1日1ドルで暮らす
ニールス・ボスによる
トーマス・ナザリオ氏へのインタビュー
世界中の10億以上の人々、地球の人口の7分の1が1日に1ドル以下で暮らしていると考えられている。この驚くべき事実は、豊かな国々に住む多くの人々にとっては理解し難いことである──しかしそれは、世界の開発途上国に住む何百万もの人々にとっては逃れられない現実である。この世界的な格差についての認識不足と、それを解消しようという真剣な努力の欠如に動機づけられて、非営利団体「フォーゴトン(忘れられし人々)・インターナショナル」は、地球の最も貧しい人々の生活を記録するために一人のフォトジャーナリストを世界各地に派遣した。この旅行の結果は、『1日1ドルで暮らす:世界の貧しい人々の生活と顔』という本に収められている。弁護士、児童の擁護者、法学の教授であるトーマス・ナザリオ氏がこの本の著者であり、フォーゴトン・インターナショナルの創設者にして会長である。『1日1ドルで暮らす』に収録された圧倒的な写真は、ピューリッツァー賞を受賞したフォトジャーナリスト、レニー・バイヤー氏によって撮影された。
ニールス・ボスが本誌のためにトーマス・ナザリオ氏にインタビューを行った。
シェア・インターナショナル(以下SI):『1日1ドルで暮らす』の背後にはどのようアイディアがあり、そのアイディアは何を必要とするのでしょうか。
トーマス・ナザリオ:そのアイディアは単純です。私が個人的に思ったのは、私たちは世界の豊かな人々、著名人、有名で美しい人々について話すのに非常に多くの時間を費やす一方で、1日1ドル以下や2ドル以下で暮らす地球の人口の3分の1近くの人々については十分な時間を費やしていないということです。私の見解では、何十億もの人々が大体において無視されています。危機の時代、例えば戦争が勃発した時や自然災害が襲った時には、必ずしも彼らを無視しません。しかし、そのような出来事がない場合には、次のような事実を受け入れてしまっています。つまり、人々が貧困で亡くなっているということ、貧困の中で暮らす人々は大勢いるが、彼らを貧困から引き上げるために私たちは実際のところ十分なことをしていないという事実です。したがって、私は人類家族のこの部分に注目を引きつけたいと思ったのです。そのようなわけで、私たちはこの本を出版しました。この本には、美しい写真だけでなく、世界の貧しい人々の実情を物語る、胸が張り裂けそうな写真も含まれています。
SI:ドキュメンタリーも出来上がろうとしているのですね。
ナザリオ:はい、今それに取り組んでいます。写真家を世界各地に派遣したとき、ビデオ撮影者も派遣しました。ですから、訪問した各地のビデオがたくさんあります。この本を制作するために4大陸の10カ国に行き、作り終えるのに3年半かかりました。このドキュメンタリーは来年(2015年)発表され、一定の注目を集めることが望まれます。
SI:貧困は社会のすべての貧しい人々に同じように影響を与えるのでしょうか。
ナザリオ:少なくとも非常に広い範囲で、その答えは「はい」でなければならないと思います。しかし、女性や子供に対しては過度の影響があります。男性は女性よりも貧困を逃れる傾向があります。男性は女性よりも貧困の原因となる傾向があります。妻を虐待したり、他の女性のために妻の元を去ったりする男性が確かにおります。アフリカの一部では、男性が3~4人の妻を持ち、一人の妻が全く忘れられ、子供が捨てられることも珍しいことではありません。ですから、このことが、少なくとも私たちの団体や世界中の多くの大きな団体が特に女性と子供に資金を投入しようとする理由の一つなのです。世界の女性と少女を見れば、1日1ドル以下で生活する人々の60%を占めます。ですから、女性は過度に影響を受けており、そのために特に手助けが必要なのです。
SI:ダライ・ラマはこの本の前書きを書いています。このプロジェクトとの関わりについて教えていただけますか。
ナザリオ:私は1999年からダライ・ラマを知っており、彼の話を聞いたり彼の行動をただじっと見たりすることによって彼から多くのことを学びました。この本は主として慈悲に関するものですが、ダライ・ラマは慈悲の仏陀です。他者を気づかうこと、可能な場合は手助けすることに関するものです。ですから、人々がそうするよう励ます情報がこの本の中にはたくさんあります。ダライ・ラマは、実際のところ慈悲には二つのレベルがあると考えています。一つは、他の人々に対してただ優しく、礼儀正しいことです。包括的であり、差別もしません。親切であることです。しかし、慈悲のもう一つのレベルは実際、それよりも一段高度なものです。他の人々、理想としては見知らぬ人々の苦しみを和らげるために実際に力を尽くすことです。それは非常に高いレベルの慈悲です。私の仕事と人生においては、ここアメリカの子供たち、そしてもちろん友人や家族を助けることに主に集中してきました。しかし、それを超えて、全く知らない人々を助けたことは一度もありませんでした。少なくとも十分に助けたことはありませんでした。それで、法王と話し合った後で、私の団体はまさにそうする必要があると判断しました。以前に会ったことのない人々、誰からも助けられないかもしれない人々を助けることにしたのです。
SI:貧しい人々の生活について多くの人が誤解しています。こうした誤解の一部について、そしてあなたが現場で見て経験してきたことにその誤解がどのように関連しているかについて話していただけますか。
ナザリオ:私たちが煩わされている大きな誤解が三つあると思います。一つは、貧困状態にある人々は貧困をどうやって抜け出すのかを知らない、あまりにも無知であり、困難を切り抜ける方法を知らないというものです。二つ目は、貧しい人々は怠惰であり、単に働かない、あるいは十分に働かないから貧困に陥っているのだというものです。そして三つ目は、貧困状態にある人々は一般的に幸せではなく、あまりにも悲しみに沈んでおり、絶望さえしているというものです。こうしたすべてのことには多少の真実がありますが、一般的には、それらは誤解だと思います。たいていの貧しい人々は、何が貧困から抜け出すのを助けてくれるかについてかなり良い感覚を持っていると思いますが、そこにたどりつく手段を持たないのです。私たちはしばしば、自分たちが一番よく知っていると思います。実際には、期待していたほどよくは機能しないシステムを創造しています。彼らに語りかけ、彼らを貧困緩和の過程に含めていれば、私たちは利益を得ていたことでしょう。特に、私たちが向上させたいと思うような生活を彼らが送っている時には。第二に、世界の最も貧しい人々の多くは常に働いていることを私たちは発見しました。彼らは自分たちがしている仕事の給料はもらわないかもしれませんが、生き延びることそれ自体が途方もなく大きな仕事となっています。子供たちが飲めるきれいな水を集めるためだけに毎日何時間も費やし、気候の変化や、遭遇する病気に対処しなければなりません。本当のところは、家計に少なくともいくらかの収入をもたらす仕事を見つけたり、つくり上げたりするのがとても器用なのです。そして、それは特に女性に当てはまると思います。私は旅行中に怠惰な女性を見つけたことがありません。子供たちを養育し、何とか生き延びるために、朝の6時から夜の10時か11時まで絶えず働きます。最後に、悲しみについてです。世界の最も貧しい多くの人々はほとんど何も所有していませんが、比較的幸せであり、少なくとも幸せであるように見えます。笑うのに多くの時間を費やします。人生の単純な物事に大きな喜びを見いだし、子供たちは時間を過ごし人生を楽しむためにおもちゃを作り、ゲームを組み立てる方法を見つけます。
SI:旅行中に見つけた最も目を見張るべきこと、または記憶に残るものは何ですか。
ナザリオ:旅行中に、貧困と格闘しているおよそ45の家族を訪問しました。正反対のような二つの話を紹介させてください。一つは、5人の子供のいる、赤貧の状態で生活しているインドの女性についてです。彼女は毎日、子供たちを養うのに十分な食べ物を見つけるのに苦闘していましたが、これはしばしば非常に困難であったため、彼女はついには末の子に食べ物を与えないことにしました。この子は2歳半でしたが、ほとんど何も食べ物を与えられませんでした。2歳半になってもこの女の子は8ポンド(約3.6キログラム)しかなく、極度の栄養不良の状態にありました。しかし、この女性は物乞いをするためにその子を使いました。女性はこの子を脇に抱え、物乞いの手段として他の人々に見せました。さらに女性は、その子を他の乞食に貸し出すこともありました。そのようにして、他の乞食たちもまた、人々の同情を集めるためにその子を使い、路上でより多くの硬貨を集めることができました。
その写真をとり、その話を紹介するのはとても困難でした。私たちは実際にその子を救うことができました。その子を診療所に連れて行き、栄養計画に従わせました。そのため、その子は今日生きており、元気です。こうしたことが起きているとは聞いていましたが、あれほど間近に見たことはありませんでした。もう一人の人物、本当に私を感動させた人物は、私たちがペルーで会った紳士です。彼の名前はミゲル・ロドリゲスで、その話はこの本の後ろにあります。私たちは彼を英雄と見なしました。彼はペルー出身の中流階級の精神科医で、病気になった生後6カ月の息子がいました。息子を病院に連れて行きましたが、3日後にその子は亡くなりました。病院を出るとき、二人の幼い路上生活の子供に出くわしました。二人はぼろ布に身を包み、家族に捨てられていたのです──世界には5,900万人のストリート・チルドレンがいます。彼はその子たちを見て、心の中で考えました。「神はなぜ、私の子供ではなく、この子らの一人を召さなかったのか」と。帰宅して子供を埋葬した後、眠りにつくと、息子が夢の中で彼のところに来て、彼にこう言いました。「お父さん、それは本当に、いのちに対する間違った考え方だよ。すべてのいのちはかけがえのないものだよ。その子たちも、僕と同じくらいの愛と気づかいに値するんだよ」と。そのような考えを胸に抱いて、ミゲルはいくらかの食べ物を用意し、路上の子供たちに与え始めました。ついには、所有物をすべて売り払い、あり金をすべて持ってペルーのリマ市を離れ、行き場のない忘れ去られた子供たちのための孤児院を建設するために郊外に向かいました。彼は今、孤児院で1,000人以上の子供たちの世話をしています。彼は住居、学校、診療所を建設し、こうしたすべての子供たちから信じられないほど愛されています。
私たちは世界中の愛すべき人々をたくさん見いだしました。そのような人々は、あなたが立ち止まって、私たちがしばしば完全に無視してしまう人々の何人かに話しかけない限りは存在していることすら分からない人々です。
SI:「1日1ドルで暮らしている」人々に関連して、あなたはどのような将来への希望を抱いていますか。
ナザリオ:ご存じのとおり、状況は良くなっています。約35年前には、あまりに貧しくて生きることができないため、毎日、約4万人の5歳以下の子供が亡くなっていました。きれいな水や十分な栄養はなく、予防接種も受けず、医療へのアクセスも全くなく、ただただ亡くなっていきました。今日、その数は1日に約1万9,000人です。これは主に、国連やビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のような大きな財団の働きのおかげです。したがって、私たちは大きな進歩を遂げています。それでも、1日に1万9,000人というのは多すぎますから、私は本当にその進歩が続いていくのを見たいと思っています。しかも、それは子供たちだけなのです。貧困で亡くなる年長の子供や大人を考慮に入れれば、その数は天文学的なものとなります。
受け入れ難いことは、1日1ドル以下で暮らす人が11億人いる一方で、地球上には今、1,600人の億万長者がいることです。ですから、世界の富む者と貧しい者の間に存在する格差は、全く道義に反するものです。特に、豊かな人々の多くはお金をあまり提供しませんし、他者を本当に助けることよりも自分にかかわるプロジェクトにお金を使います。ですから、私たちはこれを逆転させなければなりません。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような、何も持たない人々を気づかう人をもっと多く必要とします。そして、世界の中流階級の人々への私の助言は単純です。この地上を去る前に、他者のために何かをすることについて考えるべきです。私たちはすべて、ここにいたからにはこの世界をもう少し良くする責任を持っています。そうするのに百万長者や億万長者である必要はありません。また、手助けするのに世界を巡る必要もありません。手助けするべき人を見つけるために、近所を回るだけでよいのです。すべての人がそれぞれの分を果たすなら、世界はそれだけずっと良くなるでしょう。
フォーゴットン・インターナショナルと『Living on a Dollar a Day: The Lives and Faces of the Worldユs Poor(1日1ドルで暮らす:世界の貧しい人々の生活と顔)』に関する詳しい情報については、www.theforgottenintl.orgを参照してください。
フォーゴットン・インターナショナルと『Living on a Dollar a Day: The Lives and Faces of the Worldユs Poor(1日1ドルで暮らす:世界の貧しい人々の生活と顔)』に関する詳しい情報については、www.theforgottenintl.orgを参照してください。