現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 6月 完全な参加

完全な参加

編集長殿
2008年3月24日に、私たちはデルフト駅からハーグの中心街へと歩く平和行進に参加しました。とても寒い日だったにもかかわらず、その場の雰囲気は楽しいものでした。しわだらけで歯がなく、黒のコーデュロイのスーツに赤いスカーフ姿の男性が、ひっきりなしに沿道の人たちに話しかけたり、デモに引き入れようと誘ったりして動き回り、スピーカーの言葉にはいつも熱心に賛同していました。彼は少し酔っていたようで、自分のことを『ハグニー』(ハーグに住む人をおもしろく表す言葉)と呼んだり、その後では『ロッテルダマー』(ロッテルダムに住む人)と言ったりしていました。彼は覚者でしたか。
オランダ、ナイメーヘンの伝導瞑想グループ
【ベンジャミン・クレームの師は、黒のコーデュロイのスーツの男性がマイトレーヤであったことを確認した】

クイック・チェンジ

編集長殿
2008年3月15日、私たちは平和集会でアムステルダムのダム広場にいました。私たち3人は、オランダ語と英語で「分かち合いと正義のみが平和をもたらす」と書かれた旗を持っていました。一人の小柄な男性が私たちに近づいてきました。彼は黒い山高帽を被り、黄と青のストライプのスカーフを巻いていました。彼は充血した目をして、右耳に補聴器をつけていました。生き生きとしたオープンな人のように見えました。彼は旗を指差して、「世界には常にメシア(救世主)がいる」と言いました。それに対して私たちは声を揃えて、「そうです、マイトレーヤです」と答えました。すると彼は「それは神です」と言いました。彼はそれがマイトレーヤだと認めてはくれませんでしたが、否定もしませんでした。まるで私たちが少し試されているように思えました。誰かがマイトレーヤ仏陀のことを話すと、彼は仏教徒について話し始め、仏教徒は蟻やクモでさえ殺さないものだと言いました。彼からクモが怖いかと尋ねられました。彼はかつてクモが怖かったけれども、今はそうでなくなったと言っていました。彼はわざと大きなクモを手に持ったりしたこともあったそうです。彼はまじめで、それと同時におもしろく、それは私自身の恐れを手放すように誘いを受けているような感じがしました。それから彼は他の数人の人たちと話をし、イスラエルではメシアが、ヨシュアと共に非常に多くの人々に現れていると話していました。その後、彼は去って行きました。彼はマイトレーヤか、それともイエス覚者でしたか。
一人のカメラマンについてもお尋ねしたいのです。背が高くほっそりとした男性で、髪は薄く、フレンドリーな様子で自転車に乗って現れ、私たちの周りを回り続けて、あらゆる角度から私たちの旗を撮っていました。一人のホームレスがやって来て、旗の『正義』という言葉について英語でブツブツと文句を言ってきた時も、そのカメラマンがすぐにやって来て、アムステルダムから来た人たちはこういう反応の仕方をするものだと、私たちを安心させてくれました。
彼のことがずっと気にかかっています。彼もまた特別な方でしたか。
マーセリン・バーヘルゼ・デ・ロン
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、『黒の山高帽に黄と青のストライプのスカーフを着けた』男性はマイトレーヤであったことを確認した。『カメラマン』もマイトレーヤであった】