良い知らせ
編集長殿
2008年10月に、私は仕事の会議で上司の代わりをしなければならず、その難題にストレスを感じていました。私はマイトレーヤの『手』を持ち歩いていました。エンゲ駅で路面電車を乗り換えた時、緑の服を着た二人の男性(年配の方は、あごひげを生やし、もう一人は帽子を被っていた)が橋を渡ってやって来て、駅で待っていた人々の前を横切りました。二人とも同じ赤いバッグを持ち、愛想がよく、面白そうな人たちでした。私はすぐに笑みがこぼれ、他にたくさんの人々も微笑んでいるのに気づきました(チューリッヒでの仕事前の曇った朝には、とても珍しいことです)。ちょうど二人が通り過ぎた時、あごひげの男性が微笑みながら、本当に優しい言い方で「たった二日だ、そうしたら週末だよ」と言ったのです。この言葉のより深い意味を考え始めると、それはまるで人類がより良い、より簡素なストレスの少ない時を体験できるまで、長くはかからないというように聞こえたのです。この短い出会いの後で、私は心底幸福で恵まれていると感じ、自分の思うとおりにやりました。
数日後、再び同じ格好をした彼らを見かけました。二人はバス停を通り過ぎていき、やはりそこで待っていた人々は微笑んでいたのです! 私はしばらくその二人の男性の後をついて行きましたが、彼らに話しかける勇気はありませんでした。
お尋ねしたいのですが、彼らは覚者でしたか。
バルバラ・キスリング
スイス、チューリッヒ
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】
助けの手
編集長殿
私の家では頻繁に、窓や浴室の鏡に手形や指の跡が現れたのを見てきました。2009年の6月か7月のある日のことを覚えていますが、私が何かに少し腹を立てていた時、浴室に入ると、シャワーとバスタブを分けているガラスのドアに不思議な手形を見ました。数カ月後、シャワーを浴びていた時に再び現れ、8月のある晩には、少し落ち込んでいた時、もう一度手形が現れました。これらの手形はマイトレーヤが現されたものでしたか。
チアーゴ・スタイバノ・アルベス
ブラジル、サンパウロ
【ベンジャミン・クレームの師は、手形がマイトレーヤによって現されたことを確認した】
繰り返し演奏
編集長殿
2000年12月に、マイトレーヤのメッセージのテープが自動的にかかり始めて驚きました。私は毎朝自分の部屋で瞑想前に、マイトレーヤのテープを聴いているのです。自動再生は12月1日に始まり、10日後に私の初孫が生まれ、再び3日、4日、5日、6日、7日、13日、14日、26日、29日と続きました。時には私が部屋に入るとすぐに始まり、部屋で勉強している時もありました。私はテープレコーダーが、特定の時間に自動的に始まるように設定されているかどうか確かめましたが、そうではありませんでした。テープは毎回メッセージの最初から始まったので、私が部屋の外にいる時には起きなかったことになります。私の不思議な体験を説明していただけたら、大変うれしく思います。
I.H.
日本、東京
【ベンジャミン・クレームの師は、その現象がマイトレーヤによって現されたことを確認した】
束の間の出会い
編集長殿
それは1994年の夏のことでした。午前3時か4時にバルセロナのロンダ・リトラル環状道路を、車で家に帰っているところでした。私の右側の避難用路肩で、一人の男性が軽い足取りで歩いているのを見ました。彼はがっしりとした体格で、長い金髪にデニムのショートパンツでリュックサック姿でした。彼の方へ近づくにつれて、車を停めたい衝動に駆られましたが、安全上の理由でやめました。彼に近づいていた時、彼が私の方を振り向きましたが、彼の顔ははっきりとは見えませんでした。数秒後、彼を通り過ぎた後で、マイトレーヤの名前が頭に浮かびました。バックミラーで後ろを見ましたが、彼はすでに見えなくなっていました。この男性は覚者でしたか。
ホアン・カルロス
スペイン、バルセロナ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】
なくなった恐れ
編集長殿
およそ15年前に、私は困難な時期を過ごしていました。私は大変に死が恐ろしくて、そのために幾晩も眠れずにいました。実際にそれは強迫観念になっていました。ある午後に以下のようなことが起こりました。
私はデン・ボッシュにあるお気に入りの「デ・カカト」というバーに入りました。まだ何も注文していなくて、ちょうど友人二人に出会った時に、インド人の男性が入ってきて、それは以前に見かけたことのない人でした。私はそれが友人アルジュの、インドから来た弟だと思いました。
その頃は、アルジュがインドレストランを経営していて、弟が訪ねてくるという話をしていたのです。それで私はその見当で彼と話し始めました。その男性はカウンターの私の隣に来て、私と友人たちが何を飲みたいか尋ねてくれました。私たちがビールと言うと、彼がビール3本を私たちのために頼んでくれました。それから私が「君はアルジュの弟だね?」と尋ねました。彼はそれには答えずに、すぐに反対に質問してきました。「あなたは神を信じますか?」。私は押し黙ってしまい、自分の知らない人に本心を明かしたりしたくないと思いましたが、何か別の思いがわいてきて、守りの姿勢になるのではなく、彼に返事をしようと心に決めました。それはまるで率直な返事をするように促されたように思えました。私は教会や親たちが引き継いできた意味での神は信じないけれども、天国とこの世の間にはもっと何かあると思っているし、死後の生命も信じていると答えました。彼はある種のやり方で、私が自分のハートに耳を傾けるように促したのです。今はそれがわかりますが、その時にはあまり気が付いていませんでした。
それから私は、ほんの少し友人たちの方を向いて、20秒かそこらおしゃべりをして、また向き直ると、その男性はいなくなっていたのです! 私は友人たちにインド人の男性が出ていくのを見たかどうか尋ねました。二人はインド人の男性など全く見ていませんでした。ビールについて尋ねると、私からビールを受け取ったと言うのです。私は別の方面から何が起こったのか突き止めようとして、バーの主人のロイに、「どうやってこのビールをもらったかな?」と尋ねました。彼は「もちろん君が自分で頼んだろう」と言いました。私は「オーダーをした時には、後で支払えるようにいつも書き留めているね。伝票に何か書いたかい?」と尋ねました。「いや」と彼は答えて、書き留めていませんでした。もう一度「このビールはどこから来たんだ?」と尋ねました。彼は誰かが私のために頼んだに違いないと言いました。誰がと尋ねましたが、彼にはわかりませんでした。もしかしてインド人の男性を見かけなかったか尋ねると、友人たちと同様に「いや見なかった」と答えました。
私は何かユニークな、いわゆる生身の天使との出会いを体験したのだとわかりました。
その後、彼が私を助けてくれたことがわかり、それ以後、死の恐怖がだんだんと薄れていって、ついには再び安眠を取り戻しました。このことの後で、私はさらに霊的なことに興味を引かれるようになりました。
(1)私は特別な方に会ったのか、もしそうなら、どなただったのか教えていただけますか。(2)私たちはどうやって話し合ったのですか。
アントン・グラス
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)『インド人の男性』がイエス覚者であったことを確認した。(2)意思疎通の方法は、テレパシーではなかった。あなたは普通に話をしたが、それはイエス覚者によって創られた『個人的な空間』の中でのことであった】
話すチャンス
編集長殿
2000年11月29日に、スーパーマーケットのレジの列で、茶色のコートに帽子を被ったアジア人の男性が、ワールド・ニュースタブロイド新聞の一面の見出し「イエスが地球に戻る正確な日付!」について、私に話しかけてきました。私は彼の言葉に対して、いきなり、「彼はすでにここにいますよ。心の中でここにいるとわかるの。イエスは彼と仕事をしています。彼らは智恵の覚者方と呼ばれているのです」と返事をしてしまいました。私たちがレジを通る間、彼は質問をし続け、それに対して私は短く簡潔な答えをしました。私が深く感動している事柄について、興味を持って次々と質問をして私の話を促してくれる人を相手に、声高に語ることができてワクワクしていました。おしゃべりが終わっても、彼がもっと話を望んでいたのがわかりました。数日後の、次の伝導瞑想会の朝になってやっと、私が話をしていたのは、あるいはそうして試されたのは覚者だったのではないかという考えが浮かびました。そうだったのですか。
イボンヌ・カミーユ・ルイス
米国、カリフォルニア州サンディエゴ
【ベンジャミン・クレームの師は、『アジア人の男性』がイエス覚者であったことを確認した】
奇跡のバラ
編集長殿
2008年11月の昨年の誕生日に、友人のエリーは3本の白バラをもらいました。そのうち2本は、通常の切花がそうであるように、1週間ほどで色あせていきましたが、3本目のバラは4週間後でもきれいな形を保っていたのです! 2009年の3月には、驚くべきことに花瓶のバラに根が生えたので、彼女はバラを鉢に植えました。6月には別のつぼみをつけて、7月の終わりにはそれが花開いて、元の花は少し枯れかかっていますが、まだ花びらをつけています。
どんな庭師に尋ねても、切花のバラが、そのようにとてつもなく成長したのを見たことがないと言うので、もしかして覚者のお一人が、この『奇跡の』バラを創られたのではないか知りたいのです。
フランツ・ブラム
オーストリア、ウィーン
【ベンジャミン・クレームの師は、これがイエス覚者によって現された奇跡であったことを確認した】
編集長殿
ニュージーランドから来てローマを訪れている友人二人と、イエス覚者について話をしていた時、妻からメールが来て、私か私たちのうち誰かが彼女の携帯電話に、イエス覚者の絵を送ったかどうか尋ねてきました。妻の話では、それはどこからともなく、彼女の写真リストに現れたというのです。
私たちはいいえと答えましたが、全く身に覚えのないことでした! 妻は家にいて、私たちはレストランにいたのですが、本当にちょっとしたシンクロ状態が起きて、妻は私たちがイエス覚者について話をしていることを知らなかったはずなのです。
イエス覚者が実際に絵を物質化されたのですか。
マックス・ビエトリ
イタリア、ローマ
【ベンジャミン・クレームの師は、その絵がイエス覚者によって物質化されたことを確認した】