裂開の剣―選集
本稿には『裂開(れっかい)の剣(つるぎ)(Sword of Cleavage)というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『いのちの水を運ぶ者』、『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
マイトレーヤが世界の前に現れるとき、人間にとって集中的な自己批判と反省の期間が始まるだろう。多くの人々にとってそれは苦痛であり、大きなショックでさえあることは予想される。今日、多くの人々は過去のやり方や観念にあまりにも深く浸かっており、未知なる未来をあまりにも恐れているので、彼らはそれに関係する新しい状況について知りたがるだろう。……マイトレーヤが最初に世界の復興についての計画と希望を発表するとき、彼の愛のエネルギー──裂開の剣──が現存の分裂をさらに明確に示すだろう。人々は、すべての者のためにマイトレーヤが提示する新しい原理を支持するか、反対するか、どちらかの立場を取るだろう。そのようになるだろう。かくして、新しいものを受け入れるに先立って、不和と不満の時期があるだろう。しかしながら、徐々に、最も悲観的な者でさえ、世界の再建の必要を認知して、彼らの重みをその仕事に加えるだろう。
この地球上でかつて見られたことのないような時期が始まるだろう。あらゆる場で、あらゆるレベルで、変化はその論理的な経路をたどり、法と原理の中にしっかりと固定されるだろう。そしてすべての者の志向を形成するだろう。かくして、人間は自分たちの運命を再び手の内につかみとり、地獄のような混沌に永遠に背を向けるだろう。
(『覚者は語る』―変化に対処して―p.450-451)
世界はもはや後戻りができないばかりか、完全な危機、善と邪悪の間の闘い、和合をつくる側とその反対をつくり出す側との間の完全な対決の時点にきてしまった。これは「裂開の剣」のエネルギーの結果である。キリスト教の聖書にイエスが言われた言葉として書かれている、「父親は息子と分かれて対立し、息子は兄弟と対立する」云々と。すべて非常に破壊的である。その「裂開の剣」は、皮肉に思えるかもしれないが、愛のエネルギーである。それがこれまでに起こったのであり、現在起こっていることである。そしてマイトレーヤによって精妙に焦点が合わせられていくだろう。
現在、愛のエネルギーがすべての界を通して流れ出ているのである。世界中に浸透しており、それの人類への影響は、人々の本心をはっきりと表させるのである。善意の人間ならば、それが刺激され、強化されるだろう。もし破壊的で、悪意のある人間ならば、より一層そうなるだろう。善も悪も同様に、すべてが刺激されている。
このようにして、人類は何をなさねばならないかを非常に明確に知るだろう。もしそれが起こらなかったならば、われわれは今のままでがんばり続けることができると思うかもしれない。難しいけれど、がんばり続ければ、やがて、おそらく物事は静まり、何事もなかったかのようにすべてがまた良くなると思うかもしれない。「裂開の剣」は違いをはっきりとさせ、人類の前にある選択を明確にする。剣の与えるより明確なビジョンをもって、ますます多くの人々が、もはや平和以外の選択肢がないことを知る。もしわれわれが平和をつくらなければ、この惑星上のすべて生命の完全な破壊となるだろう。
であるから、人類にとって、平和はもはや単なる選択肢ではない。それは欠くことのできないものである。この理解はマイトレーヤの愛のエネルギーの行動の結果である。人類の前進への道を明確に描写する「裂開の剣」である。その道は同胞、愛、正義、分かち合い、平和を通してであり、自由、正しい関係、そしてそれから生じるすべてを通してである。その道か、あるいは現在のやり方を続けてすべての生命を破壊するか、どちらかである。
(シェア・インターナショナル 2007年1月号 p.6-7)
わたしの計画は、人間には二つの径しか存在しないことを明らかにすることである。一つは、容赦なき破壊と死につながる。もう一つは、我が友よ、わたしの愛しき者たちよ、人類を真直ぐ神に導く径である。そして用意の整っている者たちは、その神の光の中で信じがたい栄光と不思議を見るであろう。わたしの役割は、あなたがたに道を指し示し、不調和から引き出し、調和と愛のあの幸せな状態へ導き、あなたがたにその夢をかなえさせることである。わたしの仕事は進んでいる。もうすぐ、本当にもうすぐ、あなたがたはわたしの顔を見、言を聞くであろう。試みの時は始まる。わたしの計画は、あなたがたの前にこの二つの選択の対象を示し、その可能性とおとし穴の外郭を描くことである。選択はあなたがたにかかっている。あなたがたが、天与の自由意志をもって決めねばならない。
(『いのちの水を運ぶ者』第16信 p.64-65)
決定の時が人類を待つ。わたしの愛が両極端の見解を創り出す、それがわたしの振り回す剣である。我が友よ、あなたがたがどこに位置するかをよく知り、わたしの光を受けなさい。あなたの足をどこにおくか気をつけなさい──明日へつながる階段か、または忘却の彼方へか。世の男女よ、我が兄弟たちよ、子供たちよ、あなたがたに訴える──わたしのもたらす真理の光の中へと通じる道を歩みなさい、そして本来のあなたである神を顕せるようになりなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第64信 p.187-188)
わずかな人間を除いたすべての人々にいまだ知られていないマイトレーヤは、今や世界の舞台に入って、彼のアイディアをすべての者に提示しなければならない。多くの者は彼の見解の正常さと公正さを見るだろう。しかし悲しいかな、その他の者たちは彼が人類の事柄に介入することを憤り、彼の排除を呼びかけるだろう。このようにして、『裂開の剣』は人間に彼らの選択を提示するだろう──容赦なき苦悩と苦しみへの下り坂を進み続けるか、あるいは過去の間違いを正して人間本来の生得の権利の中へと進むか。
(『覚者は語る』―その時は来た―p.464)
裂開の剣とは、実際のところ愛のエネルギーです。愛のエネルギーが世界に裂開を生む剣だなんてばかげているように思えます。裂開とは分裂や分離のことですが、しかしそのエネルギーは愛のアバターであるマイトレーヤによって世界に放出されるのです。マイトレーヤはその愛を世界に放出し、例外なくすべての人を刺激されます。善良な人も、性悪な人も、利他的な人も、利己的な人も、貪欲な人も、利己的でない人も、すべての人が刺激されます。エネルギーそのものは純粋に非個人的で、良くも悪くもありません。それは刺激するエネルギーであり、すべての人々を結び付け、世界を構成する物質分子を結び付けます。体内の物質分子もその同じエネルギーにより結合しています。
それは息子なる神、キリストの様相、意識の様相です。あの愛のエネルギーはすべての物質を結び付ける凝集力であり、それなしには世界は成立しないでしょう。そしてそれが大量に放出されるとき(長年そうだったのですが)、裂開の剣をつくり出します。……
このすべてが愛の法則の働きです。この法則は裂開の剣をつくり出し、それにより人類はどんな選択をしなければならないかをはっきりと理解するでしょう。……相対立する極が、今以上にはっきりとしたことはかつてありません。物質主義がはびこり、圧倒的な貪欲さの故に株式市場がぐらついている一方、何百万という人間が飢えのために死んでいます。マイトレーヤの裂開の剣は、人類が選択をなすことを強います。分かち合うか、それとも死滅するか。マイトレーヤははっきりと述べておられます。「人は分かち合うか、死ぬかである。それ以外の進路はない」と。分かち合うか死滅するか、そのどちらかであることが分かりはじめるとき、もちろん人類は分かち合うことを選び、それによりすべての人が平和に生きることのできる条件がつくり出されるでしょう。
(『生きる術』p.178-181)
多くの愛されてきたものが捨て去られねばならい。古い形にしがみついていてはならない。役に立たなくなった機構を放棄し、新しい、より単純な世界を創造していく人間の能力に、多くのことがかかっている。これをよく記憶しておきなさい。忘れてはならない──わたしは、すべてのものを変えるためにやってくるのだということを。わたしの到来は、平和をもたらす。同時にわたしの存在は裂開をもたらす。わたしの剣、すなわちわたし自身であるところの愛は、すべての人間を選び分け、真と偽りとをはっきりと示すだろう。そしてわたしのもたらす新しい光のために道を整えるであろう。あなたがたがこの変化に耐え、わたしの光を受け入れることができるように。
(『いのちの水を運ぶ者』第74信、p.213-214)
愛は全く非個人的です。だからそれは「裂開の刀」と呼ばれるのです。人々は彼らの動機に沿ってこの非個人的なエネルギーに反応します。それゆえ、愛のエネルギーは分割するエネルギーです。もし彼らがすべての人類のために最良を願うという良い動機に基づいているなら、その様相をとり、行動します。もし彼らの動機が悪いものなら、もし分離主義的で、排他的であれば、彼らはその同じ愛のエネルギーを使って、逆の方向に活気づけられるでしょう。ですからそれは、良いも悪いも、利己主義も利他主義も、すべてを刺激します。だからこそ、マイトレーヤはこのエネルギーを非常に慎重に扱わなければならないのです。非常な熟練を持って、正しい反応が最大限に現れるように注意して配分されるのです。
私たちは愛を何か全く個人的なものとして考えます。誰かを愛したり、誰かを嫌ったり、しかし愛はそれとは何の関係もありません。それは神が授けられた途切れることのないエネルギーの流れであり、それが宇宙を構成する微小な物質のブロック(構成単位)を結びつけ、同時に一つのグループを構成する個人の単位を磁力的に一緒に結びつけるのです。
(『マイトレーヤの使命・第Ⅱ巻』p.659)
マイトレーヤはご自身が世界の舞台に登場するとき、人類から入り交じった反応があるだろうということをご存じである。多くの人々はその瞬間を喜ばしい期待を持って楽しみに待ち、その時を、人の子たちを待つ「新しい時」の始まりとして見るだろう。しかしながら、マイトレーヤの到来の意味と目的についてほとんど理解せず、彼の資格身分を怪しみ疑う人々がいる。彼らは聖書の言葉をあまりにも簡単に誤って解釈し、聖書に書かれた警告を誤認して恐れている。
また他の人々は、尊敬する人々からの先導を待って、ただ傍観者的見地から眺めている。このようにして、人類はどちらかの側のどこかにいるのである──両手を広げて大教師を迎え入れ、彼の教訓と助言に熱心に従う者たち、一方、彼を悪の体現として、彼らが疑うところのものすべての化身として見る者たちである。
このようにして、「裂開の剣」はその仕事をなし、自由と正義、実際的な善意と愛を支持する人々を明確にし、疑いと恐怖、偏見と憎悪ゆえにマイトレーヤの慈悲と愛のメッセージの真理を認知できない人々を明確にするだろう。そのようになるだろう。そして、そのようにして人間は、彼らの未来の保護者として試されるだろう。
(『覚者は語る』―マイトレーヤへの反応―p.474)
愛のエネルギーは絶対的に中性です。それには〝良い〟も〝悪い〟もありません。私たちは愛をすべて良いものだと思っています。しかしそれは中性です。それは「裂開の剣」であり、すべての生命存在を刺激するためにキリストによって意図的に用いられます。それは善と悪を刺激します。利己主義で貪欲な人々を刺激し、同時に他の人々の利他主義を刺激します。
それは中間に線をつくるので、人類は、自分たちがどこに立たねばならないか、どこに善がありどこに悪があるのか、貪欲がどこで真の魂の利他主義がどこにあるのかを、明瞭に見ることができます。
自分が無欲であり、世界のためにすべてを行っているような錯覚を持っている人々がいます。しかし、彼らの生活の根本には貪欲と利己主義があります。「裂閲の剣」はこの偽善を暴き、人々に彼らの本性を示します。ですからある道を行けば完全な災難になることを人々ははっきり見ることができます。また別な道を行けば、新しい世界の再生につながるしょう。
(『生きる術』p.224-225)
もうすぐわたしの姿は多くの者に知られ、わたしの教えは始まる。わたしは、人類に二通りの行動を提示する。この世界の未来は、人類の決定にかかっている。唯一の取るべき選択は、分かち合いと相互扶助であることを示そう。これをなすことによって、人は己の真性とその目的を識り、神の足下に導かれていく。もう一つの径は考えるのも恐ろしい、それは地上のすべての生命を絶滅させることを意味するのだから。人間はその未来を己の手に握っている。
(『いのちの水を運ぶ者』第17信、p.67)
「裂開の剣」とは愛のエネルギーのことです。人々がこのエネルギーに反応するにつれて、世界は分かれるでしょう。マイトレーヤの提唱する線に沿って変化を要求する人々と、恐れて過去に目を向け、彼を反キリストと見なし、怯えて何をしていいか分からない人々に分かれるでしょう。彼らは傍らに立って状況を見守り、歴史上初めて世界の変容に参加するという、この与えられた機会を失うでしょう。それぞれの立場で、自分自身の神性を示すことは、各個人にかかっています。
(『人類の目覚め』p.194-195)
近いうちに、わたしの存在をより広範囲に現し、新しい時代が開けることを、変化への秘訣は、分かち合いと同胞愛、正義と愛であることを示す意図である。わたしの旗のもとに、わたしと共に歩む者たちを召集する。わたしの軍隊に加わりなさい、我が友よ兄弟よ、そして世界からこの憎しみを浄化しなさい。愛の剣を研ぎなさい、我が兄弟よ、あなたがたの陣営をわたしの周りに固め、共に雄々しく未来に向かって行進しよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第97信 p.281)