現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2012年 6月 自由意志 ―― 選集

自由意志 ―― 選集

Free Will──a compilation

『自由意志 (Free Will)』というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(「いのちの水を運ぶ者」)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(「覚者は語る」)、およびベンジャミン・クレームの他の著書から抜粋したものである。

私たちは自由意志とは何かを本当には理解していません。私たちはかなり表面的にそれを理解しており、自由意志がどれほど深い特質を持ち、なぜ覚者方が私たちの自由意志を侵すことができないかを真に理解していません。自由意志は進化を可能にする本質的な要素です。自由意志がなければ、私たちは進化しないでしょう。覚者方は進化の大計画を担っているので、進化に関与しており、人間の進化もその一部です。もし彼らが、進化を可能にするための根本である私たちの自由意志を侵害したら、それは彼ら自身の行動を止めて、人類の全進化を止めるでしょう。ですからそれは絶対に起こらないでしょう。私たちは自由意志がどれほど重要なものかを認識しなければならず、間違ったことをしているのを知りながらそれ(自由意志)に固執してはなりません。
(『全人類のための世界教師』p.128)

この惑星の「内界の政府」としてのハイアラキーが、大小すべての出来事をコントロールするという考え方が存在する。これはまさに誤りである。人間の自由意志を侵すことなしに、それはあり得ない。ハイアラキーの任務は、神の大計画を「我らが人類と呼ぶ中心」を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。
(『覚者は語る』―大計画は進む―p.334)

新しい時代の機構や構造の開発には時間がかかり、新しいアイディアが意に適うものであり持続するものであるためには、社会のすべての領域による完全な参加が必要です。変化の速度は、社会が世界的規模の分かち合いと再分配に必要な条件を実施する能力に比例します。質問には力の使用が暗示されていますが、ここにはその必要はありません。人間の自由意志はハイアラキーにとって侵すべからざる神聖なものです(たとえ人類にとってそれは神聖でないとしても!)。彼らは助言者として、経験豊かな相談役(カウンセラー)としてのみ働きます。人類に押しつけられたり、強制されたりするものは何もありませんが、やがて思考の新しい方向づけが、共通の福利のために仕えるという世界的な願いにつながるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』p.201-202)

あなたがたがわたしを見るとき、わたしがなぜやってきたのかを知るだろう。わたしはあなたがたに次のように訴えるだろう。わたしの幼き者たちを救い、あなたがたの同胞を飢えから救いなさい、人類は一つであることを、唯一なる父の子供たちであることを覚えておきなさい。大地の産物を、これを必要とする者たちに、信をもって譲りなさい。これを今なして、世界を救いなさい。
わたしは語る。わたしはそう訴える。そして人類がこの法を受け入れるとき、わたし自身を公に宣言しよう。これが真理であることを知りながら、分かち合うことを望み、兄弟同胞愛にあこがれながら、行動を起こさない者が、今日、多く存在する。何事もひとりでに起こらないのである。人間は行勤し、自分の意志を実行しなければならない。今日、その意志は、神の意志でもある。であるから、その結果は保証されている。
(『いのちの水を運ぶ者』p.104-105)

世界人口の半分は今、貧困の中に生きている、そして金持ちと貧乏人との間に巨大な格差が存在する。このようにして生じる緊張に内在するものが、人類にとって大きな危険をはらむ。キリストは前進への道を指し示し、これらの不平等と緊張を一つずつ減少させ、比較的おだやかに新しい時代へと移行することを確実にされるだろう。すべてが前もって注意深く計画されている。偶然に任せられるものは何もない。しかし、人類自身が変化を実施するための速度を決めるであろう。なぜなら、人類の自由意志は決して侵されないのだから。
(『覚者は語る』―キリストの再臨―p.27-28)

もし人間が意図するならば、既存の機構を速やかに、そして最小限のストレスで変容させていくことができる。しかしながら、すべての人間が世界を同じ光の中で見るわけではない。ある者にとっては、必要とされる変化は後退のように見えるために、それに強く反対すべきだと考える。では、誰が決めるのか。人間自身が変化の速度と規模を決めなければならない。人間は、根源的な変化が必然であり、早く取り組めば、それだけ早く楽しむことができることを徐々に理解するようになるだろう。
(『覚者は語る』―圧力は増大する―p.311)

イニシエートや弟子たちがこの大計画を実行していくのです。マイトレーヤと覚者方は彼らを通して働きかけておられ、今後も続けられるでしょう。この者たちが新しい時代の建設者です。マイトレーヤと覚者方のみではありません。マイトレーヤと覚者方は道を示されますが、新しい時代の建設は、政治・経済・金融・社会・その他にまたがる建設は、ハイアラキーによって訓練されたイニシエートや弟子たちである世界の男女によって実際になされるのです。それは、人間の自由意志を侵すことになりません。彼らは人間なのですから。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.231)

今日、世界の指導者たちは統御することのできない出来事に苦悶している。彼らがまったく知らないフォースが、彼らを計画していなかったしばしばヒステリックな反応へと押しやる。彼らは自分たちの独断的教義に導かれて、混沌から混沌へと逃げる。
その間、わたしたちは忍耐強く待つ。人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と、愛と正義と分かち合いの道である。
わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。
(『覚者は語る』―飢餓の終わり―p.346)

選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選べば、人間の霊性はまことに輝き出でるであろう。さもなくば、我が兄弟姉妹たちよ、人間の未来はきわめて致命的である。
しかし我が友よ、あなたがたの答えと選択をわたしは前もって知っている。恐れるでない、わたしの愛しき者たちよ、あなたがたの愛を通して――あなたがたの心に宿る兄弟たちへの愛を通して
――あなた方は正しく選択するであろう。この愛は世界中に輝くことを期待してよい。わたしの存在こそがそのことを保証する。
(『いのちの水を運ぶ者』第78信、p.228)

マイトレーヤが実際に予定されていたよりも早めに、いま降臨されている理由の一つは「聖なる介入の代理者」として、その頻度と強度を増している地震の影響を軽減するためです。もしマイトレーヤが招かれずに世界の前に現れるとすれば、ある程度、人類の自由意志を侵すことになります。そうすることを躊躇しておられるのは(そして、最後の手段としてのみ、そうなさるでしょうが)、マイトレーヤの「聖なる介入の代理者」としての能力がある程度、制限されることになるからです。その結果は、地震活動によって人間が被る被害はより大きくなるでしょう。つまり介入するためにマイトレーヤが人類のために使用することのできるエネルギーの量は我々が彼に向けて発する呼び掛けの訴えに関係しています。彼を呼び出すために人類が費やすエネルギーが多ければ多いほど、より多くのエネルギーを我々のために使用することが可能となります。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.31-32)

私たちはグループ意識へ向けて進むべきだから、個人性をなくしていくべきだと考える人々がいます。それは最も悪いことです。私たちのユニークさ、独自性、個人のパターンや色を失うことは悪いことです。それは私たちに与えられているものなのです。それを自由意志と呼びます。自由意志の誤用があらゆる戦争の原因であり、何百万の人間が余儀なくされているひどい、惨めな生活、すべての原因です。自由意志を正しく使用するとき、明確に定義された個人的なユニークな人間をつくります。それは進化の過程にとって必要です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.557)

あなた方自身の直観的反応でなければならないのです。ありのままのマイトレーヤを、あなたが知り、あなたが認めなければいけないのです。カーター大統領がまたは法王が言ったからではなく、あなたが自分自身の裡に、あのお方の言われている特質を、つまり世界が今必要としている特質を持っているから、反応するのです。我々は分かち合わねばならない。協力せねばならない。人類は自由でなければならない。世界に正義が、公正がなければならない。飢える何千万の人々に食料を与えねばならない。我々の兄弟が何千万も餓死しているのに、我々は何もしていない――マイトレーヤはこのようなことを言われるでしょう。そしてあなたは、彼をマイトレーヤと知ろうが、知るまいが、あの男こそ、私の思う人だというようでなければならない。なぜならキリストの意識があなたを通して働きかけているから。あのお方が、主張なさることを是非やりたいと思うのです。そうでなければならない。人間の自由意志から出る自分自身の反応でなければならない。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.150)

わたしはあなたがたの友であり、兄である。しかし神ではない。御父が、再びわたしをあなたがたのもとに遣わされたのは事実である。わたしは、兄弟であるあなたがたのところへやってきた。あなたがたが望むならば、祝福された未来に案内し導くために、やってきたのである。わたしの役割は、道が岐れていることを人類に示すことである。道標は置かれた、そしてこの地球の未来はあなたがたの決定にかかっている。正しい道を、神につながる唯一の道を、人類が選ぶのを確実にするために、我々は(あなたがたとわたしとは)ここに集うている。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信、p.72-73)

人間にはとても手に負えないと思われる問題を、「世界教師」なら解決できるという信頼を深めて、多くの者が彼を待つ。 彼らは世界教師の賢明な判断と経験を信用できると感じる。これが本当であることは否定できない。彼はまさしく賢明な助言者であり、人間は彼の忠告に自信をもって耳を傾けるべきである。しかしながら、彼が人間の事柄に介入する度合いを「法」が制限する。法は強圧の使用を禁じるということを人は知るべきである。人間の自由意志が侵害されてはならない。かくして、人間のみが変化への決断をしなければならない。マイトレーヤが言われるように、「わたしは計画の設計者にすぎない。あなた方が、我が友よ、兄弟よ、輝ける真理の宮殿を喜んで築く者たちである。」
(『覚者は語る』―変化への恐れを克服する―p.542)

現在起こっていることは、アトランティス時代の初期のころ以来、初めて人類の自由意志とシャンバラで知られている神の意志とが正しい整列の関係になったのです。三つの大いなる中心、シャンバラと、ハイアラキーと人類が、これまでかつてなかったように、より正しく整列関係が合わさったのです。なぜなら、数え切れない長い歳月を経て、初めて人間の自由意志が、神の意志と同じようになってきているからです。人の自由意志が神の意志と異なるとき、人は困難に遭い問題と苦しみが生じます。しかし、人の自由意志が(あくまでも、自由意志として残るのです)、自分自身の自由な選択によって、神の意志に合致したとき、すべてはよくなるのです。己の自由意志を個人的な偏愛や個人の欲望からはずして、魂の目的・神の目的に合わせるだけで、我々はいつでも、苦悩することなしに神聖なる存在を、美しい世界をつくり出す可能性をいつも持っているのです。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.234-p.235)

我が友よ、あなたがたがわたしを見るとき、この友の手は、あなたがたのためにあることを知りなさい。あなたの兄の愛は、あなたがたがそれを吸収するためにあり、その教えは、あなたがたが聞くためにあるのである。このことを知りなさい、我が友よ、そしてこれらの真理をあなたの兄弟たちに伝える責任を負いなさい。
世界は人間によって変えられるべきである。これがわたしの意図である。それ以外のことを、法は許さない。だから、我が友よ、わたしの計画を実行し、新しい世界を準備する仕事を、あなたがたに依頼するのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第85信、p.249-250)