない
トム・ハートマン

編集長への手紙
癒しの愛 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

新たな始まりの先触れ

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 多くの人々は今のこの時期を試練と緊張と動乱の時として記憶するだろう。しかし、より洞察力のある目で見るならば、それは新しい始まりのための再生と準備の時である。かくして、人間は現在の様々な変化から大いに希望を得てよいのである。過去はその日々を終え、人類を益することは急速にできなくなりつつある。若者たちはその長い間の支配にますます飽き飽きし、苛立ち、彼らの魂の倦怠と絶望感を癒すために麻薬や犯罪に走る。
 他方、新たな始まりの先触れが、あらゆるところに住む人間の必要に心をとめる積極的な活動家たちの新しい世代を静かに鼓舞しており、彼らはすべての国に出現するだろう。知ってのとおり、すでに新しい制度を求める活動家のグループが多くの地において、公に、勇敢に活動し、新しい志向を示しており、それは何百万の人々の心(ハート)に生まれつつある──すべての者への敬意と、協力であり、古い、分離的な貪欲への終止である。
 かようにして、彼らはマイトレーヤの単純な教えに自分たち自身を一新することによって、新しい時代の青写真を見いだしつつある。何百万の人々の心(マインド)の中に、平和と正義が中心的な場を占め始めている。分かち合いのみがこれらの大事な概念を実現することができるだろうということに気がつくとき、人間はこれまでの想像を超える社会の大変換に着手するだろう。段階的に、これらの変化は選択されて、一般的な利用に試されるだろう。今日の痛みと喪失感は、世界がついに正しい道の上にあるという新たな希望と満足感に取って代わり、かくしてそれらの試みは安全に始められる。
 そのようにして、変化への恐れは消え去るだろう。人間が新しい方式の美を認識するにつれて、大いなる変容が順序よく進められるだろう。徐々に、過去の古い、分離的なやり方が過去の過ちとして見られ、新しい和合に役立たないものとして消え失せるだろう。
 マイトレーヤのことばと模範が和合の感覚を速め、それが宝瓶宮(アクエリアス)のエネルギーをますます顕現させることになり、人々を今日はいまだ知られざる統合へと引き寄せるだろう。
 現在、様々なセンターにおいて覚者たちは、社会的混乱を最小限に留めながら、これらの変化をもたらすために、彼らのグループを通して働いている。彼らの仕事は、革命よりもむしろ許容可能な速度の進化で変化を推し進めることである。これは容易いことではない、なぜなら、人間は、特に若者は新しいものを性急に求め、年老いた者たちは変化に抵抗するからである。かくして現在の混乱があるのである。
 多くがこの時を希望と歓びをもって待つ。さらに多くの者は絶望と恐怖の中に閉じ込められている。多くの者が戦争とひどい貧困から解放される未来の世界を切望している。さらに多くが疲れ果てて彼らの重荷が軽くなるのを待つ。
 マイトレーヤは人々を彼らの運命に目覚めさせて、彼らを恐怖と疑いから解放するだろう。また彼は、人々を絶え間ない疎外感と不信感から解放するだろう。荒野の中での長い冬が、人間を将来のより簡素で、より幸せな時のために準備させたのである。

(シェア・インターナショナル誌 2011年12月号)

最高位からの贈りもの

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をよりいっそうはっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。
 この新しい知識は多くの者たちをこらしめ、驚かすだろう、しかし彼らの理解について完全な調整をもたらすように、彼らを刺激し、啓発するだろう。これが人生の意味と目的と彼らが呼ぶところのことについて、新しい価値を与えるだろう。より一層の真剣さとより大きな歓びが人間の信念と行動に浸透するだろう。そして徐々に彼らを全く新しい啓示に熱中させるだろう。その時は遠い先ではない。偉大なる主は、公に、認知される存在として世界に現れて、恩寵をもたらすことをしきりに願っておられる。
 恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。

(シェア・インターナショナル誌、2015年5月10日)

「分離は全くありません……」

エベン・アレグザンダー博士へのインタビュー
シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズ

 ハーバード・メディカル・スクールや評判の高い大学病院で数十年にわたって医師や准教授として働いた経歴を持つ脳神経外科医、エベン・アレグザンダー博士はかつて、唯物的な世界観──物質世界が存在するすべてのものだという信念──を断固として支持していた。彼の科学的な信念体系は2008年の超自然的な臨死体験(NDE)によって一変することになった。それは1週間続いた昏睡状態の間に体験した別の領域への旅である。病気の経過予想は厳しいものであったが、不可解なことに、アレグザンダー博士は目覚めると完全な健康を回復した。彼の症例と回復は、論文審査のある「神経・精神疾患ジャーナル」で検証された。
臨死体験以来、アレグザンダー博士は自分の豊かな霊的体験と、量子物理学や宇宙論、マインドの哲学との折り合いをつけてきた。意識が健康や治癒、回復で果たす役割について教えるために、アレグザンダー博士は世界中で講演を行っている。
 アレグザンダー博士は先駆的な科学者、現代思想のリーダーとして、ワトキンスブックスが選ぶ「2020年度マインド・ボディ・スピリット・リスト(精神世界で最も影響力のある人物ランキング100人)」に名前が挙げられている(ダライ・ラマやフランシスコ教皇、エックハルト・トール、デズモンド・ツツらと共に)。2013年以来、このリストには何度も登場してきた。アレグザンダー博士は400回を超えるメディアのインタビューを受けてきた。その中には、ABCテレビの「グッドモーニング・アメリカ」と「20/20」、「ドクター・オズ・ショー」、オプラさんの「スーパー・ソウル・サンデー」、「ラリー・キング・ナウ」「フォックス・アンド・フレンズ」「ディスカバリー・チャンネル」「バイオグラフィー・チャンネル」、ラジオやデジタル、ポッドキャスト番組の数多くの国際インタビューが含まれる。シェリーン・アブデル=ハディ・テイルズがシェア・インターナショナル誌のためにエベン・アレグザンダー博士にインタビューを行った。

「他に言いようがありません──神と私との間に分離は全くありませんでした」
──アレグザンダー博士

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたは著書『マインドに満ちた宇宙に生きる』の中で、レイモンド・ムーディ博士が臨死体験という主題についてさらに探求することにつながった彼自身の体験について書いておられます。ムーディ博士はプラトンの『国家』を読みました。プラトンがその本の中に書いているのは、死んだ後に生き返ったアルメニア人兵士の話です。彼は仲間の兵士たちにこう語りました。人が死ぬと、人生の最も顕著な出来事を振り返る過程をたどることになるが、「審判を受ける際に最も重要となる特質は、ここ地上で生きている間に現すことのできた愛だ」と。これは、あなた自身や他の人々の臨死体験において共通の特徴なのでしょうか。結局のところ、最後に残るのは「愛」なのでしょうか。
エベン・アレグザンダー:これは、臨死体験を通して明らかにされた霊的領域の核心を突くいい質問だと思います。レイモンド・ムーディ氏の本を読んで直接お会いし、この探求に深く関わり始め、さらに自分自身の体験を通して理解してからは、プラトンが2,400年前に起きた体験について書いたという事実には、私にとって途方もない意義がありました。今日、戦場にいる兵士にも同じことが言えるでしょう。
 もちろん、最も大事な部分は、愛が実際にすべてのものの核心にあるということです。私たちが共有しているこのつながり、私たち全員が本当につながり合っているというこの素晴らしい感覚の核心にあるのです。それはまるで、私たちが一つのマインドの夢を共有しているようなものです。このアルメニア人兵士が2,400年前に、こうした体験に関して起こっていることや、そうした体験が私たちと宇宙との関係、特にお互いとの関係について示唆することをうまく言い当てていることをうれしく思います。また、ムーディ博士がその話を紹介し、1975年に『かいまみた死後の世界』(評論社、1989年)という本を執筆する勇気を持っておられたことを本当にうれしく思います。その本をきっかけにして、この途方もない研究の傾向全体が実際に生じることになったと思います。
 臨死体験で感じられる一体感は、まさしく普遍的なものです──あの愛の感覚、愛の癒す力のことです。人生を振り返る瞬間に、それは感じられます。とても大事な要素の一つは、その人自身の見方ではなく、その人の行動や思考によって影響を受けた周りの人々の観点から人生を振り返ることになるということです。ですから、この人生の振り返りによって明らかになるのは、こうした人々に大きな影響を与えていると考えられる自我の境界とは実際のところ、私たちが生きているドラマを支える架空の話のようなものだということです。もっと深いところでは、そうした自我の境界は偽りのものであり、私たちは実際、全員が一緒に学び合ったり教え合ったりするこのドラマの一部なのです。このことを理解するのに臨死体験をする必要はありません──これについて知り、それから自分自身の意識を探究するだけでいいのです。そうすれば、必要なものすべてがしばしば与えられます。
 多くの方法で、この臨死体験についての現代の研究と意識の科学は、一つのマインドという概念へと間違いなく収れんしつつあります。つまり、私たちは一つのマインドを共有しているということです。2,400年前のアルメニア人兵士の話だけでなく、今日の非常に多くの体験で描写された、人生を振り返る瞬間の話を聞けば、そのことが分かります。それは実際のところ、人にされてうれしいことを人にしなさい、という黄金律です。これはまさに、宇宙の基本構造の中に書き込まれてい
ます。

SI:それはまさに、時間は存在しないことを実証しています。この生きるという体験は個人的なものではなく集団的なものです──たとえ大抵の人が個別の体験をしていると本気で考えているとしても。しかし、それは見当違いの信念です。
アレグザンダー:そのとおりです。そうすると、意識そのものの進化の力を垣間見始めることができます。それはまさに、この対談全体の主題にほかなりません。意識は脳の一部ではないため、意識は死で終わらないということです。無に反するものが宇宙にあるのはなぜでしょうか。それはどこかに行くのでしょうか。
 そのようなわけで、カレン〔『マインドに満ちた宇宙に生きる』の共著者であるニューウェル氏のこと〕と私はよく、スティーブ・ジョブズがこの世を去ろうとしていた時に発した最後の言葉が「すごい、ああ、すごい。ああ、すごい」であったことを指摘するのです。彼が目撃していたのは、単にあらゆるものが暗くなるということではなく、信じられないような認識の拡大だったのです。

SI:死の瞬間に人の信念体系が果たすことのある役割について話していただけますか。信念体系はそうした体験の解釈の仕方に影響を及ぼしますか。
アレグザンダー:いい質問だと思います。私たちの信念はとても大切だと思います。信念は一定の枠組みを定めるからです。その枠組みは例えば、死ぬ時に、最初の段階をどう解釈するか、あらゆることが起こるということをどこで学ぶかを決定づけます。信念は人々を袋小路に迷い込ませるような可能性がある、と私は考えています。もしあなたが筋金入りの唯物論者であれば、死につつある時に、自分の存在は続くということを認識し、戸惑いがそこでの何らかの閉塞へとつながるかもしれません。しかし、ここで是非とも指摘しておきたいのは、例えば私自身の場合は、宗教教育はノースカロライナ州の伝統的なメソジスト教会の中で行われたということです。私は脳神経外科での25年間にわたる学者生活の中で聞いたことの多くを信じたいと思っていました。私がそのことで苦労したのは、意識的な認識が脳と肉体の死を超えて存続することがいかに可能となるのかを、科学的な観点から全く理解することができなかったからです。そのようなわけで、臨死体験は自分にとって非常に重要だったと思います。臨死体験は、肉体脳の束縛から解放されることによって意識が実際に豊かになることをはっきりと示しました。
 ここで指摘しようとしているのは、私の宗教的な信念に従えば、神と本当に一体になる、あるいは、あの神聖な存在者、あの創造的な源と一つになるという概念を心に抱くことはないということです。しかし、それこそ、昏睡状態の中で体験したことです。他に言いようがありません──神と私との間に分離は全くありませんでした。
 重要なのは、何が起こり得るかに関して、昏睡状態以前の信念には制約されなかったということです。実際に起こることは、とても現実的な世界を目にし、自分が見ているもっと大きな世界──霊的な宇宙と、霊的な存在としての私たちの実相──について容易に説明できるよう、自分自身の信念を修正しなければならないということです。そのため、こうした体験は信じられないほど貴重なのです。私たちは本当に、現代の個人的体験とこうした体験の科学的説明の時代にもっと十分に順応できるよう、様々な宗教体系を拡大させていくことができます。
宗教はこの世界を正しい軌道に乗せるのに5,000年余りを費やし、最善を尽くしました。この現在の革命について私が気に入っている点は、意識と実在の性質についての理解──私たちは本質的に、はるかに理に適った前進の道を見つけようとしているという理解──が深まっていることです。この唯物主義は、究極的には崩れ去らなければなりません。紛れもなく人を惑わしているからです。
 しかし、こうした古代の霊的伝統の一部は最もなことを述べており、現代科学はそれと完全に一致します。そのようなわけで、この革命はとても異なったものになると私は考えます。この革命は意識に関わるものです。それはまさに、人類すべてが進んでいく道であり、科学に基づくものです。一つであることと愛の癒す力に関して、科学は何千年も前の深遠で神秘的な教えと実際に一致しており、そうした教えを支えています。

愛の大海の中での日光浴

SI:あなたの体験と教えは、死の恐怖、したがって生の恐怖を根絶するのを助けるために非常に有益であると思います。また、それは魂の存在の事実を確立するのに役立ち、私たちが本来の自分と正しく同一化するのを助けてくれます。また、少なくとも、本来の自分でないものに気づかせてくれます。あなたの体験や他の人々の臨死体験は、そうした体験をしていない人々を他にどのような方法で助けるとお考えでしょうか。その体験はあなたと共にあるのでしょうか。
アレグザンダー:そうですね、それが本格的に役立つのは、何千件もの臨死体験を見渡してみて、人生を振り返る瞬間について聞き、人々が愛──あの限りなく愛情深い力──の中に浸ることについて聞く時でしょう。それを神やアラー、ブラフマン、ヴィシュヌ、エホバ、ヤハウェ、偉大なる霊など、何と呼ぼうと変わりありません。それにどんな名前を付けたいと思おうと私は気にしません。実際のところ、それらは同じものを描写しているからです。それだけでなく、その力と一つになった感覚や、その愛の大海の中で日光浴をすることについてもよく描写されます。それこそが、次のことを認識する勇気を与えてくれるのです。つまり、死について恐れるものは何もないということ、私たちの意識的な認識そのものがそうした神の力に由来するということ、そして本質的には、私たちは全員、自分たちが進化していく未来を共に創造している者たちであるということです。
 ご存じのとおり、唯物主義の科学は、自由意志のようなものはない、とあなたを説得しようとします。意識は脳内の化学反応と電子束の付帯現象にすぎない、と唯物主義の科学は誤認しています。その場合は意志が全く働いておらず、だだの偶然にすぎないように見せかけようとします。意識は、自然法則や物理学、化学、生物学の法則に従っている脳内の質料にすぎないといいます。それから、そうしたあらゆるものから漏れ出すものが意識の体験であり、それは偶然にすぎず、何の意味も目的もないといいます。そこが、明らかに焦点が大幅にずれているところです。というのは、神との一体性と共同創造の精神というこの概念は、この宇宙が進化していく中で私たちが目撃するすべてのもの、すなわち、すべての人類の歴史、宇宙の歴史、私たちが知り記録し理解できるすべてのものの歴史は、私たちの意志を表すものであることを認めるための方法なのです。そこにはとてつもない規模の意志が作用しているのです。電子や陽子、クォークが衝突するだけではなく、そうしたすべての中にはとてつもない規模の意志と目的があります。そういうわけで、私たちの対談は宇宙の心理層に近づくことにとても関連しているのです。
 そうした宇宙との一体感のようなものに触れれば、決して忘れることはできないと思います。なくなりようがありません。そうした体験は、人生の出来事の記憶や夢、あるいは幻覚よりもずっと現実的であり安定しています。脳と連結した目や耳によって情報にフィルターがかけられることはもうありません。こうした霊的な旅においては、そのようなフィルターは作用しません。それはまさしく、情報の膨大な流入なのです。それが、説明するのがとても難しい理由の一つであり、そのようなわけで言語に絶すると言われます。そうした体験は空間と時間の外で起こります。それは言葉で物語ることができる単純過ぎる小話のようなものではありません。その体験はそのようには流れないからです。情報の流れははるかに壮大であり、そのようなわけで人々は人生のすべての主要な出来事を完全に振り返ることができます。すべてのことが、心停止した2分間で起こり得ます。
 しかし、臨死体験をしている人にとって、2分は1年のように思えるかもしれません。とても効率良く機能するのは、物事を知るための方式が全く異なっているためです。同一化するような知識であり、あなたは周囲の場面そのものになります。この人生の振り返りの瞬間には、あなたは他の存在者になり、自分の行動と思考が周りの人たちに与えた影響を、そうした人たちの観点から目の当たりにします。そうした瞬間をとても確固とした、詳細な、超現実的な形で再度生きるのです。こうした信じられないような和合があります。それによって明らかになるのは、地上での時間の流れという概念そのものが間違っているということです。ここで、こうした人生を生きることが進行中の架空の話だということが裏付けられます。しかし、時間と空間の外にあるはるかに深い現実が存在します。そうした現実においては、精神的観点から舞台装置を見ることができ、脳内にいるという意味での「ここ」や「今」にはそれほど限定されません

生まれ変わり

SI:あなたの研究を通して、生まれ変わりに対する信念を支持するような情報や体験はありましたか。
アレグザンダー:生まれ変わりがよく話題になりますが、私自身の観点から、大事なことを指摘すべきでしょう。昏睡状態以来の13年間に私が調べたあらゆることや昏睡状態そのものによって非常にはっきりしたことは、生まれ変わりは現実だということです。
 当時は、生まれ変わりを裏付けるあらゆる科学的データがあることや、生まれ変わりは合理的疑いの余地なく証明されていることを認識していませんでした。生まれ変わりにはどうやっても反論できません。これまで科学界で却下されてきたのは、当然ながら、唯物主義がそれを支持しないからです。ところが、生まれ変わりは実証的なデータに基づき、絶対に現実のものです。私たちはもっと深い理解に到達しなければなりません。生まれ変わりは確かに、この意識の進化の科学と合致しています。脳はフィルターである一方、意識は宇宙全体を通してもっと統合されているようです。すべてはこうした思考の進化と完全に符号しています。
 最近執筆された論文もいろいろあります(bigelowinstitute.orgを参照)。そうした論文を読めば、死後の生命だけでなく生まれ変わりも支持する途方もない量の科学的データがあることが分かり始めるでしょう。そうした論文の多くが、この難題の非常に大きな部分としての生まれ変わりについて深く研究しています。これは大ニュースです。唯物主義の科学者が全く無知なことに、文献をろくに参照しないで「こんなことはどれも現実ではなく全部妄想だ」と言い放つという馬鹿げたありさまを、私たちはついに乗り越えようとしているからです。ですから、文献を理解する人たちと一緒に前進していきましょう。また、そうした論文は良い出発点となります。生まれ変わりは本当に現実だということを確認せずに読むことはできないでしょう。信じてください、皆さん──生まれ変わりは私たちの現実です! 生まれ変わりについてもっと理解を深めましょう。
 覚えておきたい大事なことは、メソジスト教会での私の宗教教育において、生まれ変わりのようなものは決して認められていなかったということです。しかし、私の旅を通してやがて非常に明白になったことは、生まれ変わりが果たす非常に幅広い普遍的な役割を認めることなく、こうしたことについて何かを理解することはできないということです。その役割とは、私たちの魂が何度も何度も戻ってこられるようにすることです。
 生まれ変わりは、こうしたすべてのものを支える一連の科学的データの絶対に欠かせない部分ですが、『マインドに満ちた宇宙に生きる』で指摘していることは、この話は生れ変わりだけに関するものではないということです。2冊目の本『マップ・オブ・ヘブン』で指摘されているように、ある種の恩寵が存在するということと、このすべては実際の進化に関するものだということを認識することが決定的に重要です。私たちは何かに向かって進んでおり、目的を共有しています。宇宙全体がこのような変容の過程に従事しているのです。
[第一部終わり]

詳しくは ebenalexander.com をご覧ください。

参照文献
エベン・アレグザンダー著、白川貴子訳『プルーフ・オブ・ヘブン──脳神経外科医が見た死後の世界』早川書房、2013年
エベン・アレグザンダー&トレミー・トンプキンズ著、白川貴子訳『マップ・オブ・ヘブン──あなたの中に眠る「天国」の記憶』早川書房、2015年
エベン・アレグザンダー&カレン・ニューウェル著『マインドに満ちた宇宙に生きる──意識の中核への脳神経外科医の旅(Living in a Mindful Universe: A Neurosurgeonユs Journey into the Heart of Consciousness)』ピアトカス、ロンドン、2017年

余暇の真の価値

エリッサ・グラーフ

パンデミックの中で生きることで得られる希望の兆しがあるとしたら、時間をより重視することを学んだことが、その一つかもしれない。相次ぐロックダウンにより日常生活が立ち往生する中で、何百万もの人々が自分にはもっと時間があることに気づいた。多くの職が失われ、企業が倒産したが、こうした厳しい状況下で、多くの人々が優先順位を再考する機会を得ることにもなった。

 キャスリン・ハイムズ氏は、ワイアード誌の2021年11月号の記事でこう述べている。人々は現在、「……転職したり、キャリアの梯子上で『ダウンシフト(ゆとりある生活への切り替え)』をしたり、労働から完全に離れた時間をとったりしています。一部の労働者は、新型コロナウイルス時代以後の新たな明晰さと貯蓄により、パンデミックで大変な重労働となった最前線の不安定な仕事から退きました。他の人々は、より大きな柔軟性や自己決定と引き換えに金銭や地位を得る機会を放棄したことを報告しています」。その結果、記録的な数の人々が退職している。米国労働省によると、2021年4月だけでも、かつてない400万人の人々が仕事を辞め、観測筋はこの時期を「大量退職時代」と呼ぶことになった。ハイムズ氏は、この呼び方は的外れであるとして、次のように述べる。「大量退職は、表面上は職業上の地位の用語を前提としていますが、同時に存在する間違いなくより大きな物語を見落としています。それは価値観の根本的な再編であり、そのために、家庭での生活、家族や友人との生活、そして労働以外の生活との関わり方に人々は直面し、それを見直しているのです」
 約1世紀前のもう一つの同様の歴史的瞬間──大恐慌のために数百万人が突然失業した時──には、哲学者、バートランド・ラッセルは著書『怠惰への讃歌』の中で、すべての人間にとって意味のある余暇の必要性を概説し、人の価値はその人の経済的生産性によってのみ測定可能であるという依然として根強い文化的仮定に挑戦した。シェフィールド大学の哲学講師、マックス・ヘイワード氏は、2020年のニューステイツマン誌の記事でラッセルの議論の今日における関連性を指摘し、こう説明している。「ラッセルは、一部の人が身を粉にして働き、他の人が失業中の貧困に苦しむような経済制度を改革するだけではなく、『経済的に生産的な』労働の能力に応じて自分自身を評価するような文化的倫理に挑戦する必要があると考えました。人間は単なる労働者以上の存在です。私たちは怠惰を評価する方法を学ぶ必要があるのです」
 ヘイワード氏はこう指摘する。GDPを成功の標準的な尺度だとすると、「……その市民が隣人よりも収入が年平均で1,000ポンド少ない場合に、ある社会を相対的な失敗と考えなければなりません。たとえ、その市民がより多くの余暇を過ごし、より多くのスポーツをし、より多くの散歩をし、より多くの本を読み、より多くの音楽を聴き、より多くの絵を描いたとしてもそうなのです」。しかし、この考え方は次のように私たちを運命づけている、と彼は述べる。「ラッセルが想像する社会──意味のある怠惰に投資する社会──は真に革命的です。その経済構造が刷新されただけではなく、それが社会の理解の仕方と価値観そのものを変えたために革新的なのです」
 ベンジャミン・クレームは著書『生きる術』で、余暇を神に賦与されている特質と定義している。「……〔余暇とは〕あなたが本来やりたいことをやることです。それは創造的です。それは創造的になる機会です」。彼は、魂から来る創造的な活動を人生の本質と説明し、生きる術は実際には創造的に生きることであり、それは人生のあらゆる側面に関係していると言う。これが、余暇が不可欠である理由であると彼は言う。しかし、今日のストレスの多い生活環境の結果として、「ほとんどの人が、反復的な作業プロセス、劣悪な環境、日々の活動の空虚さと反復性によって全く活力を失っているため、創造性はほとんど期待できません」とクレーム氏は付け加えている。
 さらに、広範囲にわたる貧困と社会的不公正の結果、地球上の大勢の人々は深く満たされない人生を送っている。彼らは、生き残るために十分な収入を得ることにのみ専念し、したがって余暇の機会を見つけることもない。クレーム氏は、人類の内なる真の霊的特質が現れるのを妨げているのは、この強制された貧困であると主張している。解決策は、世界の資源を分かち合うことである。これにより、すべての人が自分の基本的ニーズを満たすことができる物品を利用できるようになる。これは、国連の世界人権宣言に定められている基本的権利でもある。
 ベンジャミン・クレームは次のように書いている。「余暇のための教育は、内面のスキル、才能、潜在能力を伸ばす可能性を、現在では想像もできないようなやり方で人々に解放します」。そうした教育はどのようなものだろうか。バートランド・ラッセルにとって、創造的な余暇を楽しむために必要な能力、知識、習慣を人々に身に付けさせることは、教育の主要な目標の一つでなければならない。マックス・ヘイワード氏は次のように示唆する。「これは改革を意味します。高等教育の機会を大幅に拡充する必要がありますが、大学や学校のカリキュラムは、雇用に必要なスキルと同様に、創造的な芸術と純粋な好奇心の追求に重点を置く必要があります」
 この余暇教育の時代は遠い夢ではないかもしれない。今日利用可能なオンライン教材の膨大な多様性──あらゆることに興味を持つ人々が新しいスキルを学べるYouTubeのDIY動画、生涯学習の探究に利用可能な無料の大規模公開オンライン講座(MOOC)の拡大など──を考慮すれば、それはすでに進行中である。
 この前例のない地球規模の危機の時代において、より多くの余暇を可能にし、人間を解放することは、ルネッサンス──世界を真に変えることができる人間の創造性の繁栄──を推進する可能性を秘めている。

参考文献

ニューステイツマン誌およびワイアード誌
ベンジャミン・クレーム『生きる術』シェア・ジャパン出版、2006年
『いのちの水を運ぶ者』シェア・ジャパン出版

「当面の必要は、仕事の過程を変革し、日々の仕事の他は何も知らない無数の人々を、単純作業の苦痛から解放することです。……『道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである』(マイトレーヤ、『いのちの水を運ぶ者』メッセージ第3信)

余暇とは、やりたいことをやり、肉体やマインドやハートを休ませることをやり、あるいは共同体のための仕事以外にあなた自身のために何かをやる時間を提供するものです」

──ベンジャミン・クレーム、『生きる術』

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

癒しの愛

 2021年11月の終わり、夜遅く私の寝室で二つの特別な体験をしました。
 私は最近、10月26日に、アムステルダム東部の45平方メートルのアパートから、タインドルプ・ニーウェンダム(アムステルダム北部)の、周囲を庭と草木に囲まれた29平方メートルの角家に引っ越しました。そこを愛情と冗談を込めて私の『タイニーハウス(小さな家)』と呼んでいますが、近頃の最新流行でもあり、私はこの家でとても幸せを感じています。本当の『アクエリアス』の場所なのです。すでにここで伝導瞑想を行い、新しい時代の祈りと統一のマントラムを毎日唱えています。それからマイトレーヤの教えをできる限り日常生活に適用しようと努力し、勉強方法として、シェア・インターナショナル誌オランダ語版の既刊分をたくさん読んでいます。
 体験1:11月29日から30日にかけての夜に、『誰か』が私のベッドの右側にそっと腰を下ろしたのが分かりました。『誰か』は溢れるほどの豊かな愛を放射していました。私は「大丈夫、リラックスして、起こることそのままにまかせよう。この人は明らかに良い意図をもって来ているから」と思っていました。それから私の肩甲骨の間に手が置かれたのをはっきりと感じ、首のところが何か変化したのも感じられました。両肩がひどく引きつってしまうのでしばしば目が覚めてしまうのです。どうやって快適に横たわったらよいかもう分かりませんでした。私の頸椎に『経年劣化』があって、首をひねると砂利道の小石のような音が聞こえるのです。ひどく痛むので、時々動きも制限されてしまいます。突然、両肩に温かさを感じ、何かがひび割れている音が聞こえて、少し刺すような痛みが起きましたが、その後私は再び眠りに落ちました。翌朝目が覚めると、幸福で気力も充実していました。
 体験2:これは11月30日の夜に感じ始めたエネルギーについてです。新しい時代の祈りと統一のマントラムを唱え終えて、その日の感謝を捧げ、明かりを消すと、空が北極光(オーロラ)のように見えて、青味がかった色になっていました。ベッドの足元側の右隅に垂直の光の柱のような閃光が見えました。それだけでなく、星のような青と白の光の小さな点もあり、それらは消えたり回転したりしていました。そして私の右耳に「さあ眠りなさい、コリンダ」という声が非常にはっきりと聞こえたのです。大変に申し訳なかったのですが、どうしてもトイレに行く必要があることと、行っても大丈夫であってほしいということを声に出して伝えなくてはなりませんでした。実際、大丈夫でした。いったんベッドに戻ると、右側に霊妙な人物がいるのに気づき、この人物もたくさんの愛を放射していました。『誰か』が私の寝室にいることが、全く不思議ではなかったのです。それで私はその『存在』に感謝して、身体を右側に向けました。その後、肩甲骨の間に温かさが再び入るのを感じました。白っぽい黄色の燦然と輝く光も頭の中に入ってきて、目もくらむほどでした。それから私は眠りに落ちて、朝目覚めると再び幸福で、この手紙を送ろうと決めたのです。

コリンダ・デ・ヘール
オランダ、ニーウェンダム

オープンハートな団結

2021年11月の初め頃、シアトル郊外の住宅地での二日間の大規模エキスポで、再臨の情報を展示しました。コロナのパンデミックが始まって以来、対面での広報の最初の再開となりました。
 近年では、このようなイベントは一人で運営してきました。長年のグループメンバーが仕事の関係で一時的にたまたまシアトルにいて、私を手伝うことに同意してくれています。それは最高に励みになることです。助けがあると知ることで、自分の能力を過大評価しがちになりました。イベントを行うことに加えて、二つの講演を行うことに決めてしまったのです。さらに努力を『磁力化』することを願って、郊外の様々な住宅地で広報用のポスターの配布を思い切って行いました。イベントが近づいてくる頃には、私はすっかり疲れ果てていました。以前のイベントと比較すると、週末を通して、より多くの人々が立ち寄り、会話のためにとどまっているように思いました。ある女性は「これにはすごく覚えがある気がします。どうしてか分からないけど」と言っていました。
 二日目の朝、私はあまり眠れず、服装を決めるのはなかなか難しいことでした。私の色合いが暗かったので、見た目を明るくするためにジュエリーが必要だと分かりました。私の頭をよぎったのは、「和合を表現するために、輪がつながったネックレスを付けよう」という考えでした。
 その日の午後遅くに、一人の女性がブースにやって来ました。私たちが驚いたことに、彼女はとても大きな黒いマスクを着けていて、そのマスクは様々な色のライトをピカピカ光らせていたのです! これまでそのようなものを着けている人を見たことがなく、ソーシャルメディアでも見たことはありませんでした。マスクの中央に奇妙な形が付いていて、はっきりとは分からないのですが、それは奥歯のように見えました(私はインプラントと歯根管処置を今年終えていました)。その女性は大変に朗らかでした。瞑想に興味を示していて、ある日どのように自分の「ハートをオープンに」したかを語り、できる限り学びたいと言っていました。
 私たちには共通点がいくつかありました。彼女は米国でフィリピン人移民のもとに生まれ、父親は高齢でした。その前に、私はグループメンバーと自分の父親について話し、彼女には父親が1910年生まれだと伝えていました。ずいぶん昔のことだと思っていました。ところがこの女性は、父親は1908年に生まれたと言ったのです。私がびっくりしたのは、彼女は26歳以上にはとても見えなかったからです!  彼女の名前はイマキュレイトでした。必ず伝導瞑想の冊子を読んで、オンライン瞑想にも参加申し込みをすると断言してくれました。
 イマキュレイトはとても元気な人で、私たちは長い間会えなくなっていた友人同士のように心が触れ合っていました。彼女は帰る前に、彼女自身の首を指差して「あなたのネックレスを見た時に、あなたと話をするのは大切なことだと分かったのよ!」と言ったのです。

シエリート・パスクアル
米国、シアトル

読者質問欄

2003年、アメリカ、ロサンゼルスでの質疑応答

Q 恐怖心は社会に、そして私たちにどう影響しますか。

A それが最大の問題です。私たちは平和に生きる方法を知りません。同時に、28カ国が大量破壊兵器を持っています。それはもし使用されれば、人間も人間以外も地球上のすべての生命を破壊します。人類は何度も絶滅の危機に直面しました──動物により、気候変動により。しかし、自ら発明した兵器による絶滅に直面したことはありません。
 戦争の恐怖、戦争に向かうという見込みという意味での冷戦は終わりました。過去10年から15年の間に途方もない変化が起こりました。冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊し、国家が独立し、ドイツが統一され、南アフリカでアパルトヘイトが終わり、ネルソン・マンデラが 27年ぶりに解放されました。これらはほんの一例です。そして、9.11テロが起こるまでは、世界は再組織、再構築、回復と再生の道にありました。それは世界の歴史上かつてない達成でした。しかし突如として、世界貿易センタービルとペンタゴンへのテロ攻撃、そしてホワイトハウスへのテロ未遂事件以来、すべての局面はアメリカ国民、そしてとりわけ、この出来事に対するアメリカ政権の反応によって変化しました。
 その出来事では、何が攻撃の対象となったのでしょうか。世界貿易センタービルのツインタワー(西側の貿易力による世界の他の地域に対する支配の象徴)、ペンタゴン(世界最強の軍事力の象徴)です。ホワイトハウスは西側世界の権力の象徴と見なされました。なぜこれらの象徴が選ばれたのでしょうか。なぜ世界はこの災難に苦しんだのでしょうか。この世界の均衡の乱れが私たちを何十年も後退させました。

Q アメリカは9.11の攻撃にどう反応すべきだったのですか。

A あなた方の政府は大きな間違いを犯しました。英国政府に援助されて、9.11テロ攻撃への対処において恐ろしい間違いを犯しました。これらの西側権力と西側支配の象徴に対する攻撃は、悪意から起こったのではありません。それは世界全体の貿易、食料、福祉に対する傲慢なやり方の下で長年苦しんできた世界の一部とのカルマ的関係から起こったのです。世界の先進国のすべては、世界が彼らに属しているかのように開発と貿易の計画を所有し、好きなだけ侵略して分け前を取り、特定の国からすべてを奪い、それから他の国に移るというようなことをしてきました。彼らは世界を荒廃させました。西側諸国が世界資源を搾取してきたのです。これは私の考えではありません。私がでっち上げたことではありません。世界の誰もが知っている情報であり、誰もがそれが起こるのを許したのです。誰もが影響を受けることが起こるのを、なぜ許したのでしょうか。それが世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃を起こしたのです。この国や他の国に対するテロ攻撃もそこから起こるのです。
 これは希望のメッセージです。あまり希望に満ちているようには聞こえませんね。しかし、いつでも希望はあります。人類にはいつでも希望があり、あらゆる困難にもかかわらず、人類は1,850万年生き延びてきました。それは大したことです。人類という実験は破棄されなければならないようにも見えますが、人類の良識と創意が勝利した時代があり、今日の私たちも、希望をもって将来を待ち望んでいます。

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。