現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2007年 10月 セレナーデ

セレナーデ

編集長殿
1998年から99年の冬、伝導瞑想を終えて、二人のメンバーと一緒に列車に乗って人々を眺めていました。彼らが身に付けている金の鎖を見ながら、車がいくらだったか、馬力がどのくらいかといった会話が耳に入り、強烈な香水が鼻についてきて、殴られたように頭がくらくらとしてしまい、マイトレーヤの使命について深い悲嘆と疑念に圧倒されてしまったのです。マイトレーヤが公に出てこられた時、ほんの一握りの人々だけが本当に理解し、信じることになるのだと思い、分かち合いが何を意味するのかを人類に鼓舞しなければならないマイトレーヤの仕事がなんと遠大なものか考えさせられたのです。私はすっかり否定的な気分で落ち込んでいました。
他の二人のメンバーが列車を降りた時、ギターを持った二人の男性が乗車してきました。一人はとても背が高く、列車の中では少し背をかがめていなければならず、もう一人はかなり小柄でアジア人の風貌をしていました。彼らは歌い始めました、「目に映るのは木々の緑、赤いバラ、私とあなたのために咲いている。そして私は思う、なんて素晴らしい世界なんだろう」(ルイ・アームストロングの歌「この素晴らしき世界」)。突然、否定的な気分が吹き飛んでしまいました。私はにこにこしながら、その二人の男性はマイトレーヤとイエス覚者ではないかと思っていました。それと同時に、二人のメンバーと一緒に列車を降りておかなければならなかったので、これから遠回りしなければならないことに気付きましたが、次の駅で降りる時、小柄な方の歌い手が愛に満ちた瞳で私を見つめていて、列車が出るまで目をそらすことができませんでした。私は別の列車のホームへ行くために階段を飛び降りながらも、幸せでした。その二人の男性はマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
ダニエラ・カントン
ドイツ、ベルリン
【ベンジャミン・クレームの師は、背の高い男性がマイトレーヤで、もう一人の男性はイエス覚者であったことを確認した】