現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2013年 7月号 上出来の仕事

上出来の仕事

上出来の仕事

編集長殿
2013年5月11日、石川道子氏の大阪講演会で私は案内係を担当していました。休憩時間が終わり、質疑応答が始まって少し経った頃に、来場者の一人がホールからロビーに出てきて、メンバーの一人と親しそうに話し始めたので、二人は知り合いだと思いました。私は二人から少し離れたテーブルで、来場者が持ち帰りやすいように資料の整理作業をしていました。その時、あの来場者の男性が私に近づいてきて、「良いものを見せてもらいました」と言われました。私はどういう意味か尋ねました。すると彼は、「笑顔で淡々と作業されている姿のことです」と言われました。私は「これが今できるせめてものことです。ですから単に作業しているだけです」と言いました。「それが良いのです。本当にとても良いものを見せてもらった」と言って彼は帰っていきました。彼の言ったことが心の中でとても気にかかりましたので、その男性と話をしていたメンバーに知り合いなのか尋ねました。彼は違うと言って、その男性はこのこととメンバーたちの態度を褒めていたと言いました。私は講演会で毎年同じ仕事をしていますが、彼の言葉によって、笑顔と熱意を持って単純な作業をすることは、他の仕事と同じくらい大切なことだと改めて気づかされたのです。この人物は特別な方でしたか。
S.M.
日本、岐阜県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】
保護

編集長殿
2013年5月18日、私は講演者の石川道子氏を紹介し終えて、ホールの横手のドア近くの席に腰を下ろしました。前列の4、5席ほどは空いていましたが、そのうち若い男性がやって来て私の前の席に座りました。ホールの薄暗い中では、彼は30代くらいに見えて、肌が浅黒く白いシャツと黒いズボンを履いていたのがわかりました。その男性のシャツは着古されて薄汚れて見えました。彼の顔は見えませんでしたが、アジアの国の人のように思いました。彼は耳に白いイヤホンを付けていて、手にはポータブルCDプレーヤーを持っていました。講演の間中イヤホンを付けていたのが不思議でした。それから彼は空いている席に横になったり、動くたびにギシギシ音を立て始めました。周囲の人たちは迷惑そうにしていました。彼が騒がしくし続けるのではないかと私は少し心配していました。
講演の最中に突然地震が起こり、しばらく講演中止になりました。私は舞台裏に大丈夫かどうか様子を見に行きました。戻ってホールのドアを開けた時、その男性と目が合いました。それは一瞬のことでしたが、その眼差しの輝きとパワーが圧倒的でした。突如としてその人の外見も存在も消えてなくなり、瞳の力強さと眩しさだけが私の中に深く刻印されたかのようでした。講演が再開され、何事もなかったかのように通常に戻りました。その男性も静かになっていました。
質疑応答の始まりには彼はいなくなっていて、後になって同じ席に戻ってくると、注意深く耳を傾けていて、うなずいたり、同意してつぶやいたりしていました。彼が同意や共感を表すやり方が、若者のものではないように見えて、むしろ年老いた賢者のようだったのです。けれども相変わらず白いイヤホンを耳に付けたままでした。彼が座っている姿勢もとても堂々とした、むしろ尊大なように、腕を背もたれに伸ばしていました。
翌日瞑想をしていた時に、彼の座り方が、6、7年前の日本の研修会で『ファミリア』として現れた時のマイトレーヤの座り方と、とても良く似ていることを突然思い出したのです。
その人物は特別な方でしたか。
M.M.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったこと、地震の発生前に彼が聴衆の気を紛らわせて、気持ちを落ち着かせたことを確認した】

音の治療

編集長殿
2013年5月11日に私は石川道子氏大阪講演会を聴きに出かけました。クレーム氏を通してのマイトレーヤからのオーバーシャドウのビデオの放映が終わり、私はマイトレーヤの『手』のカードを購入して帰宅しました。私が真夜中頃に感謝と祈りを捧げながら、胸の中にある苦しい思いを訴えていると、私の家の車庫近くの窓から大きな足音が聞こえてきたのです。音があまりにも大きいので、大男が歩く音に違いないと思いました。私は怖いとも思わず、その音に威厳のような雰囲気さえ感じていました。その時私はとても打ちひしがれていたので、その足音が慰めと勇気を与えてくれていると感じました。音が止まってからは、なおさら感謝と喜びの思いが深まりました。
特別な方が訪れてくださったのですか。
K.H.
日本、大阪府
【ベンジャミン・クレームの師は、足音がイエス覚者によるものであったことを確認した】

再確認

編集長殿
2013年5月18日に、私が地下鉄の出口で石川道子氏講演会場への道案内で立っていた時、右から左へ向かって非常に素早く何かが横切ったのに気づきました。とっさに私は左の方に顔を向けました。するとまるでコマ送りの画像を見ているかのように、徐々にゆっくりと男性の姿がはっきりと現れてきて、突如として私の横にピッタリとその男性が並んでいるのがわかったのです。これまで経験したことのない状況に驚き、私は彼の顔に視線を向けてしまいました。私のぶしつけな視線にもかかわらず、彼は平然と正面を向いて立っていました。彼について言えることは、鋭い目をしていて30代だということだけなのです。彼の国籍の見当もつきません。5月のとても気持ちの良い日で半袖のシャツを着ている人もいたのに、彼は厚地の上着を着ていました。何か言い知れぬ不安な気持ちになり、会場へ戻ることにしました。すると彼が私のすぐ後ろを歩き始めて、目の角に彼の姿が入ってくるほどの至近距離でした。私は怖くなりました。道すがら怖さと戦い、マイトレーヤに守ってくださるように祈りました。
もはや彼が近くにいないと感じてから振り返りました。彼は歩行の横断ができない交通量の多い道路を渡ろうとしていました。私は心配しましたが、運よく道路の片側は反対方向へ向かう車で大変混み合っていましたが、彼が渡ろうとしていた側は一台も車が通っていませんでした。彼は中央分離帯まで行くと、体の向きをくるくると変えて、まるで踊っているようでした。それはとても楽しい踊りのように見えて、彼はそれをとても楽しんでいるように思えました。その時、彼は少し前に私の横に立っていた、いかめしい人物とは全く違って見えました。それでも彼が会場まで私についてくることはなかったことに、安心していました。
後になって、なぜ他の人たちは彼の風変わりな行動に気づかなかったのだろうかと、不思議に思いました。彼に気づいたのは私だけだったのでしょうか。私は恐怖心を克服する勇気を試されたのでしょうか。この人物は特別な方でしたか。
E.K.
日本、東京都
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が東京の覚者であったことを確認した】

白ヘルのおじさん

編集長殿、2013年5月22日、名古屋での石川さんの指導による瞑想会の日のことでした。説明が始まってすぐ、小柄な作業着を着た男性が案内されて入ってきました。白いヘルメットに、大きな白マスク、全身作業着姿でした。てっきり作業員として会場の作業をしに入ってきたのだと思いました。しかし、その男性は瞑想の参加者として席に座りました。ヘルメットを被り、マスクをしたままずっと最後まで座っていました。私はその姿におかしさをこらえるのに必死でした。
瞑想が終わって、私はその人の顔を見たいと後を追いました。幸い彼はマスクを外していて、顔を見ることができました。顎鬚を生やした年配の小柄な男性でした。
その男性は前日の石川さんの講演会にも同じ格好で来ていました。あまりにもおかしい格好なので、私達を楽しませるためにいらした特別の方だったのでしょうか。その愛らしい白ヘルのおじさんを思い出すと、非常に幸せな気持ちになります。この方は特別なかたでしたか?
S.M.、東京都
T.H.、福井県
【ベンジャミン・クレームの師は、2日にわたって現れた白いヘルメットの男性がイエス覚者であったことを確認した】