食料を得る権利
?
?
?
この訴訟が始まったのは、インドが世界のほとんどの国と同じように食料余剰国であり、純輸出国であるためです。過去30年間に私たちは食料自給を達成しましたが、世界において最も多くの飢えている人々を抱えている国の一つです。
本質的に、食料権利訴訟はインド最高裁判所において、食料を得る権利が根本的な権利になるべきであるということを立論しました。この訴訟は2001年にラージャスターンにおいて、「市民の自由のための住民連合(PUCL)」という人権グループによって申し立てられました。しかし最高裁は、この問題がラージャスターンだけのものではなく、全国に及ぶ問題であると判断したため、彼らは訴訟をインド全土に拡大する行動を起こし、原告が提起した要求に応えるよう政府に求めました。政府の回答が不十分であったため、最高裁は食料を得る権利を施行する命令を政府に出しました。現在までにこのような17の命令が出されました。
?
?
?
?
保障法は地主と小規模農場主と農業労働者の力学を逆転させ、農業労働者は今、インフラ整備や道路建設のような政府計画の下で独立して働くことができるようになりました。彼らは今では、最低賃金で地主のために強制的に働かされてはいません。政府は要求されたら15日以内に仕事を提供しなければなりません。
保障法はまた、貧しい農場主が所有する土地に農村と農業の基盤を建設することも可能にしています。もちろん、この法律が完全に施行されるまでには時間と努力が必要です。賃金支払いの遅延や、要求に対してすぐに仕事を提供することの困難さといった問題がありますが、経験から見て、市民団体が組織されたり、労働者が自らの権利を要求するために労働団体に加入できるようにされてきた地域では、こうした困難はより容易に克服されます。
?
?
最も繁栄している農業地域であるパンジャブ州の例を取り上げてみましょう。政府はそこから私たちの米と小麦のほとんどを買っています。伝統的に、パンジャブ州の大農場主はビハールのような貧しい州から安い労働者を得てきました。労働者はあくどく搾取されます。現在では、こうした貧しい労働者の賃金は著しく上昇しました。彼らはまた、娯楽施設が与えられ、時には農場主の家で眠ることさえ許されています。これは独立後60年間で前例のないことです。それは一つの法律が通過したことで得られた革命的な変化です。また、世界的な危機がインドを襲ったとき、グジャラートの宝石産業で働いていた多くの人が仕事を失い、自分の村に帰らなければなりませんでした。この計画のおかげで、彼らには手仕事と収入が与えられ、社会不安が防がれました。インドではまだ多くの人が自分の権利を否定されているため、前途にはさらに長い闘いがあります。
?
?
また、最高裁はインドが世界で子供の栄養失調の率が最も高い国の一つであることに深い懸念を抱きました。6歳以下の子供たちの46%が栄養失調に苦しんでいます――サハラ以南のアフリカの約2倍です。そのため、食料を提供するこの計画は、およそ1億6,000万人のこうした小さな子供たちにまで拡大されました。それには、定期的な健康診断、無料の学校教育、妊婦へのサービスも含まれています。
「総合児童開発サービス(ICDS)」は、当初9年前に4,500のICDSセンターのネットワークを通して6歳以下の子供たちの困窮に取り組む、厳密に最高裁に続く唯一の制度上の機構ですが、政府は今では140万のセンターを設置しています。
?
?
?
?
?
?
これはわずか10年前には考えられないことでした。政府官僚との会合に参加したときのことを覚えていますが、彼らは食料を得る権利という考えを聞いて冷笑しました。意味がないと考えていたためです。今では政府の態度は激変しています。それは主に、民衆が行使した圧力によるものです。
この運動は、民衆に行動させ権利を主張させるための触媒でした。このキャンペーンは、飢餓問題に関する民衆の怒りと激しい憤りを有意義な抗議へと向けさせ、そのための触媒の働きをしました。そのため、州政府と中央政府は行動せざるを得ないのです。
?
?
第二の方法は、村、州、全国レベルで定期的に開かれる集会を通してです。例えば、これまでの6カ月にわたって非常に大勢の人が、干ばつと最高裁の命令を実行しないことによって起こった食料の価格上昇に抗議して州都に集結しました。そのため、途方もないほどの草の根の支持があります。
「パジャトラ」は、構想と計画、キャンペーンの全般的なメッセージに関するメッセージを広める大勢の人が村から村へと歩くことです。
資金を得るのが妨げられたり、地方で他の問題が起こったときはいつでも人々は集まって、座り込み、つまり「ダルナ」やハンガー・ストライキを通常は政府役人の前で行います。
このキャンペーンは分散化され、多くの地方組織を動員してきました。
全国レベルでは、このキャンペーンは特にこれまでの2年間にわたってインドのメディアを動員することにとても成功してきました。すべての主要新聞が、飢餓のニュースと自らの権利を求める民衆の要求を取り上げることによって、食料を得る権利キャンペーンのためになるキャンペーンを続けています。全国雇用保証法が提案されていたとき、企業が所有するメディアの多くが激しく反対したことを覚えています。国家食料安全保障法が議論されたとき、同じような反対に遭うのではないかと私は危惧しました。しかし、圧倒的な支持を得たことに私は非常に驚きました。食料を得る権利保障法に反対する論説的な立場をとった大新聞は一つもありませんでした。そのため、このキャンペーンがとても広く知られるようになったのです。
?
?
食料の入手は、全国レベルでの食料可用度とは異なります。新自由主義的な政策が行われた20年間、政府は農業を無視してきました。その結果、8から9%の年間経済成長があったにもかかわらず、農業生産は過去20年間伸び悩んできました。
インド人の60%が農業に依存しているため、貧しくなっています。大規模な飢饉はインドでは根絶されました。最後に起こったのは、1943年にイギリス統治下でベンガルで起こったものです。長期にわたる栄養失調は一度に大勢の人を殺すことはなく、そのためそれは目を見張る劇的なものではありません。しかしそれは、すべての村に世代から世代へと継続的に影響を与えます。また、目を見張るものではないため、それに対処しようという政治的な意志を喚起することは決してありませんでした。今になって初めて、人々はそれを深刻に受け止めています。食料を得る権利キャンペーンによって動向は逆転し、国家食料安全保障法はその怠慢の構造的な根源に対処することになるでしょう。栄養失調の率は低下し、2年後には数字によって評価されることでしょう。
?
?
インドのモデルそのものは再現可能かもしれませんし、可能ではないかもしれません。特異なのは、リーダーシップをとったのが司法だったことです。多くの国には強い独立した司法がありません。そのため、道は異なるかもしれませんが、目的地は同じです。
多くの国が国家雇用制度の実施について考えています。不幸なことに、食料を得る権利という考えに対して先進国からまだ大きな反対があります。ヨーロッパやアメリカでの農業助成金が世界中の農産物の価格を歪めており、発展途上国は競争できません。それにもかかわらず、今日アメリカ人の8人に1人が食料切符を頼りにしています。毎年アメリカで産まれる800万人の乳児のうち、驚くべきことに400万人が、乳児に栄養価の高い食料を与えることができない母親への補助金である栄養補助計画に加入しています。一方、国防予算は7,900億ドルです。もし食料を得る権利という取り組みが採用されるならば、その金銭のほんの一部で、アメリカの栄養失調問題は解決できます。
経済金融危機のときには、無責任な行動によって世界の金融システムをほとんど閉鎖状態にまで追いやった銀行を救済するために、何兆ドルもの金銭が先進国によって使われました。そして、緊急援助後も銀行は数十億ドルものボーナスを手に入れ続けています。食料危機に対する反応はどうだったでしょうか。同時食料危機に対する世界の反応は極めて小さく、人類のうちこの食料危機の影響を受けた人々の6分の1に対して5億ドル以下が投入されただけでした。先進国にさえ大きな不公平があります。少数の人が、明らかに政府の支援を受けて、ますます大きな富を蓄積し、一方では多くの人が給与カットとインフレの重荷を背負うよう求められています。それは文字通り犯罪です。それを長く続けることはできません。食料を得る権利運動は、発展途上の世界だけではなく、先進国からも多くの団結を獲得しています。
?
?
?
さらに情報をお求めの方は:www.rightofoodindia.org