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2010年4月12日のラジ・パテル氏の記事

「われわれに救世主は必要ではない(とにかくそれは私ではない)」
に対するベンジャミン・クレームの返答(4月20付『ザ・ガーディアン』に掲載)

2010年4月12日に英国の『ザ・ガーディアン』紙に、著作家であり経済学者(『0の価値』の著者)のラジ・パテル氏による「われわれに救世主は必要ではない(とにかくそれは私ではない)」と題される記事が掲載された。それは、2010年1月14日にベンジャミン・クレームが「マイトレーヤはテレビインタビューに出られました」という発表をしたのち、YouTube上で憶測が飛び交い、シェア・インターナショナルとは関係ない部外者からラジ・パテル氏がマイトレーヤだと誤って認識され、世界の新聞やテレビ番組がこの話を取り上げたことに端を発した。
以下は、パテル氏の記事へのクレームの返答を編集したものである。

私は、マイトレーヤとシェア・インターナショナル誌並びに私自身について、4月12日掲載されたラジ・パテル氏の記事に対しての返答を試みたいと思う。私および私と共にシェア・インターナショナルに関与している人々は、パテル氏がマイトレーヤと名指しされたことには全く関係していない。そのことは、私たちのコントロールの及びようのない偶然と状況の結果である。私は、そのことによって引き起こされた不都合を大変遺憾に思う。
世界の貧困者に対するパテル氏の懸念と、彼の公平な社会を望むお気持ちに、私は全く同感であり、私もこれらのアイディアを35年にわたって唱導してきたのである。
パテル氏は、何もせずにただ有り難がる世の中の人々のために、世界を救いすべてを正してくれる“救世主”なる人物の存在を私が提示しているのだと思われているようである。それは真実からは程遠い勘違いである。マイトレーヤ御自身、新しい文明の構築に向けては、レンガの一つ一つ、礎の一つ一つを、人類自らが築いていかなければならないという彼の立場を理解してもらうのに非常に苦労しておられるのである。われわれには自由意志があり、マイトレーヤはそれを極めて神聖なことで、侵すべからざるものと考えておられる。
私から見ると、パテル氏は広大でかけがえのない次元を見落としておられるように思える。歴史を通して、なぜ孔子やクリシュナ、仏陀やイエス、モハメッドのような方々が人類の直中にやって来られたのか? 繰り返し、繰り返し、世界教師の教えが顕現した──危機の時代には偉大な教師が人類を助けるためにやって来た。
これは神秘的なおとぎ話ではなく、世界の歴史の深遠な部分である。世界教師の役職に現在就いておられるのはマイトレーヤであり、前にその職についておられたのは仏陀であった。これはわれわれの覚者方の霊ハイアラキーの役職であり、彼らは徐々に今、日常世界に戻って来られようとしている。中でも、マイトレーヤの世界への帰還は、意識的・無意識的な人類からの助けを呼ぶ求めに応えたものである。
私は宗教の話をしているのではない。マイトレーヤは宗教の指導者として来られたのではなく、広い意味での霊的教師として来られたのである。宗教に関して「宗教とは梯子のようなもので、屋根に上るのを助けてくれるが、いったん上ったらそれはもう必要ない。他の誰かにあげてしまえばよい」と言われる。マイトレーヤが話しておられるのは、実際、自由についてである。われわれが真に、完全に自分自身である自由について、そしていかにして教義や条件づけからのその自由を獲得するのかを人類に示すために彼は来られている。
世界は、パテル氏がわれわれの必要には無関係だと言われる人物によって放射されるエネルギーとアイディアを通して、すでに目覚め始めており、理解を深めている。
今はまだ正体を明かしてはいないが、マイトレーヤはアメリカのテレビを通して何百万人という人々に語りかけており、彼のアイディアとエネルギーは多くの人々に、新しい希望とより良い世界をつくろうという決意を起こさせている。
私は賭けをする人間ではないが、それでもパテル氏がマイトレーヤの教えに反応する最初の人々の仲間であることに賭けたいと思う。

4月13日、ロンドンにて
ベンジャミン・クレーム