その調子で頑張って
編集長殿
2014年11月13日の午後5時30分頃、私はパリのシャテレ地区にあるレスコ地下鉄駅の外で、マイトレーヤの再臨を伝えるチラシを配っていました。周りにはたくさんの人々がいて、すべて順調でした。ハンサムな30代の男性で、サングラスをかけて帽子を被り、髪をドレッドヘアにしている人が、手に1枚チラシを持って私の所へ来て、会話が始まりました。チラシを読んでいて彼が注意を引かれたのは、『マイトレーヤ』という言葉だと言いました。彼は続けて、彼の両親から霊的な教育を受けてマイトレーヤを知り、現在、人間の中に戻ってきた仏陀であることを知ったと言いました。その釈迦牟尼仏は現在の再臨を告げてきたのであり、釈迦牟尼仏の言葉は真実だと言っていました。私は彼の言葉に驚きました。通行人を眺めながら、彼は「ここにいる人々はそのことについて知らないし、誰もマイトレーヤが帰還していることを知らないので、伝えてもらわなければならない」と言いました。さらに続けて、「闇の勢力はいまだに攻撃をしかけているから、ほら、いくつもの国々では戦争が荒れ狂っているし、ここでは人々が携帯なしではもはや生きていけないようだ」と話していました。会話は続いていき、私がマイトレーヤの再臨の背後にある理由や彼の優先順位についての話題を切り出すと、彼は「えぇ、知っていますよ」と言っていました。それからチラシを見て「あなた方はラジオ局も持っていますね?」と言いました。私が「はい、私たちはマイトレーヤの再臨を伝える教えを基にした講演をしています」と説明しました。「私の両親もそれを全部聞いているに違いないと思いますよ」と彼は言いました。彼は立ち去りながら「今やっていることをやり続けて!」と言ってくれました。そう言うとすぐに彼は階段を下りていき、地下鉄駅の中に消えていきました。
私の会話は覚者のお一人とのものでしたか。
イザベル・ゴニン
フランス、ゴメッツ・ル・シャテル
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】
道の上の兄弟たち
編集長殿
2015年2月23日の暗くなってからの夕方、私は不思議な出会いをしました。私は30年以上住んでいる場所の近所を頻繁に散歩しています。郊外の地区で、暗くなってからでさえ歩くのにとても安全なのですが、日暮れ後は散歩している人に出会うことはありませんでした。その晩、外はとても寒かったので、散歩中の誰かに会う機会はさらに少なくなっていたのです。
私がかなり薄暗い通りにいて歩道を歩いていた時、近づいてくる人影が見えました。その人が近づいてきたので、私は歩道の右側に立って彼が右側を通れるようにして、二人共が歩道の上を歩けるようにしました。ところが近づいてくるにつれて、彼がどちら側を選んで歩くのか、はっきりしないような素振りを見せました。間近に迫った時、彼は真っ直ぐに私の前に歩いてきたので、私は彼と、まさに顔と顔を突き合わせた形になりました。暗かったので、30cmほどの近さになるまで彼の顔は見えませんでした。彼は黒人の男性で40歳くらいの人でした。彼は右側にいる私の目を見て、手を伸ばしてきました。私は手袋(とても寒かったので)を外し、彼と握手しました。彼が挨拶をしてくれたので、私も挨拶を返しました。私の条件づけられた心からは、彼がおそらくお金を求めてくると予想しましたが、そうではありませんでした。彼は真面目な顔つきをしていて、私もそうだったはずです。握手を交わしてから、私が「おやすみなさい」と言うと、彼も同じようなことを言いました。それから私たちは歩き続けました。その出会いのことを少し思って、振り返って後ろを見た時には、暗すぎて彼の姿は見えませんでした。
散歩の残りの時間、私はこの出会いについて考えていました。一緒にいた時感じたことは、彼が古くからの信頼できる友人か兄弟のようだったことでした。これは単に気さくな通行人だったのか、それとも特別な方だったのですか。最近私は『マイトレーヤの教え、いのちの法則』という本を本気で勉強しています。
ケン・ゲイツ
米国、カンザス州オーバーランドパーク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】
時間通り
編集長殿
私は、各地域へ向かう四つの車線が集まった交差点でバスを待っていました。そのバスは1時間に1本だけでしたが、何らかの理由で時刻表の時間に来ませんでした。列車の駅までは6kmあり、歩道は1mくらいの雪が積もったままで、そこを歩くのは、道路を行き交う車の中を進むことになるので、危険なことでした。私は列車に乗るしかないことになり、これまでやったことのないこと、ヒッチハイクをすることを考えていました。
私が近くの脇道まで歩いていくと、一人の若い男性が方向転換するために停車しているのが見えましたが、彼には、止まってくれるよう私が手を振っているのが見えていませんでした。私はその状況を少し恥ずかしく感じ、一体私のために止まってくれる人なんて、見つけられるだろうかと思いました。その考えが心の中に形作られていた時、1台の車が突然私の前にあって、窓を下ろして停車しました。古い型の高級な黒いセダンの運転席に、満面の笑みを浮かべた年配の男性がいました。窓に近づく前から私には、彼が何を尋ねられるか知っているという感じがしていました。私は「もしかして列車の駅に行かれるということはないでしょうか?」と言いました。彼は微笑んで、少し荒々しくうなずくと、ドアのロックを外しました。私の一部はためらっていましたが、他の部分は、彼が本当に私のために来たかのように感じていました。車に乗り込むと、最初に気づいたのは、座席がマシュマロの上に座るような感じで、とても心地よかったことでした! その男性が「また会えてうれしいです」と微笑みながら言ったのです。私は「どこかでお会いしましたか?」と尋ねましたが、反射的にそう言っただけで、後になると彼が私に言ったことをほとんど忘れてしまいました。
彼は楽しく、陽気な人で、恐ろしいようなところは微塵もなかったのですが、私はどうしても用心深くなってしまって、親切を目の当たりにしてさえ、まだ少し慎重になっていました。私を助けてくれた親切に、やたらとお礼を繰り返した後、彼が駅まで運転してくれる間、ちょっと神経質におしゃべりをしていました。車の中はめちゃくちゃで、ポテトチップスや他のスナック菓子の開いた袋や、あらゆる物で後部座席が覆われていました。ふと気づくと、車には明らかに何の臭いもしなかったのです。食べ物もチップスも車の臭いも何もしないのです。少し奇妙だと思い至りました。肩越しにのぞくと、白いテンガロンタイプのカウボーイハットが運転席の後ろにあるのが見えました。それはとても大きなものでした。彼は「後ろの席の私のカウボーイハットに気づいたかね?」と言いました。私は はいと答えて、このような天気の良い午後にどこへ向かっていたのか尋ねました。彼は友人たちに、いわゆる「年寄り連中」に会いにいくところだと言いました。彼は私にイディッシュ語〔訳注:米国や東欧などのユダヤ人移民の間で話される言語〕を知っているか尋ねてきました。私は少しだけと答えて、私の継父が彼の「年寄り連中」とトランプをしているのを思い浮かべました。それで私は彼がトランプをするのか尋ねると、彼は「ポーカーだよ」と答えました。彼はそう言いながら、ダッシュボードの灰皿に並べられた、たくさんの赤と白のポーカー用のコイン型チップを1枚手に取ると、私の手に押し付けてきました。この道程のあらゆる奇妙な点を理解しようと、コインを眺めていましたが、それを彼に返しました。運転席の日除けにもまた、たくさんのピンや不思議なものが挟んでありました。私の周り中に気になる『物』がいっぱいだったのです。ついに駅に到着して、私は彼の親切にお礼ができる方法がないか尋ねました。彼は瞳を少しキラキラさせて微笑むと、頬へのキスを指差したので、車を降りる前にさっと済ませました。
その『場面』全体はあまりに奇妙で、同時にとても優しく思いやりにあふれていました。それはまるで、私が助けを必要とするちょうどその瞬間に、車がまさしく現れたといえるものでした。列車まで歩きながら、何が起こったのか考えていて、シェア・インターナショナル誌の中で、私たちに助けが必要な時、常に助けがあるものだと気づかせてくれていたことを思い出しました。それが覚者からの助けであろうとなかろうと、大変に感謝しています。
この男性が誰だったのか教えていただけますか。
M.ティハニ
米国、ニューヨーク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】