現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 3月 その瞬間は訪れた

その瞬間は訪れた

――覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記 2009年2月8日

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やがて人間は、自分たちが真我発見の旅路を共に歩んでいることを理解するだろう。その旅路はやがて彼らを最も聖なる御方の足下に連れて行くだろう。
この発見の旅の真髄は自分の意志で、自分で演ずることであり、同時に、知っている人々、知らない人々を含めた人類家族のすべてのメンバーによって分かち合われる。すべての人間は兄弟(姉妹)であり、唯一なる御父の子供たちであり、各人が、意識しようがしまいが、人生と呼ぶこの途方もない冒険に従事しているということはまことである。残念ながら、今日多くの人々にとって、この冒険は苦しい、自らの品位を貶めるような経験である。何千万の人々にとって、それは不公正で報いのないものであり、早く終わるほうがより良いのである。であるから、非常に多くの人々が人生を単調で骨の折れる虐げられたものとして見、子供のころ心に生じた達成や幸せについての夢は遠い過去の記憶にすぎないのは不思議ではなかろう。
人間は創造し、真我認識のうちに成長するために生まれており、それが可能となる環境が必要である。商業至上主義という恐ろしい疾病は数え切れない大勢の人間の生得の権利を奪い取り、そしてその狡猾な発展は人間の生活のすべての様相に侵食し、その凶兆の触手はすべての寛大な人間味のある感情を人々の心(ハート)から絞り取る。人類は商業至上主義の奴隷となり、その魂を失う危険にさらされている。

逆転

この災難の過程を逆転させるために、人間に何ができるか。すでに、商業至上主義の破壊的力(フォース)の徴候である現在の経済金融危機は、もはやこの化け物が彼らの人生を支配することを許さないということを、人間の必要をより良く満たすだろうより公正で健全な経済制度への優先事項を吟味し新たに評価しなければならないことを、人々に示している。
もちろん、あまり現在の危機の影響を受けておらず、この時を‘下降期’と見て、必然的な‘上昇期’への、すなわち再び前と同じように行動することのできる時が来るのを、自信をもって待っている人々がたくさんいる。それはもはや不可能である。盲人が盲人を導くことは、もはやできない。彼らはマイトレーヤのことを知らない。

この瞬間

マイトレーヤは、人間の舞台に入り彼らの旅路を助けるという御自身の約束を果たすために、この瞬間を選んだ。彼はいま出現しつつある。彼の先触れである出現の星の徴は世界中で多くの人々に目撃されており、人間の前に彼が公に姿を現すときを合図している。今日のテレビという手段を使って、彼はアメリカをはじめとして、日本やその他の多くの国々を含めて、一連のインタビューに応じるだろう。
一般の男性として、未だマイトレーヤと名乗らずに、彼は声なき人々、スポークスマンをもたない人々すべてのために語るだろう。彼は人々に、地球の資源を分かち合い、お互いを兄弟姉妹として受け入れることを呼びかけるだろう。もしわれわれが平和を望むならば、それを達成する方法は一つしかないことを示すだろう。それは世界中に正義を実現することであり、そしてその正義は分かち合いを通してのみ達成することができることを示すだろう。わたしたちは、この、われわれの、世界に住むすべての善意の男女の応えを待つ。