現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 2月 特集「教育、教育、教育」

特集「教育、教育、教育」

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質疑応答
ベンジャミン・クレーム
幼い子供に教えること
Q 幼い子供が輪廻転生やUFOなどについて質問するとき、子供の先生や他の親たち、子供の仲間たちが、そんなことはばかばかしいと言うかもしれないことを考慮に入れたうえで、親は子供にどの程度教えることができるでしょうか。
もし親や先生がUFOなどばかげていると考えていれば、それを子供たちに言うでしょう。そのような人々の手に子供を預けないようにする以外に、それについて私たちにできることはありません。 真の答えは、子供の年齢によってかなり異なります。6歳か7歳までは、子供たちにUFOや、秘教と幅広く呼ばれるものに関連したことに関心を抱かせるべきだとは思いません。宗教的な信仰や、親が秘教について抱いている信念を紹介すべきではありません。生活過程の中で自分自身のペースで成長させてあげるべきです。転生した魂としてどんな(レベル)の人かによって、時間が長くかかったり短かったりしますが、いつそうした瞬間を迎えるかは子供に任せるべきです。およそ8歳から10歳や14歳くらいの、より年長の子供には、UFOや輪廻転生のような質問に対してかなり単純な答えを与えてもよいでしょう。 輪廻転生は非常に扱いにくい主題です。それは私たちの体験の主要な法則の一つ、つまり、再生誕の法則のことです。のぞむべくは、やがて私たちすべてがその法則についての真実を知り、それを心から信じ、直接的に体験することになるでしょう。しかし私は、6歳か7歳以下の子供にそのことを知らせたいとは思いません。 7歳はクライマックスの時、変化の時であり、7歳以降は子供の質問に対していくつか答えを提供することができますが、親が教義上の関心を抱いている事柄としてではなく、常にその質問にまつわる事実に関連させるべきです。私だったら、すべての子供が親の宗教的もしくは哲学的な信念に染まることなく、やがて自分自身で判断していくのに任せたいと思います。 キリストの再臨や覚者方、世界へのキリストの帰還の話に非常に関心があり、非常に早い年齢から自分の子供をこの話の一部にしたいと願う人々を私は知っています。そして、子供がとても活発に、しかし完全に歪んだ形でこの話に参加するようになった事例をいくつか聞きました。子供たちは覚者方から‘メッセージ’を受け取り始めたというのです──もちろん、これは誤ったものです。覚者方がそのような年齢の子供にメッセージを伝えることはありません。その親たちは私に連絡してきて、自分の子供が実際にハイアラキーの助言や教えの受け手となったのか、あるいは、親から聞いたことを繰り返しているだけなのか聞いてくるのです。 もちろん、どの場合でも、子供は親から聞いたことを繰り返しているだけであり、それは子供の側のグラマーです。身の周りにあるものを見て、自分自身で判断できるようになるぐらい十分に年をとるまで、子供たちのマインド、信念構造、宗教的な志向をそっとしておいてください。たとえそれが、親の考えていることを完全に否定することを意味しているとしても。子供たちは変わっていきます。
10代の若者と理想主義
Q 10代の若者の中には、人類は地球上のウイルスであり、絶滅させなければならないと言う者もいます。彼らに自分たちの神聖さに気づかせるには、どんな対応をすればよいですか。
A そうですね、それも若者の年齢次第です。19歳の若者は13歳の若者とは全く違った答えを必要とします。これも進化段階によって、したがって、その人のマインドの成熟度によって異なります。 人類は絶滅させなければならないウイルスだと彼らが言うとしたら、「そうしてみてください。絶滅させようとしてみてください」と私は言うでしょう。それで十分だと思います。もし彼らが「どうやってですか」と言ったら、「分かりませんね。あなたが考える通りに」と私は言うでしょう。彼らはお手上げとなるでしょう。それは小さな考えにすぎません。 世界には非常に危険で破壊的なやり方で行動する人々がいます。10代の頃、人はとても大きな志向を抱きます。彼らの志向は新鮮で真新しいものです。それは心の底から抱くものであり、彼らは世界にある苦痛や苦悩に愕然とします。それをとても強く感じます。しかし、慈悲を求める叫び──まさしくそうなのです──に応えるために、種の絶滅という考えを持ち出すのは全くばかげたことです。 社会だけでなく、その社会のメンバーとしての自分自身も非難する人がいます。彼らは社会から疎外されているように感じます。社会は自分たちのために何もしてくれないと感じるからです。周りを見回すと、商業化された世界が見え、政府や政治家の破壊的な傾向が目につきます。したがって、彼らがそのように感じるのも不思議ではありません。しかし、彼らは知的にあまり発達しておらず、全滅こそふさわしいと考えるのです。しかし、それは無理だということがすぐに分かります。 それで、彼らはもっと現実的になり、自分が周囲に影響を与え、自分自身の行動によって、自分が出会う人々に影響を与えることができることを知ります。自分の生活次第で自分にとって可能な最も優れた人間になるかどうかは私たちに任されています。マイトレーヤが言われるように、もし信心深い優れたキリスト教徒になりたければ、最も優れたキリスト教徒になればよいのです。あるいは、最も優れたイスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、ユダヤ教徒など、とにかく可能なかぎりの最も優れた人間になってください。
放射能汚染
Q 放射能の有害な面は、いつ明らかにされるのでしょうか。
A 実際、私が講演を行う度に、口を開く度に、新しい発電所や地球温暖化を克服するための原子力発電所の増設について聞く度に、私はそのことを明らかにしています。それはまるで、小さな傷口を治すために大量の毒を使うようなものです。昔はよく、何の病気であれ、患者の血液を抜いたものです。病気は悪い血液に由来すると信じられていたため、傷口を作って血液を流れ出させました。約2リットルの血液を抜けば、患者は体力を消耗し、ますます悪くなりますが、時々、回復する患者もいました。おそらく普通の方法でも回復していたでしょう。しかし、どんな病気の場合でも血液を抜きました。それが最初に行われることでした。ナイフを使って血液を外に出したのです。 それは放射能について理解するようになることと似ています。もし世界が私の言うことに耳を傾けていたならば、放射能が体に良くないことは約30年前から知られていたでしょう。それを口から摂取すべきではありません。実際、一切摂取すべきではありません。なぜなら放射能の最も有害な面は、現在の技術で測定できるレベルを超えているからです。自分たちには測定できないレベルの放射能があるということさえ理解されていません。私はそれを何年間も言い続けてきました。人々は耳を傾けようとしないのです。 したがって、私たちが待っているのはそれが明らかになることではありません。いつその情報に耳を傾けるのかという質問をした方がよいと思います。それはおそらくマイトレーヤにかかっています。人々は原子力発電所が危険かどうかについて質問をし、マイトレーヤはそれに正しく答えるでしょう。疑いありません。ですから、非常に多くの事柄と同様に、それはおそらくマイトレーヤにかかっています。
Q フランスには、原子力によって直接・間接に5,000万人が死亡したと主張する、原子力に反対するグループがあります。その数値が正しいかどうか覚者に答えていただけますか。
A 彼らがどうやってその数値を算出したのか分かりません。放射能の結果としてどのくらいの人が死亡したか、どうやって測定するのでしょうか。覚者でない限り、測定するのは不可能です。覚者は、人々に影響を与えていることが全く知られていないレベルの放射能の結果として、過去3年間でおよそ20万人の人々が死亡したと述べております。
Q それはフランスの場合ですか。
A いいえ、フランスの場合でなく、全世界で20万人です。それは概数ですが、5,000万人ではありません。
Q 彼らはロシアのチェルノブイリでの事故などを含めているのだと推測します。
A 正確な数値を査定しようとするのは、また、そうした数値が得られるようなふりをし始めるのでさえも、ばかげたことです。測定する手段はありません。覚者はここ3年で、直接的に放射能の結果として20万人が死亡したと述べております。そして、それは世界での数値であり、言えるのはせいぜいそのくらいです。
Q 例えば、医療分野での原子力エネルギーの肯定的な活用について何か述べていただけますか。原子力テクノロジーの医療での使用です。それはむしろ、同位元素の欠如についての質問であるかもしれません。
A 同位元素の欠如? 同位元素を作ることはできますが、何のために使われるのか知らなければなりません。例えば、水から非常に単純な同位元素を作ることができます。それによって、原子力エネルギーは安全でクリーンな状態で使用されるようになるでしょう。原子爆弾や発電所で活用されている核分裂ではなく、核融合です。融合の過程はクリーンであり、常温で行われ、世界中の至るところにある水から取り出す単一同位元素によって実現します。したがって、誰も核融合を隅に追いやることはできません。世界のすべての国家が自前の核融合プラントを建設することができます。それは、現在の多様な発電システムと、世界に与えられる新しい光のテクノロジーとの間隙を埋めて、必要とされる安全でクリーンな電力を供給するでしょう。 光のテクノロジーがいつ導入されるかは設定されていません。それは人類が戦争を永久に放棄することにかかっています。もし人類が戦争を一つの選択肢と見なし続けるならば、光のテクノロジーは公開されないでしょう。しかし、人類が戦争を完全かつ永久に放棄することを決定的かつ全面的に示すならば、光のテクノロジーが人類に与えられるでしょう。それは安全でクリーンであり、太陽からエネルギーを直接取り込みます。 宇宙の兄弟たちは物質界に磁力的なエネルギーの網目(グリッド)をつくっており、それが太陽のエネルギーと組み合わさって、その光のエネルギー、つまり新しい「光の科学」を提供するでしょう。しかし、そのタイミングは人類にかかっています。 その一方で、私たちは明日にでも核融合を導入することができます。それは実験室でもその他のところでもあらゆる必要を満たし、安全、クリーンで、破壊的でなく、今日の科学の発展を大いに助けてくれるでしょう。しかしこの場合も、それの製法は、それが原油や石油への依存を終わらせることになると考える自動車製造業者などの机上に置かれたままです。彼らは石油で駆動するエンジンを製造しているため、最も見たくないものが核融合なのです。まさに商業至上主義に関係しています──人はこの言葉に飽き飽きしていますが、それが人類の問題の核心です。
教育プログラム──教育制度内の変化
Q マイトレーヤの出現と教えに関する講座や教育プログラムをグループで開発し、これを学校に提供することをお勧めしますか。
A そのようなプログラムを作り、必ずしも学校に対してではなく、一般大衆に提供することを強く勧めます。もし学校に提供するのであれば、高等レベルに提供することになるでしょう。私だったらおそらく、もちろん大学を含めて、14歳以上を対象にするでしょう。それを一般大衆に提示するのも非常に有意義なことです。それを行う時間は本当にわずかしかありません。こうした質問は20年前にすべきでした。私は同じ答えを述べていたでしょう。そうすれば、皆さんは20年間実践を重ねてきたことでしょう。マイトレーヤがどれだけ早く現れるか分かりません。それまでの時は非常に、非常に短いでしょう。 したがって、答えは然りです。学校で、しかし14歳以上だけを対象とすべきです。皆さんは、14歳を超えた大人のみが、大宣言の日にマイトレーヤの言葉をテレパシーによって聞くと告げられてきました。人は14歳までは子供であり、そのことを尊重しなければなりません。子供たちに与えることができること、もしくは、与えるべきことには限度があります。
Q 大宣言の日の後、教育の変化はゆっくりと起こるのでしょうか。それとも急速に起こるのでしょうか。
A 変化を起こそうとする人々にとって、それはひどく緩慢なように思えるでしょう。教育における変化は、全く単純な事柄についてでさえ、アイディアが繰り返し議論され、何年も繰り返され、却下され、受容され、そしてまた検討されたり取り下げられたり、そして再評価されたりと、非常にゆっくりと起こります。ですから、このような新しい教えは単純な変化ではありませんから、変化は緩慢なように見えることが予想されます。 しかし、もっと長期的な観点から見ると、変化はまさに非常に急速でしょう。現場の人々の個別の努力がなくても、人間の思考と体験に途方もない変化が起こるでしょう。ラジオとテレビがその役割を果たすでしょう。インターネットもその役割を果たすでしょう。そして人々は速やかに、新しい時代に関連する思考やアイディアや概念について知ることになるでしょう。教えられるのではなく、知るようになるというのが大事な点です。いったんそのアイディアを知るようになれば、自分の知的な器量に応じて、自分でその実現を早めたり遅らせたりします。 東洋の人々は何千年もの間、再生誕の法則について知っていました。何百万もの人々、例えば仏教徒やヒンズー教徒は、再生誕の法則を教義として正しいと当然のように見なしていますが、その意味するところを必ずしも理解しているとは限りません。彼らの多くは、カルマの法則──つまり原因と結果の法則──が何であるか、どのように作用するか、どのような影響を及ぼすか──例えば、なぜ自分たちは貧しいのか──について、歪んだ考えを持っています。自分たちが貧しいのは、前世でそれに値するだけのことをしたに違いないからだと考えます。金持ちだったかもしれないが、残酷で無慈悲だったので、この人生では貧しいのだと考えます。貧困には政治的な原因があることを認識しません。それは例えば、インド政府の行動の原因と結果に関係しています。インド政府は今日、大金を稼いでおり、われわれ(西洋)の銀行が崩壊しないように支えるために資金を西洋に提供するなど、金融大国として頭角を現しています。にもかかわらず、何百万ものインド人が飢えています、それはカルマのせいではなく、インドの富が分かち合われていないからです。知識を得るということと、その知識を理解することとは違います。
Q 私は教師なので、職を失うのではないかという恐れなしに、再臨や人生の目的について、いつおおっぴらに話すことができるのかと思っています。
A これは難しい質問です。私が言っていることがあなたの職を保証するとか、絶対にクビになるだろうとか、請け合うことはできません。
Q 教育改革の青写真に関して、教育分野の人々は、他の領域の弟子たちが訓練を受けているのと同じように、いま訓練を受けているのでしょうか。
A 外界では、世界の異なった地域のあちこちでそのような改革が試みられています。興味深いことに、アメリカでは他の地域以上に、様々な小さなグループによって試みられています。しかしどこの国でも、国家政策としてそのような新しい思考を紹介してはおりません。 1975年に最初の5人の覚者が日常の世界に出て来られ、その後あと2人、そしてその他の方々が出て来られました。ですから、現在、世界には14人の覚者と、プラスマイトレーヤがおります。覚者方は皆、ある意味では教育者です。彼らは何らかの種類の教育者ですが、公式的な意味では必ずしもそうではありません。彼らの多くは他の種類の仕事を抱えていますが、その仕事を行う結果として、私たちに関する限り、結局のところ教えることになります。彼らは教えという恩恵を彼らの弟子たち、世界にいる男女、を通して与えてきました。したがって、教育に対するより良いアプローチ──教育がいかにいのちのための教育に基づかなければならないか──に関するアイディア、理論、公式を他の人々に教えることができるように、いま訓練を受けている男女の一団が世界中におります。 このすべてのことには時間がかかります。最初の活動は政府や政治などに関係するでしょう。いのちのための教育という意味では、後になってからしか検討されないでしょう。それはゆっくりと明らかになり、ゆっくりと実施されていくでしょう。それには異なった働きがあります。ただし、二つの働きは相互に関連しています。しかし、最初になすべきことは、私たちが世界を破壊しないことを確実にすることです。たとえば原爆を除去したいと言うのみではなく、それを実行しなければなりません。それは世界が信頼することのできる誰かによって、つまりハイアラキーや、ハイアラキーの代表者、すでにここにおられる覚者方の古参の弟子たちによって監督されなければなりません。 したがって教育の分野では、変化はより緩慢ですが、いずれ起こるでしょう。新しい教育の全体像、全体的な傾向を提示するために訓練を受けている人々がいます。ギャップを埋めるため、教室やその他の教えの場での詳細を決めるために訓練を受けることのできる人々もいます。それはいつも教室とは限りません。産業界である可能性もあります。
Q それでは、いま教師として働いている人々は、教育についての自分の考えを実行しようとすべきではないのですか。
A いいえ、全くそのような意味ではありません。有能な教師はいずれにしてもそのようなことを試みているはずです。しかし、それは生徒の年齢にもよります。あなたが言うことが何であれ、それを自分が教える子供たちのマインドの領域に合わせなければなりません。もし幼い子供を扱っているとしたら、子供を過剰に刺激して、グラマーになったり、単に間違った道を提示してしまわないように細心の注意を払うべきです。しかし、10代の若者、特に14歳以上の場合は、是非ともそうすべきです。彼らはそれに飢えており、それを熱望しています。
グループの教育的な役割
Q マイトレーヤの出現後、私たちの役割はどうなるのでしょうか。
A この講話はこのアイディアについてすでにかなり知っている人々を対象に提供されました。しかしそれは、世界の完全な変容に関係した仕事を実行する必要性を示すためでした。「新しい教育」、「家族」のための教育、そして「光の時代」という覚者の三つの記事のそれぞれについて私が話したことを真剣に受け止めるならば、自分自身を適応させる人々──ここが大事な点ですが──知識に飢えた一般大衆を教育するという仕事のために自分自身を適応させる人々にとっては一つの機会となります。 インターネットに関わりのある人々、あの小さな長方形の画面にかじりついている人々は、至るところにいる人々が疑問を抱いていることを知っています。彼らは疑問に満ちています。私が何について話しているのか、私たちのウェブサイトには何があるのか全く分かっていないように思える一般大衆から、私は質問を受けます。しかし、彼らは何らかの種類の情報に飢えています。彼らはUFOについてしきりに知りたがります。UFOは現実なのだろうか。どこから来るのか。どういう働きをしているのか。その役割は何なのか。友好的なのか。攻撃的なのか。人々は情報に飢えています。したがって、やりたいと思うすべての人には仕事があります──新しい時代、新しい政治の形態、新しい教育の形態、新しいテクノロジーの形態について詳しく知り、この情報を正気で分別のある方法で提示するという仕事です。あなた方は広大な奉仕の分野を持っています。 私がこの話をするのは、マイトレーヤが世界に出てこられるまでの時間はいかに短いか、したがって、大宣言の日までの時間は本当にいかに短いかを強調するためです。その時には、知識を求める途方もない要求があるでしょう。この仕事に関連するグループは情報のセンターになるでしょう。あなた方は皆、異なったグループ、異なった国の出身ですが、一般大衆が目を向けるのは、話をしたり図書館などに情報を配布したり本を発行したりして知られるようになってきたグループです。あなた方は、あなた方の社会や国で、この情報を求めて近づくことのできる唯一の人々として知られるようになるでしょう。 ところで、一般の人々から受ける質問にどう答えたらよいかを聞くために私に電話をすることができるとは考えないでください。私はあなた方を通して一般の人々の質問に答えるつもりはありません。あなた方は自分自身でこの情報についてよく知らなければなりません。本を読みなさい。本を読めば読むほど、ますます多くのことを知ることになります。あなた方のうち何名が実際に本を読んだでしょうか。あなた方の質問から判断すると、非常に少ないと思います。
Q 教育的な交流では、どのようにして他の人々を鼓舞することができるでしょうか。
A そうですね、何よりもまず、微笑んでください。微笑んで、元気そうに見え、議事全体を通してとても活気があると見られた方がいいです。それが主要なことです。人々はこう言うでしょう。「この人は明らかにすべての答えを知っている。私は知らないから、有り難いことだ。さあ、私を鼓舞してください」と。笑顔を保つのが少し苦痛になってきても笑顔を絶やさず、何としてでも笑顔を保つのです。それから、うなずくこともできますよ──そうです、そうです、と。話している最中に、自分が言っていることが本当だということを強調するためにうなずくことができれば、人々は鼓舞されるでしょう。あなたが人を鼓舞するような人物であると人々は理解するでしょう。さらに、そうした方がよいと思われるときは語気を強めることもできます。その中にある種のスリルを入れることができれば、つまり、あなたが言っていることが特に重要で、特に真実で、非常に、非常に秘教的であることを伝える、ぞくぞくするような感じを声の中に入れることができれば、人を鼓舞するものになるでしょう。それが実際、私が与えることのできる唯一の答えです、とまあ、これはほんの冗談ですよ。 真面目に言うと、人々を鼓舞する方法は、自分自身でそれを信じることです。自分で信じなければ人を鼓舞することはできません。それが難しいところではないですか。他の人々を鼓舞する前に自分で信じなければなりません。しかし、もしあなたが本当に信じるならば、他の人々を鼓舞するのは簡単です。彼らに言えばいいだけです。誇張しないで、ただ自分自身でありなさい。この話の真実性そのものが人を鼓舞します──もし人々の用意ができていれば。
創造性
Q 教育にとっての創造性の大切さとは何でしょうか。
A それが教育の何たるか、人生の何たるかなのです。教育は、人生の目的とその目的を達成するための手段についての創造的な認識へと人間を適合させることに関係します。それはひとつの存在を、ひとつの不滅の神を、つくりあげていくことに関係します。私たちは不滅の神々であるということを、この惑星の神性の完全なレベルにおいは、不死の神々であることを受け入れなければなりません。この惑星は太陽系システム内においては最高の惑星ではなく、またこの(太陽系)システム自体も非常に高位のシステムではありません。それは相対的なことですが、これらの潜在的な神々は相対性の中で、その神性を顕現させることを可能にする方法や生き方を教育者に期待します。不足しているのはそれだけです、つまり、人がその生涯で受け取ることになっている潜在能力のすべての部分を完全に引き出すことです。 再生誕の法則のゆえに、私たちは転生する度にそれに向き合わなければなりません。その法則がこのことを可能にします。進化の旅路の始まりに、その人が神になるために必要なすべてのものをその人に提供することは決してできません。なぜなら道具がまだ発達していないからです──頭脳はまだ進化しておらず、肉体は十分に強くなく、アストラル体は十分に穏やかでなく、メンタル体は教えられるのに十分なだけの必要な知識で満たされておりません。理解するにはいくらかの知識が必要です。 教えるということは、開かれてはいるがまだ限られているマインドに、人間であるということはどういうことか、他の人々と一緒に平和に、すべての人のための正義と自由を尊重していかに生きるべきかについての概念、理解、知識を与えることに関するものです。それは大きな仕事、壮大な仕事であり、決して楽な仕事ではありません。しかし、創造的な仕事です。 すべての芸術、すべての科学、すべての哲学、すべての宗教の本質は創造性です。私たちは霊的な宇宙に生きています。その霊的な宇宙は絶えず変化する原動機(モーター)であり、偉大な創造性の生成者(ジェネレーター)です。その生成者は創造性の様々な様相を生成し、それらを宇宙へと投げ込み、そして、そうした様相は様々な銀河系や太陽系へとこぼれ落ちていきます。こうした創造性のエネルギーは、一つのアイディアの遠いこだまとして地球という小さな惑星に届きます。そのアイディアは世界を活気づけ変容させることができます。それほど不思議で、シンプルで、巨大なものです。こうした数々の偉大なアイディアが私たちの空間に注ぎ込んでいます。しかし、それらが降りてくるには時間がかかり、私たちのマインドは意識的な認識を次第に拡大させて、その意味や人生への影響に対して波長を合わせなければなりません。そして、それらを実行に移す最良の方法を見つけなければなりません。それが人生の本質です。 私たちは転生している魂です。それが創造性であり、人生の本質です。「この一部分のみが創造的になるが、他の部分は創造的になる必要はない」と言うことはできません。すべてのものが一瞬一瞬、創造的でなければなりません。人生とは創造性のことです。創造性はパンに塗るバターのように、より美味しくするためだけに、もっと楽に進んでいくためだけに身に付けることができるものではありません。創造性とは実体であり、人生の本質です。人生が正しく感知されるとき、人生は意味と目的のあるものとして見られます。そして人生の意味と目的を把握するとき、それをどのように表現するにせよ、それは私たちの裡に生まれる創造性につながります。私たちはもちろん、過去世の人生経験に応じて男女として、それに表現を与えます。 創造性は余分なものではありません。それは人生の本質そのものです。ですから、私たちの日常的な存在の一部として、そのような創造的な状態で生きなければなりません。それは時間がある時にするようなものではありません。それは、私たちが本来そうであるからこそ、やることなのです。もし私たちが創造的であるならば、私たちは常に創造的です。何もやっているように見えなくても、創造的であることができます。創造性とは存在の状態、存在しているという状態です。そして、日常生活の中で私たちの焦点と集中した認識をしっかりと維持すればするほど、私たちはますます創造的な状態へと近づきます。それが神性です。それが創造です。それが人生の何たるかです。それは本来の私たちであり、すべての人がそうであるものです。
光のテクノロジー
Q 自閉症も放射能によって引き起こされますか。自閉症やアルツハイマー病やその他の放射能に関連した病気を治療することはできますか。それとも、こうした人々は残りの生涯、このような状態を抱えて生きる運命なのでしょうか。
A 自閉症もまた、いつもそうとは限りませんが、しばしば大気中の放射能の結果です。それは治療できるか。現時点ではできません。将来は、光のテクノロジーによって、アルツハイマー病と同様に、ある程度は治療できるようになることが期待されます。これは、すぐにではなく、しばらくしてからですが、遺伝子工学の進歩した形態と光のテクノロジーを通して入手可能になる光のエネルギーによって、人々は数時間診療所に入り、脳の治療を終えて出てくるということを意味します。アルツハイマー病において起こることは、脳が実際に物理的に収縮し、そのため、私たちの反応を司る連結部をつくる脳内物質がますます少なくなるということです。新しい時代においては、それはあまり頻繁に発症しなくなり、発症するとしても人生の後半のみになるでしょう。その時代の診療所では、光のテクノロジーと進歩した遺伝子工学の形態との組み合わせにより、数時間後には心臓や肝臓や腎臓など体の様々な器官を再生させることができるでしょう。したがって、現在の最も進歩した外科手術でさえも不必要になり、人々は必要に応じて体の新しい部分を得て、完全に癒されるようになるでしょう。移植は不要になるでしょう。時間はかかりますが、アルツハイマー病と自閉症の両方に関して肯定的な展望があります。 他のケースでは、自閉症はしばしば、魂がその乗り物に課す制限の結果となっています。転生する度に魂には目的がありますが、もしパーソナリティーが魂の目的を一つも遂行していないと魂が見なした場合は、魂は次の生涯においてその道具に制限を課すかもしれません。それは自閉症でありダウン症候群の子供かもしれませんし、あるいは、肉体的もしくはメンタル的な何らかの制限を受けるかもしれません。その制限の期間が終わった後の次の生涯では、その人は生命への新たな衝動を抱くようになり、それ以降、順調に進歩していくでしょう。現在のところ、私たちは汚染の結果に対処しているのか、あるいはカルマ的な制限の結果に対処しているのか分かりません──どれがどっちなのか分かりません。それを知るには覚者が必要です。
Q 脳は10%しか使われていないと言われています。高度なイニシエートは何%を使い、他の人々はどのくらいを使っているのでしょうか。本当に、たったの10%なのですか。
A 平均的な人は使用可能な脳の機能の約12%を使っています。例えば、第3段階のイニシエートはおそらく、脳の機能の60%から70%を使っているでしょう。
Q 放射能汚染に関するカルマ的な負債について話されましたが、どのようなことを念頭に置いていたのですか。
A 私たちは宇宙の兄弟たちに、特に火星と金星の宇宙の兄弟たちに途方もないカルマ的な負債を負っています。彼らは放射能だけでなく、私たちが空中に吐き出し、地球で呼吸するのを困難にしている大量の有毒ガスと化学物質の影響も中和してくれています。私たちが毎日、毎時間、大気や地中や海中に注ぎ込んでいる強烈な有毒ガスや蒸発した液体による最悪の影響を大規模に中和してくれている宇宙の兄弟たちの仕事がなかったならば、この惑星で生活することはまさしく非常に困難になっているでしょう。 したがって、私たちは彼らにカルマ的な負債を負っているのです。世界の各国政府はUFOの存在について長年の間保持してきたあらゆる情報を差し止めていますが、宇宙の兄弟たちは、私たちに対して、彼らの援助がなかった場合よりも、容易に生活できるよう援助してくれています。覚者の観点から見ると、汚染は世界で最大の殺人者です。それは私たちの免疫システムを壊し、私たちをあらゆる種類の病気にさらすからです。
原因に対処する──持続可能な環境
Q 炭素の捕捉と貯蔵技術についてどう思いますか。つまり、二酸化炭素を捕捉して、長期間地下に貯蔵することに関して。
A 何千年もの間ですね。すべてのこのようなアイディアについての主要な問題は、廃棄物を除去する必要性です。原子力エネルギーを使用すること自体は、問題とは見なされません。核科学者は、原子力エネルギーを使用することで生じた廃棄物の処理を問題として見ています。それは鋼鉄やコンクリートの缶に入れられ、海中に投棄さえされています。それは海洋生態系を大きく変えています。それらは現在でも十分に悪化していますが、宇宙の兄弟たちの仕事がなかったならば、比べものにならないほど悪くなっていたでしょう。 気候が変動しつつあります。放射能廃棄物の貯蔵のせいで、あらゆる種類の魚の生命が影響を受けています。そうした廃棄物のすべてはいわゆる「小規模の放射能」です。ところが、それは規模とは関係ありません。廃棄物を海中に捨てると、それが最初から汚染されている場合、現在の装置では一定の程度までしか放射能を検知することができません。それ以上測定する技術がないからです。したがって、無関係だと考えられています。しかし、それが最も危険なレベルの放射能であり、それについては人は全く知らないのです。 炭素の貯蔵も似たような問題を抱えています。それをどこかに貯蔵しなければなりません──どこか害が及ばないところに。どこに貯蔵すると害が及ばないというのでしょうか。例えば、私の家の裏庭ではないですね。他の人も皆、自分の裏庭ではないと言います。誰も自分の裏庭には、放射性廃棄物も炭素貯蔵廃棄物も置きたくありません。では、他にどこがいいのでしょうか。ロシア人は「中国はどうだろう」と言うかもしれません。中国人は「いいや、チベットだろう」と言います。そしてチベット人は「いやいや、アメリカだ」と言います。アメリカ人はこう言います。「いいえ、ここには置けません。とんでもないです。ベネズラエに置きましょう」と。それぞれの国が最も関係の良くない国を選んで、そこに貯蔵することを勧めます──それが問題になっています。それが安全である所はどこにもありません。缶に入った炭素を地中深く何千年も貯蔵しておいて害を及ぼさない所はあるでしょうか。それがもたらす害は知られておりません。それがいつ、例えば地震の際に地球の力によって壊れ、ふたが開き、再び放出されるのか分かりません。 それはいつも間違った目的をもって問題に対処するようなものです。私たちは原因を追究してその原因に対処するということをしません。何がこの問題を引き起こしているのか。何が放射能をもたらしているのか。何が地球温暖化を引き起こしているのか。もし地球温暖化の一因が森林破壊だとすれば、森林伐採をやめなければなりません。特に、二酸化炭素を大量に吸収し、その代わりに大気中に酸素を吐き出す、古代からの原生林を切るのをやめなければなりません。大気には酸素が少なくなり、二酸化炭素が行き場をなくして、地球温暖化が生じています。しかし、もし私たちが木材を浪費しなければ、地球温暖化の大きな原因を取り除くことになります。 私たちは原因が好きではないため、原因を追究しません。原因は法則に、原因と結果に関係しており、私たちはそれが好きではありません。どういうわけか、現代の機械的なマインドは決して原因を追究しようとしません。そのテクノロジーを変えたいと思わないからです。私たちは木材なしではやっていけないと言うかもしれません。しかし、富裕国がすることは自国の広葉樹を保存して、自国が必要とするものをブラジルやアフリカ諸国のような貧しい国々から買うことです。そうすれば、こうした国々は古代林を伐採するのを強いられるか、あるいはその伐採を許可することを強いられます。その古代林は人間の生活にとって絶対になくてはならないものです。 したがって、何かについてどうすべきかを知りたいならば、その原因を追究することです。原因を突き止めたならば、その原因を是正するよう努力することです。すべてのものがシンプルです。長さが23キロあり、建設するのに20年の歳月と何十億ドルもの費用がかかるサイクロトンを建設することができます。しかし、秘教を学んでいる人に聞けば、その人は答えを教えてくれるでしょう。ただで、すぐに、教えてくれるでしょう。
子供、親、条件付け
Q 私たちは子供を条件付けるのをどうやって避けることができるでしょうか。子供の自由意志を尊重するとともに、健全な規律によって安定と安心を提供するにはどうしたらよいでしょうか。
A それが重要な問題なのです。現在の世界では、そうすることはほとんど不可能です。だからといって、そのように試みるべきではないという意味ではありません。 あなたは自分自身を見つめなければなりません。自分自身と自分の子供の反応によく気づいていなければなりません。子供が自分自身を律するように配慮してください。よくできたことについて子供をほめると子供に自信をつけさせることになりますが、絶えずほめ過ぎていると他者と関連した自意識を歪めることがあります。一方、いかなる種類の非難や罰の手段に決して訴えるべきではありません。 子供は子供にすぎず、この段階では実際に小さな動物にすぎません。子供は完全に本能によって行動し、愛されること、愛撫されること、養育されること、楽しがること、話を聞いてもらうこと、許容されること、そして、人生の可能性に注意深く向き合うことを必要としています。したがって、静かにするよう言われると、子供は静かにすることを学びます。あることをしないように言われると、それをしないことを、罰せられなくても学ぶことができます。そうするには忍耐が必要です。親は忍耐強くなければなりません。そして、子供が忍耐強くなることを決して期待してはいけません。なぜなら子供は、忍耐強いということがどういうものなのか知らないからです。 しかし子供は賢明です。幼い子供でも非常に賢明で、母親や父親、家族、周りの人々に気づいています。パーソナリティーとしての他の人々によく気づくようになり、自分たちが体験しているもの ──愛や憎しみ、嫌悪や忍耐力のなさなど──に非常に直接的に、しかし精妙な形で気づくようになります。 子供に害を与えず、その自由意志を侵害せず、そして問題が何であれ、その問題の解決策を強要するのを避けるには、強い感受性が必要です。子育てはいつも妥協の行為です。 この決して完全でない世界では、人々は今日、当然決して完全ではなく、自分自身にあまりに多くのことを期待したり、あまりに強い自己批判によって自分を傷つけたりすべきではありません。そして批判によって子供を決して傷つけるべきではありません。 行うべきことは批判ではなく、子供を教育することです。子供は知りません。年長者のような見方で人生を見ないからです。人々はときどき、子供が大人や年長者であるかのように子供を扱います。しかし、子供はまだ完全に意識的な人間ではありません。子供の意識は制限されています。もし子供がとても幼ければ、それが何であるにしても、いまだに以前の転生体験の中で生きているかもしれません。 ですからこの質問に対する単純な答えはありません。一番肝心なのは、その子供を好きにならなければならないということです。不幸なことに、多くの親が子供を愛していますが、自分の自由を侵害されたということで子供に対して口には出さない憤りを感じているため、子供が好きでないかもしれません。しかも、子供はいつもそこにいて──要求ばかりしますが──親にはお金があまりないかもしれません。親は子供の要求をかなえることができず、子供を非難し、そうする意図がなくても無意識のうちに子供を傷つけてしまいます。子供をたたいたり、子供に向かって叫んだり、ののしったりして、このようなことが無理やり力ずくで行われるのを見たことがあります。しかし、これはしばしば、無知と極度の疲労からきます。私たちは自分たち自身の条件付けを子供に伝えることになります。 子供を条件付けるのをどうやって避けることができるのかとあなたは聞いています。もしあなたが普通の人間だったら、それを避けることはできません。あなたは完全ではありません。世界がもっと完全になるまで、あなたは完全にはならないでしょう。より良くなろうと試みることはできます。それがあなたにできる最大のことです。あらゆる条件の下で、どんな状況にあっても、子供のことで気が狂わんばかりになっている時でも、子供を愛することを忘れないでください。難しいことですが、それが人生なのです。

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