現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 10月 真理(Truth)――選集

真理(Truth)――選集

本稿には『真理』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(マイトレーヤからのメッセージ『いのちの水を運ぶ者』、および『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば『覚者は語る』、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人はもはや恐れる必要がないことを、光と真理のすべては人の心の中にあることを示すことが、わたしの目的である。この簡単な事実を悟るとき、人は神となるであろう。神の本質は愛することである。神の目的は奉仕することである。分かち合いと正義を通して神を識る。この簡単な真理を広めなさい、我が友よ、そして偉大なる行為をなしなさい。?
(『いのちの水を運ぶ者』第98信p.285-286)

世界は人間存在の真理に目覚めつつある――人間は神聖なる存在であり、魂としての本当のリアリティー(実相)の外的な表現である。あらゆる栄枯盛衰を通して、人間の魂はその人を守りそして道を示してきた。神経がすり減っているときも、高邁な仕事をしているときも、いやいやながら努力をしているときも、魂がそこにいなかったときは決してない。人間(肉体人間)と魂はひとつである。それが、人間に発見されることを待っている真理である。魂はこの啓示の目覚めを待っている。人間は人生における見習い修行の終わりにきている。これからは、その魂がより高位のそしてより明確な道を示す。 
(『覚者は語る』―ミッシング・リンク―p.572)

私の場合は、過去27年間キリストとハイアラキーの帰還に関する情報を伝えてきましたが、その間、堅く保持してきた要素があります。それは特に「私が言っていることは私の経験によって真実であると私は信じている」というものです。信じていないことを真実であるとは言えません。それを確信を持って言えないのです。したがって、それを言うことは全く意味がありません。あなたが言っていること自体が真実であり、個人的な経験による確信を持って言うならば、人はあなたを信じます。もしそれが真実であるならば、それには真実のみが持つ力(パワー)があります。もしそれがグラマーであり、虚偽であり、真理の幻影であるならば、それにはそのようなパワーがありません。 
(『協力の術』p.328-329)

キリスト・マイトレーヤは、「真理」を請い願う世界に対して「教師」の役割を担うべく構えておられる。 
(『覚者は語る』―キリストの再臨―p.26)

真理は多くの顔を持つが、主な和音は個人の裡にある。あなたが一体性を感じるや否や、あなたが語るとき、真理の基本的な和音が裡で奏でられる。「わたしを体験しなさい。本来のあなた自身でありなさい。あなたが本来のあなたであろうとするや否や、あなたは自分が誰であるのかを、なぜなのかを、体験する」
「人々は応える。しかし、もしあなたが真理を曲げようとしたり、それで金を儲けようとしたりすると、それは非常に歪んだものとなり、人々は興味を失う」?
(『いのちの法則』p.36-37)

ほとんどの人々はグラマー(幻惑)とイリュージョン(錯覚)の両方を持っています。イリュージョンはメンタル想念でアイディアを扱います。誰もがそれを持っています。世界のメンタル体、メンタル界は何十億もの想念で満たされています――巨大なもの、小さなもの、常に拡大し、常に変化しています。これらがメンタル想念形態です。
アストラル/感情的な想念形態もあります。それらは感情の働きを含みます。感情的想念と共に私たちは感情、感覚を体験しそれに意味を与えます。その意味が真実でないならば、グラマーです。それに対するメンタル体の働きによってそれがグラマーだと知ることができます。グラマーは、メンタル体を通してグラマーに作用する魂の光によって克服されます。メンタル体の洞察はグラマーを克服するために利用されなければなりません。魂の光、すなわち直観が、イリュージョンであるメンタル想念を克服するために使われなければなりません。それらはイリュージョンなのか真実なのかのどちらかです。真実は常にそこにあり、発見する必要はありません。グラマーがなければ、グラマーに満ちた感覚を体験することはなく、あなたの感覚は真実です。それはみぞおちからではなく、ハートから来ます。それはアストラル・エネルギーの誤用ではありません。もしアイディアが真実であれば、それは魂から来たものであり、創造的、啓明的、啓発的です。それがイリユージョンであれば偽りです。その欺瞞性を示すためには、直観、魂の光が必要です。
(『生きる術』p.285-286)

あなたが一つのことを考えていながら、他のことを言い、そしてさらに異なったことを行うとき、あなたは失われる。心(マインド)の正直さは正直な言葉と正直な行動につながる。この調和が平安と幸せにつながる。「あなたが泥棒であろうと、聖者であろうと、いま、直ちに始めることができる」?
(『いのちの法則』p.60)

キリストと彼の弟子である覚者たちを見るとき、人間は多種多様な真理の提示がいかに必要であったかを理解するようになるだろう。なぜなら、人類が非常にながい年を経てきており、時代を通じてその経験と期待は様々であり、アイディアを吸収する方法がいかに異なるかに気づくようになるだろうから。彼らはまた、外側の多様性の背後にある本来の和合について、何かを把握するに至るだろう。
理念や教えの背後に一つの大計画があることを、人間は自分で見いだすだろう。そしてあらゆる教えが大計画のわずか一片を系統化したものであり、大計画は神の創造的意志の表現であり、そのもの自体は絶えず変化のプロセスにあるということを知るだろう。であるから、いかにして一つのグループや一つの社会や制度が、すべての時代に通じる大真理を具現することができようか。もちろん多くの者は、現在すでに総合と和合のために働いていると信じているが、これはおしなべて幻想である。同じような心(マインド)の者とつながりをつけることはあまり手柄にならない。それは有益だが、比較的簡単なことである。それよりはるかに困難なことは、違いを超えて腕を組み、あなた方が同意しない者たちを対等に抱擁することである。
……あなたの兄弟の提示するものの中に、和合させるものを探しなさい。すべての背後にキリストと彼の弟子たちが居ることを知りなさい。一つの真理がすべてのアプローチに盛り込まれており、分離させるものは人間の心(マインド)以外に何もないことを覚えておきなさい。 
(『覚者は語る』―統合の必要―p.69-70)

わたしの覚者たちは、今日人間を取り巻く問題をよく知っており、答も彼らの裡に持っている。彼らに導いてもらいなさい、我が友よ、そして喜びと簡素な幽雅さと真理との単純な径を見せてもらいなさい。新しい法は降る。人は新しい真理を知る。その法は愛である。
その真理は、我が友よ、同胞愛である。わたしの働きによって、この法とこの真理が確実に具現されるであろう。わたしはこれを約束する。必ず、そのようになるであろう。?
(『いのちの水を運ぶ者』第43信p.134-135)

信とは、盲目的な受け入れや単に信じることを意味するのではない。それとは逆に、本当の信とは、直観が、魂の声が内的な認識を促すときにのみ生まれるのであり、あらゆる反論を乗り越えて、心(ハート)があなたに告げるのである――これは真実だ、と。その瞬間が訪れるとき、この新しく見いだした真実をしっかりと握りしめて、そして『そこに留まっていなさい』。 妬みや疑いの声があなたを攻め立てるとき、落ち着いて自分の任務を固守しなさい。あなたの心(マインド)はあなた自身に属するものであり、何を考えるべきかをあなたに指示する権利を持つ者は誰もいないことを覚えておきなさい。 
(『覚者は語る』―奉仕への召集―p.305)

各々の教師が特定の時と場所に相応しい教えを提供します。根本的には、すべての異なった教えが一つの真理を体現します。それらは、特定の時、場所、人民に合わせて強調点と関連性において異なるだけです。すべてに共通なことはすべての生命の一体性の啓示であります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.299)

わたしは神の大計画の管理者である。わたしは新しい道標であり、すべての人間の辿る道である。わたしはいにしえの秘密を保持する。わたしは無上の喜びを授ける。わたしは真理への要求を創り出す。わたしはすべての人間をひとつとなす。わたしは、人間を通して真理を実現するためにやってくる。わたしは昔の救主である。わたしは新しき時代の教師である。わたしは未来への案内人である。わたしは法の化身である。わたしは真理そのものである。わたしはあなたの友であり兄である。わたしはあなたの真我である。?
(『いのちの水を運ぶ者』第70信p.203-204)

いかなる活動をするにあたっても、これらの三つの原則に従って行うべきである――心(マインド)の正直さ、生気(スピリット、エネルギー)の誠実さ、そして無執着である。不正直な心(マインド)、不誠実な生気(スピリット)、そして執着心で行われることは、いかなる活動であろうとも、破壊的である。
(『いのちの法則』p.40)

……マイトレーヤは彼がもたらす真理に向けて人間の思考を導くだろう。このようにして、マイトレーヤは人間に彼らの間違いを示し、彼らのジレンマへの解決法を示されるだろう。このようにして、人間は自分たちの状況をつくづくと眺めるだろう、そしてますます多くの人々がマイトレーヤの助言の真理に気づくだろう。マイトレーヤの導きが、すべての者が心のうちに切望する幸福と平和を達成する唯一の方法であることを、ますます多くの者が知るだろう。それまで恐怖心によって抑えられていた人間は、マイトレーヤの単純な教えが彼らのすべての恐怖と災いへの答えであることを知るだろう。
当然ながら、すべての人間がマイトレーヤのうちに彼らが求める導きを見つけるわけではないだろう。多くの者は、まさに、彼の教えの中に、彼らが恐れ、憎むことのすべてを見るだろう。しかしながら、徐々に、彼の単純な真理の言葉に応え、共鳴することのできる人々の熱意が何千万の人々を正義と平和への彼の大義に引き付けるだろう。彼の教えは単純であるが、愛の火がまだ消されていない人々の心(ハート)に浸透するだろう。 
(シェア・インターナショナル、2008年7月号「覚者より」―人類の一体性―)

ジュワル・クール覚者*の書物を一頁でも読んでご覧なさい。一言も理解できないでしょう。まったく何も理解できないでしょう。言葉は言葉として分かるかもしれないが、それらが本当に何を意味するのかを理解できないのです。覚者の意識を持ちながら、私たちの限られた理解のために書物を書くことが何を意味するか想像できますか。彼は私たちがそれが存在することすら知らない「存在」のレベルについての意識を持っておられるのです。彼は神性を実現された覚者であり、したがって彼にとって(そしてすべての覚者方にとって)リアリティ(実相)の特性と私たちのそれとはまったく異なるものに違いありません。ですから、ジュワル・クール覚者が意識について、あるいはアリス・ベイリーの教えの中で様々なことについて語るとき、それらを私たちのレベルまで下げようと試みておられるのであり、したがってそれらについて相対的な意味で語ることしかできないのです。相対的なものは、何であれ、高位の見地からすれば、真実ではありません。覚者は私たちを誤らせるために意図的に嘘をついているというのではありません。そうではなく、ジュワル・クール覚者は私たちを何らかの光の中に導こうとしておられます。しかし最も志向の高い、高度の人間、つまりある程度の現実性をもって自分自身を弟子と呼べる者たちでさえ、かなり低位の意識レベルしかないのですから、そのような者たちに実際には語れないことを語ろうとされたのです。私たちの意識の状態はあまりにも相対的ですから、真実を知ることは私たちにとって不可能です。そのことをまず受け入れなければなりません。それは、人によっては非常に受け入れ難いことです。不安を感じるからです。誰もが安全感を欲します。私たちは自分が知っていることが本当であることを、そしてそれがいつも真実であることを知りたいのです。今日は真実であったのに来年はまったく間違っているというような真理では困るのです。
絶対的な真理を、完全で、反駁し得ない真理を欲する人々は、秘教徒の中には見出せません。秘教の特質そのものが流動的であり、いつも相対的です。なぜなら、ある個人の意識の状態はさらに上位の状態から見ると、真実ではないからです。物質界をより高位の意識状態から見れば、すなわち内的な人間、魂の見地から見れば、そこには魂が真剣に捉えるべき価値のあるものなど何も存在しません。それは影でしかないことを知っています。リアル(実相)ではありません。私たちにとって、物質界はリアルです。しかし魂にとっては総体的にリアルであるだけです。同様に、私たちが非常に重要だと考えること、つまり私たちを非常に激しく翻弄し、ひどい心痛や病気や惨めさや苦痛や苦難に導く感情体の行為は非現実なものです。私たちの夢と同様に非現実です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.397-398)

*ジュワル・クール(DK)覚者は、チベット人として知られている知恵の大師の一人である。彼は、弟子アリス・ベイリーに不朽の智恵の教えを口述して筆記させた。彼はまたヘレナ・ブラヴァツキーの著書『秘密の教義(Secret Doctrine)』および『暴かれたイシス(ISIS Unveiled)』の内容にも責任がある。


心(マインド)が平静で、独断的な見解から解放されるとき、それは真理を吸収する。「あなたが何事についてもその真実性を試したいと欲するならば、子供と話しなさい」
(『いのちの法則』p.41)

マイトレーヤは、周りにいる僧侶たちに教える。「わたしはあなたと共にいる。もし人々が人生の中で一定の真理を得ていないならば、これらの真理をふんだんに与えなさい。しかしそれをあなた自身のものと主張してはならない」「あなたが出てきた源の光と同じ光が蛇の中にも、山にも、水にも、火にも存在する。同じ光がこれらすべてに共通であるならば、あなたはどうして『これ』が『あれ』よりももっと重要だと言えようか?」
この真理の認識が和合や調和の感覚を生む。「すべての人間にとって同じであるのだから、もしこの真理を知るようになるならば、あなたは比較をするだろうか? 互いに支配しようとするだろうか? いや、しないだろう。その代わり、お互いを尊重するだろう」
(『いのちの法則』p.303-304)

わたしの覚者たちもあなたがたに仕え、真なる同胞愛と正義と調和のうちに共に生きることを教えるだろう。忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを。すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して、父の聖なる愛と真の光が輝いていることを。
時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。あなたがたをあの聖なる存在へ導かせてほしい、我が友よ。わたしの降臨に「然り」と言いなさい。わたしの到来に「はい」と言いなさい、そしてわたしの愛の祝福に包まれなさい。 
(『いのちの水を運ぶ者』第51信p.152-153)

人々は狂信的になることを恐れています。実際に危険なのは狂信性ではなく、惰性です、不活動です。マイトレーヤを直接に経験したことのないグループが、何年間も出現に関連して集中度の高い活動を維持することは非常に難しいです。あまりにも多くが求められていると思います。伝導瞑想や個人の瞑想がその高度のレベルの決意を維持する助けとなることは本当です。しかし信が要求されます。もし信がなければ、それは単にマイトレーヤはこの世にいるという単なる信念や希望だけならば、それに対立するあらゆるものに抵抗しながら働かねばなりませんので、維持していくことができません。この事実を認識しなければなりません。
マイトレーヤが真の存在であり、確かにこの世におられるという個人的な経験を持っていなければ、とても難しいに違いありません。でも、マイトレーヤがおられるという証拠がますます多く現れております。あらゆる外的な徴が日毎に増えており、このことを仮説として受け入れ、あたかも本当のことであるという基礎に基づいて働くことが(マイトレーヤを実際に経験していないあなたたちにとっては、それしかできません)実際、以前よりもずっと容易になってきています。ですから、もしこれがあなたにとって納得のいくメッセージなら、真理の響きがあるなら、(あなたは完全な確信をもってこれを知るわけではないけれども)、そしてあくまでも仮説として、その仮説に基づいて働いているけれど、世界に展開している出来事そのものが、経験そのものが、あなたにこれが本当であることを証明してくれます。マイトレーヤのエネルギーがあなたを通して流れることが分かります。それを否定することはできません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.705-706)

分割と分離という往古の習慣は根強く、他方、恐怖心と迷信が何千万の人間をその魔力にかける。しかしながら、世界の歴史の中で、これほどよくその任務のための装備を整えた教師がやって来られたことはかつてなかった。マイトレーヤは、無知と恐怖、分割と貪欲に戦いを挑むためにやって来られた。彼の武器は、霊的理解と知識と愛である。彼の輝ける鎧は、真理そのものである。 
(『覚者は語る』―人の子―p.97)

わたしの到来はこの世を変換させる。しかし復興の主な仕事は、あなたがたによってなされねばならない。わたしは、計画の設計者にすぎない。我が友よ、兄弟たちよ、あなたがたが、輝ける真理の宮殿を喜んで築く者たちである。わたしはその宮殿の鍵をあなたがたに与える。その中に入ってあなたがたは神を識る。?
(『いのちの水を運ぶ者』第65信p.190)

人類のために必要な教育制度は、人間は魂であり、肉体人間としてこの三次元世界に顕されているという内的真理の上に築かれねばなりません。教育はこの真理に適合しなければならない。そして時代遅れの機械に当てはまる歯車としてしか役に立たない情報で、子供たちの頭脳を一杯に詰め込まないようにしなければならない。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.220-221)

幸いにして、何ものも彼(マイトレーヤ)の大儀の勝利を阻むことはできない。なぜなら、彼の大儀と人間の必要は一体であるから。人間がこれを見るとき、彼らはこの方の側に集い、彼の唱導する変化を要求するだろう。かくして、真理で武装した槍の穂先が作られて、古い制度の腐敗したハートに向けられるだろう。多くの人々がこの方の裡に昔の救い主を見るだろう。他の人々はこの方の裡に新しい時代の代表的人物を認知するだろう。彼らの位置が何であれ、人々はこの方の旗印を高く掲げるだろう。それは真理と同胞愛、正義と平和である。
(『覚者は語る』―すべてが良くなるだろう―p.420)

今日、変化の必要を認めてはいても、まだそれに抵抗する者が多い。古き使いふるされた過去の世界がくずれていくのに気づいていながら、なお古い形態にしがみついている者が多い。しかし国々に新しい声が聞こえる――希望と約束をはらんだ真理の声が、新しい時代の声が。この声は人々の心に刻みつけられていく、次第に強さを増しながら。なぜならこの声は、人間を通して語る神の声であるから。
わたしの覚者たちはあなたがたと共に在り、道を示すであろう。わたしが自ら先導する。この手引きを、立ちて前進するこの機会を、あなたがたが拒否することはあり得ようか。いや、わたしはそう思わない。人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり奉仕であるということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない――自然とこの世界との間に均衡をとりもどす時間は。 
(『いのちの水を運ぶ者』第12信p.52-54)

これはハイアラキーが世界を見るときの見解を示しています。彼らはグラマーを見、リアリティー(実相)を見ます。私たちが見るところのことは、真理から全く異なったことであることを彼らは知っています。魂は真理を見ることができません。なぜなら、パーソナリティーが魂に真理を見させないからです。私たちは真理を隠してしまいました。私たちはアイディアを見ます。偽りの言語、偽りの教育、無知、理解の欠如から、‘常識的規範’に沿って、アカデミックな線に沿って、それが政治だろうが、宗教だろうが、アカデミックな分野だろうが、一般に受け入れられている理解に沿って、解釈します。
すなわち現状維持を受け入れるのです。なぜなら変化を恐れるからです。変えることを恐れるので、変化の必要を見ようとはしません。変化の必要を、そこにある現実を、世界の本当の状態を、痛み、苦しみ、世界の不安を覆います。私はテロについてのみ話しているのではありません。もちろんテロも含めた人生の不安について語っています。なぜなら、私たちはそれを見たくないからです。それは人々を混乱させます、恐ろしいのです。ですからそれをイリュージョンで覆いかぶせます。人生のあらゆる断片をイリュージョンで満たします。
グループの中で、政党の中で、政府の中で、私たちはそれを行います。真理を覆い隠すというトリックで様々に異なったやり方で機能しています。答えは何か。どうすればそれから抜け出せるでしょうか。
ジュワル・クール覚者は、直観のみがイリュージョンを克服することができると述べています。「瞑想の中で、マインドコントロールのテクニックで、世界の思索者たちは世界のイリュージョンを取り除きはじめるだろう。それゆえに、世界のグラマーの重圧がますますのしかかるにつれて、瞑想への関心が増大する。それゆえに、マインドコントロールの方法について正しい理解が極めて重要な必要性となる……直観のみが、イリュージョンを払い去ることができる。それゆえ直観力のある人々を訓練する必要がある」
直観は魂の光であり、魂のブッディ・レベルがマインドを通して直接に働きます。マインドからイリュージョンが取り除かれると、ブッディすなわち直観自体が顕現することができます。直観すなわちブッディが顕現するとき、その人のマインドからこれらのあらゆるイリュージョンを自動的に一掃します。家を掃除するようなものです。ある日、家の中に入ると蜘蛛の巣が見える。何年もその家に住んでいたが蜘蛛の巣を見たことがなかった。蜘蛛の巣で覆われていたのが見えなかった。ところがある日、蜘蛛の巣があるのが見える、そしてブラシを持ってきてそれを払い除けはじめるのです。
私たちが直観と呼ぶ能力はマインドの上位のレベルのものであり、次に開発されていくものです。
(『生きる術』p.245-247)

我が友よ、真理はあなたがたの中に存在する。真理はあなたがたの心の中にある。真理は、我が友よ、兄弟姉妹よ、愛と分かち合いと正義と自由である。これらをあなたがたの生活や社会の中に具現し、神の大計画を再確立しなさい。 
(『いのちの水を運ぶ者』第93信p.270)

不動性はあなた自身の魂の様相を前面に掲げて、霊のレベルから生活することです。だからといって、絶えず「私は魂である、私は魂である、私は魂であることを覚えておかなければならない」と言いながら生活すると言っているのではありません。全く違います。不動性とは、あなたが持っているすべてのものを、あなたの知る最高の真理の光に絶えず集中させておくことです。あなたが信じるところのもののために、それが正しかろうが正しくなかろうが、どのような背景から出たものであろうが、あなたの信じるところのものに、あなたのすべての注目と志向を集中させ、そしてあなたの持つ意志の力すべてを、その理想、アイディア、目的の遂行に動員することです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.361-362)

マイトレーヤは、いかにして変化の方向に向かうのに必要とされる非常に大勢の人々の心(ハート)に触れることができるのか。その答えはマイトレーヤのエネルギーの力(効力)にある。そのようなパワー(力)を備えた大教師が世界の前に立たれたことは、これまでかつてなかった。マイトレーヤが発する一言一言に乗って、彼の情け深いフォース(エネルギー)がハートからハートへと流れ込む。議論や討論は役に立たず、不必要である。彼の真理が聞く者たちの心(ハート)に真理を呼び起こし、彼らの共有する神性のるつぼの中で真理そのものとして認知される。 
(シェア・インターナショナル、2007年9月号「覚者より」―人間の神性―)

あなたがたがわたしを見、聞くとき、わたしの語る真理をあなたがたは長い間知っていたことに気づくであろう。あなたがたの心の裡に神の真理が宿る。これらの単純なる真理が、我が友よ、すべての存在の基礎にある。分かち合いと正義、同胞愛と自由は新しい概念ではない。時の初めから、人類はその志向をこれらの星々の招きにつないできた。さあ、我が友よ、これらを世界にしっかりとつなぎとめよう。 
(『いのちの水を運ぶ者』第105信p.308)