現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2006年 1月 生きる術 (2005年伝導瞑想研修会基調講話)

生きる術 (2005年伝導瞑想研修会基調講話)

ベンジャミン・クレーム

この講話は、生きる術(アート)についてのものです。これはおそらく人が話すことのできる最も重要な主題の一つですが、
地上に生きる大多数の人間は生きる術(アート)について知りません。それは術(アート)ですから、偶然に起こるものではありません。術
(アート)の底にある法や規則を理解し、それに従わなければなりません。そのときにのみ、世界の住民すべてが正しい関係の中で生き、
彼らの神性、潜在する神格を表現する世界が生まれるでしょう。法や規則が存在することを知らなければ、私たちは、今日のような、
そしてこれまで以前もずっとそうであったような混乱した破滅的な状況に陥り、術(アート)
についてのアイディアとは全くそぐわない生活になります。

絵画や音楽やその他の芸術であれ、芸術(アート)は一定の法則と規則に従わなければなりません。画家や作曲家になりたければ、
その芸術(アート)が形成されている法則、方法を学ぶとともに、さらに深く、芸術(アート)の特質を支配する法則、
均衡やひらめきのようなものを学ばなければなりません。芸術(アート)の魔術はこれらの法則への服従の中に蓄えられています。
これらの法則とともに、ある場合には歴史上の一定期間、文字通り何千年も明白に変わることなく従われてきた規則があります。
このような芸術作品の中には、今も宗教的グループの中で、美と正義と真実の 古 からの同じ規範(カノン)の下でつくられています。
聖なるものと、人間と神、したがって人間と人間の間の正しい関係の規範の下でつくられています。 大部分において、現代の画家や作曲家は、
これらの規範(カノン)の境界を引き伸ばし、それを緩め、たとえその媒体の法則や規則に従うとしても、非常に無頓着な、でたらめで、
即興的な本能的なやり方であり、あまりよく練られていません。規範(カノン)を欠いた芸術は比較的うわすべりなものです。
悪いアートだという意味ではなく、表面的で、最高の形態の芸術に備わっている意味の深さに触れていません。
私たちは極端に混乱した時代にいます―政治的、経済的、社会的に世界は混乱しています。そのことに皆が気づいています。
ますます多くの大衆がそれに気づき、この間違った機構(しくみ)、間違った法律、間違った慣習―言い換えれば、
条件づけという屑物に悩まされ、そこからの脱出を求めています。それが今日の混乱を生み出しています。 もしあなたが画家ならば、
特定の均衡(プロポーション)の法則を知っているでしょう。それは大雑把に言って、ほとんどの芸術家が従っているものであり、
彼らが構成の規則や均衡の法に実際に従っている芸術を以前に見てきた習慣から本能的に従います。たとえ非常に月並みで、
独自性に欠けた作品であっても、それがたとえ本能的で、理解を欠いていても、これらの法にある程度従っているならば、
その絵画や音楽は誰かにとって有益で興味深いものです。それは常に誰かを喜ばせる音や、目を楽しませる色や均衡を含んでいるでしょう。
いかに知られていないものであっても、何らかの法、規則、手法に従っていない芸術作品は、いかなる状況でも存在しません。
良い芸術家であればあるほど、その手法に意識的であり、目標によりうまく到達するでしょう。月並みな芸術家は、
その試みの初期の段階で満足するでしょう。いかなる時代にも、月並みな芸術は、絵画であれ音楽であれ、人気があり、
ほとんどの人々の理解力に負担をかけることはありません。 画家はキャンバスと画板から始めます。彼は色のついた形や筆のタッチで描き始め、
何が美しいかについての彼の感覚に応じて、それが美の法則に従い、正しく見え、それがいかにありきたりのイメージであれ、
すべてがあるべき場所に収まるまで続けます。すべての角度と曲線はその絵の全体的なリズムと関連付けられています。
いかにありきたりのものであれ、それはある種の生命を持ちます。それから波動(バイブレーション)が生じるので、
それが人々にそれを購入させ、壁に掛けさせるのです。そのような波動がなければ、いかにまっすぐでありふれた作品であれ、
その絵を買う人はいないでしょう。 あなたが作曲家であれば、何が音楽の効果を上げるかを知らなければなりません。ハーモニー(調和)
の法則を理解し、作品の複雑さに応じて、他の多くの音楽の法則や特性を知る必要があります。楽譜が書けなければなりません。常に完成を求め、
どこまでやるべきか、どのくらいの長さでなければならないかを決めなければなりません。
作曲家はいつの時代も曲の長さをいろいろに試してきました。しかし長さがどうであれ、作曲の法則に従わなければなりません。対位法、
ハーモニー、器楽、音色の法則に従わなければなりません。作品のもつ意味という観点からはどれほどありきたりの作品であろうと、
洗練された音楽作品の製作には、途方もなく豊かな量の知識が必要になります。 しかし、人生において、人々は真の教育を受けていません。
画家になりたければ、芸術学校やすでに技術を身につけた誰かの工房に入って、そこで学びます。同じように、音楽家も、お互いから学びます。
音楽学校に通って基本原理を学びます。その基本原理は作品の製作を支配する根本的な法則です。 教育において、
私たちは読み書きを教わります。もちろんそれは非常に大切なことです。一般に歴史、地理、算数、数学を少々教わります。ある程度は、
科学について具体的な知識を学び、必要な技能を学びます。しかしそれがすべてです。私たちはいかに生きるかを、生きる術(アート)
を教わりません。それを学ぶことのできる学校はありません。 これは霊的な問題です。なぜなら生きる術(アート)
は生きることそのものと結び付いているからです。それはあなたが生命の特質について信じているところのもの、
生きることの本質について深く理解することをどれほど重視するか、によります。あるいはあなたがどれだけ人生の本質を分析し、
理解しようと試みるかによります。 私たちは途方もない時代、二つの大きな時代の移行期に生きています。
以前には変わることはないと思われたものがもはや不変ではありません。確かだと思われた知識はもはや確かではありません。
私たちが見るものすべては過去であり、そして未来についてのヒントであり、その中間にあって引き裂かれています。 これについて、
私の師がシェア・インターナショナル誌2000年7・8月号のために書かれた記事を読みながら、さらに検討していきたいと思います。
神性へ向かう  世界中で、
人々は自分たちが長い間保持してきた信念や確信がそれまで思っていたほど確かなものではないことに気づき始めている。
社会や政治の機構の崩壊が彼らの既存の思考方法の価値に疑問を投げかけ、
彼らを二者択一のジレンマに陥れる―現在の思考様式や行動様式はもはや機能しないようであり、未来の様式はいまだ明確ではない。かくして、
人間は決めかねており、過去のあり方を維持しようとしたり、未来を予知しようとしたり、無益な試みの中に迷い、手引きを待っている。
そのような状況の中で、変化への期は熟している。 必要とされる変化の方向やその規模を、
あるいはそれらがいかにして達成されるかを知る者はほとんどいない。しかし、現在の生き方は、その意味を欠いており、
人間の幸せのためのあらゆる可能性を欠くということに、多くの人々が徐々に気づき始めている。かくして、大勢の人間が苦闘することをやめて、
増大する古今の宗教や思想やいわゆるカルトに慰めと平衡を求める。必要な変化は、人間の手や心(マインド)
が始動させていくにはあまりにも広大で、あまりにも過激なように思える。そこで彼らは裡に向かい、
人間の諸事をコントロールしておられるのではないかと彼らが想像するところの神へ向かう。 人間自身が、
顕現する機会を待っているまさにその神であるということを、彼らは知らないだけである。彼ら自身が、良きにつけ悪しきにつけ、
自分たちの人生をコントロールするのである。自分たちの行為によって、諸事の歯車の輪を回すのは、葛藤や平和を生み出すのは、
悪意や善意を植えつけるのは、彼らなのである。 人間はいのちにおける自分たちの役割と内在する力を学ばなければならない。
かくしていのちの質と方向に対する責任を取らなければならない。これをしない限り、彼らは揺籃期を決して抜け出すことはできないだろう。
マイトレーヤは今や世界の舞台に入ってこられ、人間に、彼らが潜在的に神であることを、まさに強力な存在であることを教え、
そしてこれまでの条件づけのみが彼らを迷信と恐怖、競争と貪欲のとりこにしていることを教えられる。
マイトレーヤは人間に過去のあり方を放棄する方法を示し、そして彼の賢明な手引きの下で、
神性へと向かっていく人間に相応しい文明の建設を鼓舞されるだろう。人間がマイトレーヤの召集を聞く日は、そしてそれを聞いて、応える日は、
あまり先のことではない。長い暗い夜は終わり、
世界に入ってきた新しい光を喜んで迎え入れる時がやって来たことを知る時はあまり先のことではない。 かくして、
人間は再建の仕事を始めるだろう ―その仕事にはすべての者の力と意志が要求されるだろう。すべての者がこの時を、
奉仕しそして成長する機会として、彼らを現在世界にもたらした運命を成就する機会として、見なければならない。 将来、
人間がこれらの最高潮の日々を振り返って見るとき、自分たちが、現在の不正を、人間の生活をかくも汚している残酷さと無意味な苦しみを、
いかに容易に許容していたかを信じ難い驚きで見るだろう。マイトレーヤはこのいにしえの不正と戦うために、そして人間を「光の時代」
へと導くためにやって来られる。あなたの歓迎の手を彼に差し延べ、そしてあなたの真我に案内してもらいなさい。(ベンジャミン・クレームの師である覚者、シェア・インターナショナル誌2000年7月号) □