現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 4月 人類の進化――選集

人類の進化――選集

『人類の進化(The Evolution of Humanity)』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの他の著書から抜粋したものである。

進化について語るとき、私たちは実際には意識の進化、意識的認識の進化について語っています。それがいのちです。実在(Being)と実相(Reality)のより高度でより広い通路への漸進的な覚醒です。それはすべてのレベルにおけるいのちのことです。意識の成長は、初めて私たちが原初の湿地へと転生した時からすぐに始まりました。それはいつだったのか。1850万年前でした。私たちの努力の主要な障害は何か。主要な障害はカルマです。進化の道における進歩の一歩一歩が、したがって、意識の拡大の一つ一つが、カルマの解消を通して起こります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.419-420)

秘教は人間王国および人間以下の王国に関連する進化の過程についての哲学であり、科学です。しかしそれは物質的形態の進化ではなく、意識の進化についてです。形態の進化について知りたいならば、ダーウィンを読みなさい。彼は動物と人間王国の形態に関する進化の特質についてかなり良く纏めています。しかし意識の進化については、秘教を読まなければなりません。現在のところは秘教、つまり内的な(秘められた)教えですが、徐々に外的な(顕された)教え、顕教になるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.368-369)

……なぜなら、男も女も子供も、すべての人間の意識の奥深くに自分が魂であることについての認識が横たわるからである。進化の旅路を進んでいくにつれて、その確信は深まり、魂とその反映との間の意識的な連結は強まり、魂の光により容易に接触がつけられ、知ることができる。かくして理解の光が増大する。
人類は今や、意識の光がますます大規模に顕現する時代の瀬戸際に立つ。その光は、この地球上における人生の意味と目的についての認識の増大という形で人間の活動のあらゆる分野に表現される。
(『覚者は語る』―光の時代―p.377)

私たちが魂の完全さをいくらかでも表現しはじめる、すなわち魂の特質――真理、美、知性、魂の完全さへの志向そのもの――を転生の過程の中に持ち込み、それを顕示しはじめる用意ができたことを魂が知る瞬間に、その人間の本当の進化が始まります。各々の個人の中でそれがいつ起こったかによって、その人の進化の段階が決まります。
数え切れない転生体験を通して、次々と生まれ変わる肉体人間(パーソナリティー)――肉体、感情体、メンタル体――を通して、時には男性として、時には女性として、時間と空間の中で、魂はその神聖なる特質を表現しようとしています。魂は己の特質の複製をつくることを、己自身の物質界の対応物をつくるというその願望を実施していきます。魂は己の対応物に、完成に向けて進化していくための手段を賦与します。そのようにして、神の大計画が成就されていきます。
(『生きる術』p.140)

歴史は、進化がゆっくりと進むことを明かしている。しかしながら、この来るべき新時代に、人間はこれまで最も傑出した先祖たちによって成し遂げられた進化の速度を、はるかに超えるだろう。社会生活と組織の中に起こる深遠な変化が、これまで汲み上げられたことのなかったエネルギーを放出させるだろう。そして世界に変容の旋風を解き放つだろう。そのようになるだろう。このようにして人間は、約束された彼らの尺度に見合うものとなり、非常に長い間潜在し静止していた力(パワー)を開花させるだろう。
(『覚者は語る』―来るべき時―p.185)

永いあいだ、物質の優勢が魂の主要な表現を阻み、進化の速度は遅々としたものであった。やっと永い時を経て、人間の特質の相対する極が解決を見るとき、両分法〔*〕は単にそのように感じられるだけであり、対立は非現実のものであることを人は認識するだろう。そうすると人間は、すべてが一つであることを、霊と物質は唯一なる聖なる総体の二つの様相であり、過去の限界は単なる幻覚にすぎなかったことを知る。
相対立するものの闘いと、それに続いて起こる摩擦なしには、人間の進歩はまさに遅々としたものであろう。摩擦は火であり、それが人間をその道に押しやる。志向は光であり、それが人間を絶えず向上へと招く。このようにして、人は、やがて、物質の限界を放り捨てて、その裡に霊の輝きを賦与する。人間の任務は物質を霊化し、すべての王国においてこの惑星の資質を天帝(ロゴス)の完全なる反映にしていくことである。この惑星はロゴスのからだである。葛藤や戦争、暴力や憎悪は、人間が本当の特質をいまだ実演することができないために現れるのであり、通り過ぎて行くものにすぎない。人間の真実が支配し、その美が輝き、善がすべての者の視界に顕される時が急速にやって来つつある。
(『覚者は語る』―一対の極―p.243-244)

無執着

自分に起こることが何の重要性も持たない時点にまで人は到達せねばなりません。ほかの人が何と思うかは全く重要ではありません。ほかの人が何と言おうと、それがいかに私たちを中傷しようとも重要ではないし、容易に立ち直れます。批判を受け入れることができ、それでいて批判しないことです。一口で言うなら、無執着が進化の過程の鍵です。
無執着は己を捨てることです。執着は自分を宇宙の中心に据えることです。無執着は世界の中心が自分だと思うことを忘れ去ることです。無執着とは、肉体、アストラル体、メンタル体の装備を用いて、自分にできるだけ最大限に魂の特質を表現することです。
(『協力の術』p.194)

意識はその上位に横たわるところのものに向かおうとする志向によって拡大します。それは難しい方法です。ですから、弟子にとって進化の道は遅々とした長い骨の折れる道なのです。それに向かう方法はまさに放棄の道です。放棄は無執着のもう一つの表現です。マイトレーヤは無執着という言葉を使います。放棄という表現を使われるのをまだ聞いたことはありませんが、無執着という表現をよく使われます。同じことです。進化の道は放棄の道、無執着の道です。放棄の過程、つまりテクニックは無執着です。私たちはどのようにして進化するか。この道程の実際の特徴は何か。ただ座して、「さあ、今日は良い弟子であることにしよう。アストラル体を克服しよう、メンタル体のコントロールを実演しよう……どうやればいいのかな? あーそうだ、デーヴァだ、デーヴァたちをコントロールするぞ。鞭を取り出すか」などと言ってもできることではありません。昔は、善良なクリスチャンはレント(受難節)のたびに鞭を取り出して、自分自身を鞭打ちながら、町中を行進したものです。彼らが本当にやろうとしていたことは、肉体界のエレメンタルをコントロールすることでした。彼らは、エレメンタルを一つ打つたびに、(ヘラクレスの七つの試練にあるように)そこに今度は二つ生えたことを知らなかったのです! もっと容易な方法があるのです。それは無執着の道です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.409-410)

マイトレーヤは心(マインド)の正直さと生気(スピリット)の誠実さと無執着について語るでしょう。これが三つの教訓です。彼はこれら三つを進化のための三つの非常に強力な力として与えるでしょう。それは強力です。なぜならそれは本質的なものだからです。なぜなら、無執着を培うことを通してのみ、人は覚者となり、真我を実現する地点にまで前進することができるからです。心の正直さと生気の誠実さを通してのみ、人は無執着になることができます。もしあなたが無執着でなければ、あとの二つを行うことはできません。あとの二つを行わなければ、無執着になることはできません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.305)

奉仕

わたしの覚者たちと私とは、これからの時を奉仕の機会として注目している。わたしたちもまた、この裡なる相を顕すことによって成長する。わが友よ、神から出ずる者で奉仕しない者は存在しない。わが兄弟達よ、これが真理であることを学び、信じなさい。人に奉仕する事を通して、人は神に至る。このことは永遠に変わらない。これからの時を、奉仕の人生として誓い、神の愛の至福を知りなさい。
(メッセージNo.75、p.216-217)

奉仕は進化の挺子のようなものです。奉仕を通して、我々が奉仕する相手と自分を同一認するようになるのです。そして、我々の意識の焦点が自己から他へ移行します。個人的な利己的なところから、非個人的な非利己的なところに移るのです。そして、そうすることによって、もっともっと多くの人々と自分を同一認できるようになります。その道は奉仕を通してです。それが進化過程の挺子として、キリストがパレスチナにおいて奉仕を始められた理由です。なぜなら、我々は奉仕をし始めると、ますます視野が拡がり、より多くの人々と一体化し、やがてすべてのものと一体化できるようになります。自己をすべてのものと同じと見ることができるようになるとき、我々はそのすべてのものになるのです。我々は神であります。我々の神性を解放するのです。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.179)
今日、進化の道をより速く進みたい者のために、これまでかつてなかったほどに、奉仕して成長するユニークな機会が提供されている。変換の仕事を引き受け、大計画と世界に仕えることによって、彼らは新しい霊的進歩の基準を設定し、そして全体としての人類のためにそのプロセスを速めることができる。これが今の時のチャレンジ(挑戦)である。今日の弟子たちは、後に続く者すべてのために進化の過程を速める機会を持つ。このようにして最も強力なかたちでロゴスの大計画に仕えるのである。奉仕して成長しなさい。奉仕して成長しなさい。これが進化の旅路における前進のカギである。
(『覚者は語る』―新しい時代の夜明け―p.33-34)


イニシエーション

魂は究極的に自らを本当に示現できる一連の肉体を魔法のようにつくります。その時点で私たちは進化の過程の終盤にさしかかっているのです。その時点まで、何十何万という転生が必要です。しかし、いったんそこに到達すると、魂はその反映(である男女)を見て、それがその(魂の)特質に反応し始め、より神聖に、つまりより非利己的で、愛他的で、他者を思いやり、自分の欲望の満足だけを望んでいないことを知ると、その乗り舟を刺激し、進化の旅を終わる過程を始めます。つまり、イニシエーションの過程です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.383-384)
第一段階のイニシエーションは肉体、特に人間の肉体を構成する微小なデーヴァ(または精霊)の生命をコントロールする能力を実演する。第二段階のイニシエーションは情緒体のコントロールを、またはその器を構成する精霊をコントロールする能力を実演する。これはバプテスマ(洗礼)のイニシエーションと呼ばれ、ヨルダン川でのイエスの洗礼で象徴される。
第三段階――最初の魂のイニシエーション――は変容と呼ばれ、イエスの山上の変容によって象徴される。メンタル界の精霊と識心体をコントロールして、モナッドとそのエネルギーとの接触が初めてもたらされる、「蓮華の核心にある宝石」である。
イエスは第三段階のイニシエートとしてベツレヘムにてこの世に生まれた。そしてこれらの三つの段階の霊的成長の過程を我々のために、非常に簡単に象徴なされた。そして彼はあの一生において第四段階のイニシエーションの過程を通られたのだが、それを我々のために劇的に象徴するために、完全なる肉体での事実として放棄の体験を通られたのである。西洋ではこのイニシエーションは十字架のはりつけとして知られており、東洋では大いなる放棄と呼ばれる。地位も家族も、そして必要ならば自分の生命そのものも、すべてを、より高位の霊的生命のために放棄するのである。
そして第五段階のイニシエーション、復活が続くのであり、(そしてこれこそがクリスチャンの福音書の物語の核心なのであり)、十字架上での死後のイエスの肉体の復活によって象徴された。それぞれのイニシエーションがイニシエートの体(肉体、情緒体、識心体)に、原子よりもさらに小さな微分子を、文字通り光を引き付ける。第四段階のイニシエーションまでに、イニシエートの体の四分の三が原子以下の微分子、または光で構成されている。このプロセスは、第五段階、復活のイニシエーションで、イニシエートが物質の力から永遠に自由になる時に完了し、彼は完成された覚者となる。進化の目標は達成され、この惑星上での生活体験を完了するのである。覚者がこの地球にとどまり、惑星のロゴスの大計画に仕えるのは、御自身の選択によるのである。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.174-175)

私の意図は、人類の窮地を乗り越える答えを、あなた方の前に提示し、すべての人間にとって、未来は信じがたい約束をはらむ事を示すことである。あなた方の神性を解き放ち、生得の権利を受け継ぐための道を、わたしの兄弟である覚者たちと共に、あなた方に示す。
わたしの計画は、人類を真なる価値に、その真なる可能性に目覚めさせ、すべての人の裡に聖なる神の子が宿ることを示すことである。もしわたしに従うならば、イニシエーションの過程を一歩一歩案内しよう。わたしはその封印を守護するものである。この過程を通して、己の裡に宿る神を顕すのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第24信、p.85-86)

聖なる人間になる課程は、単純で自然なものであり、すべての人間に開かれている。それは、あなた方の裡にはじめから宿るあの神を解き放つ過程である。私は約束しよう――もしあなたがたがわたしに従いて新しい時代に前進するならば、あなた方の裡に宿る聖なる本質を解き放ってあげよう。わたしは神への道であり手段である。なぜならわたしはすべての人間が神の足下に行くために通る門を護る者であるから。わたしを信頼して道を示させてくれるならば、あなた方を前へそして上へと導き、神の御前にお連れしよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第28信、p.96-97)