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2010年伝導瞑想研修会 質疑応答

2010年伝導瞑想研修会 質疑応答――第一部 グループ・イニシエーションへ向けて(続編)

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ベンジャミン・クレーム

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(“グループ・イニシエーション”は、2010年に米国とヨーロッパで開催された伝導瞑想研修会でのベンジャミン・クレームの基調講話のテーマであった。講話はシェア・インターナショナル誌2011年1月号に掲載された。以下に、両方の研修会での質疑応答のセッションの第1部を掲載する)

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Q グループ・イニシエーションは個人のイニシエーションも同時に含んでいますか。

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ベンジャミン・クレーム:グループ・イニシエーションとはそのようなものです──グループ構成での個人のイニシエーションのことです。全員が必ずしも同じイニシエーションを受けるわけではなく、おおよそ同じ時期に全員が一緒にイニシエーションを受けます。グループ・イニシエーションはグループで行われますが、個人にとっては個人的な体験です。

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Q 人類の共同の生活に対するグループ・イニシエーションの影響はどのようなものですか。

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クレーム:その質問は「影響はどのようなものになるでしょうか」とするべきです。なぜなら、それはまだ起こっていないからです。
その衝撃は巨大なものになるでしょう。この世界においては全く新しい発達速度で、人類は前進するようになるでしょう。グループ・イニシエーションが顕現するや否や、世界は歴史上かつてないほど急速に変化するでしょう。

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Q 入来する第7光線はグループ・イニシエーションに対して、どれほど大きな役割を果たしますか。

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クレーム:第7光線はグループ・イニシエーションにおいて非常に重要な役割を果たします。アクエリアス(宝瓶宮)のエネルギーはグループを通してのみ顕現することができます。単独で働いている個人がそれを使用することはできません。ですから、次の2,500年の間、グループ・ワークとそのグループ・ワークの一部としてのグループ・イニシエーションが重要となるのです。

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Q グループ・イニシエーションが行われるとき、それは例えば、1.1段階のグループ・メンバーと1.8段階のメンバーが両方とも大体同じ時期に第二段階のイニシエーションを受けることを意味するのですか。

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クレーム:いいえ、そういう意味ではありません。1.1段階の人はやがて第二段階のイニシエーションを受けるでしょう。1.9段階の人も第二イニシエーションを受けますが、同じ時期ではありません。つまり人はイニシエーションの瀬戸際にまで到達していなければならないのです。そして、第一段階のイニシエーションを受ける用意を整えた人々は第一イニシエーション、第二段階のイニシエーションを受ける用意を整えた人々は第二イニシエーションを受けるのですが、皆が同じ時期に受けます。

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破壊のフォースの建設的な使用

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Q マナス、ブッディ、アートマは相互にどのように関連しているのですか。それらはグループを通してどのように働きますか。

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クレーム:マナス、ブッディ、アートマはメンタル界よりも上位にある三つの霊的な意識レベルです。霊的な弟子に最初に開花するのはマナス、マインドの意識です。マナスはマインドを意味します。それが最も低いレベルです。
次に開花するのはブッディ、つまり愛と智恵の様相です。それは仏教とは関係ありませんが、ある意味で仏陀と関係しています。愛と智恵は少し違っていますが、その違いはキリストと仏陀の違いです。今日、彼らは意識を共有しています。仏陀はマイトレーヤにご自分のブッディの意識を与えられます。マイトレーヤは愛の様相を表現されます。仏陀は智恵の様相を表現されます。それらは特質において異なっていますが、レベルが異なっているわけではありません。
弟子が前進するにつれて、彼はマナスのレベル、次にブッディのレベル、そして最後にアートマのレベルを表示することができるようになります。アートマのレベルの働きは、これら三つの異なった様相の作用を統合することです。これら三つ(マナス、ブッディ、アートマ)が開花し、アートマがその三つを統合するとき、覚者の段階が達成されます。覚者とはそのような方──アートマの様相が三つの霊的レベルすべてを統合している者──です。
これらの霊的レベルは異なっているように見えるだけであり、すべて同じ源に由来する異なった様相にすぎません。すべてのものが同じ源に由来します。一つの源しか存在しないからです。

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Q 意志の使用について解説していただけますか。さらに、自分自身に対して破壊のフォースを建設的に使うということについてもっと説明していただけますか。

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クレーム:それは「あなたの」意志ではありません。それは意志の様相、三つの霊的レベルのうちで最も高位のもの、アートマです。アートマは意志または目的の様相であり、破壊者の様相でもあります。その様相を使うことによって、霊的成長を邪魔するものが破壊されます。
例えば、もしある人が愛の様相の表現に向けて進んでいるとします。しかし、その人のメンタル的、知的な様相がその時点までの人生の焦点になっていたとすると、その障害を打破するために霊的意志の力を喚起する必要があるかもしれません。愛することができないことは一つの障害です。私たちは皆、愛することができるはずです。愛はすべての存在の生来の特質であるからです。しかし、主として間違った養育環境により、そしてあらゆる種類の条件付けにより、愛の表現が阻まれます。私たちのほとんどの場合、その表現は阻まれています。そのため、意志または目的の様相を喚起する必要があります。それは愛の様相の表現を妨げているものを破壊することができます。その妨げは知的活動の過度の強調である可能性もあります。
たいていの人は、信じようと信じまいと、自分の脳が最も重要なものであると考えます。そうではありません。脳はコンピュータにすぎません。それはこれまでに発明された最も素晴らしいコンピュータであり(人間が発明したものではありませんが)、それによって経験が意識の中にもたらされ、その人が役立てることができる形態になります。脳は物質世界と関係しています。それは記録機、操縦機であり、精妙な界層で起こっていることを外的な界層へともたらす道具にすぎません。脳を自分自身として考えないこと、自分自身の主要な様相として考えないことが極めて重要です。それは特定の問題を解決し、答えを与えてくれます。脳はそのために築かれたものだからです。しかし、脳は内的ないのちの経験を与えてはくれません。私たちが話しているのは内的ないのちの経験についてです。

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Q 不毛で役に立たない反対ではなく、破壊のフォースの建設的な使用となるように、破壊をどのように活用することができるでしょうか。破壊のフォースを使うときに、私たちが建設的であるか破壊的であるかをどうやって知るのでしょうか。

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クレーム:(アリス・ベイリー著『光線とイニシエーション』にある)規定十一は、破壊のフォースを建設的に使う能力を取り上げています。必要とされるのはそれです。私たちは破壊のフォース(エネルギー)を建設的に使う方法を学ばなければなりません。
それが実際に意味することは、グループがアートマのレベルを使用するようにならなければならないということです。霊的緊張の‘時計’のねじがしっかりと巻かれるので、アートマが喚起されるのです。アートマの破壊のフォース(エネルギー)が入ってきて、古いもの、役に立たないもの、否定的なものは取り除かれ、グループは破壊のフォースによって肯定的で建設的な方法で解放されます。
どうやってそれを行うのか。そのような単純な質問をされても、何をすべきかを私があなたに告げるのは不可能です。ルール(規則)はありません。それはグループとして敏感に働く感受性に関係しています。それは脳というよりも、むしろ魂を活用することに関係しています。この質問は脳から出ています。「どうやってこれを行うのでしょうか」というのは常に、脳が尋ねている質問です。覚者がそれをすべて書き出すことはありません。もし、あなたの脳にとって明快な答えがあるとすれば、覚者はそれを付け加えるでしょう。
私たちはより魂としての存在になろうとしており、魂のエネルギーを使おうとしています。それは私たちが直観と呼ぶものです。それは直観的過程です。それはどの本にも書かれていません。あなたが認識力を高めて敏感になるにつれて、グループの仲間と一緒にもっと敏感に(思いやりをもって)働くようになり、お互いとの関連でどのように振る舞ったらよいかを知るようになります。それは霊的な感受性と関係しています。あなたがすぐに採用することができるように書かれたルールではありません。いのちとはそのようなものではありません。それはより敏感に、もっと他者と関連しながら
──つまり、グループ・メンバーおよび世界との正しい人間関係の中で──生きるようになることに関係します。
グループ・メンバーを相手にするときよりも、世界を相手にするときのほうがより良好な態度をとる人々がいます。なぜなら、彼らはグループ・メンバーを知っているからです。彼らは世界のことは知りません。世界を愛するのは簡単です。世界には決して会いませんが、グループのメンバーには実際に会います。どうやって彼らを愛することができるのか。
あなたの人生の問題に答えることはできません。私に言えるのは、もっと敏感に、もっと無執着に、もっと霊的に認識するようになりなさいということだけです。無執着であるときは、分離しているということではありません。なぜなら、無執着は分離と関係していないからです。無執着はむしろ無関心と関係しています。霊的無関心とはどのようなものか。それは無執着であることです。無執着とはどのようなものか。霊的無関心です。それらは同じものです。
それは、様々な人すべてと一緒に働く能力のことです。彼らすべてを愛するとか、平等に愛するとか、彼らに耐えることができないという意味ではありません。しかし、彼らと一緒に生き、働かなければなりません。彼らにも見解があるのだということを理解するようにならなければなりません。それは寛容に関係しています。寛容になればなるほど、あなたはより無執着になるでしょう。無執着になればなるほど、霊的に無関心になるでしょう。霊的に無関心になれば、寛容になるでしょう。そうならざるを得ません。そのようにして霊的無関心は、寛容と認識とともに表現されるようになります。
認識は実際に、私たちのすべての問題に対する答えです。認識するようになればなるほど、こうした問題や疑問は生じなくなります。疑問が生じるのは、私たちがグループ・イニシエーションのための四つの「必要条件」を提示されたからです。自分自身に問いかけてください。「皆と顔を合わせるとき、私はグループの中で実際にどのように存在しているだろうか。どのように振る舞うだろうか。他の人々はどう思うだろうか。『彼女は別のグループに入ってくれればいいと思う』とか『彼はとても心が狭く不寛容だ』と彼らは言うだろうか」と。すべてのグループには様々な人がおり、こうした特質はすべて私たち自身の中にもあります。
ですから、あれこれのものにどうやってなったらいいのか、グループ・イニシエーションのためのこの条件をどうやって達成したらいいのかと、私に問う代わりに、自問した方がいいでしょう。「自分はどうやったら、かなうのだろうか。(規定十一の)その四つの条件は絶対に必要なものだ。私はその条件を満たすために全力を尽くしていると言えるだろうか。いいや、言えない。正直でなければならない。私は全力を尽くしてはいない」と。それはあれこれのことを知ることと関係ありません。自分が誰かを知ることと関係します。あなたは実際のところ、どのような人間ですか。あなたの内面はどうなっていますか。あなたは正直ですか。率直ですか。自分のハートから誠実に話していますか。
これらは生活の中でのみ学べる事柄であり、イニシエーションとは生活に関するものです。それは正しい生活の結果です。この観点からあなたが正しく生きるとき、イニシエーションはひとりでにやってきます。何かをする必要はありません。それはただやってきます。なろうとせずにイニシエートになるのです。それについて知る必要さえありません。
「私は進んでいるだろうか。私は近づいているだろうか」とあなたは問います。そのようなものではありません。ある日、目覚めると、あなたはイニシエートになっています。「私は何をしただろうか。何もしなかった」。正しいことをしたに違いありませんが、それは人生において正しいことをなすことです。それは他者と関連した、人としての正しいことです。正しい人間関係という言葉で覚者方が言おうとしているのは、そのようなことです。正しい人間関係は正しいグループ関係を生み出し、やがてはイニシエーションを、個人やグループのイニシエーションを生み出します。

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霊的緊張

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Q 霊的緊張という言葉であなたが意味することを説明していただけますか。

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クレーム:霊的緊張という言葉によって私は、壊れそうになるほど時計のねじを回して「ねじがしっかりと巻かれた」状態のことを意味しました。そのようにねじを巻くと、次の24時間あるいは7日間は、時計の時間が合うことになります。
グループの霊的焦点が緊張点に保持され、緩むことがなければ、その緊張は次の前進に向けた準備となります。
その緊張点は常に解放を必要とします。時計の場合は、振り子の動きによって解き放たれます。振り子はエネルギーを時計の外に出すからです。私たちは、ねじを巻くこと──人生経験と人生そのもの、そしてその人生の霊的性質を認識すること──によってエネルギーを始動させます。私は宗教について話しているのではありません。人生と呼ばれる霊的体験について話しています。生きることは霊的な体験です。なぜなら、私たちは霊的宇宙の中に生きているからです。
私たちが正しく時間を合わせるとき、つまり、その宇宙やその宇宙からの要請との関連で正しいことをするとき、私たちは自分自身の内的時計を宇宙の内的時計につなげているのです。これによって緊張がつくり出され、やがてそれは最高の緊張点に達します。その緊張点は一挙に弾け、次の前進の一歩を踏み出すことができるようになります。

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Q 「世界のグループの多くは、内界のアシュラムに正しくリンクするために必要な霊的緊張を構築することにいまだ成功していない」とあなたは言われましたが、どうしてそうなのでしょうか。

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クレーム:各人は自分の無執着によって霊的緊張を保持します。無執着が霊的緊張を構築します。無執着でなければ、霊的緊張を保持することができないのです。それが世界のすべてのグループについて言えます。人は無執着になればなるほど、霊的無関心をいっそう実践していることになり、霊的緊張はますます大きくなるでしょう。それによって霊的緊張という時計のねじが巻かれ、ついには、ねじが巻けなくなるほどきつくなり、一挙に弾ける用意が整います。緊張が十分に高まったとき、大きく弾けることになります。そのように弾けるには霊的意志が必要であり、そのようにして新しいレベルに到達するのです。
破壊のフォースは個人の、したがってグループの知的活動や愛や目的の発露の邪魔になっているものを破壊します。霊的緊張がすべての変化を駆り立てます。それが十分に強いとき、最大限にねじが巻かれた時計のようになったとき、はけ口がなければなりません。それは弾けて、変化を生み出し、破壊のフォースを喚起し、それがより高度な理解のために道を切り開きます。

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グループ・イニシエーションにおける第四段階のイニシエートの役割

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Q 第四段階のイニシエートとマイトレーヤの役割との関連におけるグループ・イニシエーションについてもっと説明していただけますか。

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クレーム:規定十一の重要な点の一つは、ミニ・ハイアラキーとして活動する能力です。グループ・イニシエーションにおいては、ミニ・ハイアラキーを構成するのに第四段階のイニシエートが必要とされますが、その代役をマイトレーヤが果たしてくださっています。さらにハイアラキーや覚者と接触することのできる人が必要であり、私(クレーム)がその役割を果たしています。グループ全体としては、内界の特定のアシュラムの中にいるか、それに関係しており、外界において似たようなアシュラムを創造しようと努めている人々のグループが必要です──そのようにして内的なものが外的に顕現します。それはただ覚者方が世界へと物質的に出て来られることだけではありません。内界のアシュラムの霊的緊張が外界で複製され保持されなければなりません。それがグループ・イニシエーションを達成するにあたっての鍵となります。
第四段階のイニシエートは磔もしくは放棄のイニシエーションを受けようとしているか、すでに受けています。第四イニシエーションはそのようなことに関わります。第四段階のイニシエートは、自分と覚者における自由(解放)との間に立ちはだかるすべてのものを放棄しようとしているため、それは必要不可欠なものです。覚者は第五イニシエーションを通過し、完全に変容しています。
人が魂を認識し、魂と一緒に働き、そのようにして魂のエネルギーを体験するほど十分に魂に近づくとき、第五イニシエーションで完成する浄化と再整列の過程が、第一イニシエーションを受ける前から、物質界で始まります。連続する転生における魂の体験のそれぞれは──もし霊的緊張が生涯を通じて保持され、大きな過ちがなければ──その反映である肉体、物質界の人間に、ある程度の光をもたらします。その光は肉体の原子物質を亜原子物質へと変えます。
私たちの肉体は、すべて極めて小さなエレメンタルでできています。物質界では、それは肉体エレメンタルです。感情界ではアストラル・エレメンタルであり、メンタル界ではメンタル・エレメンタルです。これらは微小なエレメンタル生命、つまりデーヴァであり、その仕事は私たちの諸体を形成することです。もし彼らがその仕事をしなければ、私たちは肉体や感情体やメンタル体を持たないで
しょう。
私たちの三つの体は魂のために創造されます。それらは完成へと向かう転生という旅路において魂が使う装備です。魂は完全ですが、転生している(つまり肉体に生まれている)魂はある過程を通り抜けます。その過程は、魂の物質界での反映である諸体を段階的に完成させていくことです。
魂は何度も何度も転生し、新しい諸体に対してその度により多くの光がもたらされ、そのようにして徐々にその人間はますます光の体──肉体、感情体、メンタル体──になっていきます。やがてこれら三つの体すべてが同じ率で振動し、メンタル体によって統合されます。メンタル体を通して魂は、統御し、そのエネルギーをその装備を通してますます多く注ぎ込みます。魂はその目的のためにその装備(肉体人間)を創造したからです。
人間が第三段階のイニシエートになる時から、この三つの体は魂が使えるように統合されているか、あるいは統合されつつあります。人が第四イニシエーション、放棄のイニシエーションに達する時までに、肉体の4分の3が光で構成されます。光は魂の資質です。肉体人間は4分の3が光つまり亜原子であり、4分の1だけが原子です。最後には、その4分の1も放棄されます。そのようなわけで、このイニシエーションは放棄と呼ばれているのです。
霊的緊張は増大していき、真我、モナッドが魂を肉体人間から完全に撤退させることができる段階に達します。魂はもはや、最高のものと最低のものの仲介者として必要とされなくなるからです。最低のものが最高のものへと引き上げられ、最低のものが放棄されます。人間の不純物つまり原子構造の最後のひとかけらまでもが、覚者のより高度ないのちのために放棄されます。その人は復活の前に、キリスト教の用語で言う磔、つまり放棄を経験したのです。
グループ・イニシエーションには、第四段階のイニシエートによって遂行される放棄が持ち込まれる必要があります。私たちのためにマイトレーヤが、まるで第四段階のイニシエートであるかのように代役を務められます。もちろん、彼は第四段階のイニシエートではありません。第四段階よりもずっと高度に進化しておられますが、その役割を果たされるのです。

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グループ・イニシエーションと伝導瞑想グループ

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Q 私はいつも、グループ・イニシエーションが秘教グループによって実現するという期待もしくはグラマーを抱いてきました。秘教について全く知らない個々の弟子がイニシエーションを受けることが可能であるなら、秘教について全く知らないグループがグループ・イニシエーションを受けることも可能でしょうか。

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クレーム:そのような弟子がイニシエーションを受けることは確かに可能ですが、グループ・イニシエーションは異なったものです。グループ・イニシエーションはこれまでずっと、ハイアラキーにとって摘み取るのが最も難しい収穫でした。どれほど多くの覚者が試みても、決して可能にはなりませんでした──例えば、ブラヴァツキー夫人、神智学協会、エレナ・レーリッヒ、アリス・ベイリーを通して新しいエネルギーと教えがどっと外界へ流れ出ても可能にはなりませんでした。
ハイアラキーの外的顕現という途方もないプロジェクトを開始するというマイトレーヤの1945年の決断と、伝導瞑想を人類の中の大きな集団の手に委ねることによってのみ、グループ・イニシエーションがわずかながらでも可能になりました。伝導瞑想は覚者方、つまりハイアラキーと世界にあるグループをつなぐものです。キリストと覚者方の帰還は、世界中に散らばったグループを結束させることのできる大きな磁力的アイディアです。そうした人々はお互いを知らず、自分自身のグループや状況の中で働いていますが、全員が一緒になって何らかの形で再臨とハイアラキーの外的顕現に自分たちを整列させています。
キリストの再臨とは実際のところ、覚者方のアシュラムを、そのアシュラムとの秘教的、オカルト的なつながりを保持しながら物質界へと外的に顕現させることです。グループはそうしたアシュラムの中から出現してきました。それは新しいことであり、成功が保証されているわけではありませんが、歴史上初めてグループ・イニシエーションの可能性を提示するものです。

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Q グループ・イニシエーションの用意を整えているのは伝導瞑想グループだけですか。それとも、他のグループも同様に用意を整えているのですか。

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クレーム:伝導瞑想を行っていない他のグループもあります。彼らはキリストの再臨のために意識的な方法では働いておりませんが、人類の生活の再建のために働いているかもしれません。そのような再建は、世界へのハイアラキーの再出現によって始まる新しい摂理を反映したものです。私たちはすべてハイアラキーの努力に参加しています。それは、私たちが知っているグループや知らないグループ、あらゆる種類の理由で、しかし人類の共通の利益のために働くという主要な理由で形成されたグループなど、あらゆるグループを含みます。

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Q それでは、伝導瞑想グループ以外に、グループ・イニシエーションへ向けて働く過程にあるグループが世界には存在しているのですね。

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クレーム:そうです。例えば、世界の利益のために活動している世界奉仕者の新集団のメンバー──400万~500万の人々──です。彼らの多くはハイアラキーのことを一度も聞いたことがなく、秘教という概念に関心を抱いておりません。彼らはアリス・ベイリーやブラヴァツキーの本を1ページも開いたことがありませんが、世界の利益のために心の底から、魂から働いています。彼らはグループ・イニシエーションに関与していますが、私たちのようには行っていません。彼らは伝導瞑想の実践を通してそれを行っているわけではありませんが、同じことが関係しています。
彼らは内的な(内界の)アシュラムの一部です。ハイアラキーの外的顕現は、マイトレーヤと一定数の覚者方が世界に出て来られるだけではありません。それはすでに起こっており、ハイアラキーの外的顕現の一部です。しかし、それは実際のところ、内界のアシュラムで維持されているのと同じレベルの霊的緊張を維持することができる人々のグループを、外的な物質界に創造することです。そのようにして、外界のアシュラムが内界のアシュラムの反映になります。
伝導瞑想とキリストの帰還というアイディアの磁力が、グループ・イニシエーションのための条件を初めてつくり出しました。なぜなら、伝導瞑想は世界規模であるからです。この仕事において私が最初に行ったことは、伝導瞑想グループを形成することでした。再臨のグループが形成される前に、伝導瞑想を行うグループがありました。
私が行くところどこでも、私は伝導瞑想グループの形成を鼓舞するように言われました。今では世界中で、伝導瞑想グループがハイアラキーと共に働いており、ハイアラキーのエネルギーを自分たちを通して伝導しています。これは全く新しいことであり、その仕事に対して新しい次元をもたらしました。それは強固で拡大する世界規模のネットワークを創造し、それによってアシュラムの内部にある霊的共鳴に匹敵するほどの霊的共鳴を達成しつつあります。それはまだ十分ではありませんが、内界のアシュラムそのものに近づいています。やがて世界中のグループは、より低いレベルではなく同じレベルで、内界のアシュラムを反映するものとなるでしょう。それがポイントです。その霊的エッセンスを物質界で同じレベルで維持するのです。その達成はとても難しいです。
あなた方が眠っているとき、そして魂として内界のアシュラムにいるときは、もしあなた方が知りさえすれば、あなた方は全く異なった人々なのです。それが内的なものと外的なものとの違いです。外界では、あらゆる種類のものが脳とマインドを曇らせ、霊的緊張を妨げます。ですから、霊的緊張を維持することが非常に重要です。
進化は霊的緊張の創造とその解放を通して進みます。その解放はほとばしり出るようなものであり、霊的なレベル──マナス、ブッディ、アートマ──からのエネルギーを引き降ろします。こうしたエネルギーは弟子の生活の中に徐々に位置を占めるようになります。
第一イニシエーションを受けると、肉体はデーヴァ・エレメンタルによって支配されるのではなく、いくぶんその人自身の支配下に置かれるようになります。あなたが肉体のエレメンタルを支配し、やがてアストラル・エレメンタルやメンタル・エレメンタルを支配するようになります。たいていの人にとって最も難しいのは、アストラル体を統御することです。それは非常に強力だからです。私たちは1,850万年の間、それを強力に構築してきました。アストラル体にかかりっきりになってきたため、それは依然として最も強力な体になっています。
弟子の観点から見て、アストラル体が妨げにならないことが最高です。それは他のどの体よりも私たちが支配する必要がある体です。それは全面的にイリュージョン(錯覚)と関係しているからです。それはイリュージョンの界層です。アストラル界ではすべてがイリュージョンですが、人類の大半にとってアストラル界は最も強力な意識レベルです。第一イニシエーションと第二イニシエーションの半ばで、1.5か1.6くらいから、メンタル統御が始まります。

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Q グループ・イニシエーションへの希望が見えている今、おおよそどのくらいの数の人々のことを言っているのかを知ることは可能ですか。それは1万人でしょうか、それとも、知ることはできないのでしょうか。

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クレーム:知ることは可能です。漠然とした数を教えることはできます。約4,000人か4,500人くらいでしょう。

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Q イエスの弟子たちはグループ・イニシエーションの実験にかかわっていましたか。

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クレーム:いいえ。

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内界のアシュラム

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Q 内界の(内的な)アシュラムとは何でしょうか。それは魂のレベルでしか存在しないのでしょうか。それとも、他のレベルでも存在しますか。このグループのすべての人が同じ内界のアシュラムの一部ですか。

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クレーム:内界のアシュラムはグループの霊的性質の源です。すべての人が魂であり、魂の王国つまり霊的ハイアラキーの中にいます。すべてのレベル
──第一段階、第二段階など──において、そして七つの光線に基づく七つのフォースの線に沿うようにアシュラムがあり、全部で49のアシュラムがあります。アシュラムは必要に応じて一緒に活動します。それぞれ光線ごとに、しかし集団としても働きます。
このグループのすべての人が同じ内界のアシュラムの一部なのか。本質的に、様々なアシュラムが一つのまとまりのある全体を構成します。覚者方は一つのグループとして働かれます。このグループの人々は異なった光線に属するかもしれませんが、当面の仕事のために、彼らはすべて私の師である覚者の監督の下に働いています。

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Q あなたは魂の光線のことを言っているのですか。

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クレーム:はい。人は自分の魂の光線の観点から特定のアシュラムに関係しています。第1光線のアシュラム、第2光線のアシュラム、第3、第4などがあります。自分の魂の光線次第でいずれかのアシュラムに行きますが、全体としてのアシュラム、霊的なアシュラムは統一体であり、教えはすべてのアシュラムにおいて多かれ少なかれ同じです。

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Q 私たちの多くが必ずしも第2光線のアシュラムではなく、異なったアシュラムの出身だとしても、私たちは一つのグループとしてあなたの師の導きの下に働いているというのは本当ですか。

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クレーム:はい。私の師はハイアラキーの外的顕現に関係する一定の仕事を引き受けられました。覚者方はハイアラキーの中では全体として活動しますが、すべての覚者がその類の仕事に関わっているわけではありません。私が言っていることは、ハイアラキーを構成する七つの異なったフォースの線があるとしても、どのグループも、例えばこのグループも、一人または複数の覚者の下で働くことがあるということです。より高位の覚者は同じ光線のより低位の覚者を通して反映され、より低位の覚者は様々な段階のイニシエートを通して反映されます。
想像力をたくましくするならば、それは、七つの光線によって存在する異なったフォースの線が密接に関連し合ったクモの巣のようなものです。特定の覚者の光線が頂点にあります。第五段階の覚者はそのフォースの線のより低いレベルを担当し、第六段階の覚者はそのフォースの線のより進歩した弟子を担当します。
このすべてはもちろん、多くの人にとって非常に興味深いことでしょう。世界にいる働き手としての弟子にとって、ハイアラキー内での自分の位置について知ることも良いですが、それについて考え過ぎるのはよくありません。

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注:研修会質疑応答の第2部はシェア・インターナョシナル誌の次号に掲載予定。

さらに、1988年に提供されたベンジャミン・クレームの「グループ・イニシエーションへ向けて」という題の講話も参照のこと。これは『マイトレーヤの使命・第二巻』(1995年、シェア・ジャパン出版)に掲載されている。


規定十一の四つの必要条件
1)非感傷的なグループ関係の確立。
2)破壊のフォースを建設的に使うことを学ぶ。
3)ミニ・ハイアラキーとして働くためのパワーの達成と、グループとして多様性の中の和合を具現すること。
4)オカルトの沈黙の力を培う。
Alice A. Bailey, The Rays and The Initiations, by, Lucis Publishing Company. New York, Lucis Press Ltd, London, 1960, p215.