啓示 他
編集長殿
これまで、私の注目全部を飲み込んでしまうほどの事柄に出合ったことはありませんでした。この時、今夜私はこのウェブサイトのすべてのページを読んだと思います。記事、背景、見解に大変興味を引かれたので、書かずにはいられませんでした。
その上私は、この生涯で一度も、この教師である『マイトレーヤ』のことを聞いたことがありませんでした。私がこのことを耳にしなかったのは、私が統一バプテスト派キリスト教徒として育ったからでした。けれども、彼の存在を感じていたかもしれません。私は実際にケンタッキー州にある教会の小さな共同体で、1996年から2002年の間、聖職者として聖職按手式を行いました。私たちは唯一なる真の神が存在していることを信じていて、多くの者が自分たちこそ神だと言いにやって来るだろうと思っていました。そうしたサタンが、美しく納得させるような姿で人々をだますものとして現われ、キリストを信じる者たちを混乱させることを唯一のねらいとして、平和を提唱し、鼓舞して、人々を進むべき道から引き離し、魂の破滅へつながる道へと堕ちるのを先導するのです。しかし、この非常に感動的に、美しく伝えられている哲学的見解を読んでいた時、私がその特定の教会と彼らの指令から離れることになったのには、何か理由があるはずだと悟ったのです。それを説明しましょう。
私が教会から聖職按手式を行い、神の牧師として自分自身を紹介するように言われてから間もなく、とても生き生きとした夢を見ました。この夢が、私たちの共同体の非常に霊的な年会の期間に、とても強力な聖霊を通して現れたのは二度目のことでした。シスター教会のメンバーほとんどが教会を代表して会の終わりに歌を歌いました。その時、私はその集まりで自分の夢を発表するよう聖霊に導かれたのです。歌が終わると、予告もなしに私は夢のことを彼らに伝え始めました。
夢の中の私自身は、大きな農地の池の中に突き出した、とても小さな半島に立っていました。その半島の片側は、澄んできれいな新鮮な水でしたが、反対側は水が汚く、藻に覆われていて、生命を維持する酸素も欠乏していました。私は、年老いた魚が醜い姿で死にかけ、水から頭を突き出して、空気を求めてあえぎながら動けずにいるのを見ました。すると新参の、もっと若い力強い魚が現れ、水から躍り出ると、私の立っている狭い地面の上を通って反対側の水のきれいな方へと渡り、幸せそうに泳いでいったのです。
私はそこに立っていた時、一人の女性が私の背後の岸辺に立っているのを感じていました。振り向いて、これが何かを彼女に尋ねました。彼女は唇を動かすことなく私に答えて、「古い方法は、生きることができない(彼女は半島の汚い側に手をやりました)、しかし新しいものは道を見つけ、生きるだろう」と言いました。
私は力を持った聖霊からのこの説話を伝えながら、この聖霊が教会の年配の長老たちによって受け入れられていないと感じたので、この教会は年老いた魚として表現されているのかもしれないと思いました。私には彼らの聞いている時の心の動揺までが感じられて、まるでこのことで叱責を受けているかのようでした。それから程なくして、私はメンバーの数人から冷たくあしらわれ、私が行ったすべての演題や説話のなにもかもに対して実際に叱責を受けました。
それ以来、私は他にも多くのビジョンとメッセージを送ってもらいました。私はまた最近になって、悪化する経済の犠牲者となり、自動車の小売業から退職することになりました。私はごく最近、教えたい思いが強くなって、歴史を学ぶために学校へ戻ることにしました。私は若い心にインパクトを与えたいのです。私は他の人よりも、より深いレベルで物事を見ていますが、今のところ彼らに伝えることのできる唯一の方法は書くことを通してだけだと思います。自然の感覚だけでなく、経済から哲学的、政治的な物事まで、私たちの社会にある『間違い』を見るこの能力によって、私たちの社会的道筋が誤って導かれた最後の行く末を見ることができるのに、私が見るものを人々に伝える流出口がないために、私を挫けさせるのです。
私はこのことを言いたくてすべてを語ってきました。私の全人生の間、私を安定させてくれる何かを見つけようと探し求めてきたようです。私はこのウェブサイト全体を読んでいた時、何かを示されたかもしれないと信じています。私の人生は混乱によって散り散りとなり、仕事から仕事へ、町から町へと、どういう奇跡か常に私に真実でいてくれる家族を引き連れて漂ってきたのです。それでも私は信じることのできる何かを探し続けてきました。私には、自分自身に平安をもたらしてくれるもの、導きを得た残り半分の人生へと落ち着かせてくれるものが、どうしても必要なのです。これは本当に起こり得るのでしょうか? 私はそれを見つけたのですか? 私はどうやってこのウェブサイトを見つけたのか思い出せません。分かっているのはここにいるということだけです。
私はここに座って、この手紙を本当に送るべきかどうか、じっくり考え込んでいた時、ふと気づくと、別の、このくらい重要性のある手紙を書いた時のことを考えていました。ほとんどの試みは、『問い合わせフォーム』の返信が、文字が多すぎることを伝えて終わりになってきたのです。けれども私はそのことが起こったのかどうか尋ねるために、Eメールのアドレスを見つけないではいられなかったのです。
心からお返事を願って。
J.K.
米国、オハイオ州
【ベンジャミン・クレームの返答:美しい手紙をありがとうございます。夢はイエス覚者によって現されました。あなたの背後の土手の上にいた『女性』はイエス覚者でした。祝宴にようこそ】
臨時メンバー
編集長殿
1987年以来、私はフランスのリヨンにある自分たちのアパートで、伝導瞑想のスポンサーをしてきました。
2007年5月に、アルノー・ド・ボーシャンと名乗る男性から、地元に住んでいるので、次の水曜日に私たちの瞑想に参加したいと電話がありました。
その日、彼は私たちと瞑想をし、最後まで残っていました。終わるとテーブルから息子の本を拾い上げて何か言いました。
彼から「アガルタを知ってますか?」と話しかけられました。私はそれが地球の中心にある伝説の都市で、進歩した社会を持っていると思うと答えました。彼はそれには答えず、「宇宙の兄弟たちについてどう思いますか?」と尋ねてきました。私たちは、彼らの出現や有益な働きについて話をしました。それから彼は帰っていきました。
次の水曜日に彼は電話で、渋滞に遭っていて、遅れると思うのでお騒がせして申し訳ないと言ってきました。私は彼に、「もしマイトレーヤのメッセージの後で、大祈願の始まる前なら、誰の邪魔にもならないわ」と伝えました。大祈願の直前に、ベルも鳴らしていなかったのに彼がドアの所にいるのが分かったのです! 彼はちゃんとそこにいました! 彼は同じ場所に座り、やはり最後までいました。
彼はサイババやナイロビのマイトレーヤの別の写真を眺めていました。彼はきっぱりと、「マイトレーヤはその白い服の人ですね」と言いました。私たちはアバターについて、惑星の方と宇宙の方について話をし、彼はなぜマイトレーヤが来られたのか、彼の使命、目的、優先事項は何か? 尋ねてきました。彼はすばらしい笑みを浮かべながら、「さようなら、スザンヌ」と挨拶をして30分後に帰っていきました。
彼は40歳から45歳くらいの人で、180cmを超える長身で、短い茶色の髪でした。彼は戻ってきませんでした。
その男性はマイトレーヤかあるいは覚者でしたか。
スザンヌ・パイロ
フランス、リヨン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
頼りになる助け
編集長殿
私の父はフィリピンの伝導瞑想グループのメンバーです。彼らは毎日曜日に、主マイトレーヤの到来についての様々な話題を伝えるラジオ番組までやっています。私は、もし私たちがマイトレーヤを受け入れるというアイデアに心をオープンにできれば、本当に大きな違いが生まれることを信じているので、時折マイトレーヤについて、夫や仕事仲間や友人にも話をしています。私はある体験についてお尋ねしたいのですが、もしかして単なる偶然だったのですか?
私は2006年1月に結婚し、年齢のこともあってどうしても子供が欲しかったのです。私はマイトレーヤの『手』のカードを持って、その上に自分の手を置いて赤ちゃんをお願いしました。数カ月後、私は妊娠し、本当にうれしかったのです。私はそれがただの偶然だろうかと思うのですが、何であれ私はマイトレーヤが常に人々を助ける方法をお持ちであることをずっと信じています。大宣言の日についての情報が広まり続けることを願っています。
C.A.
フィリピン、バレンズエラ・シティ
【ベンジャミン・クレームの師は、この人が妊娠したのが単なる偶然ではないことを確認した。マイトレーヤが状況を手助けされて、子供を得られたのである】