現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2014年 4月号 見かけがすべてではない

見かけがすべてではない

編集長殿
2014年3月に、私の娘や友人と一緒に、マイトレーヤの出現についての講演に参加するため、ソリアからバルセロナに向かっていました。列車の駅に到着すると、荷物を持っていたのでタクシーでホテルへ行くことにしました。
駅の外に出るとタクシーの停留所へ向かいました。平行に並ぶタクシーの列が二つあり、私たちは手前側の順番待ちの列に並びました。とても背の高い男性が、乗客のためにタクシーのドアを開け閉めしていました。彼は私たちを見ているようにも、見ていないようにも思えました。彼は長髪で黒いレンズの眼鏡をかけていました。正直言って、私はそのタクシーには乗りたくなかったのですが、そちらの方へ引っ張られるように感じたのです。
タクシーの所へ行くと、後ろのバンパーの横が壊れていて、テープで留められていました。私は「あらまあ、これは良くなさそうだわ」と独り言を言いました。
彼は私たちの荷物を入れるためにトランクを開けました。友人が自分のバックパックを入れて、娘と私が荷物を入れようとした途端、その男性がトランクを閉めようとしたのです。彼はもうトランクの中には空き場所がないと言いながら、謝ってきました。私が中をのぞくと、物でいっぱいで、もう何も入れられないと分かりました。それにはびっくりしました。
タクシーに乗って出発すると、平和と安らぎのエネルギーを感じ始め、ほんの10分の距離でしたが、ドライブを楽しんでいました。
さらにお伝えしたいのは、彼の手がとても大きかったことで、片手はハンドルに、もう一方はギアハンドルに置いていましたが、指2本だけでギアを変えていたのです。
この男性が誰だったのか教えていただけますか。覚者のお一人だったのでしょうか。
マリア・ホセ・ロペス
スペイン、ソリア
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】


実現した夢

編集長殿
バレンシアにある伝導瞑想グループのメンバーの息子さんは13歳になりますが、以下のような夢を見て、何か意味があるのか知りたいと思っています。
「夢はレバンテにある地元のサッカーチームのスタジアムでのことでした。僕は誰かを探していましたが、それが誰なのかは分かりません。僕はサッカー場に一人で、周りには何もなくて、サッカー場の端に更衣室がありました。それで誰かいるのか見に行っても、更衣室は閉まっていて、突然、ローブを着た男の人がどこからともなく現れて、僕に話しかけてきました。話を聞いていても何も怖くなく、その人がマイトレーヤなのか尋ねるという考えが頭に浮かびました。僕が尋ねると、微笑んで『そうです』と言いました。それから彼にハグをして、彼は再び話し始めましたが、何を話したのかは覚えていません。僕が、『なぜ僕にこのこと全部を話すのですか』と尋ねたのは覚えています。その後、彼が話し始めたことで僕が覚えているのは、それが人間のハートをオープンにして、この世界をより良くするのを助けるためだと言ったことです。その時、もう彼は助けに行かなければならない、世界を改善するために話をしに行かなければならないと言いました。僕は一緒にいて欲しいので行かないよう頼みましたが、彼はまた会うことになるだろうと言いました。その瞬間、僕は目が覚めました。夢の中の男の人は誰でしたか? ありがとうございます」
P.R.
スペイン、バレンシア
【ベンジャミン・クレームの師は、夢の中の男性がマイトレーヤであったことと、その夢がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】


ソフトな着地

編集長殿
私が子供だった頃の、35年以上前のある体験についてお尋ねしたいと思います。私は11歳くらいでした。弟とその友人たちの所へ出かけていて、そこには地面が陥没した穴の縁の、一番高い所に生えている木の枝にくくられた、ぶら下がるためのロープがあって、穴の上を揺らして動いて楽しんでいました。穴の底はごみの捨て場になっていて、4.5mかそれ以上の深さはあったはずです。その遊びが面白そうに見えたので、私は(弟とは違って)殊の外身体能力に自信のある子供ではなかったし、いつもはそういったことに加わらないことになっていたにもかかわらず、やってみることにして、他の子供たちとロープによじ登り、穴の上をぶらぶらと揺れ動いていました。これはすぐに私にとっては辛くなり、どうしたわけかロープを握っていられなくなり、あまりに辛くなって(愚かにも)ロープを離してしまい、下の穴へと落ちたのです。相当な高さでした。一枚の窓ガラスの上に背中から落ちて、頭の向きを変えると、先のとがったさびた犬釘からほんの30㎝の所にいると分かりました。奇妙なことに、落下しても全く痛みがなく、どこにも怪我がありませんでしたが、その時には魔法のようだと思ったのを覚えています。まさに柔らかな羽根のベッドに落ちたようだったのです! それからさびた犬釘を避けられて幸運だったと思ったことも覚えています。
他の少年たちと弟が私のことを本当に持て余していたので、私は全く何ともなかったこともあって、かなりご機嫌な状態で、一人で歩いて帰っていました。その時、歩きながら声を聞いたように思うのですが、とても優しく、それでいて少し厳しいところもありました。その声は、「あなたの身体の面倒を見なさい。それは大切な乗り舟なのです。不必要な危険にさらしてはいけない」というようなことを言いました。完全に正確な言葉ではないかもしれません。けれども私は歩き続けながら、少し恥ずかしさを感じていました。
私はただ幸運だったのか、それともその『ソフトな着地』は何か特別な助けの結果でしたか。
マーク・ウッド
英国、ウェストヨークシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『特別な助け』がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】