現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2013年 8月号 内なる知覚

内なる知覚

編集長殿
私は最近、ロサンゼルスのヒスパニック書籍出版展示会で、シェア・インターナショナルのブースで活動していました。小さな少女と年配の女性(おそらくその子の祖母)がブースに近づいてきて、光の十字架や他の展示を眺めていました。数分間二人と話をしましたが(二人はバイリンガルでした)、キリストとしてのマイトレーヤの話をしていませんでしたので、マイトレーヤの『手』の写真を見せて、それが裏側から跡が付けられていることについて話をしました。その少女は次の日曜日に始めての聖体拝領を受けることになっていると言いました。彼女に私の初めての聖体拝領が12歳の時だったことを伝えました。彼女はいくつでしょうか。7歳と言っていました。私はすばらしいことだとお祝いを言いました。彼女がマイトレーヤの『手』を持って、私に何か言ってきました。私に聞こえなかったので、もう一度繰り返してくれました。私は値段を尋ねられたと思い、無料だと答えました。彼女が「ううん」と言って、近くに寄るように合図してきました。私がかがみ込むと、その手を指差して「これはキリストの手よ」と言ったのです。私はびっくり仰天して「その通りだよ、すごいね! どうしてわかったのかな?」と言いました。彼女はただ『手』を指差し、祖母と二人で私に微笑みかけると、その場を去っていきました。
二人は覚者方でしたか。おそらくイエス覚者とイエス覚者の弟子でしたか。もしそうなら、イエスが公に自分ではなくマイトレーヤを、本当のキリストであると述べられた初めてのことでした。キリスト教の背景を持つ私のような人間に対してなされたことが、とても意義深いことでした。
ディック・ラーソン
米国、ロサンゼルス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『少女』がイエス覚者で、『年配の女性』がイエス覚者の弟子であったことを確認した】


激励

編集長殿
2013年3月10日に、私たちは1998年に冬季オリンピックが行われた長野県の松本市で、クレーム氏の2010年名古屋講演のビデオ上映会をシアター形式の会場で開催しました。35人ほどの来場がありました。そのような催しを開くのは松本市では初めてのことでした。初めての人が35人というのはなかなか良かったと思いました。来場者には入口でパンフレットなどを渡していたので、ビデオが始まる前に書かれたものを読んでいる人たちもいました。その中の一人の女性が小声で「これは宗教の集まりみたいじゃないの?」と言っていたのです。
日本では、1995年にカルト教団のオウム真理教が、東京の地下鉄で毒性の化学ガスを使用した事件以来、人々は宗教的なものと『マインド・コントロール』をつなげて考え、非常に警戒してしまいます。それで宗教的な意味合いの催しと思うと、参加したがらないものなのです。
ビデオ講演が終了し、短い質疑応答の時間を取りました。その中で私は以下のように話をしました。「上映前に一人の参加者からの『これは宗教の集まりではないか』という声を耳にしました。このことについて一言述べさせていただきます。講演の中でベンジャミン・クレーム氏が言及していたハイアラキーの覚者のお一人が、人々は通常『霊的』という言葉を聞くと宗教を思い浮かべるものだと言っています。これはそのようではありません。宗教的分野以外にも、例えば政治的、経済的分野でも『霊的』であり得ます。しかし、現在の政治や経済は霊的とはほど遠いものです。世界の一方では毎日数千人もの子供たちが飢餓のため亡くなっており、他方、先進国では人々が地球の資源の4分の3を浪費しています。これは霊的ではありません。マイトレーヤがこの世界に戻られた理由は、新しい宗教を創るためではなく、このアンバランスな世界に正義をもたらすよう鼓舞するためであり、私たちの作った、このひどい状態を正すためには、正義と分かち合いが唯一の解決法であることを教えるために戻られたのです。お聞きいただきありがとうございました」
質疑応答が終わって、会場の外に出ようとすると、30代でカーリーヘアの長身でハンサムな若者が近づいてきて、丁寧に「説明をありがとうございました」と挨拶してくれました。
そのような挨拶を受けたことが少し不思議に思えていました。その時には、彼はごく普通の若者だと思いましたが、日が経つにつれて、彼は何者だったのだろうかと考えるようになりました。彼は特別な人でしたか。
M.K.
日本、名古屋
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が東京の覚者であったことを確認した】

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