現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2013年 12月号 補完通貨:ケニアのスラム社会で付加価値を生む

補完通貨:ケニアのスラム社会で付加価値を生む

ニールス・ボスによるウィル・ラディック氏へのインタビュー


素晴らしい考えは遠くまで広まる傾向がある。例えば、スイスのWIR、これは大恐慌の最中に企業家グループによって導入された補完通貨である。1930年代にこれらの男たちは、スイスの中小企業(SMEs)が金融危機の影響に何とか対処しようともがいているのを目にしてきた。地域社会にはいまだ必要が満たされていないものもあったが、未使用の資源もたくさんあった。一方で、多くの取引が行われるのには通貨が十分になかった。そこで彼らは地域社会の物品とサービスにリンクしたバウチャー(引換券)に裏打ちされた、組織化された物々交換制度を実施した。それがスイス・フランが不足した時でもお互いに取引を行うことを可能にした。
WIRとういう言葉は、“wirtschaftsring(経済の輪)”から来たものだが、wirはドイツ語では“we(われわれ)”であり、一体性や連帯を意味している。今日ではスイスの全中小企業の4分の1がWIRネットワークのメンバーであるばかりでなく、そのモデルそのものが世界中で複製・実施され、成功している。
おそらく最新のもので、最も興味深い追従例が、ケニア、モンバサのバングラデシュというスラム社会から出てきた。運営を始めてわずか数カ月で、バングラ=ペサ補完通貨は特にスラム社会の多くの女性事業家の生活を向上させ、国際社会からその業績を評価されている。しかしながら、そのプログラムは、同じような速さで、ケニア中央銀行の注目を引き寄せた。奇妙な事の成り行きから、これは文書偽造に当たるという嫌疑をかけられ、その創設者であるウィル・ラディック氏を含む6人のプログラム関係者の逮捕につながった。プログラムの継続と拡散が中断されたことで、これが早過ぎる終わりとなるのか、発展性のあるイニシアチブの始まりを意味することになるのか?

ニールス・ボスがシェア・インターナショナル誌のためにバングラ=ペサの創設者である、物理学者で経済学者のウィル・ラディック氏をインタビューした。
1930年代のスイスの中小企業にとってうまくいったことが、ケニアのスラム社会の小企業にも機能するのだろうか、と私は疑問に思った。
そこには明らかな違いがあるにもかかわらず、ウィル・ラディック氏はその展望には肯定的であった。

「WIRで理想としていることは、一群の事業家たちの間に安定をつくることです。このネットワークには6万余の事業が所属していますが、彼らにスイス・フランが足りないか、スイス・フランが弱いときに、彼らの取引を助けているのです。ですから、それは、不況の間は景気循環対策と安定化の役割を持ち、物々交換や代替取引が盛んになると、お金を他の用途に使えるように自由にし、実際にその概念は1日1ドル以下で生活する人々に応用することができるのです。バングラ=ペサは補完通貨の傘の中に入りますが、これはかなり広い傘を提供するのです。それを他の普通のプログラムから際立たせているのは、われわれが社会の最も底辺にいる人々を相手にしているということです」

ラディック氏はケニアの状況を説明した。
「ここケニアでの貧困に関しては、市場が単に停止すると、多くの“経済的な交通渋滞”が起こります。そしてそれはかなり定期的に起きるのです。これは先進国では実際にあまり経験がないことでしょう。ここケニアでは文字通り経済が停止し、市場がそのまま閉鎖されることがあるのです。例えば、決まって定期的に制度的に金銭不足が発生し、交換の手段が不足するので、子供たちの学校の授業料を支払わなければならない1月には市場から完全にお金がなくなるのです」
「しかし市場は今までと同じ能力、つまり仕事量をこなす受容力があり、たくさんの人々が物品やサービスをお互いに交換し合うのに、文字通り通貨が十分にないのです。この不足で引き起こされる負荷は、この地域社会の女性に最も重く影響を与える傾向があります。女性は大きな仕事量と労働力を担っていますが、男性事業家の方がその事業からより多くの利益を上げています。この性の格差に加えて、女性は家事という比較にならないほどたくさんの、子供や年寄りの世話のような仕事をこなすという二重の重責を担うのです」

ラディック氏は、バングラ=ペサネットワークはその75%がいつも貧困ライン以下に陥る女性事業主で占められていると説明を続ける。一般的に、彼女たちは幾つもの仕事をかかえて、月々の蓄えをする手段を見つけることができないでいる。この傾向の典型を示す一人の事業家、フェイス・アティエノさんは、毎日5時間の家事をこなしながら、3人の子供を養うためにお粥と平パンを売っている。コル・ケニアという地域社会組織が徹底的な予備調査を行って、この補完通貨が性の格差とケニアのスラムで「バングラデシュ」として知られる地域の経済的不安定策の一つとして見込みがあることを発見した。コル・ケニアが見いだしたことは:

女性の家計支出のうち、大部分が地域の事業仲間から購入されていること。
毎年決まった月の週の幾日かは、地域の通貨不足が原因で、売上は最低に落ち込んでいること。

バングラ=ペサの導入

この調査発見に続いて、コル・ケニアは「バングラ=ペサ」と呼ばれる交換手段を開発した。これは何百という個々の小企業を企業ネットワークに組織することでケニアのバングラデシュ地域の地域経済を強化安定させる働きを持つ補完通貨である。

再びフェイス・アティエノさんを例にとって、ラディック氏は次のように説明する:
「通常の交換日には、フェイス・アティエノさんは10ケニアシリングを払って他の女性から水を買っています。水売りの女性は、その10シリングで料理用の木炭を買います。木炭の売り主は平パンをフェイスさんから買います。これで買う人々の循環の輪が完結するのです。この状況で、フェイスさんか他の誰かがお金の持ち合わせがない時には、バングラ=ペサ交換券が地域の経済が停止するのを防ぐのです。バングラ=ペサは度々起きている法定通貨の不足時でも利用できる交換手段を提供することで、そのような障壁を回避させるのです」

さらに、ほとんどのバングラデシュ・ネットワークの事業主たちは幾つもの仕事をかけ持ちしているのだが、それでも家族の基本的な必要をやっと賄うだけの稼ぎしかないので、彼らは四苦八苦して医薬品や教育に使う費用を蓄えようとしている。地域で基本的な必要を満たす交換と支払いにバングラ=ペサを用いることによって、ケニアのシリング通貨を教育や健康に回したり、蓄えたりすることができる。バングラ=ペサは紙の交換券として、あるいは約束手形の形で発行され、物品やサービスの支払いに人の手から手へと渡って行く。ネットワークに所属する4人の事業家から保証を受けた地域のどの事業もバングラ=ペサの信用情報を受け取ることができる。これらすべてのグループは小企業の集る大きなネットワークの一部であり、バングラ=ペサはネットワーク全体で有効である。
業績については、ほんの数週間の活動を行っただけで、事業ネットワークのメンバーたちは彼らの毎日の売上が20%上昇している。コル・ケニアの調査では、最低でも事業の22%がバングラ=ペサで行われていることが判明した。そしてほとんどの人が日々の売上の増加を見ているので、この数字はこの交換手段がなかったら起こらなかったであろう追加売上を表している。

長期的には、コル・ケニアは地域市場の安定が増すだろうと見ている。この安定と取引の増加の根本的な牽引力は、メンバーの取引余剰能力である。研究によると、バングラデシュの事業はまだその潜在能力のほんのわずかしか使っていないことを示している。例えば、自転車タクシーは1日20人の顧客を相手にする力があるかもしれないが、一般的には10人しか相手にしていない。バングラ=ペサを使えば、他のネットワークのメンバーが余分に持つ物やサービスと交換して自転車に乗せてやることが可能である。これは市場の全体的な効率を上げ、市場が経済的不振期間を乗り切るのを助ける。そしてほとんどの事業が女性によって運営されているので、取引の増加は補完通貨が性の格差に直接的に対処する可能性を示している。

国際機関やメディアにこのプログラムが賞賛された他のもう一つの要素は、費用効率が高いということである。
ラディック氏は次のように誇らしげに指摘する。「このプログラムの材料費はわずか400ユーロ程度です。この400ユーロは、地域社会内でやり取りされる追加取引として、ほんの数週間で取り戻されてしまいます。その効果はスイスの場合と同じですが、今度は1日1ドル以下で人々が暮らす地域の経済に対してそれを行っているのです。安定が増すことの効果は非常に大きいのです。文字通り、私たちは、家族が一生涯で初めていつも食卓に食べ物を用意できるのを見ているのです」
それはよかった、と人々は思うかもしれない。しかし残念ながら、バングラデシュ社会が持続可能で自主独立経済と社会的回復力を獲得したかに思われたときに、ケニア政府は2013年5月29日、このプログラムは国家の安全を脅かすと宣告し、5人の地域社会の人々と、プログラムの創始者であるウィル・ラディック氏を投獄した。究極的に、地方のテロリストグループとのつながりについての主張が根拠のないものであるということが判明したとき、バングラ=ペサ交換券はケニアのシリング紙幣とは全く似てもおらず、交換券だと明白に書いてあるにもかかわらず、ケニア中央銀行の不正監査部門によってグループは偽造文書所持の廉で訴えられたのである。注目すべきは、WIR通貨もまたその当時スイスの銀行からの様々な嫌がらせに直面し、ブラジルのパルマス通貨もより最近のことではあるが同様の目にあっているということである。そういうわけで、歴史的に言って、補完通貨は金融当局から脅威と見なされてきたのである。

バングラ=ペサに関して言えば、国際社会が速やかにそれに対してなされた嫌疑を否定した。ケニアの株式取引所の所長はバングラ=ペサのような金銭貸借契約書は合法であると宣言し、また国連や国際互恵貿易協会のような多くの国際機関が地域主体のプログラムの支持を表明した。パブリック・バンキング・インスティチュートの長であるエレン・ブラウン氏は、ハッフィントン・ポスト紙で、「このアプローチ以外の方法では貧困緩和プログラムは完成しないでしょう。このアプローチはアフリカ中の貧困な社会でたやすく模倣できるのです。計画は、民主的な草の根方式で他の村にもこれを広めて、この大陸全体の人々に地域の交換手段を提供するというものです」

最終的に、何週間にもわたってどうなるか分からず、そして7年の判決が頭上にのしかかったままの状態が続いた後、このグループはケニアの検事から、バングラ=ペサに対するすべての告発は直ちに取り下げられたというニュースを受け取った。ということは、いかなる法規もこのプログラムは侵害していないということを示している。無罪判決の後、コル・ケニアは直ちに、「日々大きくなっている国際的な補完通貨運動」を含め、世界中のあらゆる人々から寄せられた支持に対して感謝の気持ちを表明した。バングラデシュ社会にこのプログラムをうまく再導入する前に、コル・ケニアは二つのことを待っている。没収されたバングラ=ペサが中央銀行から戻されてくること、および政府からの正式なプログラムの承認である。そうすれば、地域社会の手にバングラ=ペサを委ねることと、さらにはそれがケニアや東アフリカに広まることをこの組織が手助けするのに邪魔になるものは何もなくなるのである。

承認を得た後で発表された声明で、コル・ケニアはこの発案の核心にあるのは何かということを再度説明している。「貧困緩和プログラムとして、バングラ=ペサは、われわれの交換手段とどのようにそれが発行されるかを根本的に再考することを通して地域社会の開発の新しい方向を指し示している。それはまた、極限の状態で生きる人々に自分たち自身の交換手段を創出し、自分たちの経済を安定させる能力を与えるものである」
そして結局、補完通貨の長い年月にわたる伝統は、今日この時代においても、それが発祥した場所から遠く離れたところでも社会に影響を及ぼし続けているのである。最後に、私は、この開発はすべての人に歓迎されるものでしょうかと質問をした。

ウィル・ラディック氏は次のようにコメントした。「ある人々は、この種のプログラムは地域社会の分かち合いをどうしてだか減少させる恐れがあり、またどうしてだか物事をあまりにも貨幣化しすぎると私に言いました。実際にはその反対のことが起きているのを私は目にしてきました。これが実際に地域社会を連帯させるのを見てきました。なぜなら地域社会での貨幣不足が人々を自分の殻に引きこもらせる原因になるからです。人々が、『バングラ=ペサを通して私たちはお互いに分かち合うことができる』と感じるとき、実際には多くの人の扉を開かせるのです」

バングラ=ペサとコル・ケニアの活動に関するさらなる詳細は、http: //koru.or.keをご覧ください。