現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2009年 1月 教育、教育、教育

教育、教育、教育

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講話 ベンジャミン・クレーム 【以下の記事はベンジャミン・クレームが2008年8月にアメリカのサンフランシスコ近郊で開かれた伝導瞑想/研修会で話した基調講話である】

今年の研修会のテーマは「教育、教育、教育」です。今日存在するものとは異なったタイプの教育について、異なった目標、異なった教育のすすめ方や方法について話をします。もし教育の方向が覚者の提案されるようなものになれば、地球上における教育を全く変えるでしょう。
新しい時代の教育
『新しい時代における教育の方向について洞察するにあたって、教育が果たす基本的な目的を確立し、そして現在の教育のアプローチの不十分さに光を当てることは有益であろう』 (『覚者は語る』の‘新しい教育’より抜粋)
確かにそうです。もしわたしたちが教育の目的を知らなければ、もし教育することを頼まれている人々についての(本来の)特質を知らなければ、そして現在の教育方法とアプローチが変わらなければ、新しい時代の人生体験に備えて若い人々や成人を訓練するにあたってあまり進歩を期待できないのは明らかでしょう。
新しい時代における生活は地球上における過去のすべての経験と完全に異なるでしょう。最も進化した者たちを除いて、私たちの誰も、智恵の大師(覚者)方の直接の訓育の下に、悟りへの様々な段階を通り、人生の意義を深めていく経験を持ちません。
来るべき時代には覚者方は公に世界に住むでしょう。すでに世界にはマイトレーヤの他に、14人の覚者方がいます。やがて40人になるでしょう。ただし、すべてが教育に関与するわけではありませんが、覚者方の多くが何らかのかたちの教育に関わるでしょう。来るべき時代には、彼らの弟子たちがまず、若い人々も年老いた人々も含めたすべてのグループの訓練と教育の主な任務を果たす人々のための教師になるでしょう。
世界が分かち合いと正義と平和を通してますます和合していくにつれて、人間の構成の特質や地球上における人生の目標が認識されるようになり、ますます多くの人々がもっと知りたいという欲求にかられるでしょう――自分が誰かについて、人生の目的について、そして自分の進化の段階について。人々は進化について話すでしょう。それが地球上における最も重要な要素となるでしょう。人類の意識の進化、そして自然界におけるすべての王国の発展が、至るところにいる男女の思考と目的を支配するでしょう。
人々が転生における魂としての自分たちのアイデンティティーについてもっと認識するにつれて、魂の特質をより一層表現しはじめるでしょう。ですから、直観が、今日ではほとんど働かない人々の中に、働きはじめるでしょう。人生の外的な見かけの背後にある可能性や意味をますます直観的に知るようになるでしょう。あらゆる面において、自分が誰かを知りたがるでしょう。自分はなぜ生まれたのか、以前にも本当に生まれたことがあるのか、自分は本当に再生誕の法則を通して連綿と続いた転生の結果なのか、再生誕は人生の事実なのか。
多くの人々は大宣言の日におけるマイトレーヤの言葉をそのまま受け取るでしょう。しかし、非常に大勢の人々、特に仏教徒やヒンズー教徒は輪廻転生についてある程度信じています。大勢の人々が質問しはじめるでしょう。自分たちの長年の宗教的信仰がハイアラキーによって提供される新しい情報、「不朽の智恵」とどう関連するのかを知りたがるでしょう。その教えは、はじめのうちはより単純化された形で提供されるでしょうが、やがて真理の核心に迫っていくでしょう。
人類がひとつの巨大な集団(グループ)として、進化の旅路における様々に異なった段階において共に旅していることを、人々は理解しはじめるでしょう。私たちはみな、本当に途方もないところへ向かう進化の道に沿って一緒に歩んでいるのですが、私たちのマインド(頭脳)は現在の段階ではそれを本当に理解することが困難です。
『人は神の特質のすべてを表示する神のような存在となる』と言うことは、覚者にとっては容易です。私たちは神の特質のすべてが何かさえ知りません。神の知(インテリジェンス)については知っていると考えます。巨大な知力がどのようなものか、あるいは完全に無条件に愛する能力がどんなものかについて、なんとなく分かるような気がします。神の愛はそのようなものに違いないと想像します。もちろんそれは無条件でなければならない、そうでなければ進化の過程はないでしょう。 『神の意志』という神秘的なものが多くの人々の心(マインド)を引き付けはじめるでしょう。あの途方もない神秘――神の意志とか目的がどのようにして知られるのか、それは何か、どのようにして表されるのか――を理解したがるでしょう。これらの(私たちはすでに知っていると思っている)ことを十分に理解するためには、他にさらなる神の様相を知らねばならないのか。
やがて、これらのことすべてがますます、より多くの人々の関心事になるでしょう。理解するためには、彼らは教育されていなければなりません。覚者がいのちの教育、新しい時代の教育について話すとき意味するのは、そのような教育です。そして人々は、自分たち自身を潜在的な神々として認知するのです。それにつれて志向が増大し、魂であるということのアイディア(理念)が本当にあなたの想像をとらえ、心(ハート)の中に真理の響きがこだまするとき、人はそのようになりたいと欲します。
マイトレーヤや他の覚者方、つまりマイトレーヤと共に公の舞台に出てこられる覚者方を見るとき、彼らがどのように行動するかを知って、『神のような人間』とはどのようなものかを知るでしょう。それは人類にとって素晴らしいインスピレーション(鼓舞)でしょう。
『第一に、教育が誰のために存在するのか、そして教育がその機能を果たしていく過程が何かが理解されなければならない。これは見かけほど明白ではないかもしれない。なぜなら、人は長い間、自分自身の本性とその構成について無知であったし、部分にすぎないものを全体であるとして見、己自身の本質的存在を、大体において無視してきたのであるから』
覚者方によれば、最上位における人間の構造は三重である。私たちがよく知っているレベルでは肉体、感情体、メンタル体です。一つは私たちに食べたいなどの欲求を起こさせるもの、一つは悲しいとかうれしいとか感じさせるもの、そしてもう一つは、例えば急がないとバスに乗り遅れるような場合に時間を知らせるものです。ほとんどの人にとって、この濃密な肉体(肉体人間)が、鏡の中に写るあの人間が、自分のすべてなのです。鏡を見るごとに、月日が経つごとに年を取っていく自分を見ます。だんだん顎が下がり、目の下のしわが深くなり、髪が薄くなっていく姿を鏡の中に見るのです。問題は、一体誰が、何が年老いていくのかです。この肉体は道具にすぎません。覚者方によれば、本当の人間の構造は、私たちが神の閃光であるということです。神はあらゆるものに存在します。事実、神以外に何ものも存在しません。私たちは神聖な、霊的な宇宙に住んでおり、それがいのちの特質です。
神の閃光、神聖なる閃光は宇宙のすべてに――私たち自身と分離したものではなく私たち自身の中に存在し、それが人間の構造の究極的な最高位の様相です。それは完全であり、神(神性)のすべての可能性を持ちます。この太陽系システムの中で、その可能性はX(エックス)の因数でしょう。シリウスのようなよりいっそう高位の太陽系においては、それは‘Xプラス’であり、その可能性は私たちが想像しはじめることすらできないものでしょう。それは絶えず無限です、なぜなら創造的だからです(訳注=創造性に限界はありません)。そして私たちの視野から見れば、よりいっそう高位のレベルで顕現しています。この太陽系組織に関する限り、私たちが私たちの最高位であるところのものを、最低位であるところのもののすべての面を通して顕現するようになるとき、私たちはこの地球上における進化の旅路を完成させることになります。
私たちは肉体人間であり、魂であり、神の閃光です。あの神の閃光がそれ自体を個々の人間の魂として反映します。その個々の人間の魂は偉大なる超魂(オーバーソウル)、人間王国、の個性化した部分です。人間の魂は、神の閃光(神智学の言葉ではモナッド)と、肉体、感情体、メンタル体をもつ物質界における人間(肉体人間)との間の仲介者です。これらの三つの面――肉体、感情体、メンタル体――は、魂が肉体人間(パーソナリティー)のレベルで人生を見るために使う手段です。
もし私たちが物質界、感情界、メンタル界のこのレベルで人生を明確に見るならば、魂も同様にこのレベルで明確に見ます。しかし残念ながら、地球上の人間の大多数はあまりにも進化段階が低いので、自分自身に、すなわち神聖なる仲介者である魂に、物質界における人生を明確に純粋に提供しません。それゆえ魂は、そのレベルで正しく見ることができません。魂は私たちが提供するままを正確に見るのです。
それはイリュージョン(錯覚)の問題です。人類は自分の肉体的、感情的、メンタル的見地から見たイリュージョン(錯覚)の中に生きています。これら三つのレベルのどこであっても、人が本当の直接的な見方ではなく錯覚のまま見るならば、そのような人生観を魂に提供します。肉体、感情、メンタル界での目標は、私たちの周りの世界に対する反応を浄化することです。私たちは肉体・物質界においては、多かれ少なかれ、それを成し遂げました。今日、肉体・物質界に意識が偏極している(つまり意識の座が主にそこにある)人はあまりいないと思います。ほとんどの人間はアストラル・感情界に意識が偏極しています。物質界に意識が偏極しているということは、その人の思考や人生観が、意識の焦点が物質界にあるということです。多分、賢い動物とあまり変わらない知性をも持つ人々もいるかもしれません。
今日、人間のおそらく95%がアストラル・感情界に意識の偏極があり、それが人類の進化の上に重くのしかかっています。しかしながら、来るべき時代にはこれは劇的に変わるでしょう。すでにおよそ500万の人間が、大いなる惑星レベルの五段階のイニシエーション意識の拡大――の第一の段階の瀬戸際に立っています。第五段階のイニシエーションは復活した覚者として完結します。
進化の大計画は、あの信じ難いほど高位の進化された宇宙的存在、この地球に魂を吹き込まれた御方(ロゴス)のマインドの中にあります。私たちの惑星――私たち自身、そして地上を歩いたことのあるあらゆる生きものを含むすべて――はあの偉大なる存在の表現体です。この御方が進化させていく惑星を持っておられ、ソーラーロゴス(太陽ロゴス)の計画との関連において進化の過程を始められたのです。太陽ロゴスはさらに途方もない、さらに高位に進化された宇宙の存在であり、その御方の表現体は、この惑星ならびに他の惑星すべてを含むこの太陽系システム全体です。各々の惑星にはその惑星のロゴスがおり、彼らは各々の惑星のための進化の計画を太陽ロゴスのそれに関連づけます。太陽ロゴスはさらに偉大なる計画を持たれます、なぜなら、他の惑星ロゴスがそれに向かって働いているところのものをさらに超えた、より広い意味と目的を見ているからです。
この地球に関する限り、大計画の管理者は智恵の大師方(覚者方)、慈悲の大主方です。彼らの仕事は大計画を、それが可能な限りにおいて、人類および人類以下の王国を通して成就していくことです。彼らは大計画をご存じなのでこれを行います。おそらくすべての覚者方が大計画のすべてを知っているわけではありません。マイトレーヤのように、より高度に進化された覚者方は、第五段階(イニシエーション)の覚者よりも、ロゴスの目的についてさらに多くをご存じなのは明らかでしょう。各々の(惑星レベルの)イニシエーションにおいて、イニシエーションのパワーの笏が象徴的に置かれることによって、イニシエート(イニシエーションを受ける人)のチャクラは高められます。最初の二段階のイニシエーションはマイトレーヤの御前で受けます。そして第三段階かそれより上位のイニシエーションは、世界の主であるロゴス、サナットクマラの御前にて受けます。イニシエーションごとに、途方もない規模の大計画について、ますます深い洞察が賦与されます。
大計画はこの惑星のいのちのすべての様相について、そして様々に異なったいのちの様相の間の関係に触れます。考えてごらんなさい――人間王国、動物、植物、鉱物王国、途方もない種類と領域をもつデーヴァ界、天使界の進化、人間以下のレベルのエレメンタル、より低位の建設者、また大陸ひとつを覆うくらいに巨大なからだの偉大なるデーヴァたちがいます。その領域と種類は想像することもできないでしょう。これらの王国のすべてが関連し合っており、分離しているものは何もありません。
宇宙全体には分離はありません。すべての原子が他の原子に関係しています。これが進化の過程を支配する偉大なる二つの法則のリアリティー(実相)の背後にあります。それを信じる人々、可能だと思う人々もいるし、それは全く事実だと考える人々もいます。あるいは全くばかげたおとぎ話だと考える人々もいます。「原因と結果の法則」、つまりカルマの法則とそれに関係する「再生誕の法則」が進化の過程を管理します。人類全体としてはこのことを教えられたことはありません。この情報は長いあいだ存在し、誰でも、求めようとする人々には入手できましたが、しかし探究心に満ちたマインドの人々のみがその機会をつかみました。非常にわずかな数の人類、特に西洋においては数少ない人々のみがカルマの法則を真剣に受け取ります。人々はそれについて冗談を言いますが、実際にはそれを信じていません。
この法則は、すべてのものを他のすべてに関連させます。あなたが行動するにつれて、ひとつの原因を始動させます。あなたが話すにつれて、考えるにつれて、同様に原因を始動させます。エネルギー的なものです。私たちはエネルギーの宇宙に住んでいます。宇宙全体にはエネルギーしか存在せず、異なったエネルギーが異なった率で振動しているのです。エネルギーの振動率によって、つくられる形態が決定されます。銀河かもしれないし、太陽系、惑星かもしれないし、あるいは人間や犀でも同様です。これらすべてがエネルギーでつくられています。エネルギー以外の何ものも存在しません。このことが秘教の最も基本的な公理です。現代の科学は少しずつこの事実に光を投げていますが、しかし最も関心を持ち、因習にとらわれない科学者のみがその知識を利用しました。物質はすべてエネルギーとして見ることができます。物質とエネルギーはひとつの全体の部分であり、その全体の両極として関連し合っています。
何世紀もの間、人類は肉体を見て、『これが自分だ。あれは誰それさん、あそこにいるのが誰それさんで、彼らの子供たちだ』云々、と言いました。ある意味でそれは本当ですが、全体の部分にすぎません。全体は三重の存在であり、神であり、宇宙の神性の部分であり、あらゆる意味で完全な全体と全く同質です。そしてまたそれは魂です。なぜならあの神性(神)は、このレべルにおいて顕現することができませんから、魂が仲介者です。魂は完全で神と全く一体ですが、私たちの最高位と最低位との間の聖なる仲介者として行動するために魂自身の界において、やや低い率で振動しています。私たちが自分だと思っているこの肉体、感情、思考するマインドは道具にすぎません。魂が肉体人間を通して顕現することができるための手段にすぎません。魂がそれ自体を肉体人間に反映します。
進化の過程において、肉体は必然的に死にますから、それとともに感情体、メンタル体もなくなります。それらは人間の三重の構造の物質的な様相です。しかし三つの微小な原子、すなわち肉体の原子、アストラル・感情体の原子、そしてメンタル体の原子のそれぞれ一つが、様々な転生を通じて残ります。これらは恒久的な原子です。その他の原子はすべて肉体の死と共に地に還ります。この三つの恒久原子は転生から転生へと引き継がれ、その人の系統(血統)の継続を保証します。何千年も前にあなたがしたことが今この肉体人間に受け継がれ、完全なる覚者となるまで、次々と続く転生へ伝えられるでしょう。これらの三つの恒久原子を取り囲んで、魂がそれ自体のために新しい肉体人間を創造するのです。
私たちは元をただせば魂です。もし私たちが自分自身を魂として考えるならば良いのですが、ほとんどの人間は自分たちを魂として考えません。もし宗教的な人ならば、たぶん、魂について聞いたことはあるでしょう、そしてそれは自分が死ぬときに出会う何かだろうと考えます。確かに人は死ぬとき魂と出会います。しかし私たちは、生きていようが死んでいようが、魂なのです。
私たち自身の最高の様相である神性(神)は、魂を通して魂の界で顕現し、魂はそれの反映である肉体人間の男女を通して物質界に顕現します。子供のからだが魂によって子宮の中に植え付けられることで、いのちが創造されます。もしすべてが順調に進み、後戻りすることがなければ、各々の転生で、私たちは次々と、魂の事実をよりよく吸収し、正しく表現していくようになります。魂こそが自分自身です。
アリス・ベイリーに教えを提供されたジュアル・クール覚者は、彼女の著書で、魂の事実が科学的に証明されるようになるだろう、と言われました。フランスが魂の事実を証明する栄誉を与えられるだろう、と言われました。
私たちは部分を全体だと考えます。ほとんどの科学者はこの肉体がすべてであると考え、何時間でもそれについて議論します。頭脳の働きは樹を見て森を見ないようなものです。具体的知識または科学の第5光線の結果であり、それは世界中の具体的レベルでの人間の意識の途方もない拡大に貢献しました。それは現代の技術革新(テクノロジー)に表されており、過去100年の間に信じ難い進歩を遂げました。それでも、次の50年100年に比べると全く物の数ではないでしょう、地球上の生活の変容は非常に大きいでしょうから。濃密な物質より上位のレベルについての理解度が非常に増すので、部分を全体として見るような半分目隠しをした見方から離れることのできる全く異なったタイプの科学者が必要でしょう。
このことは恩恵でもあり、また私たちを後ろに引っぱるものでもあります。第5光線は、他のすべての光線と同様に、その最高のレベルにおいては素晴らしい光線です。すべての光線がみな神聖であり、大計画の一部を担います。過去150年にかけて、第5光線は途方もなく強力でした。この光線を人類に提供するために、ハイアラキーによって特別の計らいがなされました。途方もない、入り組んだ物質界のコミュニケーションの顕現に人間のマインドを開きました。テクノロジー(技術)の特性についての見解を変えました。現時点を通り越して、さらに途方もない発展を遂げた人々(マインド)もいるでしょう。 しかし、今日の技術者(テクニシャン)は部分を全体だと見る傾向があるので、途方もない教育の仕事が‘知る者たち’を待っています。‘知る者たち’というのは、このような話はあなた方の多くにとって新しいことではありません。あなた方は、部分は全体ではなく、他の視界、存在のレベルがあり、それらは、神々としての人間の潜在力に表現を与え、それを成就するために探求されなければならないことを、いくらかでも知っています。
人はその手段や方法を教えられなければ、自分を神として提供することはできません。すべての人間は潜在的に神ですが、その可能性を引き出すためには教育が必要です。すべての人間が、各々の進化のレベルに応じて異なった可能性を持って転生してきます。今日、人々が表しているよりもずっと高位の可能性です。
覚者が言われるように、今日でさえ全世界のほとんどが非識字者です。これはひどい罪悪です。なぜなら識字者になることは今日容易であり、安価なのですから。人口の大きな部分が非識字者でなければならない国家は世界にないのです。にもかかわらず、世界の多くの部分で何千万の人々が完全に非識字者であり、自分の名前を書くとき、親指でしるしをつけなければならないのです。それは単なる教育の問題です。
『転生している魂としての人間は、生まれつつある神である。そして再生誕の法則を通して、その神性をまばゆいばかりに実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育の本当の意味は、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うようになり、また自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を助けるものはすべて教育である』
それはすべての人々の心(ハート)にある神が、その人間を通して顕現する可能性を与えられる過程です。それが起こるためには教育が必要です。
それは認識の問題です。マイトレーヤは認識についていつも語ります。認識を通して、私たちは人生に対して自分自身を開きます。いのちはエネルギーとして振動しており、そのエネルギーの意味と効果について意識的な認識を増大させるにつれて、進化します。そしていのちの意味と目的によりいっそう気づいていきます。
それは直観的プロセスです。直観とは実際、意識的認識です。それが開発されるにつれ、私たちがますます魂の特質に近づくにつれ、意識はよりいっそう魂のようになります。直観(それは魂の様相です)と呼ばれるものを通して、あの意識が私たちに開かれ、顕されるのです。ただあなたは知っているから知っているのです。合理的思考が考え出すことではありません。合理的な目的のために合理的なマインドは必要です。電車に乗りたければ、その電車に間に合う時間と場所に行きます。しかしもし(真理を)知りたければ、それは魂から発する直観を通してであり、あなたの認識がその特定の体験の特質を教えてくれます。
進化の過程を通るにつれて、五段階のイニシエーションを通ります。それが進化の旅路の最後のいくつか(20~30回くらい=訳注)の転生にまたがり、魂として成長していくにつれて、直観が働くようになります。魂の神性や認識や光が物質界における人間を通して顕現されるようになります。
『この過程を助けるものは、その方法が公式だろうが非公式だろうが、すべて教育である』
私たちは教育について考えるとき、普通は学校へ行くことを考えます。他方、教育は全く非公式であり得ます。しかし『今日の感覚では、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し、コントロールするための最小限の必要しか保証しない』と、覚者は言います。しかし、それすら行いません。地球環境に起こっていることを見てごらんなさい。私たちはそれについてどうしてよいか分かりません。そのことは私たちの理解を越えており、対処する能力を越えています。残念ながら、アメリカのように、地球環境に対処しなければならないとか、何か悪いことがあるということすら認めようとしない政府もあります。
『人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶ者はなく……』
ほとんどの人間は日々、生存するために苦闘しているので、これは本当です。必要なことを教えてくれる教師も、必要な書物を探す力も時間もエネルギーもありません。人々が探すのは軽い、娯楽的なものです。
『今日、すべての国家がいまだ文盲以外の何ものでもない。至るところに、事実で詰まったマインド(人々)が意味ある仕事を欠いて、ぼんやりしている』
すべての国家が人々のマインドをあらゆる事実(知識)で埋めており、それを教育と考えているのです。それは、いのちの意味や目的についての事実ではありません。例えばコンピューターをどう使うかというような事実・知識なのです。
『職業のための教育が人生のための教育に取って代わり、他方そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力に爆発する』
人々は子供たちがなぜあんなに暴力的なのか、なぜ人が無意味に暴力を振るうのか、不思議がります。突然何の理由もなしに人を刺すというようなことが世界中で起こっています。子供たちのギャンググループがナイフや棒で武装して、自分たちが生きていることを、人生に目的を持つことを証明するために、道を通りかかる人にナイフを突き付けて面白がっています。
すべての国で、人々は生活の、生存のための苦闘の中でひどいストレスを受けており、それは人々から生気(スピリット)を奪い、萎えて干からびさせます。彼らの人生観は商業主義の限界によって規定されます。大学卒の資格がなければ、今日ほとんどの職場でつまらない仕事以外の可能性がないと考えます。それは破壊的です。そのように感じる人は自分自身の情けなさや痛みしか見ることができず、いつか爆発します。「私は存在するんだ、他の人々と同じように存在するんですよ。私はお金がない。教育がないから、どうやってお金を稼ぐか知らない」。これは本当です。彼らは教育の目的はお金を得るためだと思っています。しかし教育の真の目的は、自分が誰であり、何であるかを、人間であるということは何を意味するのか、人生の目的は何かを理解することです。
人生における最も基本的な概念は、人は分離した存在ではないということです。ほとんどの人間が分離感を持ちます。他と分離していると思うから、人にナイフを突き刺すことができるのです。彼らは社会から、そしてその社会の一部である自分自身からの疎外感を持っています。だから、小さなギャンググループをつくるのです。子供のときからそのようなことをして、大人になるにつれて、ますます組織的な暴力団に入ったり、麻薬を使ったりして、自分自身とその周りの人々を破壊します。これが国家に大きな問題を提起します。
それはアメリカにおいて重要な問題です。アメリカのあらゆる犯罪の90%が麻薬に関係しています。英国ではたぶん85%くらいでしょう。フランスやドイツやその他の教育のある近代国家も大体同じようなものです。しかし人々は、本当の意味の教育を受けているのではありません。いのちのための教育を受けていません。職を得るための教育を受けているだけです。国によって、職業のための教育がより優れているので、商業主義、市場原理の特性である競争がうまいのです。人は、最大に得るために、一番になるために、市場をより多く獲得するために競争します。しかし、それは本当の人生と何の関係もありません。
『教育は内在する神に接触し、これを知り、それに表現を与える手段として理解されるべきである』
教育をこのように理解している人はどのくらいいるでしょうか。宗教がそうだと思われてきました――僧侶たちは他の人々よりもよく知っているから(という前提で)、人が何をしたかによって、神は彼らを好むか好まないかを、僧侶たちが告げてきたのです。人類は、自分たち自身が神であることを理解しなければなりません。神はいかなる宗教であろうとも、その信仰や教義や教理の中に見いだせるのではありません。神がその中に宿る宗教はこの地球上どこにもありません。宗教は私たちが神と呼ぶところものを理解し、接触するのを助けるかもしれません。しかし、神が宗教の中に存在するのではありません。宗教は、マイトレーヤが言われるように、梯子にすぎず、屋根に登るのを助けることができます。しかし、屋根に登ってしまったら、梯子は必要ありません。
『……宗教は神へ通じる幾多の通路の一つにすぎず……』
神を知るために宗教的である必要はないことを、人々は知らなければなりません。神は人間存在のすべてにおいて、生活のすべての面において、絶えず表されるべきです。もし私たちすべてが、本来の内的な自分自身と一瞬一瞬、接触しているならば、それが起こるでしょうか。一瞬一瞬、あの神性が絶えず私たちを通して輝き、私たちが誰かを定義し、どう行動するか、神聖なるあの光をどう理解し、表すかを定義するのです。
『……すべての人間が己の神性を体験し、それを表現できる手段を見つけなければならない。新しい教育はこの目標に応えるべきである。神の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばならず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが一般的に使われるようにならなければならない』
あらゆる種類の瞑想が魂との接触をつける助けになるでしょう。ハイアラキーの観点からは、伝導瞑想が最も科学的です。
多くの人々は大宣言の日の後に、マイトレーヤが、われわれは魂であり、神聖なる存在であると言われるのを聞いて、そのまま受け入れるでしょう。しかし、その証拠が出されなければ、彼らはいつまでそれを信じ続けるでしょうか。大多数の人類にとって、魂の特性やその存在について知的理解を得るためには何年にも及ぶ膨大な教育が必要でしょう。
分かち合いの原則が受け入れられ、したがって戦争を終わらせるために必要な信頼が創造されるならば、人々は、知的にのみではなく、内的に、魂の事実を理解し、受け入れることがいっそう容易になることを知るでしょう。『この高位の原理に接触をつけるテクニックが一般的に使われるようになる』でしょう。
『光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏付けされるとき……』
私は忙しくなるでしょうね。このグループの人々のみではなく、人類全体が私に彼らの光線構造や進化の段階を聞いてくるようになったら……誰がこの基本的知識を大勢の人間に教えるのでしょうか。
『このすべてが教育の分野で働く人々の熱心な努力を待っている』
この部屋にいるあなた方の中で、現在、教育分野で仕事をしている人は何人いますか。先生たちが何人かいるようですね。これはあなた方の機会ですよ。
『そのような任務に相応しい適性を培うことが、若い者たちを教える志向者すべての目指すべきものである』
それは今日と違います。あなた方はそのような任務に自分たちを適応させていきなさい、そうして新しいアクエリアス(宝瓶宮)の時代のために相応しい者になっていくのです。
『今、われわれすべての前に開かれる新しい時代において、生命のための教育に挑戦しようとする用意のある者にとって、これほど良い奉仕の機会が提供されたことはかつてなかった』
『人間が分離と分割の問題に取り組むにつれて、新しい可能性の展望が間もなく現われるだろう。これがフォース(エネルギー)を解き放ち、人間をやがて神の足下に連れていく訓練や教育のテクニックが鼓舞されるだろう』
私たちが、分かち合い、正義、正しい関係、戦争の終結、そしてすべての人々のための自由を受け入れるや否や、これらの分離、分割の問題は消え去るでしょう。これがフォース(エネルギー)を解き放ち、生命のためのテクニックや訓練を鼓舞するのです。それがすべての人々のための前進の道です。 さて今度は人間家族に関係する教育に絶対に必要なことについて検討したいと思います。
家 族
『新しい教育はこの根本的な問題を取り上げて、家族生活のための訓練と必要条件を設定しなければならない。社会生活の最も基本的なこの面に対して非常にわずかな注目しか向けられず、大部分が気まぐれなチャンスに放置されているということは、奇妙なことではないか』 (『覚者は語る』の“家族”の記事より抜粋)
驚くべきことです。世界で最も難しいことは、子供たちを育てることです――子供たちが成長していくなかで必要なものすべてを供給すること、両親と子供たちの間の良い関係、そして両親が与える情報についての注意深い考慮。
『ほとんどの国において、車を運転する権利は年齢とテストによって、多かれ少なかれ厳しく規制され、コントロールされている。医者や看護師、パイロットや列車の運転手は、いずれも定められた訓練と注意深い準備の後に、初めてその有益なサービスを遂行することを許される。そしてそれは、そうあるべきである。しかるに、何百人もの若い人々が、世界で最も困難なこの奉仕の分野に、大体において、いかなる訓練も受けずに突入することを許される』
驚くべきことだと思いませんか。最も難しい仕事のために何の訓練もないのです。そのような訓練を提供しようとしている個人が、たまにいますが、大体において、そのように訓練はありません。 中国が国民をもはや適切に養い、支えることができないくらい人口が増えすぎたことを発表したときのあの期間を除いて、世界の人口増加にブレーキがかかりません。中国では、子供を一人以上つくることを違反行為としました。その結果、女の子が生まれたら、その子は殺されるか、養育できる人に売られ、なんらかの奴隷になりました。中国政府が人口増加を抑えようとして行った露骨な試みは、国民にひどい痛ましい決断を強いました。
世界には、成長して、父親が年をとったら父親の仕事を引き継ぐだろう男の子を持つほうが好ましいと考える国々があります。娘はあまり重要だと思われません。中国では、いつも男の子がより良いとされています。家族に福をもたらすと考えられ、女の子は不運だと考えられます。悲しいことです。
光の時代
『各世紀に、同時代の人々をはるかに抜きん出る者が何人か出現する。彼らの天賦の才は顕され、天性は輝きわたり、すべての者がこれを見、そして賞賛する。そのような人々は、人間が、己自身について、そしてその可能性についての認識を増大させていく方向につながる仕事を成し遂げた偉大な発明者であり画家であり、作家、音楽家、科学者である。
近年において彼らの注目は、科学と人間の知識の拡大に向けられてきた。これが、今までは達成の望みさえかなわなかったほどのスケールで、人間のマインド(識心)を目覚めさせる道を整えたのである』
(『覚者は語る』の“光の時代”の記事より抜粋)
光には多くの種類があります。知識の光、つまり知識自体が光です。魂の光があります。理解や智恵の光。物質界の光、太陽の光、電気の光、これは太陽から来ます。人類がその一体感を認識していくにつれて、そして分かち合い、正義、自由を通して戦争を過去のものにしていくにつれて、新しい科学、「光の科学」が少しずつ確立されていくでしょう。戦争がなくなるとき、戦争が完全に放棄されるとき、そして戦争のための武器が破壊されるとき、「光の科学」が人類に与えられるでしょう。これは途方もない科学であり、すでにそれを実際的にするためのステップがとられつつあると、覚者は言われます。 私たちは核爆弾という最悪の武器をつくりました。人間がこれまでにつくった、そして使用した武器の中で最も危険なものです。もし再び使用されるならば、それは人間および人間以下の王国すべてを含めた地球上のすべてのいのちの破壊につながるでしょう。ですから、それは絶対に使用されてはなりません。私たちはどうすれば、諸国家に、戦争を永久に放棄し、核爆弾を放棄し、原子力発電所を放棄し、核分裂に関するあらゆるものをすべて放棄させることができるのか。
人類は原子のエネルギーの間違った使用法をかなり高度に進ませてきました。核分裂はエネルギーの最も破壊的な使用法です。今日でさえ、科学者や技術者たちは、グローバルな温暖化対策として世界中至るところに原子力発電所の建設の増大を計画しています。アメリカは50基以上の原子炉の増設を計画しており、フランスやイギリス、その他の国においても同様です。もしそういうことが起こるならば、人類や下層王国の健康に信じ難いほどの負担をかけるでしょう。地球上のあらゆる原子炉から核放射能が、ガス状のレベルより上位のレベルで大気中に放出されています。さらに、原子力を利用した爆弾や種々の武器についてのあらゆる段階の実験においてもまた同様です。これらが大気中に放出された核放射能を10倍に増大させました。もし私たちの宇宙の兄弟たち――主に火星と金星からのいわゆるUFOと呼ばれる宇宙船――が絶えず働いてくれていなかったならば、人類の健康に、今日よりもずっと多くのストレスがかかっていたでしょう。覚者方は世界にある最大の殺人者は汚染だと言われます。その中でも最も悪いのは核放射能です。世界中でアルツハイマー病がますます増えており、より若い人々に起こっています。それは、日ごとに大気中に放出されてより高位のレベルに蓄積されている核放射能の直接的結果ですが、私たちはそれを測定する技術を持ちません。
科学者はできるだけ早く、すべての原子炉を閉鎖し、現在も、将来も核放射能に関するあらゆる仕事をやめなければなりません。これは人類の大きな間違いであり、人類の生存をますます脅かしています。マイトレーヤと覚者方はこの情報を伝えて、原子炉を速やかに閉鎖することを勧告されるでしょう。 核放射能やその他の汚染物質は人間(および動物)の免疫組織を破壊し、私たちの生活環境の中に注ぎ込まれているその他の毒素による害に対して無防備にさせます。この問題は、宇宙の兄弟たち(宇宙人)の仕事の負担が重くなりすぎる前に、速やかに対処されなければなりません。彼らは、核放射能やその他の汚染物質を処理するにあたって、人類のカルマの許す範囲内でしか行うことが許されません。そうでなければ、私たちの自由意志の侵害になるでしょう。彼らが行っていることに関して、彼らは特別の許可を得なければなりませんでした。彼らは毎日、長時間にわたって、世界中のあらゆる場所で核放射能や大気中に放出されるその他の有毒ガスの影響を中和し、減少させてくれています。私たちは彼らにたくさんのカルマ的な負債を負うており、いつの日かお返ししなければなりません。
宇宙の兄弟たちはその他にも、途方もない仕事を行っています。それは新しい「光の科学」に関することであり、それは世界に持ち込まれつつあり、人類が戦争を放棄し、世界に平和と正義を創造するときの日のために用意されています。戦争を放棄しない限り、信頼は決して生まれないでしょう。どの国も他国が核兵器を隠していないかどうかを疑い、信用しないでしょう。
穀物畑のミステリーサークル
光のテクノロジーと、火星、金星や穀物畑のミステリーサークルとの間の関係は何か。宇宙船(UFO)は主に火星と金星から来ます。宇宙船の大多数が火星で製造されています。それらは思考によってつくられ、思考とテクノロジーによって運転されています。また宇宙船の住人がミステリーサークルもつくります。これらは基本的にフォース(エネルギー)の中心、渦です。ミステリーサークルは世界中に現われていますが、主にイギリスの南部に集中されています。なぜなら、マイトレーヤがそこにおられるからです。現代世界におけるマイトレーヤの拠点地はロンドンです。ミステリーサークルが現されるのはロンドンではありませんが、ロンドンからそれほど遠くではありません。穀物やその他の畑にたくさん現されるのには理由があります。宇宙船の住人たちが、『われわれはここにいましたよ』という合図の‘名刺’代わりとして置いていくのです。
彼らは毎年毎年、ますます複雑で美しい、非常に凝ったパターンを穀物畑につくります。収穫時になると、それらは刈り取られて、無くなります。そしてまた次の年につくられて再び現されます。意図的に穀物畑につくられるのは、季節的なものだからです。同様の‘ミステリーサークル’が世界中につくられています。山や海の中や川や陸にもあります。穀物畑のミステリーサークルは視覚的なパターンを提供してくれます。穀物畑に現われるのは、私たちがそれを知ることができるようにですが、その他に至るところに現されているのです。パターンの中には、特に最近、現されているものの中には、意味があるものがあります。それが見えるや否や、人々は、例えば、「あれは幾何学でいうπ(パイ)だ」などと言います。
この惑星の周り、いやすべての惑星の周りには磁場があります。互いに交差するフォース(エネルギー)のラインから成っています。それが何度も交差するところに渦ができます。それはチャクラのようであり、パワーの渦です。宇宙人がこれらのパワーの渦を物質界につくっているのです。ミステリーサークルは実際、その渦の外的なしるしであり、しかしそのような渦は至るところにあるのです。この惑星の磁場の複製が物質世界のあらゆるところにおかれています。それは惑星自体の磁場ほど巨大で強力ではありませんが、光のテクノロジーの基礎となるには十分なだけ強力で広範囲にわたっています。
その光は直接太陽からきて、磁場の磁力と融合されるでしょう。それが人類に必要なあらゆる形のパワー(動力)を提供するでしょう。すべての機械的なもの、熱、光、交通手段、料理、機械類が、太陽からの光と惑星の磁場の磁力を使った光のテクノロジーによって動力を提供されるでしょう。一定の形の大きな貯蔵庫がつくられるでしょう。その形自体がそこに貯蔵されるエネルギーのタイプに関係するでしょう。これらの貯蔵庫から私たちの必要とする動力(パワー)が無限に供給されるでしょう。
例えば、列車は全く動きがないような感じでしょう。列車に座って、お喋りしながら、自分たちが動いていることに気づきさえしないでしょう。非常にスピードが早く、全く静かで振動がないでしょう。旅の疲れは消えるでしょう。長距離列車に乗って、旅路が終わるときまで、あたかも全く動いていなかったような感じがするでしょう。旅を始めたときと同じようにリラックスしているでしょう。
このパワーが生活の中のすべてを行うでしょう。銀河を旅する宇宙船の動力になるでしょう。あなた方は、次の転生で惑星や太陽系システムの探検者になるかもしれません。太陽系の惑星には住人がいますが、私たちと全く同じようではないかもしれません。しかし、彼らは人間です。人間は宇宙の至るところにいます。宇宙の遠くまで行くことができるでしょう。時間はかからないでしょう。時間はほんとうには存在しません。
人類は、私たちが人類というひとつのグループであり、宇宙全体の中に分離しているものは何もないことを、すべてが他のすべてに関連していることを完全に理解するようになるでしょう。そして人類を結合させる法則は宇宙全体を通じて全く何の分離も存在しないということからつくり出された法則です。私たちはアクエリアス(宝瓶宮)から流れ込んでいる統合のエネルギーの影響の下で、融合し、混合し合っているという感覚を発達させていくでしょう。そのエネルギーはグループを通してのみ働き、個人を通しては働きません。個人性は消え、それはグループの奉仕のために提供されるでしょう。
今日、人々は自分の個人性を主張したがります。だから非常に破壊的なのです。なぜならそれは、しばしば権力の地位にあって、そのパワー(力)を扱うのに十分なだけ進化していない人々の手中にあるからです。彼らは他国に侵入したり、戦争を起こしたり、何百万の人々の生活を地獄のような状況に陥れます。私たちが誇らしく思っているある非常に尊ばれてきたこの個人性というものは、グループの奉仕のために提供されなければなりません。
アクエリアス(宝瓶宮)の時代はグループについてです。和合、統合を最大数の部分(個人)にもたらさなければなりません。それは個人性を抹消することではありません。部分、または違いを取り除くことではありません。逆に、異なった個々の部分の最大の数を完全な和合に統合・合成させていくことです。それが多様性の中の和合です。それが将来のすべての仕事のスローガンになるべきです。
最大の多様性を備えた和合が、新しいアクエリアス(宝瓶宮)の時代の線に沿って働く用意と意志のある人々の目標です。個人が成長するにつれて、彼らがよりいっそう魂のエネルギーと光に満ちた人間になるにつれて、奉仕したくなるでしょう。なぜならそれが、魂が欲することだからです。魂の目的は、ロゴスのマインドにある進化の大計画に奉仕することです。それゆえ、魂は転生して来るのです。そうすることによって大計画の成就に仕えるのです。
この時代には、覚者方の影響、鼓舞、模範の下で、人々がよりいっそう奉仕することを欲するようになるにつれて、魂がそれを可能にするでしょう。奉仕の分野がないという人はないでしょう。奉仕活動の提供を覚者方は推し進めます。彼らは大計画に奉仕するためにここにおられるのであり、人類が大計画に奉仕し、魂となることを、そして本来の自分たちである神の閃光になることを鼓舞されるでしょう。
(これに関する質疑応答に関しては、2月号と3月号に掲載する予定です)

新しい教育

――覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

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新しい時代における教育の方向について洞察するにあたって、教育が果たす基本的目的を確立し、そうして現在の教育のアプローチの不十分さに光を当てることは有益であろう。まず第一に教育が誰のために存在するのか、そしてその機能を果たしていく過程が理解されなければならない。これは最初に考えるほど明白なものではないかもしれない。なぜなら人は永い間、自分の本性と構成について無知であったし、部分でしかないものを全体として見、己自身の本質的存在を大体において無視してきたのであるから。
転生している魂としての人間は生まれつつある神である。そして再生誕の法則を通して、その神性をまばゆい輝きの中に実演するためにゆっくりと向上しつつある。教育はその本当の意味において、個人が意識的な認識を徐々に拡大していくことを通して、その目的に適うように、そして自分自身をそれに合わせるようにしていく手段である。この過程を援助するものは、その方法が公式であろうが非公式であろうが、すべて教育なのである。
今日の意味においては、教育はまさに薄弱である。人間の環境を理解し統御するための最小限の必要条件しか請け合わない。人生の意味と目的について初歩的なこと以上を学ぶものはおらず、ほとんどの人間が生存のための日常の闘いの中に気を取られている。
今日、すべての国家がいまだ文盲以外のものではない。至るところに、事実で詰まったマインド(識心)が意味ある仕事を欠いてぼんやりしている。職業のための教育が人生のための教育に取り代わり、他方、そのような不均衡のストレスと緊張がますますあらゆる種類の暴力に爆発する。
教育は内在する神に接触し、これを知り、それに表現を与える手段として理解されるべきである。伝統的には、宗教がこの目的を果たすものとして見られ、宗教教育が今日多くの国においてその防壁として残っている。しかしながら、宗教は神へ通じるたくさんの通路の一つにすぎず、すべての人間が己れの神性の体験を知り、表現することを可能にする手段が見つけられねばならない。
新しい教育はこの目標に応えるべきである。神の仲介である魂の事実が一般に受け入れられねばならず、この高位の原理に接触をつけるテクニックが一般的に使われるようにならねばならない。  光線構造や進化的発達や魂の目的が知られ、裏付けされるとき、より科学的なアプローチが子供と大人の両方の教育にとられるようになり、その過程に新しい意味が与えられる。それによって、人は神となることを学ぶ。このすべてが教育の分野で働く人々の熱心な努力を待っている。そのような任務にふさわしい適性を培うこと、若い者たちを教える志向者すべてのめざすべきものである。今われわれすべての前に開かれる新しい時代において、人生のための教育のチャレンジに取り組む用意のある者たちにとって、これほど良い奉仕の機会が現れたことはない。
人間が分離と分割の問題に取り組むにつれて、新しい可能性の展望が間もなく現れるであろう。これがフォース(力)を解き放ち、人間をやがて神の足下に連れていく訓練や教育のテクニックが鼓舞されるであろう。
1988年1月

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家族

――覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

家族単位はすべての社会生活の基本である。その重要性は強調しても強調しすぎることはできない。今日、この卓越性は、不注意や実験や子供たちの基本的必要についての誤解によって蝕まれている。 すべての子供たちが成長するための安定した環境を必要とし、母親と父親という模範を成長の過程において必要とする。すべての親がその安定性を、あるいはふさわしい模範を提供するわけではないということは、悲しいかな事実であり、多くの要素がこの嘆かわしい状況に関係している――教育の欠如、貧困、不適切な住宅、病気、そして家族生活の厳しさに不向きで未熟な、無責任で無力な大人たちである。
また言えることは、すべての国において貧困に打ちひしがれ、生活を快適にするあらゆる便宜を奪われている大勢の人々が、雄々しく戦い、非常な困難にもかかわらず、彼らの家族をしっかりと護り、子供たちのために安定した愛ある模範を提供しているということである。彼らは、人類種族の賛美されない英雄である。彼らは不屈の目的意識とやむことのない自己犠牲を通して、人類が示すことのできる最高の美徳を代表する。
新しい教育はこの根本的な問題を取り上げて、家族生活のための訓練と必要条件を設定しなければならない。社会生活の最も基本的なこの面に対して非常にわずかな注目しか向けず、大部分が気まぐれなチャンスに放置されているということは、奇妙なことではないか。
ほとんどの国において、車を運転する権利は年齢とテストによって、多かれ少なかれ厳しく規制され、コントロールされている。医者や看護婦、パイロットや列車の運転手は、いずれも定められた訓練と注意深い準備の後に初めてその有益なサービスを遂行することを許される。そしてそれは、そうあるべきである。しかるに、何百万人もの若い人々が、世界で最も困難なこの奉仕の分野に、大体においていかなる訓練も受けずに突入することが許される。繁殖するための単純な生理的な衝動と女性の“肉体時計”の支配だけで十分と見なされ、繁殖して、この密集した世界にさらに人口を足していく権利が与えられる。
若いカップルは彼らを条件づけているものの他に彼らを導くもののほとんど何もないままに、転生してくる魂を育てはぐくむという微妙で困難な仕事を始めるのである。彼らが条件づけられているものをその子供たちに当然受け継がせ、そのようにして愚行と無知が永続していく。かくして、この神聖なる奉仕への新しいアプローチという光が必要なのである。
今日、この問題にさらに追加され増大している展開がある。家族生活の分野における性的実験の増大が親と子供の関係の本当の特性についての誤解と歪曲につながっている。子供は魂の家族の中の一つの魂である。これがその家族の単位に、様々に異なった関係の中で、多くの転生にわたって一緒につくってきたカルマを解消する機会を提供する。
ハイアラキーは同性愛者の敵ではないが、同性愛の男女が子供たちを育てる権利をますます要求していることは間違いであり、子供にとって良いことではない。
性的趣向が何であれ、すべての人間が転生の特質と目的について深く考えるべきである。それは、模範を示し、指導を与え、神の大計画にそって成長・進化するためのカルマ的な機会を提供してくれる母親と父親を必要とする魂の育成である。どのような理由にせよ、もし人がこの任務を果たすのに不適切だと感じるならば、この人生において賢く自己犠牲を行うことの方が最も賢明なコースかもしれない。?
2002年10月

光の時代

――覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

各時代に、同時代の人々をはるかに抜きん出る者が何人か出現する。彼らの天賦の才は顕され、天性は輝き渡り、すべての者がこれを見、そして賞賛する。そのような人々は、人間を己自身について、そしてその可能性について認識を増大させていく方向につながる仕事をなし遂げた偉大な発明者であり、画家であり、作家、音楽家、科学者である。
近年において彼らの注目は、科学と人間の知識の拡大に向けられてきた。これが、今までは達成の望みさえかなわなかったほどのスケールで、人間のマインド(識心)を目覚めさせる道を整えたのである。人間は今日、これまでの達成をすべて影の中に投じてしまうような新しい啓示と発見の瀬戸際に立つ。  この来るべき時代は「光の時代」として知られるだろう。そして、そのあらゆる意味と顕現を含めた光が人間の起源となるだろう。見る目のある者にとって、人間が「光の部屋」に通じる扉を叩き始めている徴はすでに見えている。人間が新しい洞察とテクノロジー(科学技術)が意味するものに取り組むにつれて、古くからの闇と無知は消え去っていく。間もなく、「光の科学」が、聖なる科学が、人間の驚嘆した凝視の中に明かされるだろう。そうして人間の進化の旅路における一つの重要な目標が達成されるだろう。
現在まで、ほんの少数の専門家のみがこの「光の科学」に接近することができたのだが、この恩恵をすべての者の利益のために使えるようにするためのステップがすでに取られている。エネルギーおよび光についてのすべての人間の必要は、簡単にかつ安全に満たされるだろう。太陽そのものがこの目的のために利用される。「マイトレーヤの旗印」の下に愛において団結し、人間は星々への新しい通路を創り出すだろう。人間が自然の神秘を探究するにつれて、自然はその秘密を明け渡し、すべての底に横たわる秩序だった美を明かすだろう。
かようにして、新しい、より簡素な生活が、マイトレーヤと彼の弟子たちの導きのもとに始まるだろう。人間は喜んで過去の分割を放棄し、生きとし生きるものすべてと新しい調和の中に入るだろう。
永い間、人間はこの調和への鍵をあこがれ求めて、空しく探しまわってきた。彼らの最高の志向と努力はいつも無駄に終わった。いま初めて、一体性についての認識が目覚めはじめ、分かち合いとより正しい安全な線に沿って生活を立て直す必要性が人間の心(マインド)に印象を刻み始めている。
新しい時代、「光の時代」はわれわれの頭上にある。そしてこの来るべき時に、人間は、彼らの祖先が持ち得なかった、あるいは無視したインスピレーションと導きを見つけるだろう。今やついに、人間とハイアラキーの覚者たちは、兄弟同胞愛と信頼という共通の絆に結ばれて、一緒に働き、前進するだろう。わたしたちの模範によって、人間は鼓舞され、超人間的な努力で達成をなし遂げ、光をすべての心(ハートとマインド)にもたらすだろう。
そのようになるだろう。そのようにして、創造の偉大なる秘密は明かされるだろう。そのようにして人間は創造者となり、自分自身の運命の調節者となり、「神のような存在」となり、「人間」の名前に相応しい存在となるだろう。
1989年9月

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