現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2010年 12月 簡素さ(2)――選集・第2部

簡素さ(2)――選集・第2部

本稿には『簡素さ』というテーマに関する引用文の選集・第2部を発表する。これはマイトレーヤの教え(マイトレーヤからのメッセージ『いのちの水を運ぶ者』、および『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。


地球の未来を恐れることはない。新しい、より良い管理が現在の無知に取って代わり、より安定した状態が広く生じるだろう。より純然たる、より異なる歓びが人間の心(ハート)をつかみ、現在の不安感を追い出すだろう。人間は皆兄弟であることを自分たち自身で知るようになるだろう。そして、公平に分かち合いながら、生活を変容させていくだろう。そのようになるだろう。そのようにして、人間は宇宙の秘密を知るだろう。そして星々に向かって向上しつつ、神の子としての人間の生得の権利を自分たちのものにするだろう。
(『覚者は語る』―運命の時―p.368)

今日、人は単純なことを拒否し、複雑で博学で漠としたものにしがみつく傾向がある。しかし真理に属するものはすべて、我が友よ、非常に単純であることがわかるであろう。したがって、わたしも素朴な男である。あなたがわたしを見るとき、それを知るだろう。そして微笑みながら、わたしを一人の兄弟として受け入れるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』No.67、p.195)

人間の仕事を助けるために、キリストは一定の優先順位を定められた。それが実施されるならば、均衡と秩序が確立され、それによって調和が創り出される。平和と福利はこの調和の上にかかっている。これらの優先順位は単純であり、自明である。しかるに、それがある程度、存在するところは現在どこにもない。列挙してみれば、それはあらゆる男女や子供の基本的な必要を満たすものである。第一の優先は正しい食物の適切な供給である。第二に、すべての者のための適切な住宅や宿である。第三に、普遍的権利としての健康管理と教育である。
これらが安定した世界のための最小限の必要条件であり、これを保証することが、すべての政府の主要な責任となるだろう。それは単純だが、実際に開始されるとき、広範囲の影響をもたらすだろう。そしてこの地球に新しい時代を招き入れるだろう。
(『覚者は語る』―優先順位のたて直し―p.228)

マイトレーヤは、これらすべてのグループの最も広いスケールの代弁者であり、これらすべての分野に関わる問題への答を示されます。――普遍的なレベルで、途方もない愛とビジョンの大きさを表し、異なったタイプの人間の心を見る能力を備え、非常に簡単に、全く実に簡単にすべての人間が理解できるように、日常の平易な言葉で話をされる、そんな男を探しなさい。このような信念を持つ男女が世界中から彼に引きつけられて来るでしょう。そして彼の周りに集まります。マイトレーヤは彼らを通じて働かれるでしょう。
(『世界大師と覚者方の降臨』p.70)

簡素化にはある役割があります。それは、すべての生き物が進化の道程をたどるときには、まず食べることだけを求めるからです。それから器官がますます複雑になるにつれて、その必要も一層複雑になっていきます。そして人類は、地球上に65億人も住んでいるのですが、最も複雑な生活を送っており、使用可能あるいは不可能な、有用なあるいは無用な無数のすべての種類の物品をつくり出しました。これが全世界の商店や貯蔵室を満たしています。世界中にばらまかれ人々に脅威を与えている何百万トンもの武器も、もちろんその一部です。例えば、東京の主要な大通りをちょっと散策して、携帯電話、カメラ、テレビ、またはコンピューターなどのあらゆる種類の電化製品を買うことのできる場所に行ってごらんなさい。それらをいくらでも買うことができます。あらゆるビルが1階から20階まで、すべての種類の通信用物品でいっぱいです。
もっと簡素化できるのでしょうか。簡素化は生きる術と非常に関係があると思います。私の経験では、人類が成長して人生がますます物品、科学技術製品で満たされてくると、簡素化からますます遠ざかり、生きる術と称するものから一層かけ離れていきます。私たちは生き方が分からなくなります。貯蔵倉庫を、携帯電話やコンピューターのようなもので満たすのは良い生き方ではありません。それらは、有用であれば流通させ、でなければ作ってはなりません。それは狂気じみた商業主義です。人間が進化するにつれて、人類が生きる術を悟るにつれて、これらの複雑な過剰生産を積極的にある程度やめるにつれて、簡素化が基本であることが分かるでしょう。
簡素化とは、実際に、最も充実した人生を楽しむための必要最低限のものを用いることです。最も充実した人生は、術として生きることができます。しかしそれは簡素化を必要とします。そのようにして、私たちは新しい時代に正しく入っていくのです。生きる術が人類によって真剣に考慮され、認知され、発展させられるとき、無害と犠牲の法則がそれをコントロールするとき、より一層の質の簡素化が現れるでしょう。“荒野の体験”が簡素化の必要性を人類に示すでしょう。おそらく今日のアメリカのように生活が複雑になればなるほど、未来の簡潔化を受け入れるのが困難でしょう。しかし、簡素化の中には大きな幸福があるため、未来はより幸福な時代になるでしょう。
(『生きる術』p.115-117)

わたしは素朴な男である。そしてあなたがたに素朴に歎願する。わたしを信じて、従いてきなさい。愛に基づき、分かち合いに基づき、同胞愛に基づく未来へ、あなたがたを連れていこう。単純な相互依存と正義に基づく道、いのちの本源なる神と正しく交わり、兄弟同胞とも正しく交わることのできる道、そのような道を示そう。多くの者はわたしの言に心をとめるだろう、しかしすべての者ではない。けれども、わたしの光の軍勢は必ずや勝利するであろう。多くの者はまもなくわたしを見る機会を得るが、わたしを知らないであろう。また多くの者はわたしを見、そしてわたしを認知するであろう、その者たちはわたしの民である。あなたがたも、その一人になりなさい。
わたしの心から流れる愛は、あなたがたすべてを包む。
(『いのちの水を運ぶ者』No.4 p.30-31)

伝導瞑想は簡単で、しかも幾つかの非常に重要な働きをなす。これほどの力のある、これほどの価値と重要性のある、明らかに大計画の進化の線に沿ったもの、しかも同時にこれほど簡単で容易な世界への奉仕の手段を、私は他に知らない。聖者になることは非常に困難である。カルカッタの飢えと貧困に締めつけられた何百万もの人々の世話をするのは、マザーテレサはお分かりのように、大変な仕事である。われわれはみんながマザーテレサのような人間ではない。しかしわれわれはみんな一週間に数時間を放棄して、静かに座り、ハイアラキーのエネルギーを吸収し、そして伝導することはできる。それは非常に簡単である、そしてこのようにして過ごす数時間の価値を、私は十分に強調しきれない。それは計り知れないほど世界の役に立ち、また自己成就でもある。これほどに大きな急速な霊的成長を促す奉仕の方法を他に知らない。それは二つのヨガ――奉仕のヨガであるカルマ・ヨガとエネルギーのヨガであるラヤ・ヨガの統合である。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』p.315)

マイトレーヤが世界の前に現れるとき、人々はこの方を以前から知っていたことを、そして、彼の教えは予想外のものではなく、彼らの思考のレベルを超えるものでもないことを悟るだろう。彼は実に単純明快であり、すべての者が理解できるだろう。まさに彼の単純さこそはびっくり仰天させるだろう。にもかかわらず、ほとんどの人は彼らが聞く教えを新しい方法で、突然悟ったような真理として、新しく彼らのより深いレベルに触れる真理として経験するだろう。アイディア(理念)は単純かもしれないが、それは人々の心(ハート)に共鳴し、新鮮で活気あるものとして感じるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、マイトレーヤは人間の心(ハート)に触れて、世界中の兄弟姉妹たちを援助することによって自分たち自身を助けるように懇請するだろう。  人々がマイトレーヤの呼びかけを聞くとき、彼が言うことを深く熟慮し、しばしば聞かれたそれらの言葉に不思議なくらい感動するだろう。彼らの心(ハート)はかつてないほどに反応するだろう。そして新しい理解と緊急性が彼らの反応を強化するだろう。
(シェア・インターナショナル誌2006年11月号
「覚者より」―最初のステップ―)

わたしの教えは単純である、わたしの言も同様である。わたしの言うことはすべて、速やかに理解される。神の真理について、むずかしいものは何もない。神の真理は、我が友よ、すべての人の心の中に宿る。あの単純そのものをあなたがたがひもとくのである。あなたがたの案内者としてわたしが、その道を教えよう。
(『いのちの水を運ぶ者』No.95、p.276)

彼は心(ハート)から心(ハート)へと簡潔に語るでしょう。マイトレーヤからのメッセージをお読みになれば、言葉の一つひとつが理解できると思います。大宣言の日にもそのようでしょう。彼は最も単純な言葉で語るでしょう。秘教については語らないでしょう。この惑星での生活の最終局面としての「イニシエーションの道」について簡単に触れるかもしれませんが、その場合でも単純な言葉が使われるでしょう。彼は人生の本質、その意味と目的についての、そして私たちがなぜここにいるのかについての、私たちの考え方を再調整することに関して、誰もが理解できる言葉で語るでしょう。
(『大いなる接近』p.81)

人類が大いなる決断をしなければならない時が間もなくやって来るだろう。至るところで分離分裂に悩まされている今日、人類を取り巻く多くの問題に対して新しい対処の仕方が見いだされなければならない。そのような新しい対処なしには、不気味な未来が人類を待つことは疑いない。歴史上、現在のような状況や条件が地上に存在した時はかつてなかった。地球上にこれほど多くの魂が共存したことはなかった。グループ間の不和分裂がこれほど痛ましいものであったことはなかった。今、人間が握っているような大きな破壊の力を、人間はかつて支配したことはなかった。これは、地上のすべての王国の生命を破壊する力を人間に与える。そのような破壊の恐れがあるとき、人はよく吟味し、新しい進み方を案出しなければならない。可能な限りのすべての方法の中で、いまだ試みられていないことが一つだけ残っている。人間の歴史を通じて、一つの単純な答えを人間は把握し得なかった。分かち合いの原則が、人間の必要に応え、多くの問題を解決する唯一のものである。なぜなら、それは神ご自身の計画にとって根本的なことであるから。分かち合わなければ、人間は己の神性を否定し、未来のすべての災いを貯えることになる。分かち合わなければ、邪悪な無秩序が君臨し、人間の生得の権利である神の正義は人間から差し控えられるであろう。分かち合いのみが、同胞愛という神の計画を確立し、分離という罪悪を世界から取り除く機会を提供する。分かち合いを欠いて、いかに人間は存続し得るだろうか? 分かち合いなしに、いかに生きのびることを望み得ようか? 国家間の現在の不均衡はあまりにも大きく、運だけでは人間を見届けるに十分でない。致命的な病――分離と貪欲――は地上に蔓延し、治療の効果をあげるには徹底的な手段を要する。
外的な混乱にもかかわらず、単純な治療が手近にある。長いこと引き延ばされた人類の試験はほとんど終わりにきている。人間をいまだ奴隷の身分に縛りつけている勢力に向かって勢揃いした光のハイアラキーが、彼らの歩んできた道をもう一度引き返し、真理の旗印のもとに共に立つ。
(『覚者は語る』―分かち合いの弁護論―p.175-176)

私たちがめざすべきものは、必要に基づいたより簡素でより持続可能な経済です。今日、経済は商業主義の、市場のフォースの圧力に基づいています。すべての先進諸国は、売れない製品を生産――過剰生産――しています。というのは、各々の国が同じものを持ち、同じものを生産しているからです。今日存在する先進諸国の製品を買うことのできる唯一の人々は第三世界の人々ですが、彼らは実際に買うことができません。なぜなら、私たちが彼らの産物に正当な価格を支払っておらず、市場を彼らに不利になるように操作しているためです。世界の資源を持続可能な方法で使用しながら十分で豊かで、しかしもっと簡素なレベルで満足のいく創造的な人生を送ることができることを、覚者方は示されるでしょう。
(『マイトレーヤの使命第Ⅲ巻』p.139)

わたしの覚者たちは、人類の必要を満たす道を示すために、彼らのグループを訓練している。それを実際に具現することによって、すべての良きことがなされていく。わたしの覚者たちは、今日人間を取り巻く問題をよく知っており、答えも彼らの裡に持っている。彼らに導いてもらいなさい、我が友よ、そして喜びと簡素な優雅さと真理との単純な径を見せてもらいなさい。
(メッセージNo.43、p.134)

マイトレーヤと覚者方は、私たちの見地からは完成された霊的存在ですが、率直で、素朴で、人類に対するアプローチにおいて完全に尊敬できることが分かるでしょう。彼らは、一般に想像されているような遠く離れた神のように振る舞うことは決してないでしょう。彼らは、私たちと同じような人間ですが、欠点のない人間です。彼らはユーモアのセンスがあり、アプローチが率直で、すべての人々の内的な霊的本性を私たちよりもよく知っています。マイトレーヤは愛の主であり、霊的ハイアラキーはこの惑星で神の愛が表現される中心です。そのことが私たちに対する彼らのアプローチを示しています。それは無条件のものです。
(『人類の目覚め』p.141)

新しい簡素さをキリストは人間に提供し、そして彼らはすべて兄弟同胞として分かち合うだろう。協力がこの簡素な生活の基調であり、資源の分かち合いが毎日のなすべき事項になるだろう。このようにして人間の神性は表され、このようにして大計画は人間を通して成し遂げられるだろう。
そこで人間にとって偉大な冒険が始まり、それは彼らを最高の高みにまで連れて行くだろう。簡素さの中に、意味と目的で豊かに満ちた新しい人生を、人々は知るようになるだろう。宝瓶宮のうちの「いのちの水」から、すべての人間が心(ハート)の裡で請い願うあの霊的豊かさが流れ出るだろう。
このようにして、金や権力、特権や威信の問題に対して、新しいアプローチがなされるだろう。奉仕への欲求が利益を求める欲望に取って代わり、正義への願いが分離的な貪欲に取って代わる。各人が、この新しい自由の創造の中で、それぞれに演ずる役を持つ。今のこの時の出来事を感知する者はすべて、自分たちの役割を良く演じなければならない。
(『覚者は語る』―新しい簡素さ―p.182~183)

ご存じのように、わたしの手段は単純である。人間の心の愛以外の道具をわたしは必要としない。愛は、我が友よ、あなたがたの本源であるあの存在によって授けられたものであり、それが人間を愛の源そのものへ導くであろう。兄弟たちよ、それを顕して、わたしたちの仲間に加わりなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』No.70、p.203)