現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2011年 8月 見えない助け

見えない助け

編集長殿
1997年の学生だった時、オランダのユトレヒトでピザの配達人として働いていました。ある日の夜9時30分頃、10月だと思うのですが、私は交通事故に巻き込まれました。鉄のワイヤーが道を横切って渡してあった所を通ってしまい、そのためスクーターから落ちて切り株にぶつかりました。
近所の人が、私の首に巻き付いていたワイヤーを(私は気づいていませんでした!)取り外し、救急車を呼んでくれました。二人の救急隊員が、私の首を調べましたが、喉仏に赤いポツポツがあるだけでした。二人は私のことを大変に幸運だったと言いました。ワイヤーのせいで死んでいたかもしれなかったのです。
この話の謎は、ワイヤーにぶつかったというよりも、私には両肩を引き下ろされたように思えて、そのために強盗にあったと思ったのです。今、何年もたって、実際に「誰か」が私を引っ張って、おそらく命を助けてくれたのではないかと考えています。もしそうなら、私は正しいですか。覚者のお一人が関わっているのですか。
ジョー・ディエゴ・ウェセリン
オランダ、ディルブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、手紙の主がイエス覚者によって、より深刻な被害から助けられたことを確認した】


国際的

編集長殿
最近スロベニアのマリボルにある伝導瞑想グループにとても変わった来訪があったので、この訪問者たちが特別な方々であったのかお尋ねしたいと思います。
私たちが瞑想前に集まっていた時、二人の男性が部屋に入ってきました。彼らは、これが初めての参加だと言いましたので、私が彼らに伝導瞑想の基本的な原則について説明しました。そのうち一人はカザフスタンから来た学生だと言い、友人はスリランカから来たと言っていました。彼は私に、スリランカ人の男性はスロベニア語が分からないから、英語で瞑想について説明して欲しいと頼んできましたので、私は英語で説明を繰り返しました。彼らは1時間半ほどいて、それから帰っていきました。私たちは彼らが瞑想をあまり経験していないと思いました。この訪問はとても珍しいことで、マリボルに住んでいるアジア系の人は多くありません。彼らは私たちのグループには戻ってきませんでしたが、メンバーの一人が数週間後、街で自転車に乗っているスリランカ人を見かけたらしいのです。私たちは皆この時の瞑想が少し違っていたと感じましたが、私たちの単なる想像かもしれません。
彼らは特別な方々だったのか、それとも単にマリボルにいる留学生でしたか。
アレス・ノバク
スロベニア、マリボル
【ベンジャミン・クレームの師は、『スリランカ出身の男性』がイエス覚者であったことを確認した。『カザフスタン出身の男性』はマイトレーヤであった】


朝の栄光

編集長殿
2011年5月7日午前11時に、私はミュンヘンの交通量の多い交差点にある停留所で、トラムを待っていました。空は明るい青で、ほっそりとした繊細な三日月がきれいでした。
突然、球か円形の物体が視界に現れ、私の方へと素早く移動してきました。さらに近づいてくると、それが球体で表面に青空を反射しているのがはっきりと分かりました。すると驚いたことに、それがゆっくりとした不規則な感覚で、白い光を放ち始めたのです。光は、物体の底の部分のわずかに右寄りから放出されていました。
そのまま真っ直ぐな線上を移動して、物体は太陽に近づいていき、それからスピードを落としたので、まばゆい太陽の光の中でそれが見えなくなっていく前に、少しだけ長い間見ることができました。
その物体は宇宙船でしたか。
B.R.
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、それが火星からの宇宙船であったことを確認した】


挨拶?

編集長殿
昨日、2011年5月13日に、伝導瞑想から帰宅した直後、窓を開けると空に輝くオレンジ色の光が見えました。それは午後9時45分頃のことで、小さなボールが北から南へと、まるで軌道の上にあるかのように飛んでいきました。最初、それは飛行機だと思いましたが、光が一定で点滅していませんでしたし、物体でなくただ全体が小さなオレンジ色のボールで、素早く飛び、数秒後には私の住む通りの大きな家々の陰に隠れてしまいました。
それが何か特別なものだったのかどうか教えていただけますか。
ウテ・リデル
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、それがマイトレーヤの光船であったことを確認した】