編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

次の2通は同じ人物からのものです。

 特別席

 編集長殿

1200286日に、私の友人アンジェラと私は、ベンジャミン・クレーム氏の講演会に参加するためにサンフランシスコで会いました。私たちは早めに到着し、正面の良い席が見つけられるように、やきもきしながら会場が開くのを待ちました。私たちは3席だけの狭い列に腰を下ろしました。座っている時、私が笑いながら友人に「この隣の席を特別な方のために取っておくわ」と言いました。その時どうしてそんなことを言ったのか不思議に思っていました。クレーム氏の講演に参加できてから10年以上が経っていたので、この特別な講演を再び聞くことについて、私たちは楽しく話していました。

やがて、背が高くとても身なりの良い白髪の男性が、とても丁寧に「あなたのお隣のこの席に座ってよろしいでしょうか?」と尋ねてきました。彼の際だった存在感は私を驚かせました。私の最初の印象は、おそらく彼は外交官かテレビのタレントだろうというものでした。彼は非の打ち所のない服装で、彼の靴はまるで新品のようにしか見えませんでした。これがクレーム氏講演会の初めての参加かどうかを、私は彼に尋ねました。彼が正確に何と答えたか覚えていませんが、彼はシッダルタについての美術展でポスターを見たことと、この講演はこれほど大きなホールで開かれるくらい重要なものに違いない、ということを言っていました。彼は「ちょうど通りの向こう側」に住んでいると言って、クライストチャーチ大聖堂の方を指差しました。頭の中で私はその方角にアパートの建物か何かを思い出そうとしていました。

それから私は彼に「あなたは何より素晴らしいものに来られたと思いますよ」と言いました。彼は私に初めてこの話について知ったのはいつかというような質問をし始めました。彼はとても気さくで話しやすい人で、すっかり打ち解けていたので、私が最初にマイトレーヤについて聞いた時のことを話し始めました。1977年にアリス・ベイリーの勉強グループの先生が、ベンジャミン・クレーム氏の講演会を伝える手紙と、さらにマイトレーヤからのテレパシーによる最初のメッセージ(テープ)を受け取ったことを話しました。初めてマイトレーヤのメッセージを聞いた時、私は電気でしびれたようになり、本当に何かが私に起こり、真実の響きを聞いたのだと、その際立った紳士に伝えました。彼はうなずいていました。私の最初の反応は、その男性の講演を聞くために、ロンドンへ飛行機で向かったことでしたが、私がすべき行動ではなかったと思っています。

翌年の夏、私の夫と共にルイジアナからオレゴンへ引っ越しましたが、さらなる情報を待ち続けていました。3年後、私たちはクレーム氏が米国へやって来ることを耳にしました。私たちはそれを知って、本当に大喜びでタラ・センターと一緒に、他の人たちにマイトレーヤについて伝えることに懸命になりました。その際だった紳士は熱心に聞いてくれて、続けて質問をしてきました。彼はとても興味を持っているようで、度々「そうですね」と言ってくれました。彼からその後私が買ったばかりの本を見せて欲しいと言われ、とても丁寧にお礼を言ってくれました。私は彼に翌日の夜開かれる伝導瞑想について伝えました。彼は「ご招待に感謝しますよ、ありがとう、でも他の予定がありますので」と言いました。

おそらくこの男性はただ感じが良くて、とても礼儀正しい際だった紳士だったのでしょう。彼にはとても馴染みがあるように見えましたが、思い出せないのです。おそらく彼をテレビで見たことがあるのか、もしかしてイエス覚者だったのでしょうか。

【ベンジャミン・クレームの師は、その『際だった紳士』がマイトレーヤであったことを確認した】

 〔追伸〕数年間、私は腰の下から臀部の椎間板が原因の痛みのために、歩くことが困難でした。アンジェラと私がサンフランシスコで講演に行くために、丘を上ったのは本当にお笑い種でした。私たちは数分ごとに立ち止り、その間中笑っていました。講演が終わって、あなた(クレーム氏)を見送ってステージから離れた時、足を引きずっていないとわかったのです。もう改善していたのです!

長年にわたって与えてくださったあなたの助けと導きに感謝します。私たち皆がどれほど祝福され、他の人々にこの希望のメッセージを届ける役割を、どれだけより良いものにしてくださったかわかっています。この20年ほどの私の人生は最も大切なものであり、もっとやっていく必要があるとよくわかります……。

 年のわりに大人びて

 21996年の夏の終わりに、オレゴン州ポートランドに住んでいた時、自宅の隣の丘に沿った歩道に腰を下ろして花壇の世話をしていました。湿度の高い夏とさらなる高温の後で、花は枯れ、うどん粉病になっているものもあって、手当てが必要でした。私が枯れた花を切り、植物を引き抜いていると、金髪で青い瞳の、6歳くらいに見える幼い少年たち二人が、私の横で立ち止り、尋ねてきたのです。「あなたは幸せですか?」「やっていて楽しいですか?」これまで見かけたことのない幼い少年たちから、そのような質問を聞かれてとても驚きました。実際にどのように答えたのか覚えていませんが、彼らに微笑みかけて、どこに住んでいるのか不思議に思ったのを覚えています。彼らは「さようなら」と言って、私を通り過ぎて丘を上っていきました。

数秒後、彼らを見ようと振り返ると、いなくなっていて、おそらく角を曲がったのでしょう。私はまだ彼らの質問に少し戸惑っていて、再び彼らに会うだろうかと思っていました。二度と会えませんでした。この楽しい出会いから何年も過ぎましたが、彼らが私を見た時の、誠実で思いやりのある眼差しを忘れることはないでしょう。もしかして、彼らがイエス覚者とマイトレーヤだったのでしょうか。

ナンシー・ブラウン

米国、テキサス州キャロルトン

【ベンジャミン・クレームの師は、その『幼い少年たち』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 敬礼

 編集長殿

2002年の)ケルクラードでの例年の研修会後の火曜日に、私はスイスの友人たちを訪ねました。帰りの道中でハイデルベルクに立ち寄りました。美しい日でした。友人はシュヴェツィンゲン公園を散歩することにしました。

私たちが歩いていると、体の不自由な男性が電動車椅子に乗ってやって来ました。彼はとても気さくに挨拶をしてくれました。私が驚いたのは、ハンディキャップのある車椅子の人たちはほとんど内向的に見えていたからでした。歩き続けていると、池に二羽の美しい鶴がいるのが見えました。私たちがただ鶴に見惚れていた時、同じ身体障害の男性が再び現れました。彼は、「鳥たちは私の方へやって来ますよ」と言いながら私を見つめました。突然すべての鳥が彼の方へと飛んできて、二羽の鶴もやはり飛んできたのです。

鳥たちは彼の脇に立って、彼に向かってうやうやしくお辞儀をしました。この不思議な力の人物は誰だったのか知りたいと思います。

メモ・ノイペルト

ドイツ、ハンブルク

【ベンジャミン・クレームの師は、その『車椅子の男性』がマイトレーヤであったことを確認した】