現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 9月 スクリーンのマイトレーヤの『手』

スクリーンのマイトレーヤの『手』

編集長殿
2009年7月23日木曜日のことで、すでにベンジャミン・クレーム氏が毎年の講演ツアーのためにニューヨークに到着していました。その晩、私の家でクレーム氏夫妻と共にグループの集いを計画していました。その集まりの直前に、クレーム氏の電話インタビューが予定されていたので、隣の私のオフィスで準備していました。私はビデオ編集者なので、アメリカのグループがこれからのツアーの宣伝に使うTVコマーシャルや、『星』の出現についてのTVのスポット広告でのクレーム氏の画面を写す予定でした。
私の編集システムは二つのビデオモニターと二つのコンピューターモニターを使います。コンピューターモニターの一つは数カ月前に故障しましたが、そのまま置いていたので、ずっと電源は入っていませんでした。腰を下ろした時、何かが目の隅に入りました。手形が、壊れたモニターのスクリーンに付いていたのです。私は最初、「誰がこのモニターに手を置いたのだろう?」と思いましたが、自分の機械にはとても気を使っていて、モニターは常にきれいにしているものなのです。私は決して、手どころか指さえ触れたりしないのです。
手形をじっくり調べていたら、心臓が早鐘のように鼓動し始め、体がわなわなと震えてきました。そして誰がこれをつけたのかという可能性を順々に考え始めました。私の息子ではあり得ませんでした(彼の手は小さ過ぎます)。仕事の客でもあり得ません(今月お客はなかったのです)。それに私以外誰もオフィスに入っていないのです!
自分の手を触れないように手形の前に置いてみると、サイズが違っていました。もっと大きかったのです。また、その形からして、手形はモニターの内側に付けられているように見えました。これが何であり得るか分かり始めたので、そうっと隣の部屋へ行って、妻と友人を呼びました。二人はオフィスにやって来ると、手形を見るなりハッと息を飲みました。ベンジャミン・クレーム氏が30分後には来ることになっていたので、私たちは辛抱強く彼が見に来てくれるのを待ちました。クレーム氏は手形を見ると、彼の師に尋ねて、それが本当に主マイトレーヤによって現されたことが確認されました。
言うまでもなく、ワクワクするような出来事でした。パーティーに参加したグループのメンバー全員が、そのエネルギーと私たちに与えられたこの贈り物を楽しみました。手形はまだそこにあります。仕事をしている時、『手』があるのはもちろん素敵なことです。それはすばらしい贈り物です。私はただ感謝して私たちの仕事を続けていきます。マイトレーヤの愛とエネルギーは常に私たちと共にあり、間もなく『手』以上のお姿を見るでしょう。
マイケル・スミス
米国、ニューヨーク市


信の必要

編集長殿
2009年6月25日金曜日の夜遅く、オランダのエグモンド・アン・ジーで、私たちは(海に沿って続く)散歩道を歩いていて、ちょうど信の重要性や、何が起ころうと人生への信を持つことについて話をしていた時、見上げると大きなオレンジ色の球が、ほとんど頭上の辺りまで私たちに非常に近づいているのが見えました。
(ちょうど散歩に出かける数分前に、私たちはアダムスキーの『宇宙哲学』の中の信についての章を読み、議論していたのです。アダムスキーは信の対極が、個人的関心に基づいた恐怖心である一方で、信は永遠の感覚に根ざしたものだと説明しています)
最初、私たちはそれがヘリコプターだと思いましたが、音が全くしなかったので、私たちは立ち止まり、それが(浮かんでいるようではなく、それ自身のエネルギーで動いているように見えて)海岸線に沿って目的を持っているように動くのを見ていました。最初は、水際の上空を、次には徐々に上昇し、月の上空にいるように見えて、その後、私たちから離れると、海側の南の方角へと去って行きました。(1)それはマイトレーヤの光の船でしたか。(2)それは他の惑星からの船でしたか。(3)その出現は、信の重要性について、何かしら強調するためでしたか。
ヨス・クイル、フェリシティ・エリオット
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師の確認によると、(1)はい(2)いいえ(3)はい】


皆が大切

編集長殿
1カ月ほど前に、ホームレスのような格好で酔っ払っているらしいスリナム人の男性からお金を求められました。彼にお金を渡して少し話をしました。彼は上機嫌でとても大声の人でした。
彼は私の肩に腕を回して、聖書を取り出し、一節を読むと、彼の読んだ引用句を知っているか尋ねてきました。今でもそれが何だったのかはっきり分からないのですが、神の王国の到来についての引用だったと思います。それはともかく未来についての予言だったということは覚えています。よく耳にする引用句でした。
すると、彼は私の頬にキスをして、私に渡したいものがあると言って、小さな包装紙(よくあるスーパーのロゴが入っていて、チェーン店で印刷されたもののようでした)を渡してくれて、それには「あなたの意見が大切!」と書かれた言葉がとても目立っていました。彼もそれを指差していました。
彼と別れる直前に見せたいものがあると言われました。彼は古いパスポートを引っ張り出すと、若い頃の写真を見せてくれました。彼はかつてスマートで身なりの良かったことを自慢していましたが、今の彼の姿との対比に悲しくなりました。
彼は再び私にお礼を言って、何か良いことを言ってくれてから楽しげな様子で騒がしく道を下っていきました。
私は、翌日か翌々日に「あなたの意見が大切!」の紙を捨てようとして、その出来事を思い出しました。
貧しいけれど愛想の良い人かあるいは覚者でしたか。
F.E.
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】


勇気付け

2009年4月29日にリヨンで伝導瞑想について講演することになっていました。私にとって難しい仕事でしたので、マイトレーヤの助けを以前からお願いしていました。
私は家にいて講演の準備をするつもりでしたが、叔母の葬儀に夫と出かけなければなりませんでした。家に帰る途中でガソリンスタンドに立ち寄った時、あきらかにヒッチハイクをしている年配の女性を見かけました。彼女は私たちに話しかけてきて、シャンベリーというフランスの町を通ってスイスへ行きたいと言いました。私たちが住んでいるのはリヨンとシャンベリーの間にあることだけを、あまり詳しく言わずに伝えました。すると彼女は高速のリスル・ダボーのガソリンスタンドで自分を降ろしてくれるように頼んできて、そこはたまたま私たちの家の近くの小さな町だったのですが、私はそのことについては何も言っていませんでした。彼女はその場所をとても良く知っているようでした。
彼女は年老いた女性で、歯も欠けて白髪が帽子からはみ出していました。スキースーツを着て、丈の長いブーツを履いていました。体つきは丈夫そうで、まるで若者のように楽々と(50キロくらいの)リュックサックを背負っていました。彼女の明るいブルーの瞳は強烈な輝きを放っていました。
高速を走っている時、彼女はダギーと名乗りました。彼女のフランス語はひどかったので、会話は英語になりました。彼女は生物学者で植物相について研究し、大学にレポートを書いていると言っていました。日に25km歩き、時には星空の下で寝ることもあると話してくれました。また彼女はプラナヤマ瞑想をしていて、毎日瞑想すると良いとも言っていました。
私は伝導瞑想について講演することになっていると伝えると、彼女はすべてうまくいくと言ってくれて、あまり秘教的なものではなく、シンプルな言葉を使うようにアドバイスしてくれました。さらに大きな都市の人々にはあらゆる情報で頭がいっぱいなので、リヨンを講演場所に選んだことは、最良の選択ではなく、郊外で開催したほうがより効果的だったと言っていました。
私はさらに、奇跡的な『星』について説明し、私たちの国の大衆や科学界の注目を『星』に引き付けることの難しさについて話しました。彼女はフランスでは大変に、大変に忍耐強くなければならないし、気落ちしてはいけないと言ってくれました。彼女が言うには、フランス人はいくらか頑固で、彼女は指で下向きの角の形を作って牛を引き合いに出してきました。牛は気前がよく、栄養たっぷりでも、癇癪を起こすこともあると言いました。フランスの人々は保守的で自分のアイディアに固執するが、スペイン人が雄牛のように振舞っている一方で、ゆっくりと新しいアイディアに、一層オープンになってきていると彼女は言いました。彼女によると、アメリカ人、日本人、イギリス人が世界で最もオープンマインドなのだそうです。
それから彼女は7つの分野で仕事をしていると言いました。また道教についても話をし、それらの教えはとても純粋だと認めていました。
彼女は現在の政治的指導者は、政治的主張がどのような色合いのものであれ、彼らの前任者たちと同様に、霊的成熟を完全に欠いているけれども、責任感があり、より賢明な新しい世代の人々が政治界に入っていこうとしているとはっきりと述べていました。
ある時、彼女が濃いコーヒーを飲みたいと言いました。私たちは彼女を家に連れていき、彼女はとても濃いコーヒーをたっぷり2杯飲みました。彼女はひっきりなしに話し続けたので、彼女の言葉を夫に通訳することもできないくらいでした。ふと見ると、うちの猫が狂ったような様子になってあっちこっちへと走り回っていました。
私が智恵の覚者方や、『星』やキリストの再臨について語った言葉に、彼女は驚いていないようでした。彼女は一言も質問せず、このことすべてを良く知っているように思えました。
私はこの人を身近に感じ、心が活気づけられました。私たちと別れる時、彼女は楽しそうにたくさんのウインクと握手をして、私の講演はすべてうまくいくでしょうと何度も繰り返して言ってくれました。
この人は覚者でしたか。
ジョシー・ルマトル
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がイエス覚者であったことを確認した】