現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 1月 平和の種子を蒔く

平和の種子を蒔く

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ジェーソン・フランシスによるジャネット・ウォラック氏へのインタビュー

『平和の種子(Seeds of Peace)』は世界中の紛争地域から若い人々を集合させている非政府組織である。1993年にジョン・ウォラック氏によって設立され、アメリカのニューヨークに拠点を置き、『平和の種子』は、最初に46名のイスラエル人、パレスチナ人、エジプト人のティーンエイジャーたちを集めて、相互理解、信頼、共感を促すと同時に、イスラエルとアラブの紛争において和解と共存を進めるために必要とされる紛争解決技術と指導力を発達させようとした。そのプロジェクトは間もなく拡大し、現在までに、中東、バルカン半島、南アジア、アメリカなどの国々から3,000名の若者たちが集まっている。  ジェーソン・フランシスがシェア・インターナショナル誌を代表して、『平和の種子』の代表者でジャーナリスト、そして作家でもあるジャネット・ウォラック氏にインタビューした。
シェア・インターナショナル(以下SI):若い人はどうやって『平和の種子』のプログラムに参加するのですか。プログラムの内容はどういうものですか。
ジャネット・ウォラック:ほとんどの国で、参加者候補は学校によって選ばれます。通常は面接があって、学生は幾つかの条件を満たさなければなりません。私たちは、14歳から16歳で英語を話し、学校や地域社会のリーダー的存在であり、「別の側」との出会いに興味を持っているような若者を探しています。いったん選ばれ受け入れられると、彼らの国の代表団に加わるために招待され、アメリカのメイン州で3週間のキャンプを行います。その体験は困難ですが、やりがいがあり、刺激的なものです。紛争地域の反対側からの若者たちが同じ部屋で暮らし、スポーツをやり、食事を取り、彼らの「敵」と毎日90分の対話セッションに参加します。これらのすべての鍵となるのは、他者を知り、その過程で自分自身を知ることです。これは変容をもたらす体験であり、全員に深い影響を与えます。キャンプに来た人々、カウンセラー、調整役、代表団のリーダーたち、参加した人すべてにです。
SI:およそ20カ国の代表団が『平和の種子』のプログラムに出席します。これほど多くの異なった国籍を持つ人々の交流をどうやって組織するのですか。
ウォラック:『平和の種子』は彼らの紛争地域によってキャンプで組織化されます。例えば、ある二段ベッドはイスラエル人とアラブ人のためのもの、他のベッドはインド人とパキスタン人のものといった具合です。対話セッションもまた地域紛争によって調整されますが、スポーツや他の活動は、時にはすべてのキャンプ参加者を含みます。夏のキャンプのハイライトは「カラー・ゲーム」という、キャンプのオリンピックです。キャンプの参加者全員が緑と青の二つの多国籍チームに分かれ、すべてのキャンプ活動について競争します。カラー・ゲームは国や地域を越えた協力の精神を促します。多くの参加者(シーズ〔Seeds〕=種子)は、彼らの身分証明としてチームカラーをEメールの最後につけています。カラー・ゲームの終わりは全員のための大きなお祝いで、一粒の種子であることの力を認識します。
SI:若者たちはプログラムに参加することでどのように変わりましたか。
ウォラック:「敵」に対する好奇心からキャンプに参加する若者もいます。怒り、傷つき、不満を持ち、不安で、敵たちに自分の気持ちを分かってほしくて参加する人もいます。それらの人々はもちろんその体験で最も変化する人々です。別の側について知り、最悪の敵は自分と同じような人々であることを学ぶことは、目を開かせる体験であり、自分の感じ方、自分自身についての理解を再考させます。あるシードはこう言ってそれをうまく表現しました。「敵と和解するためには自分自身と戦争しなければならない」。シーズの多くにとって、キャンプに来るよりも祖国に戻るほうが困難です。彼らは深い変化を遂げたにもかかわらず、国の人々はそうではなく、シーズの感情は彼らの友人、家族、時には教師とさえも異なり対立します。私たちのスタッフは彼らをサポートします。シーズたちに彼らの問題を、お互いにEメールやワークショップ、同僚とのグループミーティング、親とのミーティング、代表団のリーダーとのミーティングなどで話す機会を与えます。さらに彼らを奉仕プログラムに参加するように促し、それは彼らの信用を地域社会で確立させることに役立ちます。彼らが信頼、尊重、寛容という『平和の種子』の価値観を、「敵」の側に示す前に、味方の人々に対して示すことが重要なのです。
SI:あなたが『平和の種子』の同窓会プログラムとして開催した国際青年会議について教えていただけますか。
ウォラック:私たちは、シーズの同窓生が集まってより大きなプロジェクトを行うことが重要であると思いました。1998年にはスイスのヴィラールで1週間の会議を開き、120名の卒業生たちが午前中にイスラエルのペレス首相、ヨルダンのノール女王、アメリカのヒラリー・クリントンのような世界的指導者たちと会見しました。残りの時間は、パレスチナ・イスラエル紛争における、水、難民、エルサレムのような最も重要な問題についての平和協定を作成することに従事しました。続いて、テロと憎しみの根本にあるもの、若者とメディア、指導力の訓練などについての会議を開きました。これらの会議はシーズを力づけ、感情をはっきり表現し、前向きな変化を起こす行動を取る機会を与えました。
SI:あなたの組織に政府や産業界や社会的指導者はどのくらい関わっているのですか。
ウォラック:幸運にも、アメリカ大統領、アメリカ国務省、外国の指導者たち、産業界や社会的指導者たちの支援を得ることができました。これは私たちの仕事に対する途方もない信頼の表現であり、他の組織が持っていないものです。1993年に設立した最初の夏には、『平和の種子』はホワイトハウスでのラビン・イスラエル首相とアラファト氏(PLO指導者)の調印式に招待されました。ビル・クリントン大統領はその日、『シーズ』の重要性について公式スピーチの中で述べました。誰が政権にあっても私たちは、すべての側の政府から支援を受け続けています。
SI:『平和の種子』は、アメリカの若者と中東諸国の若者の間の交流と理解を養うためのプログラムを始めたということですが、その活動について教えていただけますか。
ウォラック:9・11の後、私たちは、アラブとアメリカの若者たちを集合させるための『国境を越えて( Beyond Borders)』というプログラムを行いました。それは大成功でしたが、定期的な『平和の種子』のプログラムを続けながらそのプログラムを拡大する資金がありませんでした。定期的なプログラムでは、常にアラブとイスラエルの若者たちを、アメリカのティーンエイジャーたちと集合させています。
SI:『平和の種子』が国や大学に受け継がれることで、どれほどの経験と理解が獲得されましたか。
ウォラック:私たちのスタッフは、ワークショップやセミナー、クラスや社会的集まりを通してシーズたちと密接に働いています。今ではプログラムの開発や運営に携わるシーズもおり、プロの調整役として働いている者もいます。シーズと共に働きながらアメリカで勉強し、彼らの大学でプログラムの開発を援助しているスタッフもいます。2006年11月にはアメリカや他の国から40名のシーズが集合し、相互信頼のプロジェクトについて話し、学校へのアウトリーチのためのアイディアについて検討しました。
SI:1993年の最初のアウトリーチではイスラエルとアラブの紛争に取り組みました。今日では、イスラエル、ウエスト・バンク、エルサレムの両方の側から、『平和の種子』のイスラエル人とパレスチナ人の卒業生が毎週「進歩した共存のためのプログラム」の一部として会合を開いています。グループ指導、調整、信頼構築において、年長の卒業生が若い人々を指導しています。イスラエル・パレスチナ紛争は『平和の種子』が取り組んだ中で最も困難な紛争ですか。
ウォラック:多くの政府指導者にとっておそらく最も困難な紛争であり、世界の多くの部分で怒りと絶望の中心となっている問題だと思います。しかし、問題が何であろうと、紛争はそれに影響されるすべての人々にとって苦痛であるということを忘れないのが大切です。私たちが若い人々に教える技術は、彼らがどこに住んでいようと、どんな紛争であろうと、彼らにとって役立つものであることを望んでいます。
さらなる情報は: www.seedsofpeace.org

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