現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2014年 12月号 レイト・ライト・ショー

レイト・ライト・ショー

編集長殿
2014年8月31日に、友人たちと夕食を共にし、夜遅くまでおしゃべりをしていました。
午後11時50分頃、皆で外へ出た時、空に6個のオレンジ色の光があり、北東から急降下してきて真っ直ぐな線上に並ぶと、45度の角度で昇っていくのを目撃しました。完全な平和と愛と優しさの感覚が私たちに注ぎ込まれ、それらは美しいものでした。
私たちが楽しみながら眺めていると、7番目そして8番目の少し小さめの輝くオレンジ色の光が、初めの6個に追いつこうとしているかのように現れました。そのように動きながらも直線の形を保ち、均一な速度で滑るように移動していました。
それらが道路脇の一本の巨木の背後を通過した時、再び現れるところを見ようと、私は家の前に走っていきましたが、消えてしまっていたのです。それはとても特別な挨拶のように思えました。
オレンジ色の光は何でしたか。
ジェニー・ウォーカー
英国、ランカシャー州オールダム
【ベンジャミン・クレームの師は、そのオレンジ色の光が火星からの宇宙船のグループであったことを確認した】

特別の手配

編集長殿
夫と私は二人の娘と一緒にインドから英国での休暇中で、2014年5月20日にパリを訪れていました。英国へ戻る列車に乗るために向かう道中で、私たちのバッグが盗まれてしまい、その中にはいくらかのお金とクレジットカードと帰りの列車の切符が入っていました。
私たちはすっかり弱ってしまい、家族は皆英語を話せましたが、状況を理解してもらうのが大変に困難だとわかったのです。出発の時刻が迫っていたので、駅に戻るためのタクシーを捕まえましたが、タクシー運転手がとても助けになってくれました。幸運なことにまだ携帯電話を持っていたので、そのタクシー運転手の助言でクレジットカードを停止できました。パスポートを持っているとわかったときには、心底ほっとしたものです。
列車が出発する20分前には駅にいるはずでしたが、私たちは遅くなり、切符がないことも説明しなくてはなりませんでした。わかってくれる人はおらず、私たちは本当に困ったことになりました。一人の女性が近づいてきて、助けがいるか尋ねてくれてから、切符がなく、列車の時刻に遅れてもいたのですが、何の難しい手続きもなく私たちを案内して、列車は今にも出発するところで、私はそれ以上早く歩けない状態だったにもかかわらず、私たちを乗せずに列車は出発しないと請け合ってくれたのです。ついには彼女が私たちを列車に乗せてホイッスルを吹くと、列車が発車しました。少しおかしいと思ったのは、駅の入口にいた人が、列車を発車させるようなホイッスルを吹く権限を持っていたのかということです。
親切なタクシー運転手やあのとてもきれいな女性は、そのような素晴らしい助けとなってくれましたので、彼らが誰であれ、私たちは心からありがたく思っており、彼らの助けを神に感謝しています。私はインドの自宅に届くシェア・インターナショナル誌を読んでいますが、この二人の親切な人たちは実際に私たちを助けるために、神から遣わされたのではないだろうかと思っているのです。もし彼らが覚者方であったなら、それを知るのは素晴らしいことだろうと思うのですが、誰であったとしてもこれ以上ないほどの感謝をささげることでしょう。
ユマ・クチマンチ
インド、ハイデラバード
【ベンジャミン・クレームの師は、その助けがイエス覚者によって始められ、彼の助手を使われたことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

思い出の歌

編集長殿
(1)夫と私はオランダの島々の一つに数日間滞在していました。夫が病気で休養が必要だったのです。
朝のホテルの中で、1950年代の歌が私の頭に浮かびました。「ケ・セラ・セラ、何事もなるようになる。未来のことなど予測できない。ケ・セラ・セラ」というものです。
私たちが朝食を取りに行くと、給茶機のところに一人の男性が来て、私の隣に立っていました。彼は70歳くらいの典型的な年金生活の人でした。驚いたことに、彼がとても柔らかな声で同じ歌を歌い始めたのです。その後すぐに彼はいなくなってしまいました。これは明らかに偶然ではあり得ないのではないでしょうか。この歌を50年間耳にしたことはありませんでした。(1)彼は特別な方でしたか。(2)その日の午後、2014年9月22日でしたが、エコ・マーケットにイタリア人の歌手がいて、彼女もまた『ケ・セラ・セラ』を歌ったのです! 彼女も特別な方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『典型的な年金生活者』がイエス覚者の代弁者であり、(2)その『歌手』もまたイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

人生の教訓

(2)10月25日に、私がベンチに座っていると、一人の若い女性が近づいてきました。彼女はおそらくオランダ領アンティル諸島(訳注:カリブ海の島々)の出身のようで、素敵な長いドレッド・ヘアにしていました。私が少し体を動かすと、彼女が「あなたの隣に座りに来ただけのことで、そんなに陰険な顔する必要はないでしょう」と言ってきました。
なんて攻撃的なのかと、私はびっくりしていました。私は彼女が誤解していることを伝え、ただ「とてもすてきな女性だから、たぶん話しかけても大丈夫」(私はいつもマイトレーヤについて人々に話しているので)と思っただけだと話しました。けれども彼女は聞く耳を持ちませんでした。自分の意見を変えず、私が彼女を白い目で見たと言い続けました。
いつもの私は理性的でない人々に対して、すぐに我慢できなくなるので、黙り込むか、ほんの少し伝えるだけにするのですが、この時には彼女が落ち着いてくれるように願いながら、彼女に向かい続けたのです。他の人が抱える問題を人は決してわからないものです。私たちはもう少しの間、ベンチに隣同士で座ったままでしたが、私が帰る時にはお互いに笑みを浮かべていました。
私には、他者をもっと理解していくことについて、そしてシェア・インターナショナル誌11月号の読者質問欄にあったように、より友好的になり、もっと機転のきいた人になるべきだという、まさにレッスンを受けたという思いがあります。
彼女は特別な方でしたか。
ナンシー・デ・グラーフ
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がイエス覚者によって教訓を授けるために遣わされたことを確認した】