現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 11月 さりげない教え

さりげない教え

数年にわたって、覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見で世界中の数多くの人々にも現れた。彼らの体験がシェア・インターナショナル誌上で詳しく述べられているものもある。体験がベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。
これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。やはり非常に頻繁に、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたり、あるいは愉快な方法でコメントを述べたりする。多くの場合、覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。
彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。幾つかの手紙は覚者方による、この方法でのコミュニケーションの例である。

さりげない教え

編集長殿
2009年9月13日の日曜日に、カリフォルニア州のサンタクララでのUFOエキスポで、私はシェア・インターナショナルのブースを受け持っていました。あごひげを生やした体格の良い陽気な男性がブースにいる私に近寄ってきました。私が自己紹介をすると、彼は名前をロブと名乗りました。彼は風変わりな格好で、両耳にイヤリングをしていました。ニコニコとしている人で、私たちは『星』について話し始めました。私は先月何度も『星』を見た体験を彼に伝えました。私は彼に、『星』の情報を友人たちと分かち合っていることや、私が必要とする時に、それが現れるように思うことを話しました。彼は賛同してうなずいてくれたので、私の話していることは彼が良く知っていることだというような不思議な感じを覚えました。すると彼は私に、「『星』はあなたの意思が十分に強い時に現れるのですか?」とか、「『星』は思考によって呼び出すことができるのですか?」と質問してきました。私はそのような情報を聞いたこともなかったので、彼が質問をする側だったにもかかわらず、まるで『星』についての新しい情報を私に教えてくれているかのようでした。ロブは『喜び』としか言いようのないエネルギーを発散していて、明らかに私よりも、この情報についてずっとよく知っていたのです! 私がマイトレーヤの教えの基本的な教義としての分かち合いの話をすると、ロブはにっこりとして、「あなたの言っていることに賛成ですよ」と言ってくれました。
彼が他の話し手を見に行かなくてはと言って、私はほんの少しよそ見をしました。視線を戻すと、彼は消えていたのです! ホールの出口は20mも離れていましたが、ロブの姿はどこにも見当たりませんでした! 『ロブ』はマイトレーヤか、イエス覚者でしたか。
デビッド・M・クラーク
米国、カリフォルニア州バークレー
【ベンジャミン・クレームの師は、『ロブ』がマイトレーヤであったことを確認した】


星に夢中

編集長殿
私が医療のプロとしてボランティアで参加したあるセミナーで、講演者は、参加者に創造的な能力開発に取り組むよう促す目的の活動を通してグループを率いている人でした。
参加者は活動の間に何を創造したのか、創造の背後にあるインスピレーションについて発表するよう勧められていました。私もメンバーである役員会の会長の女性が立ち上がり、グループに彼女の活動について話をし、彼女が最近、空の月の近くで見た美しい星からインスピレーションを得たところがあるという話をしたのです。彼女はこの『星』が彼女にとって希望の源であると語りました。私の知っている限りでは、この女性は『星』の意味について詳しいということはなく、私は驚いていました。多くの人々はその意味を知ることなく、『星』に反応しているように思われました。
モーリーン・ペロン
米国、サンフランシスコ
【編集長のコメント:『星』を見てのこの反応は、人類が愛や、自分たちのレベルを上回る源からの導きを志向する場合に非常に頻繁に起こることです。それは個人の魂から発される霊的な顕現です。『星』が放射している霊的エネルギーに対する反応です】


ハイアラキー四重奏

編集長殿
2009年9月23日に、私はアムステルダムでのベンジャミン・クレーム氏講演会にいました。
講演の前半で、やや小柄できちんとした黒のスーツ姿の男性が、ホールの真ん中に座っているのを見かけました。彼は黒っぽい白髪混じりの頭で、浅黒い肌をしていたようでした(私は上階に座っていたので、横からしか見えていませんでしたが、それでも彼と彼の連れは私の注意を引き続けていました)
その男性は前から6列目の、左から11番目に座っていました。彼の隣の左側にはもう一人の男性が座っていました。彼は浅黒い顔の男性とは対照的に、とても色白で背が高く、白のシャツを着ていました。少し髪が薄くなっていました。
彼らはホールの真ん中に座っていたので、黒と白が隣同士でじっと動かない姿はとても人目を引きました。彼らの隣にはどちらも、長い巻き毛の二人の10代の少女がそれぞれ座っていて、まるでこの左右対称の調和が全体の視覚イメージを引き立てているかのようでした。この二人の男性は覚者方でしたか。
講演とすべてのお仕事に感謝いたします。
ヨリーケ・プットマン
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、白い服の背の高い男性はマイトレーヤで、黒い服の小柄な男性はイエス覚者であった。お二人は両側にイエス覚者の二人の弟子を伴っていた】


ハイアラキー二重奏

編集長殿
アムステルダムでの(2009年9月23日の)ベンジャミン・クレーム氏講演会の休憩中に、インフォメーションテーブルの脇で、冊子を手に取っていた黒人のカップルを見かけました。その男性が私の立っていた所から目に入り、『フルート奏者の姿のマイトレーヤ』(本誌1998年10月号のニューヨーク公立図書館での写真を参照のこと)によく似ていたのです。
その男性は黄色のズボンに、緑の上着、赤色調のシャツを着ていました。巻き毛の頭は白髪交じりでキャップを被っていました。彼の妻は面長の顔で、美しく柔らかな明るい茶色の肌をしていました。彼女はとても気さくそうな人で、茶系の装いをしていました。
質問をしてくる人々がもっとたくさんテーブルにやって来たので、私は彼らを見失いました。
翌日になって、彼らが他の聴衆に比べて際立った外見だったと気づきました。私はマイトレーヤとイエス覚者を見かけたのですか。
イダ・スネル
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、そのカップルがマイトレーヤとイエス覚者であったが、講演の間、ホールで聴衆の中に座っていた時と同じ姿では現れていなかったことを確認した】


え? ちょっと待って!

編集長殿
2009年9月23日に、私はステージの上の、ベンジャミン・クレーム氏の隣で、アムステルダム講演の通訳をしていました。講演の終わりにクレーム氏がオーバーシャドウを始め、最初はサイババから次にマイトレーヤからであると説明しました。サイババからのオーバーシャドウの最中だと思うのですが、クレーム氏が手を挙げて、オーバーシャドウのエネルギーを与える祝福の仕草をしていた時、私は一瞬目を開けました。前列の私たちの右側に、キャップを被り、カラフルな服装をした黒人の男性が目に入りました。その前に彼を見かけた時には、キャップの下でうつむき加減で、明るい赤のシャツに緑の上着姿にもかかわらず、まるで目立たないようにしているかのようでした。彼の顔はどこか、ニューヨークの図書館で、フルート奏者の姿をしたマイトレーヤの『ファミリア』を思わせるものでした。けれどもベンジャミン・クレーム氏が祝福で手を動かし、聴衆は静かに祝福を受けながら、大半の人は目を閉じていた中で、その黒人の男性が手を振り返していたのが見えました。それはあまりにも思いがけない、おかしな光景だったので、私は即座に目を閉じて笑いをこらえなければならず、そのイメージを頭から追い出してオーバーシャドウのエネルギーを受け続けようとしました。とっさに、いや彼はマイトレーヤではあり得ないと思いました。あるいは彼はもしかしたら、私がそうに違いないと思った、頭の混乱した聴衆の一人ではなかったのですか。
ゲラード・アートセン
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、この人がマイトレーヤであったことを確認した。彼はまた、黒人の女性と休憩時間中に同じ鮮やかな服装で現れた】


注目の的

編集長殿
1999年の8月に、私が地下鉄のプラットホームで電車を待っていた時、金髪の若い男性が、真っ直ぐ一心に私を見つめながら、楽しそうな喜び溢れた様子がわかる口元がほころんだ笑みを浮かべて、右側の方からかなり足早に近づいてきました。
彼はヘビーメタルバンドのアイアンメイデン風の黒いTシャツを着ていました。そのシャツの下の方に、『Meditation(瞑想)』と英語で書かれているのが見えました。私は彼にとても引き付けられましたが、最初はただ、私の注意を引きたいだけの人だと思いました。彼は私の左側に離れて立っていました。すると再び同じように笑みを浮かべながら、私の方へやって来て、私の右側に立ちました。電車が来たので、私は乗り込んで腰を下ろしました。私の二列前の、今度は私の左側に彼は腰を下ろし、同じように楽しげに、無条件の笑みを浮かべながら、真っ直ぐに私を見つめていました。またもや私は彼を見ない方が慎み深いとわかっていましたが、しばらくするとこれ以上我慢できなくなって、こっそりと彼の方に目をやりました。彼はもはやそこにはいなくて、若い女性が座っていました。彼は他の出口から電車を降りたに違いありませんでしたが、ほんの短い時間の間に停車駅があったのか思い出せないのです。彼は立っていたわけでも、席を替わったわけでもありませんでした。
地下鉄の若者が誰だったのか教えていただけますか。
C.F.
スペイン、バルセロナ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】

次の二通は同じ人物からのものです。


向こう見ずな運転

編集長殿
(1)1992年の秋に、私は大学の学位を始めるためにノッティンガムに引っ越したばかりでした。学期が始まるとすぐに、夜の社交に出かけるようになり、本当に楽しい時間を過ごして、白状しますと、お酒もたくさん飲んだのです。
私は暗がりの中、マンスフィールド・ロード沿いを3、4km自転車に乗って家に帰るところでした。とても気分が良かったので、きつい坂道を越えて、下り坂を楽しんで降りていました。坂のふもとでは、「ウィー!」と叫びながら、円形の交差点を何度も回りました(つまり、楽しい夜だったものですから!)。
さらに行くと、お腹が減ってきたので、止まってフィッシュ&チップスの店で春巻きを買いました。歩道の脇に置いた自転車のそばに腰を下ろして、それを食べました。
ついに、本当に長い走行を終えて家に到着しました。自転車から降りた時、二人の警察官が車から降りて近づいてきました。「あーまずい」と私は思いました。「あなたの家ですか?」と警官の一人が尋ねてきました。「はい」と答えながら、叱られるかもしれないと神経質になっていました。けれどもその警官が、「ああ、大丈夫ですよ、私たちはただ、あなたが無事に家に帰ったか確認しているのです。マンスフィールド・ロードからあなたの後をついてきたので」と言ったのです。
私はほっとしましたが、家までの道のりの数々のはしゃぎぶりを見られていたと恥ずかしくなりました! けれどもその二人の警察官は、叱ったりすることもなく、ある人が大丈夫かどうか確かめるためだけに、それだけ時間をかけてくれて、何て親切なのかと思いました。私は何年もその面倒見の良い警察官たちの話をしてきましたが、つい先だって、マイトレーヤの体験を読んだ後で、彼らは警察官などではなかったという考えが浮かんだのですが。
【ベンジャミン・クレームの師は、『警察官たち』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】


礼儀

編集長殿
(2)1996年のいつ頃か、ノッティンガムのパブで友人たちとお酒を飲んでいました。私たちのグループがパブのテーブルを囲んでいました。友人がおしゃべりをしていた時、私の背後に二人の男性が立っていて、何も言ってきませんでしたが、私が椅子を引いて彼らが通れるようにしてあげるのを待っているらしいことに、何となく気付きました。部屋にはスペースがたくさんあったので、通り抜けるために私が椅子を引く必要は全くなく、ただ歩いて通ればよいだけなのに、おかしなことでした。それでも私は椅子を引いて後ろから彼らを一人ずつ通してあげました。彼らはごく普通でパブの中で目立っていることもありませんでした。二人は白人で、20代後半か30代らしく、一人目の人は黒髪にサングラスと黒い革のジャケットを着ていました。彼は通り過ぎる時、満面の笑みにはっきりとした口調で「ありがとう」と言いました。彼らは歩いてパブを出て行き、友人と私はそのことを少し笑ってしまいました。そんなにもていねいな『ありがとう』を何のために? 私はただ椅子を引いただけで、必要でもなかったことなのに! その男性たちは誰でしたか。
T.C.
英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性たちがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】