現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2014年 6月号 すべてを語る

すべてを語る

(以下の3通は同じ人物からのものです)
編集長殿
(1)2013年11月9日にバルセロナの中央公園で、他のグループメンバーたちと一緒に、マイトレーヤの出現についてのチラシを配っていました。私は、笑みを浮かべて携帯電話で話をしながら歩いていた、30代の若い男性に近づきました。彼は長髪の巻き毛でした。私は予定されていた講演のカードを渡しました。彼は受け取ると近くのベンチに腰を下ろして読んでいました。彼が電話を終えたので、私は彼の隣に座って、手短に現在の世界の状況やマイトレーヤと覚者方の出現について説明しましたが、彼は遮ることなく真面目に耳を傾けてくれました。話し終えると、彼に私を信じてもらうことを期待していないと伝えようとしましたが、そう言い終える前に、いきなり彼から遮られて、驚くような断固とした言い方で「もちろん、あなたを信じますよ!」と言われて、さらに続けて「私が誰か知っていますか?」と尋ねられました。私は彼の茶色の瞳を真っ直ぐに見つめ、「いいえ、知りません」と答えると、彼が「私はマイトレーヤです。マイケルが私のカルマ上の名前です。あなたの名は?」と言われました。私は「マイテ」とつぶやきました。彼は私と握手をし、立ち上がると去っていきました。
ある所で、彼は振り返って私を見ました。彼はマイトレーヤでしたか。私には大変驚くようなことに思えました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

誘導尋問

(2)8、9年くらい前に、バルセロナでの、アースデーのフェアに出したブースで、マイトレーヤの出現についての情報のチラシを配っていた時、30代で茶色の髪にサングラスをかけた男性が私に近づいてきました。彼は『ヒッピー』のような恰好をしていました。キリストの再臨について彼に簡潔に説明すると、彼から、いまだに私の頭の中で響いている質問を尋ねられたのです、「人類は再臨に対する準備ができていると信じていますか?」。自動的に私は「はい」と答えて、それがすでにキリストがおられる理由だと言いましたが、その当時は、私も疑いを抱いていたことであったと思うのです。今では、年月も経って、とても多くの人々の意識に変化が起こり、その問いに対して私自身が大きく変化し、心の底から世界は本当に再臨への準備ができていると信じています。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

レモン・エイド

(3)およそ1年半前の2012年に、私の姉がレモンの木をくれました。それをバルコニーに置いていました。夏に向かう頃、木にレモンが一つだけ実り、家族で分けました。けれども昨年(2013年)の夏が終わって、もっとたくさんのレモンの実が、次の夏には実りそうにない気配を感じて、何だか悲しくなりました。ところが数日後、花がいっぱいについて、30個以上のレモンが実ったのです。そんなにたくさんのレモンを、しかも秋に実らせた、何か特別なことがあったのですか。
マイテ・モヤノ
スペイン、バルセロナ
【ベンジャミン・クレームの師は、レモンの木がイエス覚者によって祝福されたことを確認した】

保護

編集長殿
私の住む地域、栃木県那須塩原市は、福島原子力発電所からの放射能のホットスポットに指定されています。
2014年2月25日に、市から派遣された6人の作業員が、庭の除染をするために私の家にやって来ました。一人はとても若い人でしたが、後の人たちは年配の方たちでした。彼らは謙虚で礼儀正しく、一般に作業員に対して私が持っていたイメージと、まるきり違っていました。作業員のリーダーの人は大柄な男性で、隣に立っていると、まるで大きな木の隣にいるような気がしました。そのグループは全体的に思いやりの気持ちがあって、心安らかになる感じでした。それで私はずっと、彼らは何者なのだろうかと思っていました。彼らは普通の作業員とはあまりに違っていて、とても不思議で神秘的だったのです。
10時30分頃、私はお茶とお菓子を出しました。彼らは、「どうもありがとうございます」と言いながら、慎ましくそれを受け取ってくれました。午後もう一度お茶を出した時、さらに3人の作業員がいて、全部で9名になっていました。それで急いでその3人にもお茶を出しました。その時、リーダーとは別の年配の男性が私に話しかけてきました。彼は木の切り株に腰を下ろしていました。彼と顔が向き合うと、彼がクレームさんとあまりにも似ていたので、私はとても驚きました。彼は日本人であるにもかかわらず、背の高さもがっちりした骨太の体格も顔立ちも、白髪頭や私を見ている眼差しまでが、まさにクレームさんにそっくりだったのです。私はなぜそんなにも似ているのだろうかと思っていました。私たちは主に庭の木々について話をしました。
その後彼らは作業を終えて、片づけをして3台のトラックに乗り込み、帰っていきました。ちょうど帰っていく時、私は庭で茶碗などを片付けていました。彼らは車のクラクションを鳴らしてお別れを言ってくれました。私がお辞儀をしてお礼を言うと、年配の白髪頭の男性が、他の全員も一緒にお辞儀を返してくれました。彼らを取り巻く雰囲気はとても普通と違っていて、清々しいものでした。
私は彼らの我が家への訪問が祝福だと思いました。後になってシェア・インターナショナル誌の3月号が届いて、ページを開いた時、クレームさんの写真を見て、先日会ったあの男性と本当にそっくりでとても驚いてしまいました。
白髪頭の男性は特別な方でしたか。
I.Y.
日本、栃木県那須塩原市
【ベンジャミン・クレームの師は、『白髪頭の男性』がマイトレーヤであったことを確認した。他の8人はイエス覚者と彼の弟子たちであった】

直言

編集長殿
2014年2月15日に、東京の練馬区江古田駅近くで、公開伝導瞑想会を開きました。前日に東京では大雪だったので、交通機関はまだとても乱れていました。私たち4人は参加者を待っていましたが、20分過ぎても誰も現れなかったので、私たちだけでビデオを見ることにしました。ビデオが始まると間もなく、一人の年配の男性が入ってきました。彼はつばの広い帽子を被り、薄茶色のサングラスをかけ、カジュアルな上着を着ていました。彼が「知り合いにすごく誘われたから来たのに。彼は来てないなぁ。次の回に来るつもりなのかなぁ」と言っていました。
ビデオ上映の間、彼はうつむいて座っていたので、きっと寝ていると思いました。私は司会をしていたので、ビデオを見ておらず、すべてのメッセージを見逃している、この男性に対して、その後の質疑応答をどう進めようかと考えていました。
けれども質疑応答が始まると、彼は非常に雄弁に語り始めたのです。
「僕が寝ていると思ってたと思うけど、寝てないよ。この人(クレーム氏)は本当にいいことを言っているなぁって聞いてたんだよ」。そして、さまざまな事業の中で、セシウムを含まない野菜を育てる野菜工場を所有している話をしていました。続けて彼は他の話題について話したり、私たちの意見を尋ねたりしました。
「世界で、日本が誇れる一番大事なことって何だと思う?」
メンバーの一人が、「平和かなぁ?」と答えました。
彼は、「日本国憲法第9条第1項というのは戦争に負けて、日本が世界で一番最初に出したものなんだ。第二次世界大戦で広島と長崎に原爆が落とされて、民間人も含めて600万人が犠牲になった。その犠牲の上にできた法律なんだ。日本人としてこんなすばらしいものないじゃないか? 日本人としてこれだという誇りを持ちたいじゃないか! 伝統や文化とか色々言うやつもいるかもしれないけど、これが一番だと思わないか?」と話しました。
メンバーの一人が全体的に一般の人々はそれを認識していないと言いました。すると彼は「だったら、あんたが周りに言えばいいんだ、初め戦争がどうして始まったのか知っているか? 当時の天皇が、軍部に勝てるかどうか2回聞いた。『はい、勝てます』と言われた。でも念のため、再び使いを送って、同じ質問を聞きに行かせた。そして確かに勝てますと言われた」。グループの一人が、その人は勝てますと言ったけれども、本当はそう思っていなかったということを話しました。その時、その男性が、「ちょっと待て! 心の内で思っていたなんて重要じゃないだろう? それならなぜそう言わなかったんだ? 後からならどうとでも言える。その時に言うことがとても大事なんだ。言ったことが大事なんだ」と声を荒げて言われました。
彼は何度も何度も私たちに、ベンジャミン・クレーム氏が話していることは本当に真実だが、私たちがどう解釈して、理解するかが大切なことだと言っていました。その男性は80歳だと言っていましたが、60歳くらいにしか見えませんでした。彼の話を聞きながら、自分の本当に思っていることとは、違うことを発言していることがあったのを思い出しました。このことは率直さの重要性を気づかせてくれました。
彼が私の考えとは反対のことを言ったり、彼自身の考えで簡単に実行していたりするのを聞いてとても驚きながらも、この人物は私の性質や囚われを教えてくれているに違いないと思っていました。
メンバーの一人が、その人は 2013年7月にこの会場に来て、新しいエネルギーに反応する人たちは若い人だが、「若い」というのは、肉体の年齢ではなく、心が「若い」ということだと、私たちに話をした人と同じ人物だと言っていました。この人は特別な方でしたか。
Y.T.
日本、東京都
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】