現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 6月 志向(2部)――選集

志向(2部)――選集

本稿には『志向』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(マイトレーヤからのメッセージ、および『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。(1部はシェア・インターナショナル、2010年5月号に発表された)

わたしが居るグループの中には、わたしが真に誰であるかを知っている者もいる。しかし今しばらくの間、わたしの本当の身分を明かさないことが、わたしの意図である。それは、あなたがたがわたしを仲間の一人として、人間の中に住む一人の男として見ることのできるためである。わたしのなすことは、いずれも意外なことではない。わたしの言うことは、なにも奇怪な変わったことではない。本当に単純であることがわたしのやり方である。この事実は確かである。兄弟たちの中の一人として、あなたがたすべてのために語ろう。
あなたがたの願いや希望を、声を大にして叫ぼう。平和なる世界がすべての人間の願いであることを伝えよう。分かち合いという正しく高貴な心構えと自由と愛に基づいた社会の創造が、人の願いであることを伝えよう。これらの原則をわたしが声を大にして叫ぶのを聞けば、あなたがたはわたしを知り、見つけるだろう。
(メッセージNo.61、p.177-178)

今、未来を見、そして築く用意をしなさい。それがあなたの最高の志向の中に包まれるのを、心に描きなさい。現在の混沌の直中で、無執着になることを学びなさい。そしてあなたの恐怖を差し迫ってくる闇にさらに加えないようにしなさい。あなたが思うよりもずっと近くに歓びの日がある。憎悪もまた、そのコースを走り終えるだろう。もうすぐ、その新しい日に目覚めなさい。各々の明るい志向をまた新たに磨きなさい。新しい光、「世界の光」が今、再びあなたたちの中にある。いま生きとし生けるもの一つ一つの中に入る増大する光を明示しなさい。そして古い不均衡を正しなさい。
わたしたちは見守り、待ち、あなた方と共にいる。日ごとにわたしたちの存在をあなた方の視界により近づける。あなた方がわたしたちを見るとき、人類種族の護衛のために共に働くときがやって来たことを知るだろう。もはや「市場主義のフォース」が人間の上昇への道に破壊をもたらしてはならない。もはや残酷な野心が国民の生活を左右するようであってはならない。大勢の人間が豊かな世界の直中で飢えることが、再びあってはならない。若者たちの未来が彼らの頭上で売られてはならない。自由と正義の未来が招く。
(『覚者は語る』―自由と正義の未来―p.352-353)

歴史的に、人類の進化はほとんど絶え間ない戦争、侵略、憎しみに満ちているように思える。原子爆弾の発見で、われわれは大量にそして非常に遠くまでお互い同士を破壊する能力を完成させた。ではこの破壊性が人間の真の本質的な特性なのか。もしそうでないならば、なぜ人間は、それが本当であるかのように一貫して行動してきたのか。
その答えは、地上における様々な王国の進化における人間のユニーク(独特)な位置、すなわち霊と物質の出合う点に位置するということにある。人間は、本質的に、不滅なる魂であり、神のように完壁であり、それが物質の中に埋没させられた存在である。転生の過程で非常に永い間、物質の様相の不活性(鈍さ)が魂の完壁さを十分に表現することを妨げている。やがて、人間の天賦の志向が彼を上へ、前進へと引っ張り、彼の特性の二つの極は徐々に近づき、やがて完全に結合して、極は解消するのである。そうすると、完成した人間は霊と物質の間の分裂――それらの表面上の対立――は単にそのように思えるのであり、事実それはイリュージョン(錯覚)であることに気づく。それらはひとつなる完壁な神の「全体」(完全なるもの)の異なった様相であることを知る。
この啓示(覚識)に到達するための長い闘争がその旅路に必要な摩擦と火を生じさせ、人間の志向がその旅路を照らすのである。かようにして、人間は地球上での定められた役割を成就する――すなわち物質の霊化である。
(『生きる術』p.10-11)

無執着が鍵であり、志向が推進力です。葛藤がわれわれを前進させるための火ですが、志向がわれわれをより上へと持ち上げます。覚者でさえも志向します。覚者の志向が何かを私は言うことはできませんが、覚者でさえも何かさらに高位のものへと志向します。われわれがこの太陽系の神と呼ぶところのものでさえ、より高位の形の太陽系を志向されます。神、つまりこの惑星に魂を吹き込まれる天帝(ロゴス)は、御自身の(理念)なる完全性に沿った完全な世界を惑星上につくるという理念を志向します。それは創造の過程です。われわれが肉体、感情体、メンタル体の物質を構成するエレメンタルをコントロールするにつれて、徐々にこの進化の過程に対するコントロールを得ていきます。
(『生きる術』p.155)

すべてが順調にいっており、もうすぐわたしの顔と声はあなたがたに知られるであろう。
それによって、あなたの心にいつも輝いている志向の思いが解き放たれるように。わたしを受け入れ、あなたの兄弟たちのために、わたしと共に密接に働く者となるように。わたしが、現在非常に必要とするのは、わたしのビジョンを分かち合う者たちが、行動する責任を引き受けてくれることである。人間の窮乏を知り、そのピジョンを見ていながら、時の緊迫性を知らない者たちが世界に大勢いる。兄弟たちの窮乏を知り、非常に多くの者たちの苦しみに同情の思いを持ち、そしてそれらすべてを変える意志を持つ者たちに、わたしは頼る。わたしが召集する者たちの仲間に、あなたがたも入るように。そして共に新しい、より良い世界を招じ入れることができるように。
わたしの心は、志向するあなたの心の響きに応える。わたしの愛が、その火を燃やす。我が友よ、その火をあおぎ、炎となしてわたしと共に来なさい。あなたの描くビジョンをしっかりとつかんで、あなたがたすべての裡にある神を顕しなさい。
(メッセージNo.46、p.140-141)

ブッディ、すなわち直観的知識は、考えることなしに直接に知ることです。ブッディからのエネルギーは、人間が自分がすでに知っていることよりも高位なものに向かって志向するときに起こります。
アリス・ベイリーの教えやアグニヨガの教えの書物の目的は、単にアカデミックな関係や構造を教えることではありません(それは大切なことではありますが、多くの人々を当惑させ、理解の困難な教えです)。アリス・ベイリーの教えの中で、ジュワル・クール覚者が試みていることは、人々の直観を目覚めさせることです。魂としての私たちの上位には私たちがまだ気づいていない存在の領域が、認識があるという考えを私たちの心(マインド)の前に掲げて、直観や志向や理想主義的な機能を刺激することです。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.409)

志向とは私たちを前方へ上方へと駆り立てるものです。私たちは分離的で個人主義的な野望と真に志向する態度との違いを本能的に知っていると思います。その態度は、簡素さであり、人生の霊的特質の認識であるはずです。それは、人生の霊的特質のより偉大な体験へと意識的に志向するものです。ある人々はそれを宗教的に理解します。彼らは神をもっとよく知り、もっと頻繁に教会に行くことを欲します。それは決して間違ったことではありません。彼らはそこで内的な静寂を、沈黙についての、ただ在ることの内的な集中を体験します。それが神です。それをあなたはどこででも体験できますから、教会に行かなければならないわけではありません。志向とは、すべての進化しつつある存在が本質的にそうであるものに、つまり神になろうとする傾向を表す言葉です。野望は結果を求める欲望であり、その結果を達成することへの執着です。志向は絶対に欲望ではありません。それは上からの引っ張りに対する反応です。その引っ張りはいのちそれ自体の特質であり、それがすべての創造物を引き寄せます。それが魂としての私たちであるもの、つまり神聖な存在、神の完璧な反映へとすべての人類を引き上げます。
魂は肉体内に胸の右側のチャクラにその座を持っています。これが私たちに志向と呼ぶ感覚を与えるのです。志向はもちろんすべてのレベルにあります――入り混じっています。意識がアストラル体に偏極した個人の場合、それはいくらかアストラル的な性質を帯びており、したがって、その意味では不純です。軽蔑的な意味での不純ではありませんが、入り混じっているという意味での不純です。それは個人的であると同時に非個人的でしょう。あなたはこの違いを感じることができます。それはどこから来ていますか。みぞおちからですか、それとも、ハートのチャクラからですか。それらには違いがあり、それをあなたは感じることができるのです。もしあなたがそれを胸の右側に感じるならば、それは志向です。もしみぞおちに感じるならば、それはグラマーであり、感情的な志向です。しかし、それは一つの段階でしかありません。やがてそれが移行し、入り混じったものであることに私たちは気づきます。世界の必要に対するアストラル的な反応とハートによる反応の混合になるでしょう。そしてやがて、それがハートのみにとどまるようになることに気づきます。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.446-447)

わたしの足が、すでに都会の舗道を歩いた事をあなたたちに告げる。これは、我が友よ、まことである。わたしは人間をよく知っている――彼らの希望と恐怖を、彼らのあこがれや切なる思いを、善なるものに対する彼らの志向を知っている。このような志向を、わたしは頼みにしている。わたしのこれからの仕事を授けることを、あなたの任務となすことを公言しなさい。そしてわたしの愛の回路となりなさい。このようにして、あなたは、あなた自身の運命をも、全うするであろう。
(メッセージNo.73、p.211-212)

私たちは肉体の必要と情緒的な必要(私たちが考えるほどの必要ではないのですが)にいつも気づいております。マインド(識心)の仕組みとそれがいかに進化の過程に関わっているかということについてはあまり気づいておりません。マインドの息子たちとして、私たちはマインドを通して、つまりメンタル界の意識を通して発達します。人間は理想主義と志向(志望)を通して進化し、マインドを開発します。それをするには意志が、知的決断が要ります。それをしたいと欲するだけでは、することはできません。
他方、デーヴァ界の進化はフィーリング(感じ)を通して進化します。感じるという能力の完成によって、より完全になる(事実、もし人間以下のデーヴァであるならば、より人間に近くなる)方向へ進化します。彼らは非常に敏感な感覚器官を持ち、それによってリアリティ(実相)を知ります。それが彼らにリアリティの物質的特性を経験することを可能にします。それは私たちにとって全く異質なことではありませんが、私たちの道ではありません。人類の道はマインドの開発の道です。それは意志と意識的な努力を必要とします。二つの道のうちのより難しい道です。デーヴァの道は比較的容易であり、彼らにとっては全く抵抗のない道です。
私たち人間は、最も抵抗の強い道に取り組んでいます。なぜなら私たちは道の中で、上からしか来ることのできない様相を、下から開発しようと努力しているのです。それは志向を必要とします。進化の過程を支配するのはまさに志向であり、理想主義です。私たちは志向するにつれて進化します。志向はある時点で止まると思うかもしれません。そうではありません。覚者方は志向されます。創造の中で志向しないものはどこにもありません。
私たちは志向について考えるとき、感じ、フィーリングについて考える傾向があります。「もっと良くなりたいと感じる」。毎年、新年に、煙草をやめようとか、飲酒を控えようなどと決意します。毎年、新年の決意のリストを作ります。もちろん、それをやっていれば、もっと速く進化したでしょう。しかしいくら決意をしても、私たちは第三段階のイニシエーションにたどりつくことはできません。それらは、人間として進化の旅路を歩むために要求される志向的な理想主義を表す象徴にしかすぎません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.403-404)

間もなく世界は、人類種族の長老たち、覚者たち、神の子たちが世界に戻るのを知るだろう。
予言はわたしたちの再臨を告げ、弟子たちの期待を活気づかせてきたが、彼らの多くは、今のこの時の出来事に気づかずに眠りこけている。わたしたちの到来を熱望して待つ者は多いが、それを遠い未来のことと心に思い描いている。わたしたちの手が今、扉を叩いているのを彼らは知らないのか。目覚めなさい、友よ! 目を覚ましなさい。善意の働き手たちよ! 世界を変容させるために、わたしたちと共に働く者すべてを必要とする。あなた方の希望と信頼をわたしたちは慈しむ。わたしたちを見、あなた方の生活の中にわたしたちを歓迎する用意をしなさい。
(『覚者は語る』―奉仕への召集―p.151-152)

未来は、人間が想像し、恐れるような荒涼としたものではないことに人々はやっと気づきはじめている。新しい光が、マイトレーヤの光が人類に新しい希望をもたらし、古い分割を新鮮な目で見、協力と相互信頼の精神で方向転換することを可能にしている。この新しい精神は急速に地盤を増している。あらゆる機会をつかみとって混乱をつくろうとする地球の破壊的勢力の努力にもかかわらず、主要な変化がすでに起こっている。新しい高所が勝ち取られたのである。
人間の切なる願いがかなえられ、彼らの必要に注目が向けられ、彼らの志向に声が与えられるま で、あまり長くはないだろう。間もなく世界中の人間は、彼らの兄たちが自分たちの中にいることを、そして兄たちのリーダーもまた臨在しておられることを、自分自身で認知するだろう。その方々の光は消されることはなく、矛盾するような徴が多く見られるにもかかわらず、今新しい「正義の時代」が形づくられていることを認知するだろう。
(『覚者は語る』―正義の時代―p.249-250)

我が友よ、わたしはあなたがたが想像するよりはるかに近くに居る。なぜならわたしは兄弟たちを愛する者すべての心の裡に、世界に正義と自由の光を放ち、分かち合うことを願う者すべての心の裡に、座しているのである。
わたしは今あなたがたの裡に在る。あなたがたの志向の思いで飾られた心の中心にある蓮華の花の裡に、わたし自身を、わたしであるところのものを見る。そしてこれを非常にうれしく思う。あなたがたの裡に宿るこの光こそが、わたしをあなたがたのところへ呼び招いたのである。あらん限りの力と栄光をもってこの光を広く顕し、世界中にわたしのための道を照らしなさい。?
(メッセージNo.62、p.180-181)