編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。しかし、最初の2通は新しい手紙で未確認であるが、読者の参考のために掲載している。

 慰め

編集長殿

9年前、私の妹のアネットがクチナシの鉢を誕生日に贈ってくれて、翌年の復活祭の頃には満開の花を咲かせました。それから今年まで毎年復活祭の時に花が咲いているのです。10月の初めに小さな蕾を付けたのを見て、不思議だと思いましたが、季節外れなので朽ちてしまうだろうと思っていたのにそうならず、1023日の日曜日に咲き始めて、ゆっくりと花弁が開き、かぐわしい香りが広がりました。月曜日にベンジャミン・クレーム氏の死去の知らせを知った後、花は満開になり、香りはすばらしいものでした。私は写真を一枚撮りました。3日後、花は萎れてしまいました!

別の出来事では、電話で1024日の月曜日にベンジャミン・クレーム氏が亡くなったと知らされた瞬間、心の内から深い悲しみが込み上げてきたので、一人になるために急いで2階へ駆け上がりました。感情に押しつぶされそうになり、いきなり泣き出してしまったのです。ちょうどその時、心地良い声が「私はまだここにいる」と言うのが聞こえました。それだけでしたが、即座に圧倒的な平安の存在を感じ、平穏さを取り戻して喪失感もありませんでした。

スザンヌ・フィリップス

英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド

Comfort

編集長殿

20161024日の朝、私は個人瞑想を始めて、瞑想して5分ほど経った時、容態が非常に悪いと聞いていたベンジャミン・クレーム氏の様子を見てくださるようにお願いしました。

即座に非常にはっきりと、「彼は私と共にいる」と言う声が聞こえました。私は静けさに包まれたように感じ、ベンジャミンさんが亡くなり、彼の師と共にいることを知ったのです。

私はそのまま瞑想を続けて、終わった時、ベンジャミンさんの家族から数時間前に彼が亡くなったことを知らせる伝言が、私の携帯電話に届いていました。

A.M.

英国、ロンドン

静かな存在

編集長殿

1998年の春に、私はレマン湖(ジュネーブ湖)へと歩いていき、パキという場所を目指していましたが、パキはあらゆる人種のあらゆる人々がいる、まさに人種のるつぼだと教えてくれた友人が一緒でした。その場所で、私はすっかり有頂天になり、心から生きている実感が湧いてきました。

私たちが水辺の階段へ行き、腰を下ろしていると、一羽の白鳥がすぐ近くを通っていきました。一人の若い男性が階段のてっぺんに座っていて、私にタバコを求めてきました。私は彼の瞳を見ました。私が一瞬ためらったのは、あなたを知っている、とてもよく知っていると彼に言いたくなったからでした。

彼は30歳くらいで、スニーカーにジーンズ姿でシンプルな薄茶のジャケットを着て、ほっそりとした顔にきれいな肌で、ラテン系のような黒っぽい髪でした。

私はバッグを引っ掻き回しました。すぐにタバコを渡さなかったことを申し訳なく思っていました。一瞬後、火はある? と聞かれました。またもや火のことを思いつかなかったのを情けなく思いながら、彼にライターを渡しました。

一喜一憂しながらの沈黙の瞬間でした。私が湖の方を見ると、白鳥がそこにいて、一息つくと、心から落ち着いた気持ちになりました。彼の存在を感じていましたが、振り返ると彼は何の気配もなく、いなくなっていました。彼の顔や瞳にはエネルギーや存在感があって、私はいつでもそのことを思っているのです。

その晩、イエスの絵を眺めていると、再びあの若者の顔と瞳が見えました。その後の1週間、私は大切な出会いがあったと考えていました。私の考えでは、もしそのような次元の人間たちが私たちにメッセージを送ろうとしているなら、一般の人類にとっては、私たちの問題を正しく捉えておくことが重要だと思うのです。彼はキリストでしたか。

J.ミレ

フランス、ガイヤール

【ベンジャミン・クレームの師は、その若い男性がマイトレーヤであったことを確認した】

 豊富な祝福

 編集長殿

それは2001325日に起こりました。私は見たかった映画を見るために、サンフランシスコへ車で向かっていました。午後のことでした。私はお金をいくらか下ろして食事をすることにしました。サンフランシスコのバン・ネス通り沿いをマーケット通りに向かって歩いていました。何人かの人たちが私に小銭を求めてきました。そのような時、私はいつも小銭を渡し、祝福を伝えます。助けが必要と思われる人は誰でも祝福したいと思っていますし、通りで物乞いをしている人や道路上で車が壊れてしまった人、祝福が必要と思える、その他どんな人にもという意味です。ともかくマーケット通りに着く前に、そのような明らかに恵まれない人たち二人に出会いました。バン・ネスとマーケットの交差点で、アフリカ人ともアジア人ともとれそうな外見で、物乞いをしている一人の男性に出会いました。11セントしか手元になかったので、それを彼に渡し、祝福も伝えました。彼の背後にいた、体格の良いアフリカ系アメリカ人で明るい肌色の女性が、「あなたはあなたのものを受け取るでしょう、あなたへの祝福ってことだけどね」と言ったのです。

その人たちは何か普通ではなかったのでしょうか。

H・ド・グラス

米国、カリフォルニア州バークレー

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】

  数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れた。時折、彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。最近になって覚者方は、代弁者の男女や代理人を通して働いてもいる。そのような体験の報告がシェア・インターナショナル誌に寄せられ、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた手紙は、掲載される。

 これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。これらの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。

  (注:掲載不可の意思表示がなければ、名前を掲載しても良いと編集長は解釈します。希望しないという要請がない限り、手紙が本誌のウェブサイト上に記載されることがあります。イニシャル、都市名、国名のみが掲載されます)