現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 3月 正真正銘のメッセージ

正真正銘のメッセージ

編集長殿
ガザのパレスチナ人の救済のためのデモが、2009年1月24日にロンドンでありました。抗議の人々は、ガザにおける破壊緊急委員会の訴えを放映することを拒否したBBC(英国放送協会)の外に集まりました。
私がもう一人のメンバーと共に旗を持って、集まったデモの人々の群れの中にいた時、不意にブロンドの巻き毛の子供が楽しそうに笑いながら、デモの中や外を走ったり飛んだりしているのに気づきました。母親は背が高く、若くて色白で、ドレッドヘアを腰まで垂らして、幸せそうに笑いながら子供の少し後を追いかけていました。私は楽しい気持ちになって、笑みがこぼれました。二人は群衆の中で見えなくなりました。二人を探すと、若い女性が子供を腕に抱いていました。彼女は広い道路に立って、大きなピンク色のハート型の旗を一緒にバランスを取りながら掲げていました。白い太文字で書かれていたのは、「愛は行動」でした。反対側には「変化は行動する時にだけ起こる」と書かれていました。デモが続いていたので、私も一緒に動いていました。二人のことも、その旗も再び見ることはありませんでした。
二人が本当に覚者方であったのか、確認していただけますか。
スザンヌ・フィリップス
英国、サセックス州アシャースト・ウッド
【ベンジャミン・クレームの師は、『若い女性』がマイトレーヤで、『子供』がイエス覚者であったことを確認した】

二度目のチャンス

編集長殿
2009年1月17日土曜日に、ロンドンのトラファルガー広場での、ガザの正義と平和を支援するデモに出かけました。私はグループの中で一人だけ参加できたのですが、前回参加したデモの時のように、私たちの旗を借りたいという人に会うかもしれないので、全部の旗を持っていきました。
私の二つの旗は、「分かち合い! 正義! 平和!」が一つは表裏に書かれていて、もう一つには片面は同じ言葉でマイトレーヤの名前があって、裏側には「人ではなく、貧困と戦おう」と書かれていました。私の経験では、こうしたイベントの参加者や見に来るような人々の反応はとても肯定的で、このアイディアはどこから来たものか尋ねられることがよくあるのです。
トラファルガー広場に着いた時、群衆の中で見知った人や旗を探しました。しかし、誰も見つからず、数歩戻りかけた時に、一人の男性がはずむ足取りで私の方へとやって来ました。彼は熱心な様子で「ここにいたね! 今ちょうどあなたを見かけて、あなたのを一つ持ちたいと思うんだけど」と声をかけてきました。彼は私の旗を指差していました。
私は面食らってしまって、しばらく立ち往生しました。私が心の中で思っていたような物事の起こり方ではなく、その男性も、私たちの旗を持ってくれる人として思い描いていた人のようではなかったのです! 陽気で愛嬌のある男性でしたが、短い髪はくしゃくしゃで、まるで寝相が悪かったような頭で、彼の服装も、はっきりどこがとは言えませんが、だらしないような感じがしたのです。そんなことは問題ではないはずなのに、(壁に立てかけられていたたくさんの旗を指差しながら)「こちらのよりも、あちらの方が良くないかしら?」と言ってしまっていました。「ああ、そうだね」と彼は言いました。「あの、私はね……他の人と会うことになっているから……」と消え入りそうな声で言うと、彼はすぐに私の言葉を分かってくれて、他の旗を使うことにすると言って、機嫌よく取りに行ってしまいました。
すぐ後で、旗を一緒に持つことに興味を示してくれるような人には、他には誰も出会いそうにないことに気づいて、振り返って彼を探しました。彼はいなくなっていました。
私の印象では、その男性は他の人ほど暖かそうな格好をしていませんでしたが、彼のすべてが明るく暖かさがあって、彼の服の色も暖色でした。その中で彼の歯のことが、とりわけはっきりと思い出されるのです。とても温かな、人を引きつけずにおかない微笑を浮かべているのに、彼の歯は全部黄ばんで磨り減ってボロボロでした。ちょっと傷があるとか、シミがあるとかではないのです。完璧にボロボロの歯が一揃いしていたのです!
この大変感動的なデモの終わりに、長い道のりを駅に向かって戻り始めていましたが、私は旗を持ってもらい損ねた失敗を、頭から振り払うことができず、完璧に不完全な歯の、あの笑顔ばかりが目に浮かんでいました! それで私は、旗を分かち持ってもらえるチャンスをもう一度「お願い」したのです。
道路が狭くなった所に来たので、二手に分かれて一列ずつになって進みました。突然、もう一つの列の人々が、まるで夜のお出かけに行くようなスマートな着こなしの若い男性の列になっていたのです。一番前の男性が真っ直ぐに私を見て立ち止まり、「どれか一つをお持ちしましょうか?」と言ってきました。彼は是非にという感じでした。旗が返してもらえるだろうかという疑問が脳裏に浮かんだのを押しやって、ぎくしゃくしながらも彼の手に旗を突き出して、「ええ、お願い!」と渡しました。それから私たちはそのまま別れました。数分後に彼が二つのメッセージとマイトレーヤの名前の書かれた旗を持っていたのを見ました。
これらの出会いは覚者とのもの、あるいは覚者によって鼓舞されたものであったのかどうか教えていただけませんか。
ポーリン・ウェルチ
英国、バッキンガムシャー州ミルトン・ケイン
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の男性が実際にはマイトレーヤで、若い男性がイエス覚者であったことを確認した】

確証

編集長殿
2009年2月8日の夜、おかしなことが私に起こりました。私は星の徴の情報について、大変に懐疑的で、もしすべてが幻想だったらと思い始めていました。もしマイトレーヤがおられなかったら、世界はどうなってしまうのかを考えていたのです。それは全人類と惑星の破壊を意味するでしょう。私はすっかり悲しくなり、落ち込んでしまい、バスルームに行ってシャワーを浴びました。シャワーからお湯を出して蒸気がバスルームに充満し始めた時、バスルームの鏡に手形があるのに気づいたのです。それはマイトレーヤの『手』に似ていました。私は鏡には触っていませんでしたので、びっくりしましたが、手形が現れたことで、勇気と期待感がよみがえり、喜びと平穏と希望で満たされました。
これはマイトレーヤによって現されたのですか。
チアゴ・スタイバノ・アルベス
ブラジル、サンパウロ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『手』がマイトレーヤによって現されたことを確認した】

方向転換

編集長殿
私はアートとクラフトのイベントを企画していて、2008年10月に木のクラフトの展示会を催しました。来場者が展示会にやって来始めた時に、一人の男性が入って来て、私に「そんなに心配そうにしないで」と声をかけてきました。以前にその人に会った覚えがなかったので、おそらく私の心配顔が困惑顔に変わったことでしょう。その後、彼が私の方へやって来て、お茶を一杯ごちそうして欲しいと言ってきました。この時、彼は私の手を握っていました。彼の手を通してエネルギーが流れてきたのを覚えています。こういう状況の時、いつもなら彼のエネルギーに居心地が悪くなり、ひるんでしまうのですが、そうはならず、むしろ心地よい鎮静剤のような効果がありました。
彼は、この展示会に参加している木工職人を何人か、とてもよく知っていると話していました。彼らが彼にも参加するように誘ってくれたそうです。けれども自分の作業場に行って、作品作りに取りかかる気にはあまりなれなかったようでした。私が、同じ会場で開いた別のイベントについて彼と話し合うと、彼は興味を持ったようでした。彼はチラシを集めてきて、私が組合のメンバーなのか、それが広告なのかどうかを尋ねてきました。それから彼は展示を見に行きました。
その後かなり時間が経ったと思われる頃、知り合いの夫婦と話をしていると、彼が戻ってきて、私に会えてうれしかったと言い、お別れを言って、帰っていきました。お伝えしておきたいのは、その展示会が、同じホールで開かれた他のクラフト展示会と同様に特別な感じがしたことです。職人たちはとても良い雰囲気があると言って、心から楽しんで参加してくれていました。なぜなら展示会は全く商業的なものではなく、より創造的なもので、分かち合い、善意、グループワークの感覚がとても顕著に現れていたのです。
展示会は盛況で、その日たくさんの人に会いました。後になってからやっと、その日1日の出来事を思い返して、再びあの男性のことが気にかかり、彼にお茶をごちそうしなかったことに思い当たりました。
その男性は誰だったのか、覚者だったのか教えていただけますか。
キャロル・エマーソン 英国、エセックス州ハルブリッジ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が、お茶をごちそうしてもらえなかったその人がマイトレーヤで、彼がそこを訪れるのは初めてではなかったことを確認した】

論より証拠

編集長殿
2008年11月に、私はカリフォルニアのシエラネバダ山脈の山ろくでの、9日間の沈黙瞑想研修に参加しました。その研修所の上空で、UFOの活動が頻繁なことがすぐに分かって、私は喜んでいました。2日目か3日目頃に、私が日中時折見かけていた『船』が実際には宇宙船だと分かるようになったのです。それらは、高所を飛んでいるジャンボジェットの輪郭に似ていて、常に真っ直ぐに飛んで、よく飛行機雲が残っていました。注意深く見ていると、それらはジャンボジェットより小さく、速く飛んでいると分かり、もっと低い高度を運行していると感じました。私がそれらのことを思うといつも、一つか二つが空に現れるようだと気づきました。私は、それらの船のパイロットが私の思考と同調してくれるように意識の拡大を促しました。
私が想像しているのではないことを自分自身に証明するために、彼らに心の中で、私の見ているものが本当に宇宙船だと確認させて欲しいと頼みました。ある日、船4隻が空の同じ辺りに飛んでいるのを見せてくれました。心の中でお願いをしたすぐ後で、これを目撃したのです。それから船を近くから見られるように、低い位置を飛んでくれるように頼みました。その朝、瞑想中に突然瞑想会場から出て行く衝動にかられたのです。休憩室に向かって一人で歩いていて、木々を見上げると、美しい小さな船が頭上で音もなく、すべるように飛んでいるのが見えました。それは輝く白い金属でできているようで、小さなスペースシャトルを思わせました。
それから私は、パイロットに互いにクロスして飛んで、空に正十字に似た形、プラスの形の飛行機雲を残してくれるようにお願いしました。翌日の同じ頃に、山道を歩いていた時、二つの船がそれをするのを目撃したのです。一つが地平線に沿って真っ直ぐなラインを描いて飛び、長い飛行機雲を残すと、もう一つがこの雲に垂直の角度で飛んできて、十字のもう一方になる飛行機雲を残したのです。
私は大きな岩の上に寝転がって空を見上げ、近くで鷹が円を描いて飛んでいるのを見ていました。私がパイロットたちに、鷹の近くの、低い高度でもう一度飛んで、間近に見せてくれるように頼むと、再び彼らは現れて、私のリクエストに応えてくれました。この時は船の下側が見えて、美しいピンクの色合いでした。
9日間のコースの間中、私はそうした乗り物の存在とのコミュニケーションをしているかのように感じていました。彼らは私の後を追うように現れ、しばしば私の歩いている同じ方角に飛んできたり、目の前の空に現れたりしたのです。この研修会の他の参加者たちが、空で起きていることに、同じように興味を持っていないらしいことには驚きました。
夜には、宇宙船がピカピカと光る赤と白のライトを点けているのを見ました。彼らは宙に浮かんだままで、星のように見えていましたが、光源を下に向けて、夜空に徐々に見えなくなりました。もしもっと長く眺めていたら、谷を横切って再び真っ直ぐすべるように進み、山に達した所で宙に浮かんでいたでしょう。時折、夜の空には6隻が飛んでいることがありました。
研修を終えてセンターを去る時、3隻の船がセンターを離れる私の車をエスコートするように現れ、道に沿って飛んでいました。家に戻ってからも、彼らを日中も夜も何度か見かけたと思うのです。今、私は人生の大半の間、宇宙の兄弟たちを目撃し、コンタクトすることを願ってきましたが、実際には気づかずに何度も彼らを見ていただろうということに気づきました。私はこのような体験ができて、とてつもなく幸運だと感じています。
あなたの師は、それらの宇宙船が火星か、金星か、他の星からのものだったのか教えていただけますか。
エリザ・グラーフ
米国、北カリフォルニア
【ベンジャミン・クレームの師は、6隻の宇宙船が木星から来たことを確認した。彼らは新しい光の科学に関連した仕事に従事していた】