現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 4月 読者質問

読者質問

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Q マイトレーヤの世界への出現はどれほど差し迫っていますか。
A 非常に差し迫っています。
Q マイトレーヤが話す大宣言の日には多くの人々が自分の魂を感じるのですか。
A 多くの人々が自分の魂を体験するでしょう。たとえそれが彼らの人生で初めての経験であっても。それは人類にとって途方もない体験になるでしょう。彼らは子どものように感じるでしょう。純粋に、これらの素晴らしい言葉にハートから耳を傾け、彼らが忘れてしまった生命の特質を経験するでしょう。それは彼らが素朴で、信頼の心を持ち、愛と幸福に満ちていた幼年時代に味わったようなものでしょう。
Q (1)シェア・インターナショナルのニュース・リリース88号にはこう述べられています。非常に近い将来、巨大な明るい星、「光輝くパワーの星のような発光体」が空に現れ、世界中で昼も夜も見えるだろう。「その約1週間後にマイトレーヤはアメリカの主要テレビで最初のインタビューに出るだろう。」私はこの発表に少し戸惑っています。なぜなら、星は2か月以上にわたって世界中に現れているからです。 (1)これは、マイトレーヤはすでに最初の星が世界に現れてから約1週間後に最初のインタビューに出たということですか。(2)それとも、星の出現がピークに達して、十分な人々に見られるようになってから約1週間後にマイトレーヤは最初のインタビューに出るということですか。
A (1)いいえ。(2)はい、そのとおりです。もし人類がそれを評価し反応する時間がなければ、この巨大なプロジェクト(これはまさにそうです)を始める意味はほとんどないでしょう。
Q 星の目撃は徐々に増えていき、やがて世界のトップニュースになって科学者が公に調査するようになるのですか。
A どの程度の反応が求められているか私には分かりませんが、何らかの公の認知が不可欠であることは明らかです。
Q 最初に、この情報を届けてくださっていることに感謝します。本当にありがたいと思っています。私は覚者が述べられた奇跡の星を見たと思うのでこれを書いています。それは土曜日の夜で、私は遅くまで働いていました。場所はアメリカ、カリフォルニア州のトゥルーカ湖でした。職場を出て車に向かうと、これまでに見たことがないほど明るい星が見えました。その周りは円弧状に囲まれていました。高速道路を運転している間、私はそれを眼で追っていました。それは位置を変えたように見えました。私の左側に来たり右側に来たりしました。これは道路の位置が変わったからかもしれず、私には分かりません。そして距離が劇的に変化したように見えました。家の近くで高速道路を下りるとすぐに星は消えたようでした。私の父は金星だと思ったようです。それは特別に輝いていました。それが何であろうと、あれは私がこれまで見た中で最も明るい天球でした。
A 私の師は、あなたが高速道路で追ったのがまさに「星」であることを確認しました。それは確かに動き回っており、金星はもちろんその軌道をゆっくり進む以外に動くことはありません。金星は非常に明るく、しばしば「星」と間違われますが、金星は地平線にどんどん近付いており、3月28日以降になるともう見えなくなるでしょう。「星」は金星よりもさらに明るく、位置や色を変えます。
Q 2009年2月下旬、私はブラジルのミナス・ジェライス州にいました。そこで私は空に明るい星を見ました。それは他の星よりも大きいものでした。金星に少し似ていましたが、色はまったく異なっていました。金星は普通青いのですが、その星は黄色か黄金色でした。それはマイトレーヤの星でしたか。
A はい、それは「星」でした。
Q 星の出現についてある考えが浮かびました。星についての最初のニュース・リリースは次のように始まります。「さあ今、これまでにない最も大きな奇跡を探しなさい。」それは私たちが定期的にそれを探すことを求められているように聞こえます。もちろん星の少ない夜に(ニュージーランドであれば)西の空を探し、それを探すことにより星が現れるのを招いているかのようです。そして探す人が多くなるほど招待が強まるのです。これは正しいですか。
A いいえ、そのようなものではありません。「星」は私たちが探すかどうかに関わらず存在しますが、人々が探さなければ、必ずしもそれを見ないでしょうし、レポートもしないでしょう。それが奇跡として広く公に注目されることが必要なのです。マイトレーヤのアメリカのテレビ出演の徴として。それが一定の公の注目を受けることがなければ、目的を果たすことはないでしょう。
Q 2009年3月3日の夜、雲がやってくる少なくとも30分前に、私はベルギーの西の空に星のような発光体を見ました。これは「星」でしたか。
A はい、それは「星」でした。
Q 2009年2月下旬、私は英国のベッドフォードにある私の家の近くの空で、午後6時ごろ明るい一つの星を見ました。今夜私は散歩の帰り道に同じ星を見ました。その星は空にまったく単独で光っており、数秒ごとに小さな閃光を放っているようでした。これは星でしたか。
A それは「星」でした。
Q 私はあなたの仕事に興味を持ってきましたが、クリスマスの前に地域の伝導瞑想グループに参加できたことをとても喜んでいます。参加する前は非常に困難な時期を過ごしていたので、それは人生の新しい期間を与えてくれたようで、新しい展望が開けました。 私の質問は、シェア・インターナショナルのウェブサイトの維持や世界への普及活動のためにどうすればもっと経済的に支援できるだろうかということです。私は毎週の瞑想に参加するのにお金を求められていませんが、少額の寄付をする正しいやり方を教えていただければ喜んで行うつもりです。お返事をお待ちしています。
A あなたの地域の伝導瞑想グループに寄付することをお勧めします。彼らが公共の施設を借りて定期的に会合したり、マイトレーヤ出現の情報を知らせる活動に従事していれば、そのような仕事のためにお金を必要としているでしょう。彼らは喜んで寄付を受けると思います。
Q 1993年にマイトレーヤが水を活性化したナダナ村についての情報を必要としています。ウィキペディアで次のような記事を見つけました。「ナダナ村はインドのハリャナ州タラオリの近くにある小村である。バスマチ・ライスで有名。一時、自家発電の井戸の管で有名になった。動力なしに井戸の管から水が流れ出したのである。地域住民はそれを超自然的な力の表れと考えている。さまざまな場所から人々が井戸水を浴びて病を癒すためにやって来た。驚くべきことに、多くの人々がここでの沐浴の後に癒された。まもなくこの場所に寺院が建設された。この奇跡は数カ月続いたが、水の中から誰かがユーカリの葉を発見した。後に、それは近くの運河からの浸潤であることが判明した。」 私は水についての認識を広めるためにナダナを訪問しようと計画しています。その水は今でも本物の活性化された水ですか。
A はい、そうです。しかし、今のところそれは閉鎖されています。
Q 最近、バラク・オバマ氏はマイトレーヤがケニアに出現したのと同じ時期にケニアにいたと読みました。本当にオバマ氏はマイトレーヤと同じ時期にケニアにいたのですか。そうだとしたら、彼はマイトレーヤに会いましたか。
A 私の情報では、オバマ氏は1988年にケニアにいましたが、マイトレーヤには会っていないということです(しかし、なぜオバマ氏自身に尋ねないのですか?)。
Q 私はあなたに過去に何度も手紙を書きましたが、あなたは誠実に答えてくれました。ありがとうございます。私は週に一度ボランティアしようとしています。それ以上のことはしません。あなたは、マイトレーヤの助言と同じく、毎日やってみるようにと言いました。「毎日」の奉仕に対する、オール・オア・ナッシング(全てか無か)の態度は非生産的で非現実的です。私は週に一度の奉仕で十分だと思いますし、そうではないと言われると腹が立ちます。
A あなたは正しいです。真の奉仕であるためには、利他的な心で、自由意志から行われなければなりません。週に一度の奉仕があなたにとって十分なら、それはそうなのです。
Q 私はベンジャミン・クレームに関心を持ち、調査を始め、関連書籍を読み、講演会に行くなどしました。当初私は、楽観主義と人類の完全な未来という快い感傷によってごまかされていました。講演会でクレームは何度もサイババについて素晴らしい人物でありアバターであると述べました。しかし、いわゆる奇跡についての映像を見た後では、彼はお粗末な手品師にすぎないことは明らかです。例えば手から聖なる灰を生み出すという奇跡は、袖の中に小さな灰のタブレットを隠し、手品師がやるように、手を振って手の中に移動させているにすぎません。このことが私をクレームに懐疑的にさせました。私はクリシュナムルティを読み、英国ハンプシャーのセンターを訪問しましたが、マイトレーヤの教えはクリシュナムルティとは似ていないと思いました。
A 不思議なことに、マイトレーヤはクリシュナムルティが彼の教えを誰よりもよく理解したと指摘しています。サイババについては、最も高い木はいつも最良の果実を実らせ、最も多くの石が投げつけられます。
Q 1960年に、スペインのサラゴサ大学考古学部門の長であったアントニオ・ベルトラン氏は、他のヨーロッパの学者と協働して、バレンシアの聖杯についての完全な研究を行い、聖杯が「東洋のカーネリアン」と呼ばれる深紅の瑪瑙で作られており、炎の形をした縞がつけられていると述べました。 その材質は、紀元前4世紀から紀元1世紀の間にパレスチナ、シリア、エジプトのいずれかの工房で作られたものであると彼は断言しました。貴金属や炎のようなその後の付加物は13世紀か14世紀に遡るといいます。 (1)その杯は最後の晩餐でイエスが用いたものですか。(2)その杯はアリマテアのヨセフがゴルゴダの磔刑の際にイエスの血を集めるために用いたものですか。
A (1)いいえ。(2)はい。それはイエスの生涯の初期(およそ2歳の頃)、シリアの工房で作られたものです。後年の付加物は14世紀のものです(マドリードで作られました)。
Q 『シェア・インターナショナル』誌で、私たちは自分自身の仕事の中で分かち合いの原則を実践でき、利益を平等に分ければよいと読みました。私はこの原則を自分のサークルや仕事の中で適用してみたかったので、これを確認したいと思いました。私は、個人の能力や貢献がどんなものであろうと、利益は平等に分かち合うべきだということに気づきました。これは正しいですか。
A まったく正しいです。よく気づきましたね。
Q アメリカのジャズ歌手アニタ・オデイ(1919-2006)はその自伝の中で、彼女が10代の頃の興味深い出会いについて書いています。「この存在、この人物が私の側にいました。彼は全身白い服を着て、肩までの長髪に口ひげを生やしていました。……私は心の中で、それがイエス・キリストであったことを疑っていません。……私の側に彼がいるのを知って驚いたり戸惑ったりはしませんでした。それはまるで私が彼を待ち望んでいたかのようでした。『この世界で君は何をするのですか、アニタ? 君がしたいことは何なのですか?』私はどんなに父のような印刷屋になりたかったかを思い、中学校の女友達に印刷クラスに申し込むことを話したことを思い出しました。その後、私は美容師になって世界をもっと美しい場所にしたいと思いました。しかし彼が尋ねたとき、私は躊躇しませんでした。『私に願いがあるとすれば、ただ一つしかありません。歌うことです。』 『そのとおり。そうなるでしょう』彼はそういう意味のことを言いました。 私はそのことを長い間誰にも言いませんでした。馬鹿にされると思ったからです。しかし、その後は、他のどんなもの――家族、愛人、夫、子ども、故郷――も、自分自身を音楽で表現することの欲求に敵うものはありませんでした。私はいい声も美しい声も持っていないことは承知していますが、音楽に挑戦したかったし、世界の楽しみに私が貢献できるものをどうやって使えばいいのか学びたかったのです。彼にあった後急速に、物事が動きだしました。」
A (1)彼女に近づいてきた人は誰でしたか。(2)彼女の光線構造と進化段階を教えてください。 (1)イエス覚者でした。(2)魂2;パーソナリティ4(副光線4);メンタル体6(6);アストラル体 6 (2);肉体 7 (3)、進化段階は0.9。

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