現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 3月 米国研修会でのベンジャミン・クレームとの質疑応答「教育、教育、教育」

米国研修会でのベンジャミン・クレームとの質疑応答「教育、教育、教育」

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「教育、教育、教育」は、米国とヨーロッパでの2008年度伝導瞑想/研修会におけるベンジャミン・クレーム基調講話のテーマであった。ヨーロッパ研修会での講話と質疑応答はシェア・インターナショナル誌2009年1月号と2月号で発表された。 以下に、米国研修会での質疑応答を掲載する。
Q 教育活動や娯楽の多くで電子機器を使う若い世代に対して、どのような影響が及ぼされているでしょうか。これは、魂の直観的な状態というよりも、より肉体的もしくは頭脳的な状態にある子供たちの霊的な成長を妨げているのでしょうか。もしそうだとしたら、その影響を軽減するために何を行うことができるでしょうか。
A 電子機器のような現代生活の道具は、神経組織に害を及ぼすこともあれば、脳に非常に多くの情報を詰め込む必要がなくなるという点で、子供たちにとって極めて有益になる場合もあります。現代の教育においては、教授されていることの9割が事実です。こうした事実が、特に先進国では、子供の脳をいっぱいにしています。コンピューターはこのようなあらゆる事実を蓄積することができるため、脳がそうした事実を蓄積しなくてもいいようにします。 良いコンピューターと悪いコンピューターがあります──つまり、事実を蓄積しなくてもいいようにしてくれるコンピューターと、遊びのためのコンピューターです。親はゲームのためのコンピューターの使用を制限すべきです。多くのゲームと同様に、それに取りつかれてしまうことがあります。テレビの見過ぎと同じようなものです。それは、エネルギーを吸い上げ、現実の生活の幸・不幸を経験するのを妨げる麻薬のようなものです。
Q 新しい教育に関連して、あなたはアリス・ベイリーのどの本を推薦しますか。
A 『新しい時代の教育』を強くお勧めします。次に、『イニシエーション』です。それから、週末が空いていれば、『宇宙の火』を読んだらどうですか! それから、光線、秘教治療、秘教星学に関する本です。全部を読んでごらんなさい。そのすべてが教育的です。それらはマインドと直観を刺激し、あなたが認識していないかもしれないあなた自身の様々なレベルにあなたを目覚めさせるために与えられています。
Q ウィルヘルム・ライヒは何年も前にエーテル物質を発見しましたが、社会によって拒絶されました。エーテル界層への放射能の影響からこの惑星を救うのに間に合うように、この仕事は認知されるでしょうか。エーテル物質は再発見されるでしょうか。科学はエーテル次元の汚染についてどのようにして発見するでしょうか。
A ウィルヘルム・ライヒは自分の実験の中で、秘教徒がエーテル物質の高位レベルとして知っているものを発見しました。ライヒは秘教徒ではなく科学者でした。彼はエーテルを探していたのではなく、その発見は実験の結果でした。どんな形態をとっているにせよ、物質のすべての様相には原始的なエネルギーが存在することを彼は理解しました。彼はそれを「オルゴン」と呼びました。 社会がライヒを拒絶したわけではありません。社会は彼のことをあまり知りませんでした。米国食品医薬品局(FDA)が彼を拒絶しました。彼は道具を、この場合は「オルゴン集積器」と呼ばれる箱を作り、「存在しない」エネルギーを蓄積して医療現場で使用したと称して投獄されました。食品医薬品局の職員にとってオルゴンは存在しませんでした。なぜなら、彼らはそれについて知らなかったからです。ライヒは自らの実験を通してそれについて知っていました。 ライヒはオルゴンを、どこにでもあるエネルギーの一つの界層と見なしました。私はそれを物質の高位のエーテル・レベルと呼びます。エネルギーの一つの界層というより、四つの界層があります。 ライヒは実験において完全に正しかったのです。オルゴンの存在を証明するたくさんの実験があります。ライヒは、その技術に手が加えられることがないよう彼自身が実験を行うという条件で、彼を告発した人々つまり食品医薬品局の目の前でそうした実験を再現することを申し出ました。その実験は再現可能です。彼は実験を行うことを申し出ましたが、拒絶されました。ライヒは獄中で亡くなりました。全く認められていませんでしたが、彼は偉大な人物でした。亡くなった時は第2段階のイニシエートでした。彼の仕事は将来認められるだろうか。私はそうなることを確信しています。 私は1948年に自宅でオルゴン集積器を作りました。同じものを作った他の人々のことも知っています。四つのエーテル界層からエネルギーを引き寄せるようにオルゴンの部屋を、というより「秘教の部屋」を作った人のことも知っています。私が作ったオルゴン集積器は第4レベルと第3レベルのエーテルエネルギーを引き寄せます。どのレベルのものが引き寄せられるかは、使用される材料によって異なります。自然界の根底にある原則を、直観や実験によって見いだすとき、自然界のすべてのものが実際にいかに単純であるかを認識することになるでしょう。 例えば、私たちが戦争を放棄し、現代の政治経済システムにまつわるあらゆる恐怖を払拭するときに人類に与えられることになる新しい光の科学は、基本的に単純です。しかし、私たちはその原則を理解しなければなりません。そうすれば、実際の技術的な過程は安全で比較的単純です。
Q もし私たちがこの転生において大宣言の日を体験するならば、次の転生において違いが生じるでしょうか。
A 違いが生じないことがあり得るでしょうか。もし大宣言の日が、ほんの少しでも私が理解していることのようであるならば、私たちの人生はこれまでにないくらい変容するでしょう。私たちすべてが、地球上のすべての人が、ある程度変容するでしょう。おそらく、どんな宗教であれ、絶対に妥協しない原理主義者たちは、そのような体験をしてもそれほどうれしくはないでしょう。おそらく、それをさほど重要だとは見なさないでしょう。しかし、それは彼らを変容させているでしょう。何らかの方法で変容することなく、大宣言の日の体験を通り抜けることができる人は誰もいないでしょう。 私たちの存在の感覚の中で起こる変化は深遠なものであり、そこから生じる感情は何週間も続くでしょう。それから、その感情は消え始めるでしょう。覚者はこう言われました。「人々はしばらくの間、忍び足で歩くだろう」と。それから、再び現実に直面することになります。問題はまだそこにあります。私たちはまだ、餓死しようとしている何百万もの人々の痛みと苦しみを抱えているでしょう。まだ、対処すべき環境を抱えているでしょう──いかに世界から地球温暖化をなくし、この惑星の破壊を阻止するか。世界の諸問題は何百万もの人々のマインドの中に再び現実となるでしょう。人々は人間であるという自分自身についての感覚を取り戻し、人生で初めて自分が価値ある存在であると感じるでしょう。人々は自分を清めてくれるような、途方もない霊的な体験をしているでしょう。覚者はこう言われました。「各人が……幼年時代の恵みを、自我欲に汚されていない志向の純粋さを、新たに経験するだろう」 人々は再び子供のようになるでしょう。人々はすべての子供が世界を見るように、恵みと、喜びの感覚と、驚嘆の念と、素朴な受容をもって世界を見るでしょう。しかし、私たちは子供ではなく大人です。ですから、人類の一部は人生を新たに体験するでしょう。しかし、子供たちが人生を体験するように、目を大きく見開いて、すべてのものを新たに、すべてのものを発見し、すべてのものを驚くべき素晴らしい、純粋なものとして、すべてのものを信頼しながら受け止めるでしょう。何千年もの間で初めて、信頼の感覚が人類の間で高まるでしょう。 誰も人生を十分には信頼していません。すべての人が心をかたくなにし、商業主義のせいで心をかたくなにしなければならないと感じ、市場だけが重視されるところで、生きていくために苦闘しています。 市場のフォースは世界を破壊へと駆り立てています。それに沿って進むか、それと戦うかのいずれかです。その戦いによって影響を受けず、商業主義そのものによって影響を受けずに純粋で素朴なままでいながら、そのフォースと戦うのは困難です。人々がこう言うのはとても簡単です。「私も同じ意見だ。世界には正義がなければならない」と。しかし、もう少し多くのポンドやドルを手に入れる機会があれば、その機会が訪れたときにそれを受け入れてしまいます。商業主義はとても狡猾です。それは、自分は貪欲など持っていないと考えるすべての人の貪欲につけ込みます。それは、自分は競争的ではないと信じる人々の競争につけ込みます。この国で生まれ育って競争的にならずにいることはできません。競争は、あなたのまさに男性としての女性としての有りようの根幹をなしています。 しかし、それは真実ではありません。真実の正反対です。あなた方は過去200年間、大きな嘘をつかれてきました。商業主義という嘘が、アメリカだけでなくアメリカの影響を受けたすべての国々で、すべての人々の人生に対する態度を特徴づけてきました。それは地球上にいるほとんどすべての人です。この国は今日、世界で最も大きな影響力を持つ国です。残念ながら、その影響力は悪いものです。 協力は人類にとって、いのちの本質です。人が自分の真の内的な存在を魂として見いだすとき、競争は商業主義という嘘と共に、ひとりでに衰えていきます。マイトレーヤは商業主義のことを、原子爆弾よりも生命にとって危険だとしています。それはとても狡猾であり、人間の最悪の様相、つまり貪欲と利己主義を引き寄せます。商業主義によって非常に簡単に腐敗させられます。 人々が奉仕を困難だと感じるのは、奉仕が利他的であるときのみ、適切に奉仕することができるからです。奉仕が利他的でなければ、そして自分の自由意志から行われるのでなければ、奉仕ではありません。奉仕は自発的に喜んで、それが正しいことだから行うというのでなければなりません。 商業主義は、競争と貪欲を伴いながら、その進路を邪魔するすべてのものを勝手に踏みつけていきます。もしあなたが勝たなければならないとしたら、やることすべてにおいて一番にならなければならないとしたら、ひどい生活を送ることになります。あなたは奮闘し、緊張し、いのちの中心ではなく、いのちの境界で生活を送ることになります。 いのちの中心には競争がありません。すべての人が例外なく神聖です。その神聖さは異なったレベルで表現されており、それが唯一の違いです。すべての人が神聖であり、すべての人が必要とされており、すべての人が役に立ち、すべての人に価値があり、すべての人が重要です。そうだとしたら、なぜ競争するのでしょうか。なぜあなたは一番になり、人より先んじて、勝たなければならないのでしょうか。そして、一番になり、先んじるために、勝つために必要なことをすべて行わなければならないのでしょうか。どうやって世界一になることができるのでしょうか。 レースでは、他の人より0.6秒だけ速く走れば、最も優秀なランナーになるでしょう。しかし、だからどうしたというのでしょうか。スポーツで競争することは楽しいものです。誰かがより速く走ったり泳いだりしたいと思っていることやメダルを取りたいと思っていることは理解できることです。それは子供の遊びですが、大人になってから子供のように遊ぶことは楽しいものであり得ます。しかし、私が競争という言葉で言おうとしたのはそのことではありません。競争とは、一番になりたい、一番多く持ちたい、一番賢くなりたい、一番物知りになりたいという、徐々に腐食していく要求のことです。それは心を蝕んでいきます。
Q 私たちは一体感を経験しているか分離を経験しているかのどちらかであり、両方を同時に経験することはできないとあなたは言いました。来る日も来る日も、たいていは一体感をもって生活する方法について、どのような提案をしていただけますか。
A それは、私たちが人類と呼ぶ集団に属しているという内的な感覚です。私たちは人々の集団であるだけでなく、私たち人類は世界における一つのエネルギー的なセンター(中心)となっています。そのようなセンターが三つあります。神の知が顕現するセンターである人間王国、神の愛が表現されるセンターであるハイアラキー、そして神の意志と目的が知られるセンターであるシャンバラです。これらが地球上の三つの偉大なエネルギー・センターです。人間王国は、知ることやマインドの成長に関わっています。私たちは人間のマインドの様相を完成させることに関わっています。 人間の肉体は多かれ少なかれ完成しています。ほんのわずかな変化、意識の増大があるでしょう。特に目においてそうした変化があり、エーテル視力をもった子供がますます多く転生してくるにつれて、エーテル・レベルが見えるようになるでしょう。そのような子供はとても多くなるので、エーテル界は現実のものとして認知されるでしょう。 神性の知の様相、つまりマインドの様相を完成させるというのは、途方もなく大きな責任です。この拡大鏡、この眼鏡、このりんごジュースのカップ、このテーブルを思考によって創造することができるようになるまで、私たちはマインドを発達させていくでしょう。これは不可能なように思えるかもしれませんが、例えば火星では、すでに現実になっています。 火星人は思考によって、私たちがUFOと呼ぶ宇宙船のほとんどを製造します。何マイル(何キロ)もの長さのものもあります。あらゆる種類の実験室と宇宙船を搭載した6キロから8キロの長さもの宇宙船が大気圏のすぐ外にいて、宇宙空間に浮かんでいるのを想像することができますか。その母船は格納庫を開け、宇宙船を次々と外に出します。それは一つの町のような巨大な建造物ですが、それでも、それは思考によって造られた宇宙船なのです。 このテーブルを思考によって創造することを想像できますか。人類は、現代文明のあらゆる加工品を思考によって創造するようになるほどマインドを発達させるでしょう。始めは、そしてしばらくは、そうでないかもしれませんが、あまり遠くない未来に、思考するとはどういうことなのかについての概念が変わるほど、人間のマインドは拡大するでしょう。 思考するとは、思考によって創造する能力のことです。絵画を創造するとき、あなたは思考によって創造しているのです。あなたの思考がその絵画の中に入ります。それは偶然に起こることではありません。アイディアを持っていなければなりません。キャンバスなどあなたの手段が何であるにしても、物質界の表層にそのアイディアを表現するためには、手と目の調整力をもたなければなりません。あなたの手段が音楽であるならば、一つの曲を作る音の連続のすべてを思考によって創造しなければなりません。 モーツァルトはそれを行いましたが、あなた方が考えるように、彼が書き留めることのできた書き出された音楽を見たわけではありません。内的な目で音符を見て、それを写し取ったわけではありません。彼は平面的な絵画のように音楽を見たのです。しかし、それを絵画としてではなく、音楽として理解しました。彼は描かれたものとして見たものを、音楽用語で写し取りました。それを見ることで、その音楽がどのようなものになるべきかを知りました。それが創造的なマインドです。 それはあなたの受容性に、あなたのマインドがどのように働くかにかかっています。視覚的な感覚を持っている人は絵を描くでしょう。音楽的な感覚を持っている人は音楽を書くでしょう。両方の人にとって、それは同じ活動です。創造的なマインドがそれを行っています。私はマインドという言葉によって、頭脳のことを言っているのではありません。マインドは頭脳とは違います。 科学者たちはいまだに、私たちがそもそもマインドを持っているのか、あるいは脳だけかについて議論しています。私たちが脳を持っていることを彼らは知っています。なぜなら、それを見ることができるからです。実験を行い、脳の手術を行うことができます。しかし、マインドに関しては手術を行うことができません。マインドは脳よりも大きなものだからです。それは接触によって脳と関係していますが、脳とは別なものです。 マインドは、空間にある帯(ベルト)のようなもので、その中に覚者方のアイディアや公式が置かれます。こうしたアイディアなどを使用する機が熟せば、人類の敏感なマインドがそれに波長を合わせます。アインシュタインのような科学者は偉大な科学的理論を発見します。実際的で技術的な科学者は、例えばコンピューターを開発する方法を発見します。そのすべてがマインドベルトに置かれます。アイディアを引き降ろし、使用可能なものにするには、発見者や科学者や画家や音楽家の敏感なマインドが必要です。 私たちがマインドをもっと発達させるとき、私たちは工場のつくりかたを発見し、その工場の中で、必要とされるすべてのものをつくり出すロボットのような道具を創造する方法を発見するでしょう。それは途方もないことですが、すぐにやって来ないにしても、もう間もなくでしょう。
Q 家族に関してはカルマがとても重要であるとすれば、養子縁組はどうなのでしょうか。誰が孤児を養育すべきですか。
A 孤児は、母親と父親がいる安定した環境、その子が必要とする愛、そして望むべくはほとんどの子供が親から受ける知恵と条件づけの欠如、これらを子供に与える能力をもつ人々によってのみ養子にされるべきです。これは理想です。すべての人は条件づけられています。なぜならすべての人は、その親のせいで自分自身が条件づけられている人々の子供だからです。親は子供に、自分のグラマーや偏見や希望や恐怖を伝えます。子供は親が抱いている根本的な恐怖やグラマーの束縛を受けながら育ちます。それは養子にされた子供にも当てはまります。 養子にされた多くの子供にとっての選択肢は孤児院に行くことです。そこで彼らは通常、同じように見捨てられたり放置されたりした子供の大きな集団の一員となります。彼らは一緒に、しばしばほんのわずかな愛しか持たない人々、子供の面倒を見たり、子供が必要とする健全さと愛情をもって育てる方法を学ぶ機会さえほとんどない人々によって育てられます。 もし、ある家族へ養子にやるのか、それとも施設で暮らすのかという質問だとしたら、十のうち九までも、家族の方がいいと言えます。あらゆる欠陥があるとしても、家族は間違いなく、子供を育てるには最も良い単位です。養子縁組による家族には、血縁による家族に普通あるようなカルマ的な状況がないでしょう。結んだりほどいたりしなければならないひもや結び目はないでしょう。家族という単位はそうする機会を提供します。しかし、養子縁組による家族には、愛を通して開発することのできる愛や関心や信頼、子供に対する健全で非競争的な接し方があるかもしれませんし、そうしたものがあることが期待されます。 2人か3人の他の子供がいる大きな家族の養子になることが、おそらく最も良い環境でしょう。それは子供が必要とするものの大部分を提供します。たぶん始めのうちは両親とだけいる方がいいかもしれませんが、長い間、そうであるわけではありません。すでに幸せで確立されている大家族の一部となることがおそらく最も良いでしょう。そのような家族は、新入りに対して健全な見方を提供し、その新しい家族の子供たちはその新入りを愛し、心を開いて受け入れてくれるからです。
Q 覚者は「家族」という記事で、望まれないで生まれた子供を養子に迎える夫婦のことよりも、人工受精によって子供をもうける同性愛者のことを語っているのですか。それとも、そのようなカップルは同じくらい助けにならないのでしょうか。
A 覚者は両方について語っています。男性の同性愛者は子供をもうけることができません。彼らは養子をもらわなければなりません。女性の同性愛者は人工受精によって子供をもうけることができます。覚者が両方のケースについて語っているのは、どちらのカップルも、母親と父親という必要とされるものを提供できないからです。なるほど多くの同性愛者のカップルは、どちらかの方法──養子縁組か人工受精──によって子供をもうけて世話をし、子供の幸せだけを考えながら完全な愛と優しさをもって育てていると言えます。しかし原則としては、それは子供にとって助けとなりません。その子供自身の情緒的な構造を発達させてくれる男性または女性が欠けているからです。どちらの場合も、必ずしもカルマ的な結び付きはないでしょう。ひょっとしたらあるかもしれませんが、子供と親を一緒にする明らかなカルマ的な結び付きはないでしょう。 一般的に言って、それは人類全体にとって、そして大計画に関連した人類の発達にとって助けになりません。覚者はいつも大計画との関連で語っています。大計画は定められています。覚者方は大計画の守護者です。大計画はこの惑星のロゴスのマインドの中にあります。覚者方は、大計画を本当に知っている世界で唯一の方々です。彼らの直近の弟子たちの一部は大計画に関する十分なアイディアを持っているかもしれません。しかし、覚者方はロゴスの大計画を知っている唯一の方々です。それが彼らの関心のすべてです。すべてのものが大計画の推進に連動しています。このケースでは、大計画の理念に従って子供と人類にとって最善のことが行われています。人々はそのことを考慮しない傾向がありますが、覚者方は間違いなく考慮しています。彼らは同性愛者の養子縁組や人工受精に関連した関係を大計画にとって助けにならないと見なしています。
Q 三重の教育──身体的、情緒的、知的な教育;心の正直さと生気の誠実さと無執着;そして思考と感情と意志、これらの間には関係がありますか。これらのことをすでに実施しようとしている学校もあります──サイババ、シュタイナー、クリシュナムルティの教えに基づいた学校です。コメントをお願いできますか。
A 私たちは三重の構造をもっています。モナッド、つまり神の閃光であり、聖なる魂として魂自身のレベルに反映しています。また認識していないにせよ、私たちは魂の入ったパーソナリティーです。すべてのものが三つで働いています。最高点にいるとき、私たちは神の閃光、神聖なるもの、霊的なものを反映しています。最高点に近いところにいるとき、私たちは魂を反映しています。それは仲介者です。魂と正しい関係にあるとき、魂がその反映であるものとも正しい関係にあります。同じことです。 物質界のパーソナリティーのレベルでは、魂とのある程度の接触はあるかもしれませんが、仲介者である魂を経由しなければ、最高の様相、モナッドとの接触は全くありません。魂は、それ自体の反映である肉体人間としてのパーソナリティーをモナッドとの正しい関係に導くまではいつまででも、仲介者として働きます。 私たちには肉体、アストラル体、メンタル体がありますので、すべてのものが必然的にこれら三つのものを通して反映します。心の正直さは明らかにマインドと関係しています。たいていの人は心の正直さを持ちません。私たちが自分のマインドの習慣的な使い方について考えてみれば、一つのことを考え、別のことを言い、また別のことを行うことが多いことに気づくでしょう。思考から行為までの直接的な線はありません。 生気(スピリット)の誠実さは敏感な、感情的なアストラル体に関係しています。このことについて考える最良の方法は、本当に愛している人と、あるいは自分が信頼する仲間や旧友と語り合うことについて考えることだ、とマイトレーヤは言われます。あなたはその人とならば、正直に話します。自分のことを大目に見てくれるだろうとは期待しません。そのような人をごまかそうとしたり、自分をよく思ってほしいと努力したりしません。彼らがあなたに対して率直であり、あなたが自分自身について信じ、思い、感じているとおりに、腹を割って語ってくれることを期待します。二人の古い友人だけが腹を割って話をすることができます。そのような話し合いの中では、お互いを信頼し、相手をありのままに受け入れます。生気の誠実さは明らかに、心の正直さと関連しています。この二つはそれほど違いません。 無執着とは最高のレベルのもの、魂の無執着のことです。魂は執着を持ちません。魂は何も欲しがらないし必要としません。魂は大計画に奉仕したいという欲求のみを抱いています。魂は男や女としてのその反映を、大計画に奉仕する立場につくように影響力を及ぼします。そのためには、いわゆる長い時間がかかります。魂の観点から見て、時間はありません。それは終わりのない永遠の展望であるため、魂は急いでいません。しかし、魂は常に、来る生涯も来る生涯も、ますます無執着を発達させるようその器に印象づけます──それは自分を肉体として見ることからの無執着、心の不正直からの無執着、生気の不誠実さからの無執着、愛してもらう必要、優しく扱われ、甘やかされる必要からの無執着です。 もし人が本当に無執着であるならば、不誠実さに影響されません。それは不快なことであり得ますが、そのような種類の不誠実さは、その人の人格の中心にとって気持ちの乱れにすぎません。人々は自分自身に無執着ではありません。愛してもらいたいと思っています。人々はいつも愛に飢えています。どこかに帰属したいと思っています。気分が良くなるようにしてもらいたいと思っています。鼓舞されたいと思っています。このようなあらゆるものを欲しがります。 ともかくも魂のレベルから働いているならば、あなたは根本的に、ますます無執着になります。そのような無執着さは最高のものであり、それが目標です。無執着になればなるほど、ますます心(マインド)は正直になり、生気(スピリット)は誠実になります。心(マインド)が正直になり、生気(スピリット)が誠実になればなるほど、ますます無執着になります。これら三つのものは一緒に働きます。 これらは、教えの基礎としてマイトレーヤによって提示された、鍵となる三つの事柄です。もし私たちがこの三つのことを本気で実践さえすれば、多くのことを達成するでしょう。自分がなしたこと、言ったことに非常に無執着で正直で誠実になって、今頃は道の半分を踏破しているでしょう!
Q 宗教や瞑想を実践する以外で、幼い子供が内在する神を知り、それと接触し、それに表現を与えるよう親が教育する方法について、幾つか例を挙げていただけますか。
A 間違いなく最も良い方法は模範によるものです。子供たちに神について話すのではありません。幼い子供は神について何も知りません。彼らが自分の裡に神を見いだし、神についての感覚を自分で表現するのに任せるべきです。彼らに神についての想念形態を与えたり、魂を顕現させるために瞑想を与え、規定を定めたりするのではありません。模範によって教えるのです。子供たちはスポンジのようなものです。彼らはあなたが彼らに提示するものを吸い取ります。彼らに対してあなた自身を、何でも知っており、あらゆる苦しみを味わい、忍耐強く、愛にあふれた人間として提示するのですよ(つまりいつも踏みつけられている玄関マットのような人!)。すると、彼らはそれを受け入れ、魂の特質を現すでしょう。 あなた方は喜んで、子供に対して完全に自分自身を捧げようとしなければなりません。一体、どれだけの人にそれができますか。人々は通常、やるべき仕事を持っており、多忙であり、自分自身が恐れを抱いています。そのような恐怖心や慌ただしさを伝えざるを得ません。誰も時間がありません。人々は、時間と呼ばれるものによって支配されています。それは生きる道ではありません。 時間というものはありません。それは飛行機や列車などに乗るための便宜にすぎません。しかし、生きること、理解すること、成長することのためではありません。何か価値のあるものをやるのに長い時間がかかるとすれば、長い時間がかかるでしょう。もしそれが価値のあるものであれば、時間がかかります。もしそれに価値がなければ時間を費やさないでください。 子供たちにあなたの時間、あなたの献身、あなたの愛を捧げ、あらゆる質問に答える用意をしてください。子供はそれを必要とします。彼らは模範を必要とします。宗教を与える必要はありません。それは最もしてはいけないことです。瞑想を与える必要もありません。彼らはその用意ができていません。彼らにあなたの愛を与えてください。
Q なぜあなたは「新しい教育」と「光の時代」という二つの記事を一組にして話をしたのですか。
A それらは三つのものの一部を構成しているからです。「新しい教育」と「光の時代」と「家族」は幾つかの重要な点で関連しています。「新しい教育」は、外的な世界における教育、学校やビジネスなどあらゆる状況における教育に関するものです。「光の時代」は、その時代がもたらす教育への新しいアプローチに関するもの、そして「家族」は、最も身近な意味で、子供や家族への教育をどのようにして最善の形で行うことができるかに関するものです。それら三つの記事は、互いに密接に関連した教育の三つの様相を伝えていると思います。覚者は非常に多くの記事を書いてきましたが、しばしば、同じ主題について違った書き方をしています。私はたぶん、別の三つの記事を取り上げ、それを使って同じことをすることもできたでしょう。
Q 将来、10代の若者は集団で仲間と一緒に生活するでしょうか。
A そうする者もいるし、そうしない者もいるでしょう。すでにそうしている者もいます。それは世界中で繰り返される特定の状況ではありません。アメリカやヨーロッパのような世界の一部の地域では、おそらく一時期、集団で自立しようとする者もいるでしょう。10代の若者は、自分たちだけでは十分に成長することができず、社会に出ていくためには、もっと年をとった人々、たぶん親や何らかの種類の教師が必要だということを理解するようになるでしょう。長期間、社会とのつながりを断つことはできません。社会とは全体であり、彼らもその全体の一部です。しかし、こうした線に沿った、多くの異なった方向における実験が行われるでしょう。
Q 教育の役割の中での個人的な体験──例えば、大宣言の日──の価値について述べていただけますか。
A どんな種類のものであれ、個人的な体験ほど価値のあるものはありません。大宣言の日の個人的な体験は、途方もなく大きな変容をもたらすでしょう。人々は変容したように感じるでしょう。おそらく数週間、人々はそれまでと違ったように感じ、振る舞うでしょう。お互いが好きになるでしょう。路上で「こんにちは」と言うでしょう。体験こそが、あらゆるものの中で最も良いものです。誰かから聞いたことよりも、体験から、あらゆる点でより多くのことを知ることになります。あなたの体験が、このことが本当だということを告げます。誰もあなたからそれを取り上げることはできません。私はキリストが世界におられることを知っています。なぜなら、それを体験したからです。それについて話すとき、私は検討してもらうためにそれを提示します。しかし、私はそれを知っています。そのようなわけで、確信をもってそれについて話すことができるのです。それは私の体験の一部です。体験に由来するものは何でも、誰か他の人から聞くことよりも、ずっと大きな変容をもたらすでしょう。
Q 子供の性質を見極めるために、光線構造や進化段階を知るにあたって、私たちはどうやって準備をしたらよいですか。
A 光線に関するアリス・ベイリーの本が2冊あります(『秘教心理学』第1巻、第2巻)。それを勉強しなさい。何年間もかけて、本当に勉強しなさい。人々は2週間で1冊の本を読み、それから自分の光線構造を推測します。もちろん、全く間違っています。2週間で何を学ぶことができるでしょうか。本当に光線を知るようになるまで勉強しなさい。それは本能的に分かるようになるのです。
Q 第3光線のマインド(メンタル体)について話していただけますか。
A 第3光線は、内省的で創造的な、高位抽象マインドの光線です。それは哲学と高位の教えの光線です。それは適応性の光線でもあります。 第3光線のマインドのグラマーは、そのマインドを操作的で信条のないものにし得ます。グループのすべての人と接触しており、すべての人の糸を引っ張る「巣の中心にいる蜘蛛」のように働きます。その活動範囲の中にいるすべての人を支配したがります。一緒にいるべきでない人々を一緒にし、一緒にいるべき人々を離れ離れにします。その環境の中にいるこうした構成員を操作し、すべての中心にいると感じます。すべての人と接触したがります。すべての人が行い、考え、感じていることを知り、彼らを対決へと導く者でありたいと思います。支配するのを好みます。第3光線のメンタル体のこのようなグラマーが特定のタイプの人物を生み出します。 それと第6光線のグラマーとの組み合わせは、私の考えでは、最悪の組み合わせとなります──世界にミロシェビッチのような人物を生み出します。ミロシェビッチは共産主義者として登場し、民衆に世界を与えましたが、自分や自分の妻、自分の党のために民衆からすべてのものを取り上げ、チトー(大統領)が亡くなるとすぐにボスニア・ヘルツェゴビナに軍隊を送り込みました。これは第6光線と第3光線の組み合わせの特色をよく示しています。
Q 世界の生徒たちの光線構造、進化段階、魂の目的が知られるようになるまで、どのくらいかかるとあなたは推測しますか。これはどのような仕組みによって起こるのでしょうか。それらを明らかにするために誰がどのように訓練されるのでしょうか。
A 覚者方が世界に出てこられて、彼らの弟子たちが光線構造や進化段階や魂の目的を認知し、分かるように訓練されるまでは不可能でしょう。この子の魂の目的は何か。光線構造の中に具現されている魂の主な目的、その個人的な目的は何か。そのようなすべてのことを見極めるには、訓練を受けた人々が必要とされます。覚者方の弟子たちが人々を訓練するでしょう。 もちろん、覚者方にはそうすることができますが、彼らが世界のすべての生徒を引き受けることはないでしょう。最終的に世界には、最大でも40名の覚者とマイトレーヤがいるようになるでしょうが、当面は14名の覚者とマイトレーヤです。もっと多くの覚者がいつ来られるかは分かりません。それは、人類がどの程度まで喚起的な欲求を抱くか、実施し得ることを実施したか、学び得ることを学んだか、可能な限りの訓練をいつ受け得たか、これらのことにかかっているでしょう。より多くの要望が出されるにつれて、もっと多くの覚者方がやって来られるでしょう。人類に対して安全に解放することができるものは、何も差し控えられません。私たち自身が私たちの行動によってその可能性を制限するのです。 世界の生徒たちの光線構造、進化段階、魂の目的がいつ知られるようになるのかについて、見通しを述べることはできません。
Q 覚者によって描かれた教育目標の概略に教師が自分自身を適合させるために、あなたは今、教師たちにどのような行動方針を勧めますか。
A もっとたくさん読みなさい。吸収できる限り、たくさんの本を読みない。本は入手可能ですが、深く読む人はほとんどいません。必要はそこにあるのですが、必ずしも知られていません。ですから、そうした必要は、少数の人々のマインドを除いて持ち上がっていません。しかし、もっと大きな規模で持ち上がるとき、それによってより多くの光、イルミネーション、智恵、もっと多くの実験、これらに対する要求が生まれます。訓練を受けた人々が前面に出てきて、他の人々を訓練し、そうして訓練された人々がまた他の人々を訓練するでしょう。それにはどのくらいの時間がかかるのか。あなたは急いでいるんですか。
Q マイトレーヤはロンドンで教育者たちを訓練している、とあなたは何年か前に言いました。それはまだ続いていますか。
A 私が知る限りでは、続いています。マイトレーヤは教育者たちを訓練しておられます。非常に単純な形の訓練や再教育を受けている人々がおり、反抗的な学校の子供たち──乱暴で、教えるのが難しく、人生の目標を持たない子供たち──への対応を引き継ぐグループも幾つか結成されています。それがどのくらい進展しているかは分かりません。しかし、こうした実験は行われています。 子供たちは非常に単純な呼吸統御の瞑想を与えられます。それは、こうした疎外された子供たちの思考の方向を変化させることを狙いとしています。彼らは、自分たちがその一部である社会から完全に疎外されています。社会は彼らに何も与えてくれないと感じています。彼らが社会に対して要望したいことがあります。それを言葉に表現できないかもしれませんが、社会から何か──仕事、金銭、自由、正義──を得たいと思っています。しかし、このどれも手に入れることはできません。そのため、「怠け者」、「不良」、微罪を犯す者と見なされてしまいます。マイトレーヤはそのような若い人々に関わっている少数の訓練を受けた人々と共に、単純な療法を開始されました。それはほんの少しの時間で彼らの見解全体を変えてしまいます。 それは呼吸法から始まり、それによって彼らは自分自身を、真我を感知します。それを毎日、1日に数回行ううちに、自分自身のアイデンティティーについてのますます強い感覚を得ることになります。 どのようにして自分たち自身を準備するか。アリス・ベイリーの本を読み、本当に勉強してください。お望みなら私の本を読むこともできますが、アリス・ベイリーの本は、あなたが求めていると思われるものを取り上げています。
Q 出現しようとしている覚者方と、教師や教育者としてのこの役割を担うシェア・インターナショナルのグループとの関係は、どのようなものになるでしょうか。
A あなたがその関係をどのように活用するかにかかっています。出てこられる覚者方はすべて同じ仕事をするわけではありません。彼らはかなり専門分野に特化しています。時には専門分野が重複することもありますが、彼らにはすべて、自分自身の仕事の系統、自分自身の弟子たちのグループがあります。彼らは身近な弟子たちと一緒に働くでしょう。弟子たちは──政治や教育など──あらゆる部門にいるかもしれません。 教育に関わっている人々は、この(私たちの)グループの人々と一緒に働くかもしれませんし、働かないかもしれません。このグループは他のグループが知らない特定のことをいくらかでも知っています。この仕事を行ってきただけで、幾つかの秘教的なアイディアをいくらか理解するようになりました。人間の真の構成、人生の目的、魂の性質などについての様々な知識を一般大衆に伝えるにあたって、途方もない奉仕を行うことができます。問われる何千もの質問に答えることができるでしょう。一般の人々は知りたいと思うでしょう。シェア・インターナショナルのウェブサイトは注目の的になり、質問であふれんばかりになるでしょう。そのような質問がすでに一般の人々から寄せられています。 私はすでに一般の人々からたくさんの質問を受けています。こうした質問には答えが必要ですが、私がそれに答えることのできる唯一の人物になることはできません。この部屋にいるすべての人が、寄せられるあらゆる質問に答えることができます。それ自体、奉仕の分野です。それが覚者方自身とどのように関係するようになるのか、私には分かりません。
Q 放射能対策のためにホメオパシー療法を行うことは有益ですか。役に立つ別の防御手段はありますか。それとも、それを大気中から除去することができるまで、私たちは行き詰まったままでしょうか。
A 宇宙の兄弟たちが、放射能の影響を中和するために、(人類の)カルマの法則の範囲内で最善を尽くしています。それは途方もない援助です。覚者方も放射能の影響を中和する方法や手段を持っていますが、世界で公に働くようになるまで、それに深く関与することはないでしょう。すでに、覚者方と宇宙の兄弟たち、特に火星と金星の兄弟たちは連絡を取り合っています。彼らは、カルマの法則の範囲内でより多くの放射能を中和する方法や手段を編み出しているところです。現在のところ、カルマの法則によって制限されています。 宇宙の兄弟たちが人類に受け入れられるようになり、彼らの存在についての認識が高まり、彼らは本当にここにいて人類を助けていると見なされるようになるにつれて、方法や手段は開けていきます。それは、人類に爪をくい込ませている完全に堕落した異星のけだものとして、各国政府によって、特に米国政府によって実際に提示されているものに取って代わります。それは、大きなカルマ的な恩義のある宇宙の兄弟たちに対するひどい誹謗中傷です。 私が知っている放射能の療法はありませんが、身体が放射能の影響を受けている人々はホメオパシー医のところに行ってみたらよいでしょう。そのホメオパシー医次第です。あなたに良い影響が返ってくるような特定のワクチンが作れるホメオパシー医であれば、あなたはおそらく放射能の大半を除去できるでしょう。それを行うことは可能ですが、ホメオパシー的な意味で非常に賢く,エネルギー的な意味でよく理解できているポメオパシー医が必要です。そのような人がこの国に存在するかどうかは分かりません。 おそらく、放射能を中和させると主張する治療薬が市場にはあるでしょう。しかし、その主張がどれだけ正確なものかは分かりません。私はこの質問に対する完全な答えを知りません。しかし、これは大衆的な意味で発見され開発されるようになることは知っています。ホメオパシーによって、私たちが話しているより高位のレベルにある放射能を身体から除去することは可能です。
Q もしエーテル・レベルの放射能の危険を測定することができないとすれば、原子力発電所を廃止する必要に関して、政治家にどのように影響を及ぼすことができますか。
A この国で何かをやるにはどうしますか。あなたは抗議しなければなりません。非常に多くの人がそれについて語らなければなりません。そうすれば、政治家は注目します。彼らはあなたが言うことを一言も信じないかもしれませんが、注目せざるを得ません。 マイトレーヤが公に話し始めるとき、彼はこのことについて話されるでしょう。彼は質問に答えて、世界中で何十基もの原子力発電所を建設する計画は破棄されなければならないと非常に明確に言われるでしょう。それは未来のやり方ではありません。それは人類と低位王国にとって危険であり有害です。 あなた方は行動を起こすように刺激されるでしょう。原子力発電に関するこの懸念の高まりを耳にするやいなや、あなたの声を加えなさい。デモ行進を行い、新聞や雑誌やブログに投稿し、そのことを知らせなさい。 人類は強い力を持っています。人類はその力について全く分かっていません。適切に教育された大衆世論よりも強力なものはありません。マイトレーヤは、現在の商業主義を打倒し、分かち合いと正義の原則をもたらすために、そのような大衆世論の形成を頼りにしています。それを行うのは私たち自身です。他の誰も行ってくれないでしょう。あなた方はそれについて知っていますから、ボールを転がし始めることができます。それはひとりでには転がらないでしょう。私は自分が知っていることをあなた方に伝えていますが、それは一般には知られていません。私には情報を得て、それをあなた方に伝える方法や手段があります。あなた方が、それを知る必要がある人々にどんどん伝えていけば、将来において放射能や原子力発電所やその他のものが使用されるのを阻止する防壁を築くことになります。高レベルの放射能の危険は一つの要因にすぎません。私は最悪なものに言及しただけですが、原子力発電に関わるすべての要素が危険です。
Q 魂が浸透した人間にはどのような特徴がありますか。私たちはどのように魂の浸透を顕現させますか。
A 私たちはそうしていません。それが問題なのです。 魂が浸透した人間とはどのような人間か。想像できる限りの最も優れた人を思い浮かべてください。賢くて、親切で、知識と、光と、すべてのものへの敬意にあふれ、いのち、正義、分かち合いへの熱意に満ちた人です。それらが、いくらか魂が浸透した人の特徴です。
Q 直観の使用は、私たちが教育を行うのをどのように助けてくれますか。教育は直観を発達させるのにどのように役立ちますか。このことは、魂としての人々の教育にどのように関連していますか。
A 魂の様相である直観の能力なくして、そもそも人を教育できないと思います。直観がなければ、自分が教育している人の必要を感じ取ることができません。例えば、14歳から18歳までの人々を教育しているのであれば、彼らがどのような進化段階にいるのかを感知することができる必要があります。必ずしも1.358段階だとか0.72段階だと言う必要はありません。それほど正確である必要はありません。しかし、第1イニシエーションに近づいているとか、おそらく第1イニシエーションを受けているが、それをあまり超えてはいないだろう、というくらいのことは分かります。彼らがあなたに提示するものから判断して、彼らは大体1.5段階か1.6段階であり、アストラル体からメンタル体へと極性を移行させているかもしれません。直観の使用によってこれを感知することができます。その直観は実際の知識、経験に基づいています。それが最も大事なことです。しかし、直観は主として魂の機能であり、もしあなたが魂として機能していれば、あなたは知っているから知るでしょう。 しかしながら、知っているから知っているのだと考える多くの人々に私は会ったことがありますが、彼らは間違っています。彼らが直観と受け止めるものは全く直観ではありません。単に彼らのグラマーです。知識と間違えられるグラマーがあるのと同様に、直観と間違えられるグラマーがあります。グラマーと直観を識別できるようにならなければなりません。 直観は、魂自身の界層ではすべてのことを知っている魂の能力です。魂は過去、現在、未来を知っています。魂は時間に関与しておりません。私たちが直観と呼ぶ魂の一つの様相は、意識を引き上げて魂の波動に近づけるにつれて発達していきます。 あなたは絵をどのようにして描きますか。直観によって描きます。画家は何を描くかをどうやって知り、音楽家はどんな音符を書くのかをどうやって知るのでしょうか。何かがその人を導いています。モーツァルト、ベートーベン、レンブラント、レオナルド・ダ・ヴィンチは、直観によってそうしていました。キャンバスがありますが、それには何も描かれていません。五線譜の入った用紙がありますが、音符は書かれていません。それがどのようにして、例えば音楽の傑作、交響曲になるのでしょうか。キャンバスはどのようにして絵画になるのでしょうか。キャンバスは絵画を支えるものでしかありません。どのようにして絵画を得るのでしょうか。画家はそこに何を置くべきかをどうやって知るのでしょうか。色に関しては、赤、黄、青、緑、紫などを置くことができます。それらすべての色域を使うこともできますが、たいていの画家はそうしません。そうする画家もおり、あなたはその結果を目にします。何かがあなたに選択をさせます。あなたに選択をさせるものは何でしょうか。あなたは赤や青、あるいは黄や紫を選択します。その色の一定の色相と、その色相の一定の色調を選択します。常に一つの色の色相と色調を、別の色の色相と色調に関連させています。それらは並列しているかもしれないし、絵画の全域にあるかもしれません。そのすべてが直観に関連しています。何をしたらよいか知っているから、するのです。しかし、やり始めるまでは、何をしたらよいか分かりません。 直観の使用は教育を行うのをどのように助けてくれるのか。直観は必要です。そうでなければ、教育することはできません。あなたは教師として訓練を受けるかもしれません。大学に行けば、あなたの脳は事実で満たされます。あなたはそうした事実を応用し、それが子供たちを教育することになっています。しかし、これは何のためでしょうか。明らかに、いのちのためではありません。自国の教育者たち、教育に関する物知りたちのマインドの中にある想念形態のために、子供たちを教育しているのです。訓練を受けたこのような教師によって授けられた事実は、生徒たちを何がしかのレベルの仕事へと適合させます。すべては職業のためです。上級の職業にせよ、下級の職業にせよ、同じことです。もし大学に行くならば、それは上級の職業のためです。通常の学校や夜間学校に行くのであれば、それは下級の職業のためです。しかし、すべては職業のための教育です。それはいかなる意味でも、直観の能力を活用しません。教師の中には、直観力をもち、賢い生徒とあまり賢くない生徒、つまり単純な要件を理解させるのにも多くの努力を要する生徒を認知できる人々がいないと言っているわけではありません。 いかなるレベルにせよ、直観を使用することなくして、画家や音楽家や科学者、あるいは教師になることはできません。これは真実だということをあなたに教えてくれるのは直観です。アインシュタインはどのようにしてE=mc2にたどり着いたのでしょうか。それは直観です。アインシュタインは単純な算数もできませんでしたが、エネルギーを物質に関連づける最も素晴らしい公式を発見することができました。エネルギー=質量×光速の2乗という公式です。それは途方もない認識であり、直観によってしかそれに到達することはできません。偉大な発見者たちは直観を用いますが、それは魂から来ます。アインシュタインは第2段階のイニシエートであり、明らかに魂と接触し、魂の印象づけを受けていました。彼は世界を教育するために出かけることはありませんでしたが、世界は彼の公式によって、彼の理解によって劇的に教育されました。ある意味で、彼は同時代の人々を教育しています。 これがどのようにして、魂としての人間の教育に関連するのか。魂をますます多くその人の生活の中にもたらすために、二つの過程──瞑想と奉仕──が存在しています。瞑想と奉仕以上に、私たちが魂を呼び込むのに役立つものはありません。それらは与えられた道具であり、魂が浸透するようになるための道です。魂の浸透は非常に緩慢です。それは少しずつ発達します。転生する度に、人は魂へと近づきます。あまり多くのものが取り込まれないとき、非常に怠惰な生涯や後退的な生涯があるかもしれません。しかし、すべてがうまく行けば、魂はその人に光を分け与えます。それぞれの人の原子的粒子は徐々に亜原子的粒子に変化していきます。原子的粒子に取って代わり、身体はますます光の粒子で構成されるようになり、魂の性質をより多く反映するようになります。 人が正しい方法で、利他的に、自我の感覚を持たないで瞑想し奉仕するにつれて、自動的に魂からの光を吸収していきます。人は瞑想の中で、その光を絶えず喚起しています。魂は自身の光を、発達しつつある人間に注ぎ、諸体は変化していきます。旅路の終わりまでに、その人は完全に亜原子的つまり光になります。彼は覚者となっています。覚者と私たちとの間で、ある意味で唯一違っている点は、もし覚者の身体を視覚的に見ることができれば、それが完全に光であることが分かるが、私たちの身体は亜原子的な光の粒子をある程度含む原子的なものであるという点です。 自然はそれ自体をエネルギーとして表現しています。魂はすべて光です。それはエネルギーです。魂は肉体を必要としません。いわゆる覚者は肉体を必要としません。彼らの多くは肉体を持っていますが、多くはエーテル体で働きます。肉体が必要とされるのは、光が見られる必要がある時だけです。通常は、私たちが光と呼ぶものは肉体がなくても顕現します。光が高度であればあるほど、肉体の器は必要でなくなります。私たちは光なのですが、私たちが光であるという事実を理解するために、その光を見るために、肉体を必要とします。電気をつけるとき、その結果としてやってくる光が見えます。しかし、その電気自体は、現れるのに電気的な装置を必要としません。私たちはそれを必要としますが、物質界レベルにおける太陽の電気的な炎である電気は、物質体を持ちません。中心霊太陽は光そのものであり、光や熱としてこの物質界レベルで顕現します。 私たちが瞑想し奉仕するにつれて、魂が入る過程は進行します。少しでも、いったん魂が入れば、魂が入ったもの以外のものになることはできません。
Q 親が頭が変でないことを幼い子供たちに納得させるには、おそらくマイトレーヤの姿と言葉が必要でしょう。それは真実ですか。子供たちを圧迫したり条件づけたりせずに、この情報が子供たちにとって役立つようにするには、親が何をすることをあなたは勧めますか。
A どの情報のことを言っているのですか。もしそれが、私たちが今週末ずっと話してきたことであるとすれば、なぜこれを子供たちに伝えようとするのですか。もしそれが、マイトレーヤ、大宣言の日、大宣言の日の体験のことだとすれば、なぜ子供たちは、あなたが頭が変だと考えなければならないのですか。もしあなたが子供たちを正しく育ててきたのならば、あなたが真実を話している時に子供たちがあなたのことを頭が変だと考えるだろうということは、私には思いもよりませんでした。私はこの質問の意味が分かりません。なぜなら、あなたが「この情報」によって何のことを話しているのか正確に理解していないからです。 「親が頭が変でないことを幼い子供たちに納得させるには、おそらくマイトレーヤの姿と言葉が必要でしょう」と言うことは、真実だとは思えません。子供たちは普通、親の言葉を絶対的な真実として受け止めます。 彼らは他の親が言うことよりも自分の親が言うことを信じる傾向があります。私はそこに問題があるとは思いません。いずれにしても、幼い子供には、この情報の大ざっぱな輪郭以上のものを伝えることはできないでしょう。
Q 非常に大きな貧困と堕落のある世界で、私たちはどのようにして最もよく奉仕することができるのでしょうか。
A 世界には65億ぐらいの人々がおります。あまりにも多過ぎます。この世界が容易に養うことができるのは約40億から50億の人々であり、やがてはその数に達するでしょう。この世界には、地球が必要とするよりも、あるいは都合よく支えることができるよりも、はるかに多くの人々がおります。しかしこの世界には、私たちが必要とする以上に食べ物や原材料があります。それはただ単に、分配されていないだけです。 もしあなたが、例えば約2,200万から2,400万の人々がいるメキシコシティーに住むことになれば、あまりに多くの人々がいることに気づくでしょう。メキシコシティーの人々の大半は、果てしなく伸び広がる郊外に住んでいます。そこにいる人々はとても貧しく、とても困窮しています。彼らの建物は貧民街を形成しています。 空港まで運転するとき、信号で止まらなければなりません。人々はすぐに車までやってきて、バラや前の年の宝くじなどを売ります。売る物を何も持たない小さな女の子が車の前で腕立て側転をしたりします。それが、たった数ペソを稼ぐために彼女が考えることのできる唯一のことです。これは、高級ホテルがあり金持ちがいる都市でのことです。 私はある高齢の女性が、閉鎖された教会の外にある小さな汚い草地でベンチに座っていたのを覚えています。彼女がベンチに座っていたのは、たまたまそれがそこにあったからです。そこは歩道からずっと下がったところでした。人々は歩道を通り過ぎていきましたが、彼女の近くには来ませんでした。彼女は足元に小さな体重計を置き、通りかかる人々に立ち止まって体重を測ってもらい、その見返りに数ペソを恵んでもらおうとしていました。もちろん、人々はただ通り過ぎていきました。誰も体重を測ってもらいませんでした。誰もその体重計に触れませんでした。それを見さえしませんでした。その体重計は、誰かが立ち止まって体重を測ってくれることを期待しながら、彼女が売らなければならなかったすべてのものでした。 そのような貧困はとても痛ましいものです。メキシコシティーの郊外には、廃棄物でできたひどい小山があり、その小山は昼も夜も燃えています。何百人もの人々がごみ溜めから売り物になる小さな品を選び出して生計を立てています。私たちは以前、このことに関する記事をシェア・インターナショナル誌で発表しました。 世界の資源がついに分かち合われ、平和と正義が生活の事実となるとき、奉仕と知識の多くの経路が、喜んで奉仕したいと願う人々の前に広がるでしょう。

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