戦争と魂
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イルセ・ベッカーによるエド・ティック博士へのインタビュー
- 【エド・ティック博士は、臨床心理療法士で、米ニューヨーク州オルバニー市に拠点を置く、「魂の世話のためのセンター・避難所」の所長である。彼の専門領域は心的外傷後ストレス症候(PTSD)であり、イラク戦争からの帰還兵の約20%がこれに罹っているという。『戦争と魂:心的外傷ストレスからわが国の退役軍人を癒す』は、彼の最新作であり、大変タイムリーな書である。イルセ・ベイカーがシェア・インターナショナルのためにインタビューした】
- シェア・インターナショナル(SI):本のタイトルである『戦争と魂』には驚きました。なぜこのようなタイトルを選ばれたのでしょうか。また、あなたはどのようにして、退役軍人の心の傷にかかわるようになったのでしょうか。この傷は、心理的なもの、または霊的なもの、それとも両方であるとお考えでしょうか。
- エド・ティック:私は、1979年に臨床心理療法士として、心理的外傷を受けた退役軍人にかかわり始めました。私は間もなく、戦争は身体のみならず心理、心、魂全体を深く傷つけるものであり、いわゆる今日PTSDと呼ばれているものは、単にストレスや心配から来る病気として分類されるようなものではないことに気づきました。むしろ戦争は、私たちの考え、知覚し、感じ、愛し、想像し、働き、遊び、信頼する機能、および道徳性、信仰システム、そして動機、それらすべての生きた機能を侵し、変質させます。各時代を通して、これらの機能は、魂にとって本質的な人間の特質であると考えられてきました。 このようにしてPTSDは、自己の感覚を変質させるものであり、様々な生きた人間の特性をゆがめる魂の傷であるとするのが、もっとも正しい認識なのです。
私は大学生のころ、ベトナム戦争に抗議しました。私が臨床心理療法士として1975年に働き始めてから間もなく、退役軍人のための仕事に関与することになりました。抗議運動において私たちは、「息子たちをふるさとへ」と言ったものです。これら退役軍人のある者たちは、家に戻ろうとしませんでした。そこで私は、私がなすべきことは、彼らが心から家に帰れるように手伝うことにあると決心しました。 時代を通して、若者たちはしばしば軍人として、彼らの通過儀礼として、兵役に従事することになっています。(しかし)現代の兵役は、特にベトナムとかイラクにおける戦争での経験は、犠牲の儀礼や人生の肯定的態度をもたらすようなものではありません。退役軍人のための仕事に従事することは、わたしの代替的な奉仕であり、男らしさと人格の成熟への通過儀礼でした。 - SI:多くの人々は、戦争が早晩、死語になってほしいと願っています。この国や世界の何百万もの人々が、イラク侵攻前の2003年3月に平和行進を行いました。あなたはご著書の中で、「‥‥私たちは戦争状態がもたらすことを待ち望んでいる。私たちは、戦争によって喚起され、戦争の原型の中毒になっており、それを愛しさえしている。‥‥戦争は私たちに(生きる)意味を与える」とさえ述べておられます。あなたは「私たち」によると、と述べておられますが、それは誰ですか。この点は、読んでいて大変幻滅させられました。
- ティック:もし理性と慈愛が広がっていたならば、戦争はとうの昔に廃れていたでしょう。しかし戦争の力はあらゆる人類の上を覆っており、特に、私たちの暴力的なアメリカ文化においては顕著です。現在のアメリカがそうであるように、特に人々が国内に紛争を抱え、方向に迷ったりするときに、戦争は(人々を)喚起させ、麻痺させ、統一を促進し、文化や方向性を与えます。戦争は最も基本的な本能に訴えかけます。それらの本能に身を任せることは、多くの人にとってほとんど避け難いことです。その上、ユング派の心理学によると、戦士の原型は世界に普遍的に見られるものであり、それはある程度展開され、満足される必要があるのです。こうした戦争のほとんど普遍的な次元は、たいていの伝統的神話における戦神として広く示されています。
このことすべてが示唆しているように、私たちは理論的にも、政治的にも、また歴史的な意味でも、戦争をすっかり終わらせることは決してないでしょう。私たちは、人類すべてのために霊的進化を促さねばなりません。私たちの高度な機能である心とマインドと霊性、そして団結と協力を育てることによって、私たちは、本能に基づく暴力を変容させることができるでしょう。 - SI:アルバート・アインシュタインは、「戦争での殺人は、日常生活で犯す殺人より少しも良くはない」と言っていますが、このことを心をわずらっている退役軍人たちが感じているのでしょうか。
- ティック:全くそのとおりです。でも個人的要素、戦争の状況、そして殺人への道徳性や状況によって、大きな差があります。
退役軍人たちは、もし犠牲者が市民であったり捕虜であったりした場合には、殺人を犯したように感じるでしょう。第二次大戦中にある都市を空爆した空軍爆撃手は、市民を目標に爆撃したことで、大量殺人をしたと一生感じていました。また、ある退役軍人で砲兵であった人物は、兵士を殺したときは決して罪を感じなかったけれど、農民を殺し、村を破壊したときは、大変苦しんだと告白しました。
退役軍人はまた、戦う理由を信じられない場合に、殺人をしたと感じることでしょう。多くのイラク戦争に参加した退役軍人は、戦争理由が正当ではなく、嘘に基づいているという理由で、殺人を犯したと感じています。生命を全うしたり、死を迎えたりすることは、厳粛な行為であり、私たちは、神の裁きの面前で、明白に正しい行いをしたと言い得る理由なくしては、簡単に生命を奪うことはできません。イラクにおける退役軍人のような場合は、そのような超越的な理由が与えられていませんから、帰還後に多くの退役軍人たちは、殺人を犯したと思います。このことが、彼らの道徳的かつ精神的トラウマの重要な次元をなしているのです。 - SI:紛争や戦争があり続けてきたのですが、その限りにおいてPTSDは存在したのですか。どのようなタイプの兵士がこうした病に罹りやすいのでしょうか。戦争に勝利した場合には、罹る率が下がるのでしょうか。懺悔を行うカトリック教徒は罹りにくいのでしょうか。
- ティック:PTSDは、その通り、戦争がある限り存在します。(ギリシャの)ホメロス(ホーマー)の作品『イリアス』の(勇士)アキレウスは、PTSDであったことを示しています。
古代ギリシャ人はこれを「ティモス」すなわち猛威と呼んでいました。スペイン人はこれを、「悲嘆にくれた」と呼びました。アメリカの南北戦争においてそれは、「兵士の心臓」、第一次世界大戦では、「戦場神経症」と呼ばれました。
PTSDは、大量殺戮と大量破壊を伴う大規模な戦争の場合、より一般的になり、よりむごいものになります。このような戦争では、心理的被害者の方が身体上の被害者よりも、はるかに数が多いのです。(故郷からの)遠距離、非人格性、訓練における残虐な行為、見境のない技術力による破壊、不当な理由、無能であったり配慮に欠ける指揮官たち、これらすべてがPTSD増加の原因です。 ところで、アメリカ先住民文化においても、殺人におけるトラウマ的衝撃について知られており、多くの部族社会が「戦士を家に戻す」ための儀式を行っていました。PTSDが予測され、対処され、殺人行為に対して短期間文化的支援を行う行為がなされていました。
このようにして、それが精神異常として固定化することがなかったのです。
軍事精神医学は、PTSDに罹りやすい兵士を識別し、除外しようと試みてきました。不遇な環境で育ってきた若い兵士は、PTSDに罹りやすいのです。近代的技術兵器の戦争がもたらす恐ろしい破壊に動じないただ一つの人格は、反社会的人物のそれです。懺悔と罪の赦しという手段を持つカトリックの兵士等が、かならずしもPTSDに罹りにくいとは限りません。しかし、多くの人は、兵士たちが回復するのを支援する別の方策を持っています。
もしアメリカがベトナム戦争に勝利していたとしても、PTSDが広まらないというわけにはいかなかったしょう。ウイリアム・スロアン・コフィン・ジュニア氏は、1968年に「たとえ軍事的勝利をしても道徳的敗北をもたらすのであれば、勝利はあり得ない」と書いています。一方的な虐殺行為が行われた湾岸戦争では、従軍した多くの退役軍人に、PTSDが際立っていました。 - 帰還兵士の治療
- SI:(自己の体験の)物語をすることが治癒力を持つのを示す実例を挙げてくださいませんか。あなたは物語の治癒力を、あなたが和解のための避難期間と名づけた時間にお使いですね。帰還した兵士の精神を癒す他の方法がありますか。
- ティック:和解のための避難期間中に、参加者たちは、判断することをせずに自分たちの物語を語り、他の人の物語を聞き、そしてそれらはすべて互いに分かち合う存在であると確信します。私たちは、精神的孤立や抑圧から、それらの物語を解き放ちます。ベトナムへの旅へと誘導している時に、私は同じグループの中に、アメリカ人、カナダ人、(かつての)べトコン、北ベトナム人、南ベトナム人、そして平和活動を行った人々を招きます。彼らはお互いの物語を尊重し、肯定し、ベトコンの退役軍人が私たちのグループの中で、「私たちは皆、同じ地獄から生還した兄弟姉妹であり、ベトナムの退役軍人もアメリカの退役軍人も、私たちの残りの人生のためにお互いに助け合い、支え合わなければなりません」と語ったと同様なことを明言します。
退役軍人たちはまた、浄化の過程を必要とします。私たちは、退役軍人の責任意識を、ふるさとに浸り、和解し、心を取り戻すべく変容させる必要があります。私たちは、回復の治療をし、私たちが取り去られた場所へ連れ戻すことをしなければなりません。そして私たちは、英知と節度を備えた社会を作り得る、成熟した退役軍人の集団を育成し、退役軍人たちに引き続き時代を見つめ、社会に仕える仕事を行えるように働きかける必要があります。 - SI:大勢の人のトラウマを扱うのは、大変に勇気のあることですね。これにどう対処されるのですか。
- ティック:エリー・ウィーセル氏は「自分の人生について尋ねる人は誰でも」と述べており、(詩人の)アーチボルト・マクリーシュ氏は、「物事を表面的に見なく」なる必要性を書いています。トラウマを背負った人々の世界にかかわることは、まことに厳しいことです。私たちの文化は、盛んに暴力を誇示していますが、トラウマに陥った話に十分に耳を傾けることをしません。
私は人間の実在に関する暗くて困難な真実を見つめるときに、深い責任感を感じます。このことの一部は、私がユダヤ人であり、虐待、特にホロコーストに遭った遺伝子を受け継いでいることからきています。またほかの部分は、私自身が自己の深刻なトラウマを克服し、癒されたことと、べトナム戦争時代の世代であったことに由来しています。
トラウマの分野で知られていることですが、別の物語が過度に露出されることによって、「第二のトラウマ」として知られている現象が起こります。私たち全国民は、9.11事件を経験しました。私は数年間、大変な葛藤の時期を過ごしたことがあります。その期間中に私は、ほかの戦いについての悪夢を見、驚愕反応を起こし、私の良心は(恐ろしい)黙示録でゆがみました。しかし私の洞察力は成熟し、無知ではなくなり、感じなくさせたものは何かを(私の患者である戦争からの)生存者と共に感じるために、心を広くして地獄を突き進むことを学びました。彼らの物語に私が心を動かすのを知って、しばしば彼ら自身の凍えた心が再び目覚めるのです。これは大変困難な仕事ですが、名誉ある、不可欠な黄泉の世界の旅路なのです。 - SI:あなたは毎年定期的にベトナムへ旅する企画を行っておられますね。今も「ライフルの音」を思い出してしまうトラウマを持つ退役軍人や市民に、ベトナムの文化と精神性とは大変積極的な影響をもたらすのですね。次の旅行はいつになりますか。
- ティック:私は、2000年からベトナムへの和解旅行を毎年企画してきました。次の旅行は2006年10月に予定されています。こうした旅行は退役軍人に限らず、参加者すべてに大変に積極的な影響を与えます。退役軍人の中には、ちょうど2週間以内でPTSDからほぼ完全に癒される人もいます。彼らは赦しを得、兄弟のような間柄になり、悲しみと罪悪感とを緩和する回復作業を行い、戦争が本当に終わり、いのちが蘇るのを見て、癒されるのです。
多くのアメリカ人は、ベトナムと継続的な取り引きを行ってきており、非常に多くの旅が、様々な人によって行われ、苦痛に満ちた過去の戦争を、私たち国民との間の良き新しい関係へと変容させるのに貢献しています。 - SI:あなたはご自身の著書『黄金の亀』の中で読者に、ベトナムでの生存者たちが、いかにして癒され、歓迎されるかについて述べておられますね。あなたは、私たち(アメリカ)の兵士へのベトナム人たちの寛容さについて、どのように説明されますか。特に私たちが、戦争が彼らの土地で行われたこと、そして、そこでの目に見えたり見えなかったりする戦いによる荒廃が極めて大きいことを考慮するとき、寛容さについてどのように説明されますか。
- ティック:ベトナム人は、すべての人および物においてアメリカ人よりはるかに大きな物理的被害を受けたにもかかわらず、アメリカ人ほどPTSDに罹らないように思えます。なぜでしょうか。ベトナム人は、自分たちの国を侵略から護るということに道徳的な正当性を感じていました。べトコンの退役軍人の一人が、「私はアメリカ人と戦い、侵略者に反撃していました」と述べています。戦争の間に、ホー・チミン(元大統領)は、たとえアメリカ人が自分たちを殺したとしても、アメリカ人を憎んではならないと人々に力説し、アメリカ兵は自分たちと同じように戦争の犠牲者であると教えました。
ベトナムの仏教と儒教は、戦争において異常な精神状態に置かれた間でも、後でも、心の健全さを保つために精神的・社会的にどう生きるべきかのあり方を与えていました。ベトナム人は言います。「戦争のときは、戦争に(従事し)」「平和のときは平和に(生きる)」と。彼らは、私たちが元に戻るのになぜそのように長い期間かかるのかと聞きます。大虐殺を生き延びたア・マイ・ライさんは、アメリカの退役軍人と会って彼らを赦すために生き延びたと信じています。儒教の伝統の助けで、ベトナム人たちは彼らの社会における自分たちの役割を見いだしており、戦争で障害を負った人、そしてエイジェント・オレンジの施設にいる障害者は、尊敬を払われ、社会に迎え入れられます。私たちの社会は多くのことを彼らから学ばねばなりません。 - SI:以前は「アメリカとの戦争残虐性記念館」と呼ばれていた、「ベトナム戦争レムナイ記念館」についてすこしお話しくださいませんか。
- ティック:ベトナム人は、私たちに不愉快な思いをさせたくなくて、(記念館の)名前を変えました。その記念館は、戦争の恐ろしさとアメリカ人のレンズを通して眺望したベトナム人の戦争による影響を展示しています。写真の多くは、アメリカ人や外国人の通信員が撮影したものです。そこにはエイジェント・オレンジにいる犠牲者や破壊された土地に関する写真および統計があります。エイジェント・オレンジの二人のむごい姿のものが展示されています。殺された外国人通信員への記憶が収めてあり、また、ベトナム人に与えられた道徳的支援に対する感謝を伴う反戦運動についての展示もあります。現代子供美術コーナーには、子供たちが戦争と平和をどう見たか、そして、戦争の間と後で失ったものにどう対処したかが示されています。また、アメリカ兵のメダルとかヘルメットや、赦しを請うたり、ほめ讃える文章を含む様々なアメリカ兵から贈られた記念品が飾られています。
- SI:私たちの読者のために、「サンクチュアリー(神域)インターナショナル・フレンドシップ基金」についてお話くださいませんか。
- ティック:私たちは、お金を集め、世界で最も問題を抱える地域で苦しむ人々を癒す計画を支えています。現在までベトナムでは、私たちはメコンデルタに一軒幼稚園を建て、そこのエイジェント・オレンジ・リハビリテーションセンターのために温水システムを設置し、子供の通学のスポンサーともなり、緊急医療のための輸送機能を備える、戦争孤児および障害者のための4軒の「慈愛の家」を建設しました。私たちはまた、危機的な状態にいるエイズ患者の孤児たちを支援するプロジェクトを、南アフリカで着手しました。回復の仕事は、あらゆる人を癒す仕事です。ベトナムでは、私たちの退役軍人たちは、彼らがかつて戦った地域でプロジェクトを成し遂げるのに貢献しています。昨年の秋に、ダナン市で相手を戦死させた一人の退役軍人が、身体障害になったベトナム退役軍人の家族のために「慈愛の家」を贈りたいというスピーチをしました。アメリカの退役軍人は、人を殺してからというもの、人間社会の一員であるという意識が持てなくなったと述べています。しかし、彼はこの贈り物をしてから、人類に再結合し、社会に恒久的に尽くす一員になりました。彼のPTSDはこの旅行期間中に癒されたのです。私たちは「目には目を」という言葉の意味を復讐という意味から、「取ったものを返す」という意味に変容させることができます。
これが私たちインターナショナル・フレンドシップ基金の背後にある原動力なのです。私たちはそれぞれが傷ついた国々で国を癒す支援をすることができます。人を癒すことで、自分自身が癒されるのです。これは、ベトナムのダナン市近郊のマーレ山の仏教寺院入口に掲げられている古い詩です。かつて戦いの期間にこの山は恐ろしい戦場でしたが、その以前と以後では、美と癒しの世界でした。詩を以下に記します。 - 憎しみは、
この世の憎しみによっては なくならない。
慈愛によってこそ それは終わる。
これは古来の法である。 - Ed. Tick, War and the Soul:Healing Our Nation’s Veterans from Post-traumatic
Stress Disorder. Quest Books, Wheaton, Illinois, USA., 2005.
詳細は、www.mentorhthseul.com.
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