カテゴリー別アーカイブ: 覚者より

覚者たちの誓い

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 戦争の暗雲が次第に増し、平和の陽光が闇に包まれていくにつれ、人類の反応は二重である――好戦主義者たちの意志を無言で受け入れ、追従することと、彼らの計画と企てに対する積極的な活気ある抵抗である。今日、わたしたちには両方の反応が同じ割合で見られる。世界の半分が(底に横たわる原因を認知することなしに)“テロとの戦い”というグラマーにとりつかれ、またテロ行為自体にとりつかれている。後の半分はテロ行為を嘆き、そしてその発祥についての理解の欠如を嘆いている。大規模の変化のみがこの残虐な悪を終わらせる鍵であることを彼らは知っており、世界をあまりにも不公平に分割している不平等を認知し、それに対処することを諸国家の指導者たちに呼びかける。
 この後者のグループは増大して、世界の安全を非常に脅かす者たち、現在、権力の座にいる者たちの計画に対する彼らの抵抗を増さなければならない。彼らはお互いを見つけて、一緒に働かねばならない。平和を求め、正義の顕現を請い願う無言の大衆(サイレント・マジョリティー)のために働き、そして語るのだということを知る必要がある。
 平和は、正義が支配するとき、分かち合いが人間の心(ハート)を開き、人々を信頼することに目覚めさせるときにのみ、訪れるだろう。かくして、人は正義と分かち合いのために働き、声高に語らなければならない。正義と分かち合いのみが人間の苦しみを、テロ行為と戦争を終止させるだろう。あなたたちの兄であるわたしたちは、わたしたちの役割を果たす用意がある。わたしたちは「共通の利益(善)」のためのあらゆる行動を強化するだろう。わたしたちは、自分たちの力を顕す機会を待っている――過去の間違いを正すのを助け、戦争の無益さを人間に示す。わたしたちは、戦争の終止を呼びかける者たち、人事の中に健全さとバランスの回復を求める者たち、すべての者のための正義(公正)と自由の創造を求める者たちすべてを支持することを誓う。
 わたしたちにあなた方を助けさせてほしい。わたしたちの役割を果たすことができるように、助けてほしい。わたしたちは、いつものことながら、「共通の利益」のために行動することを願う、それが人類すべての最善の利益であるとわたしたちは思う。かくして、わたしたちは分かち合いを提唱する、かくしてわたしたちは正義を勧告する、かくしてわたしたちは自由と平和を分かち合いと正義の確立の頂点として見なす。
 この世界の救済のために共に働こうではないか。人類種族の利益のためにお互いの(意見の)相違を放棄しようではないか。健全な行動を勝利させて、人類に平和のための彼らの共通の必要を理解させよう、そして病める世界を復活させようではないか。
 多くの者が未来を恐れながら待つ。人間が道を見失ったのではないか、いまや平和への道を見いだすには遅すぎるのではないかと恐れる。わたしたちの勧告はそうではない。平和への道は簡単に見いだせることをわたしたちは知っている、正義と信頼の創造を必要とするのみである。分かち合いのみがその信頼を生み出すだろうということを、そしてそれが人類にテロ行為と戦争の両方を放棄させるようになることを、わたしたちは知っている。そのようになるだろう。そのようにして、人類はついに恐怖と不信のグラマーから解放されて、実際にそして歓びのうちに未来を創造する用意を整えて、マイトレーヤの「同胞愛と正義」のメッセージに応えるだろう。
(シェア・インターナショナル誌2004年1・2月号)

“野蛮な時代”の終わり

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人類が今のこの時期を振り返って、“野蛮な時代”と見るようになる時が来るだろう。現在のこの死にかけている文明は可能な理想からあまりにもかけ離れているので、未来の人類は、われわれが一体いかにして、しかもこれほど長い間、それを持続することができたのか不思議がるだろう。

 この悲しい状況には多くの原因と要素が含まれている──人間の人間に対する関係の、長い、ゆっくりとした頽廃が、ますます精巧になる武器の開発と並行しており、またそれを反映している。大陸を飛び越して殺戮することのできる現在の武力を、人間は大得意とするが、それは自己破壊への盲進を確実なものにする。戦争は冷徹な非個人的なものになった。もはや戦士は犠牲者(敵)の顔に恐怖の脅えを目撃する必要はない。

 この状況の中で、政治経済の制度が、人間の生活の泉からの疎外感の増大を反映するのは不思議ではない。

 商業至上主義、すなわちあの急速に発展した、しかし陰険な、しばしば隠れた脅威が今や数え切れない何千何百万の人間の生活と運命を支配する。そして人間の天与の個人性を取るに足らないものにしている。今や人間は統計にすぎず、そこには人間の目的も必要も考慮に入らず、人間は市場エネルギーと企業の利潤というチェスゲームのポーン(歩)の駒である。

 われわれが現代世界と呼ぶところの荒涼たる砂漠は、人間を人間らしくするもの、すなわち幸せや、創造的な充足感、お互いの必要に速やかに反応する特質、自由というものを人間から奪う。破壊的な競争は人間の精神を腐食させ、そして今や、人生の“戦い”の審判の座にある。人生、すなわち「偉大なる冒険」は腐敗し、単なる生存のための苦しい不公平な苦闘に置き換えられた。

 これらの悲惨な状態がすべてに同じように存在するわけではないのは確かだが、しかし膨大な数の人間にとって、それは彼らの生活の現実を表している。そして人間が方向を変えない限り、それはますます悪化するだけである。

 マイトレーヤが世界の舞台に公に入って来られるとき、そのような苦痛と苦闘の人生は必然ではないことを、それが人間の唯一の選択ではないことを示すだろう。人間がそれを意志するならば、彼らの生得の権利として他の道があることを示すだろう。

 混乱とますます増大する貪欲の直中にあって、人間はすでに、人生の聖なる絆をそのように弱めるものに抵抗しはじめていることを、マイトレーヤは示すだろう。そして大きな新しい力(エネルギー)が新しい始まりを生じさせており、現在の混迷の中から、時代の挑戦に対処し、困難に打ち勝つために、生まれ備わった人間の能力がより高位に、より本当のすがたで徐々に現されつつあることを示すだろう。

 マイトレーヤは人間に、彼ら自身の高位の出所と運命(ルビ:さだめ)を思い出させるだろう。そして新しい生活方法の創造を、融和のうちに、正しい人間関係の中で、戦争や競争の手段に訴えることなく、完全な協力と相互尊重の中で生きる道を鼓舞するだろう。そのようになるだろう。

(シェア・インターナショナル誌1999年4月号)

自由と正義の未来

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 世界がこれほどまでに様々な問題に悩まされたことはこれまでほとんどなかった。地球全体にわたって、ほとんどすべての国において、あらゆる均衡と安全を妨げるフォース(力)が働いている。無秩序と暴力の規模はますます大きくなり、恐怖は増大する。何百万の人間がもっとも悲惨な苦難に喘ぐかたわら、国全体が変化の激痛の中で痙攣する。

 この激しい動揺の中に、キリストはやって来られた。認知されようとされまいと、キリストの御手が外的な混乱の背後に見られ、フォース(エネルギー)を良い方向に導き固めておられ、最終的な勝利を確実にする。まったくそのようには見えないかもしれないが、新しい秩序がこれらの相争うフォースからつくり出されている。死滅する形態の灰から新しいいのちが生まれる。

 商業至上主義がその癌を世界中に広げて、人間の生命線である商業と政府を毒するにつれて、ますます多くの人々がその危険に目覚め、新しい関係と貿易の様式を探し求める。

 残酷な野心的な人間が自分たちの祖国に破壊をまきちらし、国民の心の中に長い間眠っていた憎悪の火を焚きつける一方、その犠牲者たちを助け、その攻撃に対抗しようとする新しい意図が国々のフォーラム(公開討論の場)の中に頭を持ち上げつつある。

 キリストの手は決して舵から離れることはない。法の成就のみが、キリストの行動範囲を規制する。キリストのフォース(勢力)はいつも目ざとく、あまりにも重過ぎる荷が人類の大義を打ち砕きそうなときには、介入する用意がある。

 であるから、これらの火と恐怖の日々は終わることを知って、勇気を出しなさい。人間の長い間の苦難と苦痛は間もなく終わるだろう。人類は孤立していないことを、人類の兄たちが、この痛々しい変遷の過程を一つ一つ知っており、そして見守っていることを知って、勇気を抱きなさい。

 今、未来を見、そして築く用意をしなさい。それがあなたの最高の志向の中に包まれるのを、心に描きなさい。現在の混沌の直中で、無執着になることを学びなさい。そしてあなたの恐怖を差し迫ってくる闇にさらに加えないようにしなさい。あなたが思うよりもずっと近くに歓びの日がある。憎悪もまた、そのコースを走り終えるだろう。

 もうすぐ、その新しい日に目覚めなさい。各々の明るい志向をまた新たに磨きなさい。新しい光、「世界の光」が今、再びあなたたちの中にある。いま生きとし生けるもの一つ一つの中に入る増大する光を明示しなさい。そして古い不均衡を正しなさい。

 わたしたちは見守り、待ち、あなた方と共にいる。日ごとにわたしたちの存在をあなた方の視界により近づける。あなた方がわたしたちを見るとき、人類種族の護衛のために共に働くときがやって来たことを知るだろう。もはや「市場主義のフォース」が人間の上昇への道に破壊をもたらしてはならない。もはや残酷な野心が国民の生活を左右するようであってはならない。大勢の人間が豊かな世界の直中で飢えることが、再びあってはならない。若者たちの未来が彼らの頭上で売られてはならない。自由と正義の未来が招く。それを受け入れなさい、受け入れなさい。

(シェア・インターナショナル誌1993年5月号)

中東の危機──覚者の視点

 世界の最近の危機については、シェア・インターナショナル誌から通常とは違った反応が必要とされると思われる。そのため、ベンジャミン・クレームの師である覚者による三つの記事からの抜粋を掲載したい。
 世界はイスラエル・パレスチナ紛争の激化を深く憂慮している。今月号においてできるだけバランスの取れた方法でこの状況を提示するために、マイトレーヤの教えとベンジャミン・クレームおよび彼の師の著作が引用されている。
 永続する平和的な解決策は、万人のための正義にしか基づき得ない。現在の惨事は、パレスチナ人に対する長期的な不正義と抑圧という観点から見られなければならない──それは1948年から何十年にもわたって続いている。
 この複雑な問題に対するわれわれの貢献は限られていることは承知している。ベンジャミン・クレームは多くの書籍やこの雑誌の中で、解決や和解を目指さなければならないものの、「この和解を成立させるためにはマイトレーヤ御自身が必要でしょう」と指摘してきた。
 次の記事は少し前の出来事や緊張について述べているが、イスラエル・パレスチナ問題への解決策を見つけるのに国際社会がこれまで失敗してきたことが、いかに今日の恐ろしい戦争につながったかについての洞察も提供している。分かち合いと正義が、この紛争や他の紛争を解決するに当たっての鍵である。
 次の三つの記事はベンジャミン・クレームの師によるものである。

行動の必要性

 すべての者により良き生活を保証する人間の計画と夢を実現するために、行動が必要なことを、わたしはこれまでに何度も述べてきた。マイトレーヤが言われるように、「何事もひとりでに起こらない。人間はその意志を実施するために行動しなければならない」。〔*〕このことを念頭において、最も注目を必要とする問題を見てみよう。そしてそれらの解決に何らかの光を当ててみよう。
 解決が待たれる主要な問題は、公正で持続的な平和の達成である。今日、平和なしには、人類にとって未来はない。諸国家はすでにこのゴールに向かってゆっくりとにじり寄っているのだが、本当の平和が確保される前に、まず一定の基本的条件が満たされなければならない。
 まず初めに、本当の平和は信頼に依存する。その信頼は、正義の法が成就されるときにのみ生じるのである。金持ちと貧乏人の生活様式の間の隔たり、富める国と貧困な国の生活様式の間の隔たりはますます拡大しており、それが今日、平和の達成に最大の障害となっている。多様なイデオロギーが分裂的な役割を果たしているが、しかしこの要素の影響力は減少しつつある。それよりもずっと重要なことは、先進開発国に深く染み込んだ自己満足感と貪欲である。
 平和はバランス(均衡)から生じる。バランスが欠けるとき葛藤と戦争が生じることは確実である。バランスを達成するには、国家も国民もすべてが相互依存しているという認識が、そしてすべての者の必要は公正な分かち合いによって満たすことができるという認識が必要である。その認識が目覚めて、そしてそれに続いて行動が起こるまでは、われわれが見ることができるのは不安定な世界である。世界の半分が飢えており、毎年何百万も飢えている間は、本当の平和は夢にすぎない。
 中東における現在の危機は、発展途上国に武器を売ることの愚劣さを、産業大国に思い知らせた。この利己的な貿易によって野心が育成された国家はたくさんあり、イラクはその一つにすぎない。西洋諸国の工場が、世界中の専制君主や保守反動の政権を維持することで繁栄するということは許されるべきではない。……
 現在の状況の解決は、アラブとイスラエルの間の調和なしには、そしてイスラエルの建国以来、ズキズキとうずいてきた激しい敵意に終止符を打つことなしには、不可能である。パレスチナの人々は彼らの故国を持たなければならず、そして持つようになるだろう。長い間苦しんできたあのグループの正当な志向を満足させるものは、それ以外にない。そしてそれ以外には、長い間、繰り返し発生して中東地域に絶えず緊張をつくり、かくして世界の平和を脅かしてきたところの危機を終わらせる方法はない。
 出来事(イベント)は急速に進行している。もし指導者たちが現在のこの機会をつかみとるならば、そして、賢明な長期的な見解をもって、軍事力を行使しようとする手を引っ込めるならば、敵意と戦争の終わりを、そして資源の公正な分配と、諸国家間における新しい健全な関係の出現を、世界は目撃することができるだろう。
 このことのために、マイトレーヤは長い間、懸命に働いて来られた──様々な危機の中で入れ替わり登場してくる主役たちに助言を与え、彼の洞察と広い見解を授けることを試みてこられたのである。マイトレーヤの努力に彼らは徐々に反応してきており、マイトレーヤが世界の前に公に出現することのできる時期はそれだけ早められる。〔*〕=マイトレーヤからのメッセージ第31信
(『いのちの水を運ぶ者』を参照)
(シェア・インターナショナル誌1990年11月号)

  • 前世紀に、世界は二度、全面戦争に、すなわち一つの戦争の二つの恐ろしい局面〔訳注=第一次と第二次世界大戦〕によって震撼させられ、何千何百万人もの犠牲者を出した。それぞれが「戦争を終わらせるための戦争」となるはずであった。しかし、いまだに、さらに強力な破壊力を持つ兵器で、もう一度、力比べをすることを企み、計画する者たちがいる。戦争は何事も解決せず、何も証明せず、地球の住民に苦痛と喪失を加えるだけにすぎないということに人間が気づくまで、一体どのくらいかかるのか問わねばならない。……マイトレーヤが今にも彼の公の使命を始めるとき、彼はこの問題とその結果に人間を直面させ、そして彼の解決法と助言を提供するだろうことを確信してよい。戦争は冒涜であり、それに関わるかどうかに関係なく、それはすべての人間に対する犯罪であり、嫌悪されるべきことであることを、彼は人々に思い出させるだろう。もし人類と低位王国が生き延びようとするならば、戦争をそのように見なさなければならないと彼は言われるだろう。分かち合いと正義のみが人間の未来を保証するだろうと、彼は言われるだろう。和合と協力に励みなさい、地球上の人間はひとつであるのだから。「あなたの兄弟をあなた自身として見なしなさい」、そして神聖への最初の一歩を踏み出しなさい。(「戦争の冒涜」、シェア・インターナショナル誌2009年9月号)

中東

 中東における最近の出来事が、困難に満ちたあの地域に新しい方法で世界の注目を集中させた。放置しておけば、そこにある多くの問題はおのずと解決するか、なくなるだろうという考えは消え去った。紛争や分裂はあの地域特有であり、もしその地域だけに抑えられていれば、大した問題ではないという考え、そして歴史的、戦略的に重要な世界のこの部分のためにできることは何もないという考えは過ぎ去った。
 近代戦争の性質と技術的進歩がそのような考え方を変えさせ、それは国連があの舞台において果たす役割の再評価につながりつつある。中東を非核地帯にするという可能性が、初めて、真剣な注目を集めつつある。また、多くの陣営の中で、初めて、イスラエルとパレスチナ紛争への最終的な公正な解決がこの上なく重要だと考えられはじめている。他方、民主的改革を要求する者たちの声の中に新しい緊急性が聞かれる。
 ここに、世界の諸国家がこれらの多くの問題にエネルギーと智恵をもって対処する機会とチャレンジが横たわる。覇権を競って相争う多くの派閥や利害を統御しておくために、自由放任主義で十分だろうという日は過ぎ去った。
 国際社会はこの地域に、平和と繁栄を維持する責任を受け入れなければならない。そして新しく確立された権威を利用して、様々な民族の代表を交渉の席に集わせて、真剣な交渉に伴う妥協に基づく協定の実施を保証しなければならない。そのようにしてのみ、公正で長続きする解決が見いだされ、そして真の平和が回復されるだろう。そのような行動のための時は熟している。長い年月、世界平和を脅かし、そして今回、文字通り太陽を暗くしている黒雲を永遠に吹き飛ばす時がやってきた。
 そのような協定に到達することは、そしてそのような行動を実施することは容易ではないだろう。簡単な解決法は手近にない。様々な争い合う者たちが、広範囲な変化を求めるアプローチではなしに、あの地域の将来の見直しを、現実性をもって見る用意があるかどうかに、多くがかかっているだろう。彼らが智恵と善意をもって問題に対処することを拒むならば、未来はまさに厳しいものとなるだろう。
 いまその状況に取り組んでいる者たちよりもずっと賢明な方たちが、助言を提供してくれる時はそんなに遠くではない。長い間、引っ込められていたハイアラキーの手が、間もなく公に援助のために差し延べられるだろう。これを心に置いて、長い間苦しんできた世界のあの部分の将来をもっと希望をもって見ることができるだろう。そして新しい光が憎悪と戦争の暗雲を散らすのを見るだろう。
 最近、イエス覚者が、戦い合う両側の兵士たちにビジョン(幻影)で姿を現した。そして両側がそれぞれに、彼の出現は自分たちの大義について祝福してくださったものと主張している。間もなく、マイトレーヤ御自身が大勢の人々に姿を現されて、彼の援助を提供されるだろう。もしマイトレーヤの導きに従うならば、世界を健全で安全なものに戻すことができるだろう。そして中東において現在分割され疎外されている人々の、当然なる同胞愛の実践に道が開かれるだろう。(シェア・インターナショナル誌1991年5月号)

平和運動を促進する

 国家が世界のために良いと考えることのために行動を起こすことが、しばしば世界的規模の大混乱を引き起こす。彼らの行動を取り巻くグラマー(幻惑)の霧があまりにも深く、彼らの思考があまりにもイリュージョン(錯覚)に満ちているので、理由はともあれ、大きな害と多くの苦しみと災難がもたらされる。
 今日において然りである。……
 それゆえ、中東における平和がいかに必要か、パレスチナ人に本当の正義と持続可能な故国が与えられることがいかに必要かが分かるだろう。これが今日、人類の直面する最も重大な問題である。それを解決することができなければ、世界にとって悲惨なことになるだろう。
 この悪質なフォース(エネルギー)を決定的に征服するためには、ハイアラキーと人類の両方の結合した知恵と意志の力が要るだろう。かくして、この脅威の本当の性質を人間が明確に理解することが必須である。人々は組織し、統一して行動しなければならない。
 パレスチナ人の抑圧を終らせることを呼びかけ、そうしてイスラエルの人々につきまとう恐怖感に終止符を打つことである。国際連合はスーパーパワー(超大国)に立ち向かい、アメリカとイスラエルの両方にあらゆる限りの圧力をかけて、平和運動を促進しなければならない。世界の民衆はすでに行進している。彼らはその声をさらに強めて、平和が彼らのものであることを要求しなければならない。彼らが未来を受け継ぐ者たちであり、それを平和のうちにつくり上げなければならない。
 覚者であり、あなた方の兄であるわたしたちは、わたしたちの役割を果たすが、しかしわたしたちはあなた方の理解と意志の欠如によって足枷をかけられている。よって告げる。恐れることなく行動しなさい。賢明で勤勉なやり方で行動しなさい。そうすればすべてが良くなるだろう。
(シェア・インターナショナル誌2003年7月号)

マイトレーヤからのメッセージ 2008年3月27日

「……あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい──平和の必要を、
正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、
すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。
すべての人間は本質的にひとつである。
彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。……」

(パリのラジオ局「Ici & Maintenant」でのベンジャミン・クレームへのインタビューの最後に伝えられた)

「法」の条理

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人々は変化しつつある世界に生きており、それを当たり前のこととして受け入れなければならない。ある人々にとっては、これらの変化は脅威のように見え、ありがたくないだろうが、他の人々にとっては、特に若い人々には、それらの変化は両手を広げて歓迎されるだろう。あなた方の立場が何であろうとも、それは最善のためであることを保証する。なぜなら、それらの変化は時の必要を反映しており、避けられないことであり、公正である。
 人々は、これらの変化が自分たちの生活に影響を及ぼす条件を自分たち自身がつくっているということに気づくべきである。この認識が成果を上げるとき、新しい時代へのより円滑な移行が当たり前のことになるだろう。
 人々に対するわたしたち(覚者たち)の勧告はこれである――見えざる力のせいにするのではなく、われわれの時代の変容を創造していく中におけるあなた自身の役割を悟りなさい。これらの変容の中から、恍惚とした歓びがやって来ることを確信しなさい。

(シェア・インターナショナル誌2015年4月号)

マイトレーヤからのメッセージ

2008年10月26日、ドイツのミュンヘン市でスロベニアのテレビ局のインタビューの録画中に、ベンジャミン・クレームは、メンタル・テレパシーを通して世界教師マイトレーヤから次のメッセージを与えられた。

 我が友よ、よく耳を傾けなさい。わたしはあなた方すべてに希望をもたらすのであるから――あなた方の問題に終止符を打ち、正義と平和の必要を受け入れる用意のある者たちすべてのための新しいいのちへの希望を。この二つのこと、正義と平和〔の欠如〕が今日のあなた方の道にある主要な障害物である。正義と平和への道は容易に解決できる。単に分かち合いを受け入れることのみを必要とするのである。分かち合いなさい、そして未来を知りなさい〔迎え入れなさい=訳注〕。分かち合うことを拒否するならば、人類に未来はないだろう。

 人生は、知者の目で見れば、単純である。我が友よ、簡素に生きることを、そしてお互いを本当に愛することを学びなさい。
 我が友よ、あなた方が想像し得るよりも早くわたしを見ることができる、それが本当であることを信じなさい、そうなのであるから。

 わたしは今もう扉に立っており、〔扉を開けて訳注〕前に進み出て、わたしのより公の使命を始めようとしているのである。
 希望を持ちなさい、そして元気を出しなさい、我が友よ。すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう。

意識の連続性

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 今日人類の中に、意識の連続性を達成し、したがって睡眠中の体験を保持できる人々が次第に増えている。これは、情報が頭脳にまで浸透してくるのを待つ時間の浪費がなく、したがってより急速な進化を伴う。それはまた、情報のより正確な受信を保証し、より正しい行動と結果につながる。
 これが人類にとって前進への道である。目覚めている状態と睡眠中の状態の間の意識の断絶は、これまで人類が大規模に向上する障害となってきた。何にも増して、それは人類をリアリティ(実在)の本質について無知なままにとどめ、したがって迷信と恐怖の中に置いた。
 人生の3分の1近くが睡眠に費やされ、その間に多くの情報・知識が提供され、そして受信される。得ることができ、知ることのできるかもしれない体験はたくさんあり、それは各人の人生を豊かにする。意識の転移が徐々に起こる機会が大規模に提供されたことはこれまでにかつてなかった。意識の連続性を達成する用意がすでに整っている大きな集団が存在し、彼らはただそれを達成する実際的なテクニックを欠くだけである。
 このテーマについてすでに提供されている情報がより広く知られ、そして入手できるようになる処置が間もなく取られるだろう。多くがすでに授けられており、人々の学習と応用を待つ。これまでに記録され、出版された数々の教えの宝箱に気づく者は、今日ほとんど存在しない。
 この達成の鍵は、意識のメンタル(識心)体への偏極である。アストラル(感情)体と肉体の正しい整列がメンタル偏極を徐々に築いていく土台を提供する。これが達成されると意識の連続性が自然に生じる。もちろんその達成の度合いはさまざまであり、その過程はかなり長期にまたがる。
 霊的無執着の必要性について多くのことが書かれている。この特性こそが、睡眠状態から持ち越された現象や情報を正しく解釈するための場をもっとも容易に提供する。それがなければ、意識の連続があっても、多くの歪みが生じ得る。
 霊的無執着は、非自己集中の結果として生ずる。奉仕と正しい瞑想を通して、弟子の意識の方向は、限度ある自己自身から自己でないものへ転移する。これが神聖なる無執着の状態を産み出し、欲望は静まり、裡なる真の霊人が顕現することができる。
 この顕現とともに、意識の連続が始まるための道が開かれる。肉体を離れて得た体験を安全に、正確に記録し、知ることができ、弟子の人生に新しい一章が開かれる。(進化の)道の上における弟子のレベルによって、学びの殿堂か、あるいは智恵の殿堂が、彼の知識の意識的領域となる。
 これまで、睡眠状態と目覚めた状態の間の意識の連続性について語ったが、さらに大きな意識の拡大が、生と死と呼ばれる二つの大いなる体験の領域の間の溝に橋を架けることができる弟子を待っている。
 いのちのみが存在するのである。死は、いのちのもう一つのレベルの体験を指す名前であり、人間の限られた意識を除けば、いのちは連続し途切れることがないのである。われわれが死と呼ぶ体験と、その間(生と死の間)の体験と、外的顕現への復帰を、完全に覚めた意識で思い起こすことのできる時が訪れつつある。そうすると、人間は死の恐怖をなくし、神の子としての本当のアイデンティティー(正体)を完全に認識するなかで、知識と至福の内界の収穫を刈り取るだろう。

(シェア・インターナショナル誌1987年11月号)

偉大なる母

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 世界は人間が考える以上に、より良い方向に変化しつつある。時折、この惑星全体に漂う不気味な暗雲にもかかわらず、さまざまな出来事の主な傾向は肯定的で希望に満ちている。多様な手段を自在に使えるハイアラキーが突き止めることができることは、人間の目に明らかに映るものよりもずっと大きいので、これはなおさらそうなのである。しかしながら、差し迫った危険にもかかわらず、いまだに人間が無視している重大事がある。その中でももっとも主要なものは環境である。それを人間は日々傷つけていることを知っているに違いない。自然界の略奪は今やすべての者の福利を脅かすレベルに達しており、かくして人間の生来の免疫力を弱め、かつては永久に克服したと考えられた病気を再び台頭させている。

 人間は自分たちが住むこの惑星に対する責任を自覚せねばならない。人間は、強くはあるがしかし敏感な有機体の世話人なのであり、それを害から守らなければならない。これを行っていると主張できる者は今日ほとんどいない。それどころか、人間は自然界の豊かな寛大さを濫用し、その上を土足で踏み荒らす。多くの者がこの問題に目覚めつつあることは本当だが、それがすべての者の関心事として理解されて、世界的規模で取り組まれるようになるまで、方向を転換させる上での進歩はほとんどないだろう。

 もし人間がこの差し迫った困難を無視すれば、それが人類にとってどれほど危険かを、マイトレーヤが心に留めていることは確かである。マイトレーヤはすべての人間がこの惑星の復興のために働くことを促されるだろう。そしてより簡素な、より幸せな人生への道を指し示されるだろう。

 再びこの惑星が健康を取り戻すとき、それは、気遣いと愛をもって接する者すべてにその恵みを与え続けるだろう。下位王国(動植鉱物界)のエレメンタル(精霊)は彼らの任務を良くわきまえている。人間の無秩序の思考の影響から解放されるとき、これらの勤勉なビルダーたち(建造者)は、調和のうちに、新しい、より良い世界を創造することができる。

 人間が自然界をすべてのものの「偉大なる母」として理解するとき、彼女(自然界)に対して敬愛の念をもって接するだろう。かくして、偉大なる母は人間に彼女の秘密と法則を明かすだろう。この新しい知識を携えて、人間は本当に神々として顕現するだろう。

 人間は坩堝であり、その中に新しい「存在(Being)」が創造されつつある。燃えるような体験の熱の中で、人間は徐々に神のなされ方を学んでいる。最初の歩みは遅々とした、苦しいものであるかもしれないが、やがてそのペースは早まるだろう。次々に明かされていく啓示が人間の意識を拡大し、やがて創造性と知識の最高潮につながるだろう。人間は「神の子」として顕れるだろう。

 最初のステップは、現状の危険に目覚めることである。これはすでにかなり進んでおり、多くの者が世界的規模の行動に影響を与えようとしている。その他の非常に多くのことと同様に、その世界的規模の行動は、主要な国々――惑星の汚染に関する最悪の違反者――の心(ハート)の変化を待つ。

 マイトレーヤは来るべき討議に、彼の「声」といにしえからの知恵を添えるだろう。そして声を持たない者たちのために、沈黙のうちに苦しむ者たちのために語るだろう。

(シェア・インターナショナル誌2001年6月号)

偉大なる母

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 世界は人間が考える以上に、より良い方向に変化しつつある。時折、この惑星全体に漂う不気味な暗雲にもかかわらず、さまざまな出来事の主な傾向は肯定的で希望に満ちている。多様な手段を自在に使えるハイアラキーが突き止めることができることは、人間の目に明らかに映るものよりもずっと大きいので、これはなおさらそうなのである。しかしながら、差し迫った危険にもかかわらず、いまだに人間が無視している重大事がある。その中でももっとも主要なものは環境である。それを人間は日々傷つけていることを知っているに違いない。自然界の略奪は今やすべての者の福利を脅〈おびや〉かすレベルに達しており、かくして人間の生来の免疫力を弱め、かつては永久に克服したと考えられた病気を再び台頭させている。

 人間は自分たちが住むこの惑星に対する責任を自覚せねばならない。人間は、強くはあるがしかし敏感な有機体の世話人なのであり、それを害から守らなければならない。これを行っていると主張できる者は今日ほとんどいない。それどころか、人間は自然界の豊かな寛大さを濫用し、その上を土足で踏み荒らす。多くの者がこの問題に目覚めつつあることは本当だが、それがすべての者の関心事として理解されて、世界的規模で取り組まれるようになるまで、方向を転換させる上での進歩はほとんどないだろう。

 もし人間がこの差し迫った困難を無視すれば、それが人類にとってどれほど危険かを、マイトレーヤが心に留めていることは確かである。マイトレーヤはすべての人間がこの惑星の復興のために働くことを促されるだろう。そしてより簡素な、より幸せな人生への道を指し示されるだろう。

 再びこの惑星が健康を取り戻すとき、それは、気遣いと愛をもって接する者すべてにその恵みを与え続けるだろう。下位王国(動植鉱物界)のエレメンタル(精霊)は彼らの任務を良くわきまえている。人間の無秩序の思考の影響から解放されるとき、これらの勤勉なビルダーたち(建造者)は、調和のうちに、新しい、より良い世界を創造することができる。

 人間が自然界をすべてのものの「偉大なる母」として理解するとき、彼女(自然界)に対して敬愛の念をもって接するだろう。かくして、偉大なる母は人間に彼女の秘密と法則を明かすだろう。この新しい知識を携〈たずさ〉えて、人間は本当に神々として顕現するだろう。

 人間は坩堝〈るつぼ〉であり、その中に新しい「存在(Being)」が創造されつつある。燃えるような体験の熱の中で、人間は徐々に神のなされ方を学んでいる。最初の歩みは遅々とした、苦しいものであるかもしれないが、やがてそのペースは早まるだろう。次々に明かされていく啓示が人間の意識を拡大し、やがて創造性と知識の最高潮につながるだろう。人間は「神の子」として顕れるだろう。

 最初のステップは、現状の危険に目覚めることである。これはすでにかなり進んでおり、多くの者が世界的規模の行動に影響を与えようとしている。その他の非常に多くのことと同様に、その世界的規模の行動は、主要な国々――惑星の汚染に関する最悪の違反者――の心(ハート)の変化を待つ。

 マイトレーヤは来るべき討議に、彼の「声」といにしえからの知恵を添えるだろう。そして声を持たない者たちのために、沈黙のうちに苦しむ者たちのために語るだろう。

(シェア・インターナショナル誌2001年6月号)

裂開の剣

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 多くの人々は、世界にマイトレーヤが臨在されるにもかかわらず、すべてがこれまでより、いっそう険悪で不安定になりつつあると信じる。今日のさらに高まった緊張のために彼らを恐れさせ、対処する用意のない多くの問題や困難を緩和するために、ハイアラキーは何をしているのかと不思議に思う。

 本当のことを言えば、世界は用意されつつあるのである。大いなる緊張と変化の時には、人々は社会の本当の状態について限られた見解──必然的に持つのだが──で問題を見る。

 人類は、これらすべての出来事が将来に対して同じ影響と重要性を持つと思うのだが、本当の見解は、それは覚者たちのみが見ることができ、全く異なるのである。覚者たちは様々な出来事をあたかも平面上(界)で起こっているものとして見、それらを単なる可能性として見るのである。あるものは凝結して〔現実のものとなり=訳注〕世界の変化に影響を及ぼすが、あるものは全く凝結せずに、ただ立ち消えになるということを知っている。人類はその限られたビジョンで、これらの出来事すべてを彼らの将来に関連するものとして見るが、そうではないことは確実である。覚者たちの見解からすると、人類が、これほどまでに、将来がもたらすだろう新しい世界を迎える用意を整えたことはかつてなかった。これほどまでに、共通の福利のためのインスピレーションと用意の整うときに近かったことはかつてなかった。

 キリストが(われわれが想像しないほど早い時期に)戻ると言われたとき、彼は、見せかけの平和という心地良いことばではなく、剣を、「裂開の剣」をもたらしたのである。それは父と子を、兄弟と兄弟を引き裂く剣である。今日われわれが目撃しているのは、まさに「裂開の剣」の働きである。マイトレーヤの愛のエネルギーはすべての者を刺激する

 ──正義と分かち合いを愛し、そのために働く者も、世界に不和と分離を引き起こす者も同様に刺激する。このようにして、「裂開の剣」によって産み出される明確な対比を通して、人々は将来についての本当の選択を──すべての人間、貧しく飢えたる者たち、そしてマネーの男たちや世界の平和の破壊者たち、の未来のための選択を──することができる。われわれ一人ひとりがこの分割のどちらの側に真実を見いだすのかを選択しなければならない。

(シェア・インターナショナル誌2014年10月号)