現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2014年 10月号 人間の運命―─選集

人間の運命―─選集

「人間の運命」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これらの引用は、マイトレーヤからのメッセージ『いのちの水を運ぶ者』、マイトレーヤの教え『いのちの法則』、ベンジャミン・クレームの師である覚者の記事(『覚者は語る』およびシェア・インターナショナル誌)並びにベンジャミン・クレームの著書より抜粋したものである。


人間の壮大なる運命を彼らに思い出させ、そして分かち合いの行為が、彼らが求める信頼を生まれさせるということを彼らに説得することが、マイトレーヤの任務である。分かち合いはもはや一つの選択ではなく、人類はひとつであるという認識の必然的結果であることを示されるだろう。かくして、マイトレーヤと彼のグループは、人類を吸い込もうとしていると多くの者が恐れているあの底知れぬ奈落への淵から、人類を引き戻してくださるだろう。かくして、マイトレーヤは人類を、彼らの聖なる運命を実現するための進路にしっかりと位置付けてくださるだろう。
(『覚者は語る』―信頼の創造―P.609)

あなたがわたしを見るとき、素朴なる神の男があなたがたの中に居ることを知るであろう。他の人間と変わらないような男であるが、長い長い間、ある特定の道を歩み、その道をよく知る者であり、それ故にあなたがたを導くことができる者である。その道は、我が友よ、わたしがあなたがたのために持っている宝である。この可能性に、あなたがたの心を目覚めさせ、目標に到達しなさい。道は単純であり、道は確かである。わたしの教えが、あなたがたをそこへ導くであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第93信、P.269)

パレスチナにキリストが来られて、人間に「愛」を示されました。聖なるものの特質は「愛」であることを示され、人間として初めて完全なる「愛」を実践されたのであります。2千年たった現在に至るまで、キリストがこの世に解き放たれたあの特質を、人類は依然として実践していません。もちろん多くの男女が個人的に「愛」の特質を裡に実現し得て、使徒となり、イニシエートとなりました。または覚者となられた人々もいることは確かです。覚者方は神の愛の実践を通して、完全の域に到達されたのです。――その完全さを、いつの日か我々自身も同様に実践すべく運命づけられているのです。
(『伝導瞑想』P.38)

神への道はただ一つ。我が友よ、あなたがたはすでにそれを知っている。神への道は、同胞愛と正義と愛の道である。他の道はない。すべてがこれに含まれている。この道はつらくてきびしい道であると思う者は多い。しかしそれよりもはるかに多くの者たちが、喜び勇んでこの道を歩むだろう。古く廃れた役に立たない過去の小事を捨て去って、その荷の軽さに喜びながら。互いに同胞愛を実践し、すべての者と親しみながら、己自身の真性を受け嗣ぐ者の数は多い。そしてますます増えるだろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第15信、P.63)

新しい時代、「光の時代」は、われわれの頭上にある。そしてこの来るべき時に、人間は、彼らの祖先が持ち得なかった、あるいは無視したインスピレーション(鼓舞)と導きを見つけるだろう。今やついに、人間とハイアラキーの覚者たちは、兄弟同胞愛と信頼という共通の絆で結ばれて、一緒に働き、前進するだろう。わたしたちの示す模範によって、人間は鼓舞され、超人間的な努力で達成をなし遂げ、光がすべての者の心(ハートとマインド)にもたらされるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、創造の偉大なる秘密は明かされるだろう。そのようにして人間は創造者となり、自分自身の運命の調整者となり、「神のような存在」となり、「人間」の名にふさわしい存在となるだろう。
(『覚者は語る』―光の時代―P.246-247)

すべての個人が、すべての国家が、それぞれの第二の特性によって支配されている。この特性に支配される進化の法則が真我を取り囲んでいる。真我は認識をもって、それらを支配することを学んでいかなければならない。認識は人生の中に働きをつくり、それが進化的な意味で発展を生じさせる。しかし認識は、自由と混同されてはならない。なぜなら自由こそが人生を通してたどる旅路の究極的な運命であるから。
(『いのちの法則』P.85)

マイトレーヤと覚者方の一団は、人類に道を示すために、われわれの神性が正しく顕現することのできる状態を創造するよう鼓舞し導くためにやって来られた。彼らは私たちが本来誰であるかを教えるためにやって来られた。マイトレーヤは言われる、「わたしは自己実現の術を教えるために来たのである」と。「それが世界のすべての人々の宿命である」と。
(『マイトレーヤの使命? 第Ⅱ巻』P.35)

今日人間は十字路に立つ――一方の道は分離と分割の道であり、いま人間はそこに立っており、それは間違いなく破滅につながる。もう一方の道は人間を彼らの運命の成就へと招く。今日そのすばらしさは描写し得ない。人間が神となっていく手段を自分自身の裡に発見する道である。人間が選択するのを助けるために、彼らの判断を助けるために、覚者たちは再び世界に戻る――今日の人間と同様に、彼ら自身もその道と必要な行動についてはっきりと分からずに苦闘し、苦しんできたことのあるその世界に戻るのである。彼らの広大な知識と経験から助言を与え、人間を奈落の底から無事に戻れるように導くだろう。そのようになるだろう。そのようにして、人間は再び山頂を目指して登り始めるだろう。彼らの良き指導者が、彼らの長兄が彼らを見捨てたり、誤った道へ導かないというしっかりとした知識を得て登る。
(『覚者は語る』―人生の秘密―P.618-619)

人間の役割は、動・植・鉱物界、その霊的エネルギーの伝導者として働くことであり、そうすることによって、神の共働者となるのです。これが人間の真の約束です。もし人間が霊的生活を宗教生活にだけ委ねているのでは、この約束を果たせません。人間が真の霊性を生活のすべての面にあらわすときに初めて、それを行うことができるのです。それは、政治・経済・社会生活を含まねばならず、現在の機構は、もはやわれわれの真の要望に応えることができないゆえ、変えられねばなりません。マイトレーヤがこのことをはっきり示され、われわれの霊性をあらわせるような政治・経済機構を再建する方法を示されるでしょう。
(『世界教師と覚者方の降臨』P.108)

我が友よ、すべてのいのちは神の愛の上に存在可能である。この単純な真理をわたしは教える。これをあなたのものとなしなさい。これをあなたの人生の中心となし、わたしと共に前進しなさい。わたしの兄弟たちである覚者たちが、未来への単純な道をあなたがたに示すであろう、我々が神と呼んでいる方によって計画された未来への道を。その道はすべての人間が歩むことができる。そしてわたしという代理人を通して、神に至るのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第77信、P.222)
解放こそが人類の目標である。この目標に至る道を指し示し、前進へと導き、あなたがたの前に横たわる登り経を切り開こう。
覚者たちは簡素な喜びに満ちた生活をする方法を、あなたがたに示すだろう。彼らは同じ道をかつて歩いたので、その道路をよく知っている。
子供のように信頼しきって、彼らにその道を教えてもらいなさい。その迷路を一歩一歩案内してもらいなさい。あなたがたの用意ができたとき、わたしの光輝の前に立つ。そしてわたしを通して、神の御観を仰ぐだろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第18信、P.70)

人間は彼らの人生を支配する精妙な法を学び、理解するだろう――すべての者の運命をコントロールする「カルマまたは原因結果の法則」、それに関連して、魂が物質の中に転生する旅を可能にする「再生誕の法則」、正しい関係を支配する「無害であることの法則」、そしてすべての進化がそれによって進行するところの「偉大なる犠牲の法則」である。これらの法の理解を通して、人間は彼らのメントール(良き指導者)に、兄たちに、似るようになり、すべての者が分かち持つ神性を顕示するようになるだろう。賢者たちの教えに耳を傾け、一歩一歩、彼らの生得の権利を受け継ぐだろう。人間は神になるために生まれており、何ものもその運命を変えることはできない。その時期(タイミング)のみが、人間の手中にある。
(『覚者は語る』―いのちの法と規定―P.510)

わたしの計画は、あなたがたの真なる姿をあなたがたの裡に気づかせ、あなたがたが神御自身そのものから出でた者であり、その聖なる本源へ戻らねばならないことを示すことである。わたしの任務は、その行程を、正当なる嗣業に辿りつくためのあの長い道程を、楽にしてあげることである。わたしたちがお互いに兄弟として出会うときに、我が友よ、あなたがたはわたしの中に、その道をよく知っている案内人を、教師を、見るであろう。なぜならわたし自身ずっと昔にその同じ道程を辿り、その道の道標をよく知っている者であるから。
(『いのちの水を運ぶ者』第66信、P.192-193)
わたしはあなたたちに自由と救済をもたらすためにやって来る。自由とは何か。いつでも自由に動き回れることである。救済とは何か。心(マインド)と生気(スピリット)と肉体の中において、いつでも自由に動き回れることである。それはグルや聖者たちのためにのみ選ばれた贈り物ではない。それが万民すべての運命である。
(『いのちの法則』P.117-118)

あなたがキリスト教徒であれ、仏教徒、イスラム教徒、ヒンズー教徒、もしくは無宗教であろうと、真我にとっては全く重要ではありません。重要なのは、あなたが自分自身を真我として感知すること、神と同等である真我と同一認することです。自己(真我)実現とは神実現です。もしあなたが正しい同一認と無執着を実践するならば、あなたは必然的に、自己(真我)実現へと導く真我認識に到達します。マイトレーヤは、それがすべての人生の目標であると言います。それは、信念でも、宗教でも、イデオロギーでもなく、すべての人々を益するものであり、実際、それは人生の目標なのです。
(『マイトレーヤの使命? 第Ⅲ巻』
「不朽の智恵の教え」P.426-427)

完全に到達する道はたくさんある。しかし単純な道が最良である。わたしの道が、愛の道が、人間を最も速やかに本源なる神に至らしめる。もしあなたがこれを見ることができれば、間違うことのない、真なる道を進むだろう。これはすべての人間にとってそうである。
(『いのちの水を運ぶ者』第58信、P.169)

自然はその秘密を放棄し、宇宙は人間の探究心に屈服し、このようにして得られた知識は全体的な福利に仕えるために提供され、地球上のすべての生命を美しく、豊かにするだろう。
そのようになるだろう。そしてそのようにして人間は神となり、神の代理人として働き、大計画に沿ってすべての生きものを進化の道に導くだろう。人間が神を漠然としたかけ離れた概念としてではなく、まったく新しい、より明確な方法で知るようになる時が来るだろう――すべてのいのちに魂を吹き込み、すべての形態を通して顕現されているところの不朽の実在(リアリティー)として。そうなるとき、人間は神と共同の創造者となり、進化の計画の中で定められた位置を占めるだろう。
(『覚者は語る』―いのちの贈り物―P.30)

ハイアラキーは魂の王国、霊的王国であり、キリスト教の用語でいう神の御国です。これらの方々は神ではありませんが、神のような方々です。誰もが自分の中に神の完全な可能性を持っています。覚者方は私たちと異なっているのではありません。覚者方と私たち、あるいはキリストや仏陀やクリシュナと私たちとの唯一の違いは、彼らはその神性を、驚嘆させ霊感を与えるレベルで顕示したのであり、他方私たちは進化の階段の下の方におり、同じようにできるようになる時を待っているということです。ただし、待っているのでは起こりません――実際に行うことによってのみ可能になります。私たちは皆、知ろうが知るまいが、進化の道に従事しており、誰もが徐々に覚者になる途上にあります。それは必然的なことです。それは人間としての私たちの運命の一部です。
(『大いなる接近』P.41-42)

わたしの水準は高い、しかしその報酬も大きい。目標は神との完全なる同一化であり、それ以下のものではない。それを成し遂げて、いのちの意味を悟りなさい、我が友よ。わたしの任務は、目標への単純な経をあなたがたに教え、黄金の道にそって一歩一歩案内し、必要な教訓や真理をあなたがたの足下に置き、あなたがたの歩みを確かなものにすることである。わたしの覚者たちもこの道にそってあなたがたを案内し、兄弟として仕えるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第127信、P. 375)

真我は不滅の霊なる存在です。それは人間の魂として己を反映させます。そして今度は魂がパーソナリティーとしてそれ自体をこのレベルで反映させるのです。進化の旅路はパーソナリティーを魂と融合させること、そして魂・パーソナリティーを神のきらめき、つまり神聖な真我と統合させることです。無執着になればなるほど、これらのことが起こるのです。マイトレーヤは言われます。「あなたが無執着であるとき、すべてのことが可能になる。執着しているときには、あなたはわたしを知ることはできない。そこにわたしはいることができない。あなたが無執着であるとき、わたしはいつもあなたと共にいる」
(『大いなる接近』P.426)

世紀から次の世紀へ、順を追って、人間の神性をますます顕現する文明を人間は築いていくだろう。聖なる創造の美のすべての様相が表現される文化をつくるだろう、それは神のイデア(理念)の栄光が映し出される鍵である。このようにして人間は、神の大計画のもとで、ものごとの体系の中における人間の真の位置を占めるだろう。このようにして、マイトレーヤのインスピレーション(鼓舞)のもとに、人間はこの――恐怖と独断的教義と憎しみによって分裂された――世界を変容させるだろう。愛の法則が支配し、すべての人間が兄弟であり、聖なる特性にかかわるものはすべて人間の注目を引き付け、それが人生をコントロールするそのような世界に変容させるだろう。このようにして神についての人間の夢は実現され、その潜在力は達成され、人間の運命は全うされるだろう。
(『覚者は語る』―新しい文明―P. 37)

もうすぐわたしを見る用意をしておきなさい。完全なる肉体の存在として、わたしを見る用意をしなさい。見損なうことのないように、分かち合いと正義を通して、神へ行く道を示す男を探しなさい。わたしは非常に単純な言葉であなたがたに語り、そして神々としてのあなたがたの本分を顕すように導く。あなたがた自身であるところのものをしっかりとつかみなさい、我が友よ、そしてその神を栄えさせなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第114信、P. 335)

教育そのものが単なる知識の伝達から個人の特質や目的の解明に変わるでしょう。それは個人を人生に適合させるのであり、特定の仕事に――これが今日の「教育」がうまくもまずくもやっていることですが――ではありません。それは個人を、魂の特質と目的からくるその人の人生の宿命に適合させます。もしあなたがどの子供であれ、その子の個人的なパッケージあるいは教育プログラムを作ろうとするなら、これらすべてが理解されなければなりません。
(『マイトレーヤの使命? 第Ⅲ巻』P.176-177)

あるがままの自分でありなさい。自分自身に対する尊重の念、尊厳を他人に踏みにじらせてはならない。自分自身を他の人間(自我)に屈従させるや否や、あなたは腑抜けになる。他の人間の影でさえも、あなたを占有させてはいけない。あなたの運命は自由であることである。
(『いのちの法則』P.118)

人間種族としての私たちの目的は物質を霊化することです。私たちは物質界にある霊であり、この比較的低位のレベル(鉱物や植物や動物から見れば、比較的高位のレベルですが)に転生しているのです。霊の観点からは、肉体、感情体、メンタル体を持つ人間は神性のあまり純粋な表現ではありません。したがって、進化の過程を通して、私たちは自分たち自身の諸体の物質を霊化し、そのようにして物質自体を霊化していきます。そのために私たちは地上にいるのです――物質を霊化するためであり、自分たちの肉体、感情体、メンタル体の物質に魂の特質を吹き込むことです。魂は完全であり、神の閃光を反映する完全な霊です。
(『マイトレーヤの使命? 第Ⅲ巻』
「不朽の智恵の教え」P.368)

今日、ついに新しい光が人間に神の共働者としての未来の栄光を認識させはじめている。そのような運命に向かう途上に、人間を待ち受ける試練は多い。しかし人間は、これまでかつてないほど、この挑戦に立ち向かう用意ができている。あらゆる困難にもかかわらず、人類は今、暗闇とその無能さと恐怖心というさなぎの中から這い出そうとしている。大胆さと自信を増しながら、人間の足どりは和合と正義、協力と分かち合い、簡素さと信頼の方角に向かっている。
(『覚者は語る』―信頼の必要―P.230)

あなたがたは、意識しようがしまいが、心の中で、わたしの存在の事実に、わたしの呼びかけに応えたからこそ、今ここに集うているのである。それなら、この事実を人に伝え、人類を招いている単純な真理の道を指し示すことを、あなたがたの仕事としなさい。分かち合うことが神性なることを、愛することが神の特性であることを、共に働くことが人の運命であることを、彼らに教えなさい。未来の光を見ることのできる唯一の檀上に立ちなさい。我が友よ、共にその檀上に立ちて、道を示しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信、P.73-74)



人間の運命(さだめ)
――覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記 2008年10月
人は、彼らの本当の可能性に目覚めるとき、自分たちの創造性の範囲(の大きさ)に驚嘆するだろう。自分たちの思考の大胆さに、初めはびっくり仰天するだろうが、それは今日では想像もできないような企てに彼らを導くだろう。 人は、自分たちが、本当は、潜在的に神々であることを発見するだろう。過去の深いまどろみから目覚めて、長い間彼らの前進を遅らせていた無知という重い衣を脱ぎ捨てるだろう。そのようであろう。
人はいま地球上での長い転生冒険の転換期にいる。これからは、すべての進歩は熟慮の上の意志と理性の結果であろう。もはや貪欲と競争が完成への旅路を阻むことはなくなるだろう。もはや戦争が、そして富への欲望が人間を堕落させ、その道程を汚すことはないだろう。再び無法と分離主義的規定が地球上を支配することは決してないだろう。
人間の足はまさに彼らを(運命の)星に連れて行く上昇の梯子の上に置かれている。
あなた方の兄たちであるわたしたちがあなた方の傍らに位置を占めるにつれて、あなた方はわたしたちを模範として見るだろう、そしてわたしたちのようになるように鼓舞されるだろう。わたしたちが、戦争を知らないことを、そしてどのような形であれすべてのいのちを尊重することを知るだろう。わたしたちが区別も条件もなしに愛することを、そして(神の)大計画の成就のためにのみ働くことを知るだろう。大計画によって、人間は同じ完全さに到達するように運命づけられているのである。わたしたちの任務はその道を示すことである。
そのような完全さへの道はわたしたちによってしっかりと踏み固められており、必要な道標が置かれている。人は人類すべてをひとつとして、兄弟姉妹として、唯一なる御父の子供たちとして見なければならない。
自由と正義は、至るところにいるすべての人間に、例外なしに、必要不可欠であり、それは信頼によってのみ達成され得る。
分かち合いのみがその信頼をつくり、そして人間を彼らの運命への旅路につかせることができる。人間は幸せになるためには「いのちの法則」――原因と結果の法則、再生誕の法則、無害と犠牲の法則――の範囲内で生きなければならない。これらの基本的な法則はいにしえの道標であり、それが人間を自己破壊と後悔から守る。
マイトレーヤが公の視界に進み出るとき、あなた方は再びこれらの法則について聞くだろう。なぜならそれらがマイトレーヤの教えのすべての基礎をなし、地球上のすべてのいのちの基礎であるから。
人間の目覚めは、彼らがこれらの法則の重要性を把握し、自発的に迅速な変化を起こしていくことにかかっている。現在のいわゆる‘文明’はもはや終わりにきており、腐敗し、死にかけており、人間に対して苦痛と恐怖、そして最終的には自滅以外に提供するものはない。
マイトレーヤは、人間が彼らの本質である神々となるために必要なものはすべて彼ら自身の裡にあることを示しに来られる。その道はいかに単純で、美しいものであるかを示すために、そして彼らが自分たちの運命をしっかりと握りしめ受け入れるのを鼓舞するために来られる。
マイトレーヤは人間の応えを疑わない。