現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2014年 5月号 賢明な助言

賢明な助言

編集長殿
2014年3月9日に、私たちは三重県四日市でビデオ上映会をしました。会場が120名の定員で、いつものこのようなイベントよりも大きかったので、広告を普段より多めに、チラシ3万枚を地元の新聞に折り込みました。
上映会の間、私は聴衆の側から見たら、グループの発表がどのように見えるだろうかと思い、後ろの列に座っていました。ビデオが終わって、グループのメンバーが立ち上がり、来場者に聞きたい質問をしてくれるように呼びかけました。最初に手を挙げた男性から、「私は地球や宇宙のことにとても関心があり、チラシに定員120名で先着順に入場できると書いてあったので、会場に入れないといけないと思い、1時間前に来たが、私が到着した時は、まだ誰もいなかった。上映が始まっても、来場者はとても少ない。こんな素晴らしい情報なのに、どうして人が集まらないのか? あなた方は純粋な気持ちで伝えようとしているのはわかるが、この散々な結果をどう考えているのか?」と言われたのです。
彼はボランティア活動に関わっていたことがあり、最初のうちは人が集まらなかったと言いました。それからその原因を考え、様々なアイディアやアプローチの方法を検討して、やり方を変えていきました。すると人々が集まってきたのです。これはとても素晴らしい情報です。例えばもしチラシの空いた所に地球の写真を入れていたら、おそらくもっと多くの人々を引き付けられたかもしれないと言われました。グループのメンバーは彼に答えて、「だいたい、いつもこんな感じです、この情報を理解するのは難しいので」とか、「私たちはいろいろな方法を試みてきたのですが、このような情報にはなかなか関心が向かないようです」などと返事をしていました。メンバーたちは、なぜもっとたくさんの人々を引き付けることができないかについて、いろいろな言い訳を述べていました。
その男性から「あなた方は自分たち自身に限界を作っている。あらゆる理由をつけて、これが私たちには精一杯だと言っている。なぜ限界を作るのか? 年に1度の講演会には会場があふれるくらいの来場者が集まると言うのなら、それはなぜか? 普段の上映会にはそれができないのは何が原因だと思うのか? それについて、もっと良く考えなければいけない」と言われました。そしてついに彼は、あなた方の話はこれ以上続けても発展していかないから、もう帰りますと言って、帰っていきました。
私はこのやり取りを聞いていて、その男性からこの仕事に対するグループの基本的姿勢を問われたような気がしました。彼の厳しい問いが、私自身に投げかけられた気がして、まるで胸にトゲが刺さったように感じて、彼の言葉を忘れられません。このイベントによって私は、グループがこの活動に取り組むやり方を反省しました。私たちは自分たちで作り上げた『限界』を超えて、今できるすべてを尽くしているのだろうかと考えさせられました。メンバーの一人が、確かに私たちは少し気が抜けてしまって、それぞれのイベントを広報するために、ただお金をかけて広告するだけで、自分たちのエネルギーと真剣な集中力を注いでいなかったようだと反省していました。
後でわかったことですが、その男性はアンケート用紙に、きれいな字で感想を書いていました。「『新しい文明が始まる』という(ビデオ)講演を聞くのを期待して来場した。一生懸命聞いた。それは真面目な、平和についての宇宙的解説であった。そんな考え方を世界中のリーダーの方に持ってほしいと思った」と書かれていました。欄外に、「皆さんの真面目さに感謝です」と付け加えられていました。彼は90歳でした。
本当に多くを教えてくださったこの方はどなただったのでしょうか。
M.S.
日本、愛知県犬山市
【ベンジャミン・クレームの師は、その訪問者がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

高揚

編集長殿
2012年のクリスマスの直前に、私はシチリア島の、サンタ・ヴェネリナという小さな村にいました。私はカフェの外に止めた自分の車の中にいて、家に帰るところでした。ちょうどその時、助手席側の窓をたたく音がしたのです。窓を下ろすと、年配の女性が立っていました。彼女は明るく輝く美しい顔をしていました。彼女からこの頃は丘を上り下りしたり、遠くまで歩いたりはできないからと、800mほど先にある郵便局まで連れて行ってほしいと頼まれ、もちろん私は「いいですよ」と答えると、彼女は一緒に車に乗ってきました。彼女と何を話したのか詳しくは思い出せないのですが、彼女はとても温かな人で、それでいて威厳があり、思いやりと親密さを発散していて、シシリア島で彼女のような年齢の女性から、そのように感じたのを少し驚いていました。彼女はとても用心深そうで、『世界的』な感じでありながら、全く見知らぬ他人である私を信用してくれていることに感動しました。私は彼女を郵便局まで連れていくと、彼女を待って次に行かなければならない所まで送ると申し出ましたが、彼女はその必要はないと言いました。車を降りてから、彼女が車の中に屈みこんできて、とても早口に真剣な様子で「ディオ・ティ・ベネティカ」(あなたに神の祝福がありますように)と言ってくれたのです。それから彼女は、「丘を上り下りできない」と言った人にしては驚くべきスピードと、力強い足取りで去っていきました。
8月に夫が亡くなったために、私はその頃とても気分が落ち込んでいました。彼女の祝福に泣いてしまいましたが、慰めも与えてもらいました。この女性が誰だったのか教えていただけますか。彼女を忘れることは決してありませんでした。
ジル・リシチ・ブラウン
英国、エセックス州マニングツリー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者であったことを確認した】


激励

編集長殿
2012年11月11日に、東北地方の最大の都市で、100万人以上の人口がある仙台でビデオ上映会を開きました。
私たちはその日2回上映をすることにしていて、ベンジャミン・クレーム氏の名古屋講演会のビデオを使用し、1回目は午前10時30分から、2回目は午後2時からでしたが、いつもの参加者数を上回る、これまでで最高の来場者があって、午前が52名で、午後が65名の、合わせて117名だったのです。午後の来場者の中に、外国人の夫婦がいて、男性は茶色の髪に眼鏡をかけていて、女性は白っぽい金髪にスカートという格好でした。彼女はとても上品な感じでした。彼らは最初会場を通り過ぎていきましたが、その後戻って来て会場に入り、くつろいだ様子で後ろの席に腰を下ろしました。
仙台のような大きな都市では外国人はたくさんいますが、私たちの上映会に来る人はほとんどいません。実際これまでは一人もいませんでした。ビデオが石川道子氏の日本語通訳の音声だけなので、私は彼らに日本語訳が理解できるのだろうかと思いました。それでメンバーの一人が彼らに、英国人の講演を日本人のナレーションで聞いても大丈夫かどうか尋ねると、それには大丈夫と答えていました。間もなく女性が部屋を出ていき、私はホールですれ違いました。私が「ハロー」と挨拶をすると、彼女は何も言わず微笑んでくれました。それはとても優雅で穏やかな微笑みで、私は本当に喜びを感じ、午前中よりももっと落ち着いた気持ちで司会の役目を果たすことができました。やがて彼らはあまり講演を聞かずに会場から出ていきました。私は少しがっかりしましたが、仕事に注意を向けることにして、聴衆の講演への反応がとても肯定的だったので、私たちは皆本当にうれしく思いました。その後も、あの女性の微笑みを思い出すと、それを感じた時より一層の温かさを感じられるのです。
彼らは特別な方々でしたか。
M.M.
日本、宮城県仙台市
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者で、男性がイエス覚者の弟子であったことを確認した】