現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 4月 身体と魂の糧

身体と魂の糧

エヴァ・ボージョンによるリジャイナ・マックネイク氏へのインタビュー

アムステルダムの南東地区の以前スナックバーだったところに、付近の居住者のために毎週約800の食料小包が集められている。リジャイナ・マックネイクさんがあるボランティア・グループと共にそのフードバンク(食料銀行=食品産業から寄付された食料を受け取り困窮者に配る食料集配センター)を運営している。そのグループのある人たちは、以前は麻薬中毒者であった。彼女は2001年に同じ地域にあった家族と共に住んでいたアパートでその仕事を始めた。  リジャイナさんは近隣ではよく知られ愛されていて、多くの人々は彼女を『南東地区の母』と呼んでいる。彼女は、ラジオやテレビのレギュラー出演で彼女の事業について語っているので、オランダ中に知られている。彼女はアムステルダム市民賞と女性賞(awards for Amsterdam Citizen of the Year and Woman of the Year)を受賞した。リジャイナさんは南米のスリナムで育ち、19歳のときオランダに移住した。  エヴァ・ボージョンがシェア・インターナショナルを代表して彼女にインタビューをした。
そのフードバンクは、1980年代から大きなアパート建築物のある多文化地帯に位置している。その地域と建造物は無視されたわびしい外観をしている。私が到着したとき、リジャイナさんは床の掃除をしていた。彼女は私に心から挨拶をして掃除を続けたが、その間ずっと私に仕事について語り、そしてその日のボランティアに指図をした。  私とのインタビューの前にリジャイナさんは二つの会合に出席したが、私をその会合に招待してくれた。一つは、2005年にリジャイナさんの事業のために賃貸料なしで‘スナックバー’の建物を寄贈した「ド・キー」住宅基金の代表者たちとの会合である。現在、事業が拡大したので、リジャイナさんはより大きなスペースを見つけるための援助を必要としている。2番目の会合はアムステルダム地方政府代表者たちおよび新しく創設されたアムステルダムのフードバンク基金との会合である。

リジャイナさんは若い女性ではあったが他人の問題に対して関心があり、いつでも可能な限り使い走り、炊事、読み方などの援助を惜しまなかった。1989年に彼女の生涯を困窮している人たちのために一層献身させる何かが起こった。

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リジャイナ・マックネイク:妊娠検査の際に医師が超音波で黒点を見つけたのです。医師たちは子宮外妊娠の疑いがあると考え、直ちに手術をしたいと言いました。それは便利な方法であることが分かっていましたが、その手術では赤ちゃんの命を救うことはできませんでした。
私の苦痛は続きました。医師は、痛みは治まるだろうと言いましたがひどくなるばかりでした。検査の結果、私の背中の神経が切断されていました。私は1日24時間激痛に苦しみ、強度の薬物療法で何とか耐えることができました。私の健康状態はますます悪くなりました。痛みのために非常に短い時間しか歩くことができなかったので、最後に車椅子に乗ることにしたのです。
医師があなたは車椅子で生活することを学ばなければなりませんと言ったとき、私はそれを受け入れることを拒絶しました。私は神様に大声で叫びました、「主よ、もしあなたが存在されるならば、あなたは必ず私を助けてくださいます。もしこれらの医師たちが私を助けることができなければ、あなたに助けていただかなければなりません」と。それから神様は私の祈りに応えてくださいました。すぐにではなく、少し後に勧められて参加した祈祷会でのことです。

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リジャイナさんは、祈祷会で彼女の背中に温かい手を感じた、と私に言った。続いて彼女は次のように語ってくれた。
「私は振り返って後ろを見ましたが、誰もいませんでした。しかし温かい手が確かに私を軽く押していました。痛みを感じているまさにその場所を手が押していたのです。このことは私が自分のための祈りの順番を待っているときにすでに起こっていました。私がそこに立っているとき、私は何の痛みもないことに気がつきました。祈りの後で私は誰の助けも必要としないで自分の席に帰ることができました。ぐったりとして深々と腰を下ろすこともしませんでした。家に帰ってからも、中に入るときには運んでもらう必要があったのですが、誰にも支えられずに痛みもなく階段を降りていったのです。その時以来痛みは戻ってきませんでした。新しい検査の結果、神経はまだ損傷していたので、医師は困惑していました。神様は癒してくださいました、そして返礼として何かをやると神様に約束していましたので、神様のために働きたいと望んだのです」

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SI:あなたは直ちにフードバンクを始めたのですか。

リジャイナ:いいえ、直ちにではありません。私は巨大なポットを持って街路を歩きました。それを数回実行するという非現実的なことから始めたのです。温かい食べ物が入っているそのポットは極めて重く、持ち上げるのが非常に困難でした。私は汚い破れた衣服を着た人々のいる場所に歩いていきました。彼らは食べ物を求めて私のところにやって来ました。私にはこのことができる、しかしオランダではダメだ--オランダには貧乏人はたくさんいないのだから、と私は考えました。これをやるためには第三世界に行く必要があるかもしれない、と思いました。

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40歳くらいの女性がやって来た。リジャイナさんが後で言ったのだが、彼女はホームレスであった。その女性は絶えずため息をつき、胃が痛いと愚痴をこぼしながらジュースとクッキーとチョコレートが欲しいと言った。リジャイナさんは彼女をソファに座らせ、彼女のための食物を取り寄せた。食物を彼女に与えてから、手を彼女の頭に置いて神の祝福と癒しを祈った。リジャイナさんは座って話を続けた。
「しばらくしてから私はこの地域を見わたしてみて、私が考えていたよりももっと多くのホームレスがいることに気づきました。それから間もなく私は最初の温かい食事を作り、車の後ろに積んであるポットに入れ、二人の仲間と一緒にホームレスを一人か二人見かけた地点に出かけました。ところが私たちが知らない間にそこには食事を求める人々の長い行列があったのです。
私はその晩のことを決して忘れません。人々は非常に満足していました。ある人たちは何日間か食べていなかったのです。私たちは10年間これを続けました。毎週土曜日の晩、私たちはアムステルダムのゼーダイクに行き、火曜日の晩はユトレヒトに行きました。他の日に2、3回サンドイッチを持っていきました。人々の中にはしばしば麻薬中毒患者がいました。私たちは彼らと共に祈り、彼らがこの破壊的なサイクルを断ち切るように説得することに努めました。私たちは彼らに解毒センターを訪ねるようにそれとなく勧めました。その後で私たちは食料小包を造り始めたのです。

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SI:誰のためにその小包を造るのですか。また食料はどこから来るのですか。

リジャイナ:生活の通常経費を使って残る食料や衣服を買う費用が一定額以下ならば、一つの世帯が一つの食料小包を申し込むことができます。その一定額というのは、一人の場合は150ユーロ、大人二人で200ユーロ、大人二人と子供二人の場合は250ユーロです。
この地域の多くは、失業者で失業手当をもらっているか、あるいは何らかの最低収入しかない人々です。シングルマザーや年金生活者もいますが、両親がそろった家族もいます。物価が上昇しているのですから、長い期間ずっと一定の生活手当では十分ではありません。炊事道具が壊れ、歯科医から請求書が来たら、食料を買うお金が足りないのです。子供たちは空腹のまま学校に行かなければなりません。これらの家族はこの臨時の食料がなければ生活できないのです。食料は、大きな食品会社、卸業者、製パン所から手に入れます。私たちは定期的に大きな競売所から、私たちに提供できる果物や野菜が残っているという知らせを受けます。ときどき広告代理店から宣伝のための食料をもらうこともあります。

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インタビューは頻繁に中断された。あるパン屋からは40個パンがあると電話してきた。近隣の幾つかの退職家族のために別の手配がなされるまで臨時の食料小包を配送する要請の電話もあった。いろいろな電話が応対されずに無視されなければならならなかった。リジャイナさんは、手配をしてあげたり誰かに話をしなければならなかったために、忙し過ぎたからである。ボランティアが帰ってきて、持っていたパンを狭苦しい背後の部屋のどこかに押し込んだ。そこは多くのことがなされる多忙な場所であったが、リジャイナさんはずっと穏やかな態度を崩さなかった。彼女が指示を与える方法は命令調ではなかった。そのことに私は好感を持った。ボランティアたちが彼女の事業を愛しているのは明白である。時々彼らがリジャイナさんを「マザー」と呼ぶのを聞いたのだが、そのことからも彼らが彼女を尊敬しているのは明らかである。

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SI:あなたは子供たちに対しては特別な注意を払っているのですね。

リジャイナ:はい、水曜日の午後は私たちの世話を受けている人の子供たちのための日です。ここのスペースはますます狭くなっています。時には60名の子供たちがここにやって来るのです。母親たちは彼らのための食事を料理します。子供たちと時間をかけて話してみると分かるのですが、彼らの多くは(その中の幾人かは幼く)困難な重荷を背負っているのです。ある子供たちは哀れです。母親が終日家を留守にしているので、彼らは独りで家にいなければならないからです。ある子供は母親がいないときに虐待されるのですが、その子供は人に話すのを恐れています。子供時代が正常ではないのです。私はしばしばその子供たちを児童福祉施設や社会福祉指導担当の指導員に委託しています。
子供たちの中には聡明な者もいて、学校で最善を尽くしたいと思っている子供もいるのです。しかし、家庭に問題があるためにそれはほとんど不可能です。

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SI:あなたは女性のための家計立案クラス を企画されたと聞いています。

リジャイナ:はい、そのとおりです。それは簡単なものですが、よく機能しています。私は紙面に、利益(benefit)や補足(supplement)という表題で示される事柄についてのある情報を書いてグループで討議します。彼らはほとんど何も知りません。そこで私は彼らに何ができるのか、彼らが誰にコンタクトできるのかについてアドバイスします。私は彼らに毎月たとえ10ユーロでも貯金するように奨励しています。それができたとき彼らはそのことを誇りに思います。私たちが彼らと行った肯定的な相互作用によって彼らは変わるのです。彼らは一層オープンになり、より自由にコミュニケーションを行うようになりました。

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政府は貧しい人たちに対してやるべきことを十分にやっていないので、リジャイナさんは、キリスト者同盟党を代表して南東アムステルダムの市議会選挙に立候補する決意をした。彼女は、市議会との調整を行わないで、社会の弱者を擁護していると彼女が思っている党が選挙に勝つことを主要な目的として、参加したのである。私は、問題解決法に関する彼女のアイディアについて尋ねた。

リジャイナ:給付金と最低賃金を引き上げ、そして資金不足の人たちが家計立案クラスに出席するように義務づけることです。彼らの借金問題を援けるのは大切なことかもしれませんが、それだけではいけないのです。彼らが自分の問題解決の責任を忠実に果たすのを見届けなければなりません。さもないと、再びすぐ借金をしてあなたたちに責任を押し付けるのです。私は絶えずそのことが起こるのを見てきました。ある人たちは確かに自分の生活費の問題に責任があり、私たちがそれに直面する必要はありません。しかし、結局あらゆる面で私たちが彼らを助けなければならないのです--でなければより良い世界は決してやって来ないでしょう。

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私はリジャイナさんに、彼女の『非公式の』フードバンクとアムステルダムフードバンク財団(VBA)との関係について尋ねた。彼女のフードバンクは地方政府やVBAから資金援助を受けていないので、その事業の資金を集めるために彼女は“明日への希望がある”という財団を設立した。
この二つのフードバンクの相違点の一つは、VBAが麻薬中毒者や不法移民を援助の対象外としているのに対して、一方リジャイナさんの側ではこれらの人たちに対しても援助を行っているという点である。VBAは、リジャイナさんが明白に公然と神の名前で彼女の事業を行わないようにと希望している(彼女の事業が行われている地域には宗教的な美しいポスターがたくさん張られているが、彼女はそれを除去するように依頼されている)。リジャイナさんは、除去することはできると言ったのだが、その後でそのままにしておかねばならなかった--人々が除去してほしくなかったからである!?
今日のミーティングの主題の一つは、長期間人々が食料小包に依存するようになり、新しい人が受け入れられなくなって長い待機リストができてしまう、ということであった。リジャイナさんによれば、この問題の理由の一つに他の機関の援助へのアクセス方法があった。一定の期間だけ給付を受ける資格を持っていたある女性が、ユトレヒトの弁護士を訪問する必要があったのだがその手順に沿って手続きできなかったことを、リジャイナさんが説明した。リジャイナさんは彼女と同行することに同意したのであるが、それですべてのことが一層速やかに解決した。この問題の解決法として、地方政府の代表が会議で、適切な機関を訪問する人々に同行する「相棒(buddies)」の準備について討議した。彼らはまた、フードバンクの外部に移動事務所を設立することについても討議した。その事務所は負債問題を抱えている人々にアドバイスをし、必要な援助を要求する人々を排除する様々な規則や規制から人々を解放してあげるための事務所である。
リジャイナさんは、3時間に及ぶインタビューを終えるまで、私が到着したときと同じようにさわやかでエネルギッシュであった。彼女の家族もまたその仕事に従事しているが、非常に協力的である。それは幸運である。なぜなら、子供のいる場所がないことを知ると、いつでも彼女は別の場所が見つかるまで彼女の家にその子供を同居させるのである。そしてしばしば彼女は依頼者が困った問題を抱えると呼び出されるからである。「マザー」は彼女にとって極めて適切な名称である。

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さらに詳しい情報は:
erishoopvoormorgen@hotmail.com‘There is Hope for Tomorrow’ foundation(Stichting Er is Hopp voor Morgen)

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