人間の必要

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は記事を提供してくださった。それらは書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思わる時にいつでも掲載されるように提供されているのである。

 

 人間の必要

 ──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 201012月 

 人間が現在の状況をよく吟味するとき、到達できる結論は一つ——最近の行動様式ですら、もはや機能しないということである。すべての面において、特に金融、経済の部門において、継続的なそしてますます増大する混乱がある。四苦八苦する政府が何らかのコントロールを回復するのを助けるために‘専門家’たちが召集されるが、ほとんど役に立たない。古い、これまでに試みられてきた方法は、首相や財務大臣がどんなに経験豊かな人材であろうとも、彼らの意志に従うことを拒む。世界の諸々の政府は何をすべきか? 何ができるのか? 事態が‘落ち着く’ことを、そして古いパターンが生き延びることを願いながら、彼ら(世界の諸政府)は古い制度機構をしばしの間操作し続けることはできる。しかし、これはまさに虚しい望みである。一般的に言って、ほとんどの国の政府は彼らの役割を‘現状維持’の保護者として、支持者として見る。すなわち、人生は静的であり、したがってすべての変化を反抗だとか、望ましくないものとして見るのである。

この姿勢は、‘右派’だろうが、‘左派’だろうが、資本主義だろうが、社会主義だろうが、ほとんどの政府に当てはまる。いずれの場合にも、彼ら(諸政府)は、変化を、生きることについての新しい概念を、家族を平穏と安全と福利安寧のうちに育てることを求める国民の熱望を認知し損なう。政府の失敗は、まさに、彼らの真の役割は国民の福利安寧のための面倒を見ることであるということを理解しないゆえである。競争と‘市場エネルギー(フォース)’の追従の中に迷っている政府は、大体において、自分たちが代表すると主張するその国民の必要を熟知していない。権力と権威のグラマーが、非常にしばしば彼らの奉仕への願望に打ち勝つ。国民の本当の必要からかけ離れて、彼らはイデオロギーと理論に退く。そうではあるが、すべてが彼らのせいではない。彼らは、闘おうとしているそのエネルギー(フォース)について何も知らないのである。無知であるがゆえに、彼らは過去の破壊的エネルギー(フォース)のたやすい餌食になる。

その間、国民は苦しみ、待ち、祈る——大体において、彼らが祈り求める助けは、今でさえ彼らの中にあり、彼らの苦しみに手をさし延べ、彼らの運命を和らげる用意も熱意もあることに気づいていない。国民は自分たちの必要の本当の性質を知っている。ただそれに声を与えてくれる強い勇敢な代表を必要とするだけである。その代表者、マイトレーヤはすでに存在しており、諸々の出来事の方向に影響を与えるべく、静かに働いておられる。間もなく、その声はより強い口調になるだろう、そしてそれに多くの人間が応える用意があるだろう。かようにして、大計画はすべての人間の将来を安全にするためにその情け深い目的を成就する。