グループ体験
編集長殿
2016年春にドイツで、私は講演者として瞑想と気付きについての会議に参加しました。私の話題は瞑想研究と、幼稚園や学校、大学での瞑想の活用でした。300人以上が集まり、そのほとんどが教育の分野で働いている人々が講演に来ました。私の講演の途中で、思いやりの瞑想について実演しました。人々が皆目を閉じていました。瞑想の間聴衆を導いていた時、会場内の強力なエネルギーに気づきました。瞑想後、人々は瞑想が大変効果的だと言いました。一人の女性は後日になって、瞑想の最中に自然と涙が流れたと言っていました。
今私は不思議に思うのです。直接再臨について語っていなかったにもかかわらず、おそらくマイトレーヤか覚者方のエネルギーが、この思いやりの瞑想の間に流れていたのでしょうか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、そのエネルギーがイエス覚者から送られたことを確認した】
光の出現
編集長殿
2016年5月28日はどんよりとした曇りの日で、私が瞑想をしていた時、突然まるで頭上の屋根が開け放たれたように感じ、強烈な陽の光が注ぎ込んできたのです。目を閉じていたのに、それが見えていました。あまりに明るい光だったので、日光が分厚い雲を突き破って差し込んだのか、目を開けてみましたが、そうではありませんでした。目を閉じると、再び同じことが起こり、さらに何度か続いて起こりました。あまりにはっきりとしたことだったのでお尋ねしたいと思います。それは想像にすぎませんでしたか。その光は魂からのものでしたか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、それが想像ではなく、覚者方の一人によって意図的に与えられた体験であったことを確認した】
先見の明
編集長殿
仙台での石川道子氏講演会の数日前に、郵便受けにあった私たちのチラシを見つけた女性から、電話がかかりました。その方の名前もみち子さんで、みち(名前の前部分)は同じ歩く「道」という字です。その女性はとても元気でパワフルな人で、東北弁の訛りのある大きな声で話をしました。
彼女は私に、チラシがあまりにも難しく、分かりにくくて理解できなかったので、どのような講演をするのか尋ねてきました。私は現在の困難な社会情勢と、私たちを導く偉大な教師の到来について説明しようとしました。その女性はしばらく話を聞いていましたが、さっと話題を切り替えて、自分のことについて話し始めたのです。その女性は、私たちというのは、私たちのこの体が神の宿るところだから、皆が愛と感謝を持って生きるべきだと言っていました。
そして石川さんがいくつなのか尋ねてきたので、答えると彼女は驚き、「難しくて込み入ったことを話す若い人だと思ったが。若くて、きれいで、前向きな人だ。自分は70だけど、青春だ」と言っていました。その女性から石川さんに、まだまだ青春だから、長生きするように伝えて欲しいと頼まれました。
その女性から私の名前と年を尋ねられました。彼女の夫は彼女が55歳の時に亡くなり、それからは、自分の人生だと思って自分らしく生きていると言いました。彼女から「M(私の名前)は良い名前だし、あなたも素晴らしい人だ」と言われました。彼女は私に素晴らしいボランティアの仕事を続けるように励ましてくれました。最後に彼女がまるで予言でもするように、「(講演会の日を指して)きっと良い日になりますよ」と言ってくれました。
私たちは20分間話をして、会話の間、心の中にこみ上げるものを感じていました。東北地方のどこにでもいる田舎の年配の女性が、自分のことについて話しているのに、私や石川道子さんのことをとても良く知っているという感じがして、私に励ましと講演会の日への祝福を伝えてくれたようでした。彼女の声がまだ私の耳に残り、彼女を思い出すと胸がいっぱいになるのです。
講演会当日は本当に良い日になりました! この女性は特別な方だったのでしょうか。
ありがとうございます。
M.M.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】