現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 10月 会議通話

会議通話

編集長殿
2010年8月7日から8日にかけて、英国のリーズで宇宙政策UFO会議があって、ジョージ・アダムスキーについての私の本を宣伝するため参加し、ベンジャミン・クレーム氏の新しい著書である「光の勢力は集合する-UFOと彼らの霊的使命」を宣伝する地元のグループの人たちとブースを分け合っていました。
土曜日の午後3時30分頃に、ほとんどの会議参加者は講演を聴くために講堂に入っていて、ブースの設けられたホールに私とリーズグループのメンバー二人を含めた数人の業者がいるだけでした。私はホール入口に背を向けて座っていたので、人々の出入りは見えませんでした。それにもかかわらず、誰かが入ってきたのが聞こえた時、その人がどこからともなく現れた感じがしたのです。
身長180cmくらいの中年男性で、私たちのブースと反対側のブースの間を歩きながら自分の存在を声高にはっきりと知らしめていました。彼は私の向かい側のブースの空いた椅子に腰を下ろし、まるでその椅子は彼のためにそこに置かれたかのようで、右腕を杖にもたれさせて満面の笑みを浮かべながら、私たちが彼を待っていた聴衆でもあるかのように「遅れたよ!」と大声で叫びました。彼は会場にたどり着くまでが大変だったと説明していました。
その男性から発散される喜びや幸福感を言葉で正確に伝えるのは難しいのです。彼は薄いブルーのTシャツの上にブルーのシャツをはおり、ジーンズに黒い靴を履いていました。私たちはベンジャミン・クレーム氏の新しい本のチラシを彼に差し出しましたが、彼はニッコリと笑って「私は本がそれほど好きではなくてね」と言いながら、ていねいに断ってきました。
それから彼は彼の体験について話を続けました。それは1990年代の初め頃で、彼が仕事と勉強を同時にしていて大変なストレスがあった時でした。彼はある時(彼にはそれが夢なのかある種の体験なのかわからなかったそうですが)、肘掛のかわりか、あるいは肘掛の上に、宙を飛んでいく時に椅子の動きをコントロールするために使う球形のものが付いているような椅子に座っていたことがあると話していました。別の時には、彼は落ち葉のように空を舞って下りていくUFOを目撃し、それは消える前にまるで別の次元に行ってしまったかのようにさっと上空に昇ったというのです。次の日、彼の同居人か隣人が前の晩に彼が何か不思議なものを見たのかどうか尋ねてきて、彼女も同じUFOを見たことがわかりました。
残念なことに、彼の言ったことをもっと詳細に覚えていないのは、宇宙の兄弟か、覚者か、もしかしたらマイトレーヤが現れて私たちを楽しませてくださっているのではないかという思いに邪魔されていたからでした。実際にある時にはその男性が活気にあふれた言い方で、「ねえ、誰にとって会議が必要なのかね? こっちのほうが断然いいよ、君たちと話をするほうがね!」と言ったのです。妙なことなのですが、彼は、その瞬間の喜びということ以上に何か深遠なことを言おうとしているようには思えませんでした。ホールに入ったりすることもなく、彼が帰っていくと、メンバーの一人が「彼は扮装したマイトレーヤかもしれないと思わない?」と尋ねてきました。
この喜びあふれた会議参加者は、会議には行きませんでしたが、特別な方でしたか。
ゲラード・アートセン
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】


見上げて!

編集長殿
2010年の7月の初めから8月の終わりにかけて5回の別々の機会に、明るく白く輝く物体が私の住む家と庭の上空を横切っていき、ほとんどの飛行機よりも低い位置で、完全に無音で穏やかに真っ直ぐの線上を飛んでいきました。それはいつも明るい白色で、球体で大体同じ軌道上(ロンドン東部に向けて、着地するかのように降下しているように見えました)を移動し、ほぼ同じ時間(午後10時頃)でした。3度目の目撃の時だけは、友人と庭に立っていたのですが、それが光り輝くオレンジ色だったのが、突然真ん中だけが輝く赤色でくすんだ色に変わりました。8月の終わりに庭に一人で座りながら、マイトレーヤの出現について考え込んでいると、同じ白い球形の物体を二夜連続で目撃しました。私はそれがどちらの場合もマイトレーヤの光船であったと確信しましたが、それが本当であったのか確認していただけますか。
A.W.P.
英国、ロンドン、ストーク・ニューイントン
【ベンジャミン・クレームの師は、それらがすべてマイトレーヤの光船の目撃であったことを確認した】

笑顔は無料!

編集長殿
2010年8月10日の火曜日の夕方、公開伝導瞑想会を終えて、私は車で家に帰っているところで、4車線に並んだ車の中で赤信号のため待っていました。霧雨のために視界が悪くなっていました。破ったダンボール紙でつくった小さな看板を持って、車の列の間をよろめきながら歩く男性の姿も何とか見えたくらいでした。特にその交差点にはたくさんのホームレスが集まっているので、それは見慣れた光景なのです。
信号はすぐに青に変わると知っていたので、集中して見ながらも、私は財布に手を伸ばし、その男性に渡そうとお札を引っ張り出しました。その男性が近づいてきたので、車の窓を下ろしたのですが、その時手には1ドル札しかないことに気づいたのです。私はそれを彼に渡し、微笑みかけました。彼は本当に熱心にお礼を言ってくれて、ふさふさとした口ひげの向こうからにっこりと微笑みながら看板を指差して(私には読めませんでした)、「笑みを絶やさないで、笑みを絶やさないで」と言ったのです。
その後すぐに信号が変わり、車が動き始めたのですが、右側を見続けなくてはと思っていました。看板をもったその男性は真っ直ぐに私の車の中を見つめ、にっこりと笑みを浮かべて看板を指差しながら、「笑みを絶やさないで、笑みを絶やさないで」と叫んでいました。1ドル札に対してあまりに熱烈な反応に思われ、その体験の喜びを私は持ち続けていました。
モーリン・ペロン
米国、サンフランシスコ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】


応援

編集長殿
2009年4月11日と12日に、オランダのエルスペーテにあるメノローデ会議センターでの24時間伝導瞑想の間、日曜日の朝の数時間は、瞑想をしている人がほんの少ししかいなかったので、そこから出るのは気の引けることでした。午前3時30分頃にドアが開くと、ドアの上の出口の表示の明かりの中で、緑色のセーターを着てバッグパックを持った、ほっそりとした背の高い男性が現れ、瞑想を始めたのです。特別な方が伝導瞑想に参加されたのですか。
ミエンケ・ラメイン
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】


変容

編集長殿
1年半程前に、スイスの本屋で買った本を読んでいてマイトレーヤに興味を持つようになりました。その時以来、マイトレーヤは私の人生にとって不可欠のものになったのです。私がこれからお伝えする出来事は2009年7月から8月の間のある午後、私がケベック州ラノディエールのロードンにあるスーパーマーケットを出ようとしている時のことでした。
85歳くらいの年配の女性が食べ物で一杯のカートを、体を丸めて辛そうに押して出て行くのに気づきました。彼女の隣には50歳くらいの男性がいました。彼は大変な長身でした。彼の様子から精神的に障害のある人のようでした。彼はソーダの缶を開けようとしていました。彼らは二人とも大変ゆっくりと歩いていました。
突然、女性が私の方を振り返り、真っ直ぐに私の目を見て微笑んだのです。するとおかしなことが起こりました。彼女の顔がとても若くなり、明るく真っ白な光に照らされて、その光が彼女全体に広がり始めたのです。光輝いていました。そしてその光がまるで再び彼女の顔に戻っていくかのように弱まっていきましたが、顔は若いままで笑みを浮かべていました。それから彼女は何事もなかったようにそのまま去って行きました。
私は起こったことに魅せられて呆然となっていました。駐車場を見回して他の人たちの反応を見ましたが、誰も何も見ていなかったようでした。私が振り返った時、彼らはいなくなっていました。
しばらくして、そのことを友人たちに話すと、マイトレーヤかイエスが私に「こんにちは、私たちはここにいます!」と伝えようとしたかどうかを、クレーム氏に尋ねることを提案してくれました。
ミシェル・デュプィ
カナダ、ケベック
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、年配で若い『女性』がイエス覚者であったことを確認した】


屈託のない愛

編集長殿
2010年9月10日の午後、フランスのカンでトラムを待っていた時、一人の男性が手に花を持ってやって来ました。私は冗談で、「あら! 私に? 何てこと!」と言うのを思いついたりしていました。彼はベビーカーを連れてトラムを待っている女性(彼らは明らかにお互いに知り合い)の方へ歩いていきました。彼らは二人とも35歳くらいでした。彼らが何と言っているのか聞こえなかったので、彼らから少し離れた芝生の上に座って彼らを眺めていました。彼は花を彼女に渡すと、膝をついて彼女にプロポーズしたのです。少なくとも私はそう思いました。彼が彼女に何か言うと、彼女は「はい」と肯いたのです。私は「ああ! 何て素敵なの」と思いました。
それから彼は小さな包みを取り出しました。彼はそれを開け、彼女に指輪を渡したのです。彼女はそれを受け取ると、箱と紙を捨ててしまい、その時指輪を落としました。それで彼が「あれ? 大きすぎるね? 良かったら交換できるよ」というようなことを言ったと思います。そのことで私の恋人が数日前に指輪を買ってくれた時に交わした会話を思い出したので、指輪が少し大きすぎたに違いないと思ったのです。
もう一つ不思議なことは、他の誰もそこで起きていたことに特に関心を持っていなかったように思えたことでした。他の人たちも私のように、この出来事を驚きながら見ているのではないかと周りを見回しましたが、誰も注意を払っていないようでした。
その朝、私はマイトレーヤの『手』の写真を私の財布から取り出し、一日中近くに持っておけるようにポケットに入れたのです。私はとても感情的になり、みじめな気持ちで、恋人に会えなくて寂しく思い、二人の関係を心配していましたが、その出来事の素朴さや愛らしさにとても感動したので、笑ったり、泣いたり、彼らをハグしたり、一度に全部をしたい気持ちになりました。
彼らは二人ともとても変わった人たちで、ほんの少しだらしない感じでした。その女性は私の方へやって来て、彼がプロポーズしたすぐ後だったのにタバコを求めてきたのです! 私はそこに座って彼らを眺めながら、それは人々がまだお互いに愛し合えるという証のように思いましたが、私には時折少し難しいのです。ですからそのことは、まだ愛が存在していて、大掛かりで特別にロマンチックである必要はないけれども、トラムの停留所で少し変わった(ごめんなさい!)男性が少し変わった(ごめんなさい!)女性にプロポーズして、彼女が指輪を落とし、タバコを吸って、一緒にトラムに乗るのを見た時のように、愛はシンプルであることもできるという確証のように感じられました。
それがとても興味深く感動的だったのは、出来事の素朴さだったのです。
変わったカップルはもしかしたら覚者方でしたか。この短いエピソードは私を元気づけるためのものでしたか。それは愛が本物で可能だということを確認するためのものでしたか。
ありがとうございます。
S.C.
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

見続けて!

編集長殿
2008年12月のある出会いについてあなた方と分かち合いたいと思います。
私が歩いて仕事に向かっている時、大通りを渡るのに信号を待っていると、通りの向うにフードの付いた緑色のジャケット(素敵なジャケットでしたが、遠くからでも彼は少しむさ苦しく見えました)を着た黒人の男性が、真新しいピカピカのギターを持っているのが見えました。彼は路上生活者に違いないように見えて、そのギターは箱から出したばかりのようだったので、およそ似つかわしくないことでした。彼はそれを弾くかのように抱えていましたが(おそらく彼は弾いていたかもしれませんが、あまりに離れていたのではっきりとはわかりません)、おかしなことに彼はギターのネックを、地面に平行に持つのではなく、真っ直ぐに空に向けて持っていたのです。彼の近くで道端に座っていた仲間が何か言うと、彼は演奏を止めて叫び始め(彼が何と言っていたのか聞こえませんでした)、空を見上げて、まるで「見て! 見て!」と言っているかのように激しく指差したので、私ももちろんのこと、通りにいた皆が見上げると、高いビルの頂上と少しの空以外に何も見えず、もう笑うしかなくなって、笑って笑い続けました。OK、OK、見ていますよ!
フランシア・フリードリッヒ
米国、サンフランシスコ
【ベンジャミン・クレームの師は、そのギターを持った男性がマイトレーヤであったことを確認した。彼の仲間はイエス覚者であった】