現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 1月 目覚めの呼びかけ

目覚めの呼びかけ

編集長殿
2008年12月10日の寒い雨の夜に、アムステルダムで世界人権宣言の60周年を祝う式典が開かれていました。平和活動家や他の地域から来た多くの人々と、シェア・インターナショナルのグループメンバーが集まっていました。私たちは懐中電灯や、「分かち合いと正義のみが、平和の継続をもたらす」と書かれた旗を持っていました。ある時には、私たち皆で電灯やあらゆる物でピースサインをしました。報道機関からたくさんカメラマンが来ていて、私たちの上空にあったクレーンまで使って撮影していました。特に一人のカメラマンは、シェア・オランダのメンバーのグループと、旗の言葉に非常に興味を示していました。
ちょうどその時、長い白髪をふさふさと垂らした、人目を引く男性が自転車に乗ってやって来ました。その男性からはバイタリティと力強さが溢れていましたが、歯並びの悪い人でした(下あごに数本しか歯がありませんでした)。
組織委員会のメンバーたちがスピーチをして、最後にあの目立つ男性が、スピーチにマイクを必要としない大きな声で、周りの家々にいる人たちに向かって、「目覚めよ、人々! 目覚めているか? 出てきて、加わりなさい」と呼びかけました。そして組織委員の人たちの先導でシュプレヒコールが始まりました、「愛、パワー、喜び」。少し寒さにくじけてしまったので、私たちは彼の気に入るように、十分大きな声で唱えていなかったらしく、彼が「もっと大きく、もっと大きく!」と呼びかけてきて、お手本として一緒に唱えてくれると、エネルギーが沸いてきて、私たちはもっと大声で熱心に唱え始めました。
すると彼は、「今ここにいる人たちは皆、良い弟子たちだ!」と言いました。シェア・オランダグループの一人が彼に電灯を渡しました、彼は受け取りましたが、「あなたは光で、私は声だよ。あなたは良い弟子だ」と言いながら、それを返してくれました。会合が終わって、私たち3人がしばらく話をしていると、あの目立つ男性が加わってきて、人々を目覚めさせるためにアムステルダムの居酒屋によく出かけるという話をしました。
「一緒に来るかね?」と尋ねられましたが、私たちは路面電車に乗らなければなりませんでした。それから彼は経済危機や多くの人々の貪欲について、間違ったやり方のために貧しい人々が常に最も苦しまなければならないことについて話しました。
私たちの一人が最近マイトレーヤのメッセージ第72信の「わたしの軍勢はわたしの周りに集合しつつある。わたしの軍隊は日毎にその力を強めており、予定通り完全に勢ぞろいして光の中に行進するであろう……」と「あなたがたの位置を、我が兄弟たちよ、この光の仲間の中に占めなさい……」という個所にこだわりを持っていました。彼女はそれらの言葉が戦争という考えを思い起こさせると感じていたのです。
本当に思いがけなく、その男性が、それは戦争を行うということについてではなく、実際に戦争を行っている人々に対して戦いを続けることであると説明を始めたのです。しばしばほんのわずかしか抵抗がないのは、人々があまりに恐怖、あるいは内気さによって抑圧されているからなのです。「私たちは自分たちの声を聞かせなければならない!」
彼はもう一度、よく出かけるというアムステルダムの居酒屋について話をしました。「8月23日は、第一次世界大戦が起こって100年目にあたると話をするけれども、その後の議論(こうしたコメント)はたいていとても手応えのないものなんだよ」と彼は言いました。さらに続けて、「それから、もし今のままであり続けたら、2014年には第三次世界大戦が起こるだろう!と言うんだよ。その時だけ、彼らは驚いて目を覚ますね。これが私たちのやるべきことだ、人々を恐れさせるのではなく、目覚めさせるんだ!」
私たちがお尋ねしたいのは、この長くふさふさとした白髪頭の、人目を引く男性は誰でしたか。そして風変わりなカメラマンは特別な方でしたか。
カタリーナ、マーセリン、シルビア&ヨス
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、白髪の男性がマイトレーヤであったことを確認した。カメラマンは覚者ではなかった】


喜びの踊り

編集長殿
(1)2009年1月3日にグループのメンバーたちは、ガザ地区のパレスチナ人を支援するロンドンの平和行進に参加しました。私たちはエンバンクメント沿いを歩き始めました。寒くても晴れていて、明るく雲のない天気でした。ガザ地区での暴力がエスカレートすることへの怒りと恐れの感覚が、その場の雰囲気に充満していました。
すると、私たちのグループが、おかしな格好の男性が道の真ん中にいるのに気づきました。彼は一段高くなった区画の上に立っていて、通行する誰からも見えていました。彼はレプラカーン(アイルランドの老人の姿の妖精)のようでした。年配で筋張った体格に白髪頭で色白でした。彼の足は緑色のフットボール用ソックスから上は素足で、金と茶があちこちにあしらわれた緑色の上着を着ていました。私たちはちらっと見ただけでしたが、彼の奇妙な格好と、寒さをものともしない(!)不思議な様子は頭に残りました。彼は自分の旗を高く掲げて私たちの注意を引いていました、「キリストはここにいて、平和の時代の到来を告げるだろう」。その裏側には、「平和ダンスマラソン」とありました。彼から伝わってくるおかしな軽快な様子が、行進を始める時の私たちのムードを盛り上げてくれました。
10分後、私たちはビッグ・ベンの角を曲がり、群衆がゆっくりとしたペースになりました。ちょうどその時、またもや彼が行進の列の側に、旗を高く掲げて注目を集めているのを見ました。私たちは彼がどうやって私たちより先に到着できたのか、びっくりしました。とても不可能なことに思われました。
後になって、別のメンバーはトラファルガー広場で、女性とアイリッシュ・ジグ(急速度の活発なダンス)を踊りながら通行人を楽しませている彼を見かけました。
この幸せな『レプラカーン』は誰でしたか。
ジル・フライ
英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、幸せな『レプラカーン』がマイトレーヤで、『女性』がイエス覚者であったことを確認した】

(2)私は1月10日土曜日に、ロンドンのハイドパークでのパレスチナ派の平和行進に出かけました。ひどい寒さにもかかわらず、かなりの人出があり、善意と統合の雰囲気がありました。
行進の場所に近づくと、開けた所で、何か催しをしているのが見えました。一人の男性が、ポータブルCDプレーヤーの音楽に合わせて踊っていたのです。彼は伝統的なアイリッシュ・ダンサーの服装をしていました。黒い靴に、明るい緑の膝丈ソックスにあとは素足で、膝上までの薄緑のプリーツスカートに、そろいのシルバーの鋲打ちベルトを着けていました。シャツとベストは明るい緑、赤、黄と少しの黒のミックスでした。頭には変わった形の、緑と黄と黒の、円錐形の山高帽を被っていました。左の肩には、長い幅広の緑のサッシュを付けていました。背中には『アイルランド』の文字とシロツメクサ(アイルランドの国章に使われるマメ科植物)が一緒に金色で縫い取りがしてありました。
彼はペンで言葉の書かれた旗を持っていました。一方には『キリストのみがパレスチナ問題を解決するだろう』と描かれていました。下側に小さな文字で『グランプリとマラソン司祭』とありました。もう一方の側には『ハマスの勇敢な戦士たちに敬礼』と書いてありました。
旗を持ちながらも踊り続けて、人々に見えるように旗をひっくり返したりしていました。音楽を再スタートさせる時だけ、止まっていました。
私は、1週間前の平和行進に参加したメンバーが「レプラカーン(アイルランドの妖精)の格好をした男性が踊っていた」のを見かけて、後でマイトレーヤと確認されたことを思い出しました。ここでもまた彼はパレスチナの人々への支援をし、行進する人々を楽しませているようでした。
行進が動き出し、人々がダンサーを迂回して進みました。高揚させる音楽と生き生きとしたダンス、エキセントリックな風貌の芸人が喜び溢れた雰囲気をつくり出し、人々は笑ったり冗談を言いながら通り過ぎていきました。写真を撮る人や立ち止まって眺める人もいて、ステップを覚えようとしたりする人もいました。私はカメラを持っていなくて残念でした。
彼の旗についてコメントしている人もいました。イスラム教徒の女性は、『キリストのみがパレスチナの問題を解決するだろう』という言葉に対して、「私は信じます。私たちはキリストが来られるのを待っています」と言いました。彼女の仲間一人が立ち止まり、「私たちはイスラム教徒ですが、すべての預言者を尊敬しています」と言いました。私はその人に少しだけシェア・インターナショナルについて話をし、「すべての人のために一人の教師がいるのです」と伝えました。彼は「私も、すべての人のための一人の教師がいることを信じます」と言ってくれて、その時、あのダンサーが真っ直ぐに私を見つめていました。行進全体が通り過ぎてしまっても、彼はまだ踊っていました。
疲れを知らないダンサーはマイトレーヤでしたか。
サラ・マクダイド
英国、サリー州リッチモンド
【ベンジャミン・クレームの師は、そのダンサーが実際にまたマイトレーヤであったことを確認した】


ミラクル・ワーカー

編集長殿
(2008年の)大晦日に、私はクリスマスに現れる奇跡の星が現れなかったことに、少しがっかりしていました。弟や娘と一緒に映画館から家に帰っていた時、タバコを吸っていた黒人の女性が近づいてきました。午後7時頃のことで、彼女は40代半ばくらいで外出用の装いのようでした。彼女は無害そうでしらふでしたが、全く支離滅裂で意味不明なことをしゃべっていたので、少し頭がおかしいように思えました。
私たちは彼女から離れましたが、彼女はお店の中まで私たちについてきて、また娘や私に話しかけてきました。その時彼女が、奇跡を信じるときっぱり宣言したのです。彼女は熱心に言葉を繰り返し、「私がどうして奇跡を信じるのか分かりますか?」と私に尋ねてきました。彼女がもう一度、どこまでも黒い瞳で真っ直ぐに私を見つめながら尋ねてきたので、今度は、この人は本当には何者だろうかと思いながら、「なぜ奇跡を信じるのですか?」と彼女に尋ねました。彼女はにっこり笑って、「なぜなら……『奇跡を信じている』からよ」と答えると、楽しそうにホット・チョコレートの1970年代の古い歌を歌い始めたのです。それから彼女はレジで支払いをしていた弟を指差して、歌の中の言葉で「どこから来たの、セクシーな君」と続けて歌いました。
私たちは笑みを浮かべながら、その店を後にしました。それはタイミングの良い、晴れ晴れとした気持ちになる体験でしたが、その頭のおかしな女性は誰でしたか。
R.M.
英国、ロンドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その『頭のおかしな女性』がイエス覚者であったことを確認した】


確認

編集長殿
2008年のクリスマスの1週間前に、ギリシャの伝導瞑想グループの友人と、非常に近い将来起こるというクリスマスの奇跡についての、シェア・インターナショナルのウェブサイトに載った、驚くべきニュースについて長々と話をしました。
最初、私は熱狂的になりましたが、私の懐疑的なところが頭をもたげてきて、自分も友人も否定的な結論に至ってしまったのです! しばらくすると、逆の疑問が頭に浮かんできて、クレーム氏は智恵の源から情報を得ているのに、誰でも見られるインターネットに彼が載せたニュースについて、私があれこれ言える立場なのだろうかということでした!
私がベッドに入ってすぐ、別の尋常でない出来事が起こったのです! ベッドの脇のテーブルの上には、私の腕時計のベルトの留め金が置かれていて、何年もの間に接着剤の効果がなくなり、使えなくなっていたので、長い間放っておいたままでした。ところが、この以前は外れたままの留め金が、丸い形に収まり、明らかに手縫いで糸を使ってきちんと留められていたのです! 
この『小さな奇跡』の意味を説明していただけますか。誰が私の腕時計のベルトに留め金を縫い付けて、ベッド脇のテーブルに現したのですか。私の信じられない心に対する処方でしたか。
ライラ・アレクサンドラキ
ギリシャ、アテネ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『奇跡』がマイトレーヤによって現されたことを確認した。目的は? 星の情報が本当であることを彼女に再認識させるためだった】