大切なメッセージ
次の2通は同じ人物からのものです。
編集長殿
(1)2013年12月27日の夜、サンフランシスコでバスに乗っていて、見つけたばかりの1週間無料バス乗車券を、どうやって見つけた場所に返そうかと考えていました。バスが停留所の一つから発車しようとしていた時、おそらく60代くらいのアフリカ系アメリカ人の男性が、バスに向かって走ってくるのが見えました。運転手が彼を待って、その男性が乗ってくると、料金を払わず、私の前の席に座りました。彼は着古していても清潔な服装でしたが、ホームレスのように見えました。彼は様々な持ち物を抱えていて、水のボトルや食べかけのオレンジだけでなく、ノート型のコンピューターらしきものまで持っていました。
私は、見つけていた乗車券を彼が使えるのではと尋ねてみました。彼は喜んで受け取り、月の初めにノートパソコンを買ったために、お金がなくなったと言いました。彼はあるドキュメンタリーのための脚本を書くように頼まれたと言っていて、その仕事をするためにパソコンを買ったのです。「そのドキュメンタリーのテーマは何ですか?」と尋ねました。一呼吸してから、彼が「もし私たちが生き残るつもりならば、世界は協力しなければなりません。地球はゲームをやっているわけではないのです」と答えてくれました。彼は脚本を書くために地元の大学に向かっていると言いました。いくつか停留所を過ぎて、彼はもう一度乗車券のお礼を言ってくれて、降りていきました。
バスが発車した時、彼が通りに立って、私に手を振っているのが見えました。バスは走り続けましたが、私も手を振り返しました。
【ベンジャミン・クレームの師は、バスの男性がイエス覚者であったことを確認した】
重要な年
(2)2014年1月6日に、サンフランシスコで仕事に行くためバスに乗っていた時、予期せずトンネルの中で停車して、しばらくの間動きませんでした。運転手が運行の遅れをアナウンスしました。数分後、私は遅れがどのくらいになるのか知りたくて、運転手のところへ行きました。彼にははっきりと分かっていませんでしたが、私たちは地元の交通システムが、一般的に言って信頼性に欠けていることについて、会話を始めました。私がたぶんコンピューターシステムの欠陥のせいだと言いましたが、彼は買い替える必要のある古いバスが関係していると言いました。私たちは遅れている間、関連した他の話題も話しましたが、彼は会話の中で何度も、「今年は2014年だ」と口にしていました。または「今は2014年だよ」と繰り返していたのです。私はなぜ彼が年のことを持ち出し続けるのか、おそらく新しいバスを買う時期だと言っているのだろうという以外には、よく分かっていませんでした。バスがついに動き始め、私の目的地に向かっていました。ひどい遅刻でしたが、会話をしている間中、運転手のフレンドリーで陽気な態度によって気持ちが高揚していました。私の降りる停留所に着くと、彼にお礼を言ってバスを降りました。彼はさようならを言って、私のことをはっきりと名前で呼んだのです。私は歩いていきながら、バスの運転手に名前を教えたのかどうか思い出そうとしましたが、そうした覚えはありませんでした。
モンテ・リーチ
米国、サンフランシスコ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『バスの運転手』がイエス覚者であったことを確認した】
目覚め
編集長殿
マイトレーヤのメッセージを広める活動への、私の専心は30年以上決して色あせることはありません。それにもかかわらず、覚者からの治療も受け、幾度ものマイトレーヤとの出会いがあってさえ、私は普段分離した無意味な存在だと感じてきました。「変換させる世界のある時に、どうしてこのちっぽけで年老いた私を気遣い、守ることがあるだろうか?」と考えていたのです。覚者方から個人的に保護されたと感じると言った人たちのことを、グラマーだと決めつけていました。
先週、あることが起こりました。この10年間の大変な健康状態と金銭問題の苦闘のせいで、一部には私の環境に対するものもありましたが、それ以上にもっと苦しんでいる世界中の人々の状態についての、私の中の憤激があらわになってきたのです。
ある日、たくさんのホームレスの人々の姿が見える、町のある場所を車で通っていて、すさまじい憤怒が私の中に沸々と込み上げてきました。あまりの強烈さに自分でも怖くなったほどでした。私は無力さと分離感を感じました。それが深い悲しみへと変化して涙が流れました。突然、私はただそれら全部と共に存在することができ、それを脇に置いておくことができるようになったのです。密接につながる体験と、驚きながらもマイトレーヤと覚者方に保護されているという体験とに、私は満たされていたのです。それはとても個人的なもので、それまで感じたことのないようなものでした。
恐れることは何もなく、守られているという、この新しい体験に心が熱くなっていた時、浅黒い肌で粋な帽子を被り、輝くシルバーの新車に乗った男性が、赤信号で私の隣に止まり、にこやかに笑いかけてきて、まるで私に賛同しているかのように頭を上下させてうなずきながら手を振ってきたのです。彼は私を知っているようでしたが、親友のように私に挨拶しているらしい人が誰なのか懸命に考えても、思い出すことさえできませんでした。それで「そう、彼は私の気を引いているだけだ」と考えることにしました。それも彼は40歳くらいで、私は70歳だと気づくまでのことでしたが!
それで最後には、覚者ではないだろうかと思ったので、次の信号機で再び彼の隣に行こうと何とか車を操縦していましたが、おそらく自分の間違いだとは分かっていました。彼が再び私の隣に車を止めました。私が彼を右側から見ていると、また彼がうなずき、手を振って、まるで「全然間違っていないよ」とでも言うように、にっこりと微笑んでくれて、私は愛でいっぱいに満たされました。喜びのあまり泣き出してしまったのです。この人は特別な方でしたか、それとも単に私は、おそらく人生で初めて、安らかな気持ちになるところだったのですか。
フランシス・オマーン
米国、カリフォルニア州オークランド
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】