聞き覚えのある言葉
編集長殿
2016年2月13日土曜日、バンクーバー公立図書館本館の玄関の外側で、私たちのグループはブースを出していました。図書館の開館中にブースの前を通っていく、たくさんの人の流れがある良い場所なのです。
私が一人でテーブルを担当していた時、何人かの人たちが立ち止まり、無料の資料を手に取り、おしゃべりをしていきました。ある時、私が若い男性と話をしていた時、テーブルから少し離れた所に3人の男性が立っているのに気づきました。彼らは自分たちで話をしていて、折に触れてはこちらのテーブルを眺めたり、指差したりしていました。彼らはテーブルのもっと近くまで来て、チラシを見たりし始め、それを手に取ると、また元の場所に戻っていきました。
私は若者との話を終えて、テーブルの後ろで腰を下ろしていました。あの3人の男性たちが、私の正面に立っているのが見えていたので、彼らに注意を引かれていったのです。一人の男性は30代半ばくらいで背が高く、おそらくアジアの国の人で、もっと若い男性は20代前半で、インド出身の人のように見え、三番目の男性は60代後半か70代初めで、アジア圏のどこの出身とも言えるような風貌で、眼鏡をかけた白髪交じりの人でした。彼らが何を話しているのか聞こえませんでしたが、穏やかで真面目な議論のようで、年配の男性が主に話をしていました。背の高い男性は懐疑的なようでしたが、感情的にはなっていませんでした。若い男性は話題に耳を傾けて、時折話に参加していました。そして時々彼らは私たちのテーブルを指差したり、見つめたりしていました。
突然、年配の男性が「主マイトレーヤ」と言うのが聞こえてきたのです。私が聞いてきた中で、ほんのわずかな人たちしかマイトレーヤのことを、「主マイトレーヤ」と呼ばないので、これにはびっくりしました。その時から私は会話の断片に耳をすませていました。彼は「人々はマイトレーヤが外側にいると思っている」と言いながら、宙を指差し、「しかし彼はここにいるんだ」(彼は手をハートの上に置きました)と言っていました。彼は神智学協会がマイトレーヤのことを信じていないという話をし、さらにクリシュナムルティについても何か言っていました。
その男性はマイトレーヤについてのトークを、他の二人にしているように思えました。それは私がこれまで見たことのない状況で、私の知らない誰かが他の人たちに、マイトレーヤについて話をしていたのですから。彼らはそこに20分ほどいて、友好的に分かれてそれぞれ別々の方向へ去っていったのです!
彼らが去っていく時、もしかしてそれらの3人の男性が『特別な』方ではないかと、疑い始めたのです。3人が実際に『特別』だったのかどうか、あなたの師は確認してくださいますか。
レイ・ショウ
カナダ、バンクーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その3人の男性がイエス覚者の代弁者方であったことを確認した】
ハッピーエンド
編集長殿
2015年12月12日に私たちのグループは、バンクーバーの公立図書館本館で全日のイベントを行いました。私たちはインフォメーションテーブルを、図書館の外の中央ホールに設置し、地階にも部屋を借りて、そこで色々なパネル展示と、ベンジャミン・クレーム氏が再臨の情報の様々な側面について語っている、ビデオの短編集をエンドレスで放映して、アイディアとしては、インフォメーションテーブルに来た人々に、この部屋まで来てもらい、より深い意味でこの情報を探求して、そこではグループメンバーが質問に答えたり、さらに情報を提供したりするような場所を考えました。その日の間、メンバーと私は交代して、二つの場所の間を移動し、そうして異なった立場で人々と交流する機会を持てるようにしました。
その日1日で何人かの人々がインフォメーションテーブルで立ち止りました。私たちは本当に興味を持ってくれそうな人々と、充実した会話を交わし、地階の部屋のマルチメディア上映に足を運ぶ人たちもあれば、ある男性は図書館で本を探しに行くとまで言ってくれました。彼はほどなくベンジャミン・クレーム氏の本3冊を手に戻って来て、それらを読んでもっと知りたいと熱心に言っていました。けれどもとりわけけんか腰であったり、論争的であったりするような人々とも言葉を交わすことがあり、午後の終わりには、私は本当にもうたくさんというような気持ちがしていました。
その時、4人のグループが近づいてくるのが見えました。彼らの温かな反応や心からの興味は、私にとってうれしい驚きで、彼らは私たちの資料を眺め始めたのです! そのうち一人の男性はベンジャミン・クレーム氏の本を手に取り、パラパラとめくって読み始めました。私は彼らにマイトレーヤとベンジャミン・クレーム氏の本について話し始め、私がこの情報を聞いたのは1982年で、それ以来この情報を一般に伝えることに関わってきたことを話し、「おそらくあなた方が生まれる前から!」と付け加えたのは、彼が本当に若い男性だということが、とっさに頭に浮かんだからでした。彼は、「この星に生まれた」のは1984年だと答えてくれて、私たちは笑いました。私は彼らにマイトレーヤが多くのわれわれの問題を解決する唯一の方法として、世界資源の分かち合いを提唱していることを話すと、その男性が月刊誌の名前から思いついた、ちょっとしたジョークとして、「インターナショナル・シェアリング(国際的分かち合い)」と言いました。一緒にいた他の女性たちも、少し話をしてくれて、一人はパリで終わったばかりの気候に関する講演のことを話していました。
不意に、私はその人たちの優しさや温かさに圧倒され、「あなたたちは何て素敵なグループなんでしょう。皆本当に素敵な瞳をしているわ」と言わずにいられませんでした。彼らは私をあまりにも優しい、思いやりのこもった様子で見つめていたので、実のところ私はただニコニコしていることで、何とか涙を我慢することができて、本当に心の奥深くに触れたからでした。とても馬鹿げて聞こえるかもしれませんし、おそらく彼らと、その前に骨の折れる人に応対をしたこととの、落差のせいかもしれませんが、彼らは私に大変気持ちの良い態度だったと思うのです。女性の一人は私のしていることにお礼を言ってくれて、他の人たちは私と別れの挨拶を交わし、彼らは皆一緒に図書館の中へ歩いて入っていきました。私は再び腰を下ろして、起きたばかりのことを考え直してみて、あの素敵な人たちは代弁者の方たちであったかもしれないという、とても強烈な思いが浮かんだのです。私はこの機会に、これまでの、そしてこれから続けられる仕事のすべてに対して、謹んで心からの感謝を捧げたいと思います。
ジェシー・ウェブスター
カナダ、バンクーバー
【ベンジャミン・クレームの師は、その4人の人たちが実際にイエス覚者の代弁者方であったことを確認した】
復活祭の祝福
編集長殿
3月27日の復活祭の日曜日に、私の二人の孫娘が、二人共20代初めですが、思いがけず午後2時にやって来ました。サマンサはとても感動したと言っていた「匿名の祈り」という彼女の携帯電話のアプリケーションを見せたかったのです。その祈りは私たちに難民を助け、彼らのために祈るよう勧めていました。私たちはおしゃべりをしていて、私は主マイトレーヤからの午後3時の祝福について、すっかり忘れていました。
私たちはサンルームにいました。突然空が暗くなり、雷鳴がとどろいて、稲妻が部屋を照らしました。サマンサが電話の中の祈りを探し出し、私たちが嵐の中で気持ちを高揚させる言葉の数々を聞いていた時、時計に目をやると、午後3時だったのです。
私たち3人共が、その時感じていたことで目に見えて身震いしていました。それはまるで白い光が部屋と私たちの身体を満たしていたかのようだったのです。私たちは祝福されたのですか、親愛なるクレームさん? それはまさにそのように感じられましたが、想像力が先走ってしまうこともあります!
人類に対してのあなたのなさったすべてに感謝の気持ちを込めて。
リンダ・ロッジ
英国、ウェストヨークシャー州ブリッグハウス
【ベンジャミン・クレームの師は、それがマイトレーヤからの祝福であったことを確認した】