奉仕―引用選集
本稿には、奉仕に関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(『キリスト・マイトレーヤからのメッセージ』、『マイトレーヤの教え――いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。
あなたがたがわたしを見るとき、この世におけるあなたがたの存在の理由を理解するであろう。
あなたがたは、我が友よ、神の大計画に仕えるためにここに居るのである。
あなたがた一人一人は、兄弟たちへの愛のゆえにここに居る。
またあなたがたは学ぶために、あの大計画についての知識を広げ、その道にそって進むために、ここに居る。
これが、この時期におけるあなたがたの存在の真理である。
わたしがあなたがたに提供するこの機会を、よく心に留めなさい。
わたしの救助の仕事を分かち合って、わたしの重荷を軽くし、あなたの裡なる神を顕し、兄弟たちを光へ導くことである。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 94、p.272-273)
新しい時代の世界がつくられつつあり、すべての者の参加を必要とする。すべての者がこの偉大なる仕事に果たす役割を持つ。?
(『覚者は語る』――マイトレーヤの声――p.380)
両手で未来をしっかりとつかみ取り、美の世界を創り上げる用意をしなさい。絶望を慎み、未来はあなた方の抱擁を待っていることを知り、喜びと愛をもって創造しなさい。?
(『覚者は語る』――未来への道――p.131)
このようにして魂との接触がつくや否や、その個人は何らかの形で奉仕をしたいという欲求を持ちます。なぜなら、魂の目的は奉仕することだからです。そのために肉体として転生してくるの
です。?
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅲ巻』
p.500-501)
わたしの目的は、わたしが世界に存在することを出来る限り早く人々に知らせて、そしてわたしの任務を公に始めることである。
そのためには、わたしがあなたがたの中に在る事実を受け入れる人々の、たゆまぬ奮闘に期待しなければならない。
わたしがここに居ることを、すべての人に知らせて、わたしの道を整えなさい。
わたしの計画は、ある教えを世に放つことで
ある。
その教えは、人間に新しい生き方があること
を、未来への新しい道があることを示す。
あなたがたが、最初にわたしを認知する者の仲間となるように、そして、あなたがたを通してわたしが働くことのできるように。
この役割を担いなさい。
この人生において、あなたがたが出来るこれ以上の崇高な仕事はない。
この仕事に徹して、あなたの兄弟たちに仕えなさい。
人類がわたしの存在を知り、速やかにわたしを受け入れ、そしてわたしの先導に従ってくれることを望んでやまない。
あなたがたは、けっしてわたしを失望させないだろう。
この特権を、この奉仕の贈物を、あなたがたが拒否することはないと信じている。
あなたがたは喜んでこの役割を担い、わたしの任務の負担を軽くしてくれることであろう。
わたしの祝福をあなたがたすべてに与える。
(マイトレーヤからのメッセージ No. 5、p.32-34)
霊的啓明を得るための道として奉仕よりも高位のものはありません。なぜなら啓明自体が奉仕の役割に目覚めることであるから。覚者方は彼らの仕事を「大いなる奉仕」と呼ばれます。我々が進化してやがて覚者道にまで辿り着くとき、宇宙全体を通して、我々が神性と呼ぶものの活動全体を支配している偉大な法は、実際たった一つであることを認識するようになるでしょう──それは奉仕です。神が形をとられ、顕現された宇宙を創造する。
そして神の構成単位である魂は特に奉仕するために転生してくる。我々は構成単位の反映なのです。それ以外の動機はありません。大計画に奉仕するためです。
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅰ巻』
p.307-308)
奉仕とは、しっかりとした考えで、日常の仕事を持続できるリズムでやっていくことであり、あなたの持つすべてのエネルギーと力と集中力を傾けて、しかもあまりにも過労にならないように遂行していくことです。それが適切なリズムを探すこと、すなわちエネルギーを節約しながら自分自身の力を最大限に引き出すことです。
適切なリズムを持つためには優先すべきものの順位を認識し、主要な優先順位の中からでも、さらに選択することを学ばねばなりません。誰もすべてをやることはできないのです。大計画にとって最も価値のある仕事、自分の手元にある仕事を選択し、そしてそれを第一の優先順位としてやらなければなりません。それと同時に日常生活における責任も果たさなければなりません。メディアに接近して話をしたり、伝導瞑想で座っていることで、イニシエーションが受けられるようになるのではありません。人生の中でのみ、イニシエーションを可能にする人格の変容、動機と各体の浄化ができるのです。家庭生活であれ、職業生活であれ、どんなものであれ、絶対に人としての責任を果たさなければなりません。それらすべてをできる限り完全にまっとうしなければなりません。それと同時に弟子としての奉仕もしなければなりません。
弟子にとっての問題は、この世に生活していながら、ある意味ではこの世にいないということです。この二重の関係を維持しなければならなりません。両足でしっかりと生活に根を生やし、自分の道にやって来るあらゆる人間や物事と完全に関わり合い、それらすべてに対処することを学びながら、その大渦巻きの真っ直中にありながら、同時にあの孤立感、内的自己感覚を維持していなければならないのです。弟子は他の誰よりも困難を感ずるのです。
大きな川に洪水が起こったことを想像してごらんなさい。水は橋桁の間を何ものにも邪魔されないで流れますが、橋桁に当たる所は水が飛び散ります。その橋桁が洪水の重みを受け止めることになります。それが弟子の行うことです。弟子は橋桁であり、必然的に生活自体の力(フォース)、衝撃、緊張、ストレスを受けるのです。弟子になることは生易しいことではありません。あなたは自分でそのバランスを探さなければなりません。誰もあなたに教えることはできません。自分なりの方法で、常識を用いて探さなければなりません。
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅱ巻』p.723-724)
明らかに、新しい社会の創造には多くの人手が必要とされる。成し遂げられなければならない仕事は多い。調整されなければならないことは多い。奉仕することを欲する者すべてが、心(ハート)の中に奉仕への召集が響きわたるのを聞くだろう。そして彼らは心(ハート)から応えるだろう。すべての地に住む人々の、正義と分かち合いを呼びかける団結した声は祈願の言葉となり、何者もこれに抵抗することはできない。このようにして世界は変容するだろう。このようにしてマイトレーヤと覚者たちの指導のもとに、新しい形態がつくられ、新しい関係が練り上げられ、人類にとって新しいより幸せな時代が明けるだろう。
(『覚者は語る』――新しい時代の夜明け――p.33)
奉仕は進化の梃子のようなものです。奉仕を通して、我々が奉仕する相手と自分を同認するようになるのです。そして、我々の意識の焦点が自己から他へ移行する。個人的な利己的なところから、非個人的な非利己的なところに移るのです。そして、そうすることによって、もっともっと多くの人々と自分を同一認できる様になる。その道は奉仕を通してです。それが進化過程の梃子として、キリストがパレスチナにおいて奉仕を始められた理由です。なぜなら、我々は奉仕をし始めると、ますます視野が拡がり、より多くの人々と一体化し、やがてすべてのものと一体化できるようになります。自己をすべてのものと同じと見ることができるようになるとき、我々はそのすべてのものになるのです。我々は神であります。我々の神性を解放するのです。
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤと覚者方の降臨』
改訂版p.179)
私の計画は遂行されつつある。
しかし、私がこの世に存在する事実を受け入れる者たちの、最大の奉仕と犠牲が必要とされる。
もしあなたがたがこの事実を充分に広範囲に伝え知らせることができれば、全世界がわたしの顔を見るまでに、あまり長い時間はかからないだろう。
その時間をできるだけ短縮することが、わたしの目標であるが、しかしわたしの存在を宣言する時期を早めるのは、あなたがたにかかっている。あなたがたの奉仕しようとする意志にかかっている。
わたしの民となり、わたしのためにこの仕事をなしなさい。
わたしの友となり、あなたがたの同胞に奉仕しなさい。
わたしの子供たちとなり、神を識りなさい。
人は盲目であるから、わたしがあなたがたに課した仕事は容易くない。
しかし、人類がわたしがここに居ることを知る時には、心から応え、わたしに導かせてくれることを確信している。
わたしの民は到る所に居る。
彼らの仲間に加わりなさい。
彼らの一人となりなさい。
この人生の成果を、栄えあるものとなし、神の大計画に参加しなさい。
わたしがあなたがたにこれを頼むのは、このために、あなたがたはこの世に生まれてきたからである。
あなたがたがここに居るのは偶然ではない、この機会に兄弟姉妹たちに奉仕するためである。
あなたがたに愛をもって与えられたこの機会をつかみとりなさい。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 7、p.37-39)
各国の歴史の中で、その国の魂の特質が一層強力に顕れはじめ、芸術あるいは科学、政治あるいは宗教の領域に主要な人物の登場をもたらす時がやって来る。これが起こるとき、国家の業績に色彩とまとまりを与える有力な男女の出現を見る。非常に創造的な彼らは、そのビジョンで周りの者たちを刺激し、その時代の文化の創造を助ける。彼らは(ハイアラキーの)弟子やイニシエートであり、彼らの国の精神を他の者たちのために明確に表現する。
現在、われわれはそのような強力な人物たちが世界の舞台に登場するのを待っている。内的ハィァラキーの先達のメンバーに訓練され、時の問題に効果的に対処する能力を持ち、霊的志向を持つ男女の集団が、今、存在する。呼び出しの合図がかかるとき(それはもう間もなくであろうが)、彼らはそのためにこれまで準備されてきたその仕事──まったく新しい線に沿ってわれわれの惑星の生活を再建すること──に着手するだろう。
すべての分野で働いているこの献身的な弟子たちの集団が、人類のたどるべき道を示すだろう。
彼らは、そのほとんどが、現在人に知られていない存在である。しかし、間もなく彼らの名前と働きが人間の目に光をもたらし、より良い未来の希望と期待で人々を鼓舞するだろう。彼らは今日、人に知られずに働いている。しかし、その才能と教育をいつでも人類への奉仕のために提供する用意がある。彼らの利他的な愛と賢明なる判断ゆえに、義務感と任務に対する献身のゆえに、彼らは知られるだろう。覚者たちから教育を受けた彼らは、覚者たちの無執着さと知識の幾分かを反映し、混沌とした世界に新しいリズムと秩序をもたらすだろう。
(『覚者は語る』──大いなる奉仕者の出現──p.148-149)
ジュワル・クール覚者は奉仕についてこう述べています。「奉仕とは正しいところにおり、そこに留まることである」と。つまり、あなたがどこに呼ばれようが、奉仕するために正しい位置にいるということを意味するのです。それは自宅であるかもしれないし、世界の果てであるかもしれない。しかしあなたの魂の目的との関連において正しい位置にいることであります。そしてそこに留まるということは、揺らぐことのないこと、不動性を持つことを意味します。
人はよく「私はどこにいるはずなのでしょうか。私はいるべく定められたところにいるのでしょうか。私はやるようになっていることをやっているのでしょうか?」と聞きます。その種の質問は私を苛立たせます。もちろんそのような質問がどこから出てくるのか知っています。魂は目的を持ち、人はその魂の目的に応えるはずになっているという知識から出るのです。しかしそれは、彼らがカリフォルニアとかオハイオとかニューヨークとか、特定の場所にいるべきであるなどということを意味しません。そんな特定のことではありません。
また各個人に可能な奉仕の領域が一つだけあるということではありません。あなたの魂はあなたの奉仕の領域が何であるかを最もよく知っています。しかしあなたが魂との接触を持っていなければ、あなたは知りません。ですから、あなたが引きつけられることを、あなたにとって魅力のあることを、とにかくやっていくことです。あなたがあなたの魂に十分に反応することができれば、魂があなたを正しい奉仕の領域に導いてくれることを確信してよいです。それが正しい位置にいるということです。不動性とはそこに留まっていることです。
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅰ巻』p.364)
今日、進化の道をより速く進みたい者のために、これまでかつてなかったほどに、奉仕して成長するユニークな機会が提供されている。変換の仕事を引き受け、大計画と世界に仕えることによって、彼らは新しい霊的進歩の基準を設定し、そして全体としての人類のためにそのプロセスを速めることができる。これが今の時のチャレンジ(挑戦)である。今日の弟子たちは、後に続く者すべてのために進化の過程を速める機会を持つ。このようにして最も強力なかたちでロゴスの大計画に仕えるのである。奉仕して成長しなさい。奉仕して成長しなさい。これが進化の旅路における前進のカギである。
(『覚者は語る』――新しい世界の夜明け――p.33-34)
パーソナリティーのがらくたを取り除いている間、奉仕すべきでない理由はないのです、彼らはしないのです。「私は用意ができたら奉仕します。そして私は浄化すれば、用意が整うでしょう。あれをやってこれをすれば用意ができるでしょう」。次の50年間瞑想すればとか、この呼吸法をやってとか、あの先生についてとかあのグループに入ってとかいって、奉仕を実際に行うまでにいかないのです。私はそのことを言っているのです。
私は弟子の進化における奉仕の役割に重点を置いているのです。あなたは志向者たちの活動のことについて聞いているのかもしれません。私はハイアラキーの弟子について述べているのです。見習い中の弟子たちもテストされ、奉仕することを要請されます。その人の奉仕能力が証明されると、一人前の弟子となれるのです。弟子にとって必要なことは奉仕することです。弟子のよさは彼の奉仕です。なぜなら弟子は既に自分の魂との接触があるので、もし魂から流れるエネルギーを奉仕に使わなければ、ノイローゼになります。彼の中で害になってしまいます。弟子たちのノイローゼは魂のエネルギーの誤用または無使用の結果です。?
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅰ巻』p.365-366)
わたしは神の目的を識る。
わたしは神の大計画を教える。
わたしは仕えることを願う。
わたしは新しい日を迎え入れる。
わたしは喜びをもたらす。
わたしは人の裡に新しいスピリットを呼び覚ます。
わたしは使命を果たす準備ができている。
わたしはあなたがたをヘルパーと呼ぶ、
わたしはあなたがたの手を取って、本源へ連れていく。
わたしはあなたがたの中に住む。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 100、p.291-292)
私たちは提示されている大計画の一側面に仕えるためにここにいるのです。単に一つの側面ではなく大計画の主要な側面です。すなわち霊的ハイアラキーの外的世界への顕現のための準備です。それは非常に重要なことです。
私たちは重大な時に生きています。このことはいくら強調しても強調し過ぎることはありません。これまでにこのような時期は存在しませんでした。今はユニークな時であり、世界の弟子たちに稀な機会が提供されています。このような特別な奉仕の機会は、これまでいかなるグループにも提供されたことはなかったと思います。マイトレーヤはそのメッセージの中で、何度も何度も「これはかつて見られなかった奉仕の機会である」と言っています。彼がそのように言われたのですから、それが真実であることを確信できるでしょう。これほど多くの人々にこの奉仕への機会が提供されたことはありません──この機会、つまりそれぞれのレベルにおいて、何か非常に重要なことを行う機会です。ですからこのようなグループはこの機会を認識すべきであり、この機会によって与えられた栄誉を認識して、提示された機会に見合うだけの最善を尽くすべきです。競争や貪欲、自己認識(self-awareness)や自己観照(self-contemplation)などのために、この機会を浪費してはなりません。誰でもそのような時期はありますが、仕事に献身していると、めったに見られなくなります。?
(ベンジャミン・クレーム、『協力の術』p.94-95)
マイトレーヤは、人間は彼ら自身の恐れ以外に恐れるものは何もないことを勧告されるだろう。人間が自分たち自身にとっての最大の利益のために行動しさえすれば、祝福された未来が待つことを、そして神の意図こそが人間の持つ最良のものであることを示されるだろう。人間は、自分たちの欲する世界を創造するために行動しなければならないことを示され、彼は救うためではなく、道を示すために来ることを、示されるだろう。マイトレーヤは、奉仕の重荷と歓びを自ら担う者すべてに力を与えるだろう。彼の重荷を分かつ者すべてに油をそそいで聖別されるだろう。?
(『覚者は語る』――神の代理者――p.188-189)
世界奉仕とは世界の必要に仕えることであり、その必要をあなたがどこに見つけようと構いません。しかしこのグループには特殊な役割があります(一般的な意識の目覚めの一部として以外に)隣に住む飢えかけた子供を助けることでも、世界の他の地域にいる飢えた子供を助けることでもありません。このグループは、マイトレーヤの降臨を含めたハイアラキーの外的顕現について、公衆に向かって最初のアプローチをしています。これは極めて大きな任務です。だからといって、隣だろうが世界中だろうが飢えている子供たちを助けることに関わるべきではないということではありません。もちろん、必要に応えるという意味で、できることをします。しかしあなたは自分の時間とエネルギーをうまく組織して、他のグループや個人がやっていない仕事をするのです。マイトレーヤがこの世に臨在されることを伝えているグループや個人がどのくらいいますか。それが任務です。もし誰もがやっているならば、それはこのグループにとっての優先事項とはならないでしょう。
まさにこの理念の特異性ゆえに、そしてまたそれによって提供される圧力や困難や機会ゆえに、マイトレーヤの降臨の事実を知らせるために世界中から人々を引き付け集めることのできる力と磁力性があるのです。私たちの仕事はマイトレーヤの世界への意図に応え(それが世界奉仕に関係することです)、そしてマイトレーヤが世界に出現するための条件を生み出していくことです。これは大きな仕事です。ですから、必然的に、私たちはそれに注目を集注して、エネルギーを様々な方向へ分散させないようにしなければなりません。
(ベンジャミン・クレーム、『マイトレーヤの使命 Ⅱ巻』p.664-665)
もう一度あなたがたに愛について、分かち合いと正義について語りたい。
なぜならこれらがあなたがたの生活の基礎であり栄冠であるから。
人類が愛と正義と分かち合いを識るとき、神を識るであろう。
あなたがたは、以前に愛について聞いたけれど、それを実践するのをむずかしく思うのではないだろうか。
何故そうなのだろうか、我が友よ、あなたがたの本性は愛そのものであるのに。
本質的にあなたがたは神である、そして神と愛はひとつである。
あなた自身であるところのものを顕しなさい、我が兄弟姉妹よ、そして神々になりなさい。
愛と正義と奉仕の実践を通る道よりも、速やかに神に至る道はない。
奉仕し、愛において成長しなさい、我が友よ、そしてあなたの神性を実現しなさい。
愛と奉仕を通して成長し、わたしと共にあなたがたの本源へ還りなさい。
(マイトレーヤからのメッセージNo. 106、p.310-311)
このようにして、すべての福利のためにマイトレーヤは働かれる。「偉大なる奉仕」が再び彼を日常生活の舞台に呼び、その呼びかけに彼は喜んで応えられた。マイトレーヤと共に奉仕して、世界を変えなさい。彼は一人でやることはできない。マイトレーヤの手は、彼が言われたように、法によって拘束されているのである。
マイトレーヤの出現が完了するとき、現在舞台脇で待機している者たちを行動へ駆り立てる合図となるだろう。世界中に彼の言葉は流れ、すべての者に、人生に対する彼らの権利を主張し、過去の分離を永久に放棄することを奨励するだろう。
今、マイトレーヤと共に変化の先導者の中に立ち、正義と真理を求める大きな叫びにあなたの声を加えなさい。
(『覚者は語る』――転換期――p.79)
すべての人間にとって今こそ世界に奉仕する機会なのです、なぜなら今日の問題と、そして問題に満ちたこの世界から新しい世界へ、新しい時代への変容は決して二度と繰り返されないからです。新しい時代というものはあるでしょう。しかし現在は世界の歴史における、そして人類の歴史における危機点なのです。そして今日の問題は繰り返されることはないでしょう。ですから、私たちは、いくらかでも関心を持ち、様々な方法で関心を示した者たちは、この時が短いことを覚えておきなさい。そして全力を尽くして、集中力と意気込みをもって、世界にマイトレーヤと覚者方の臨在の事実を知らせる仕事を果たしなさい。
(ベンジャミン・クレーム、『全人類のための世界教師』
p.62)
現在の無秩序の状況の中から、マイトレーヤは新しい、より良い秩序を築かなければならない。何千万の人間の苦悩の中から、彼は新しい世界をつくり出さなければならない。
誰が、マイトレーヤの救助の仕事を援けるのか?
誰が、マイトレーヤの大義のために馳せ参じて、兄弟姉妹を助けるだろうか?
今こそ、かつてないほどに、労して世界に奉仕する機会がある。新しい世界が生まれようとしているのだ。
マイトレーヤは、人間を彼ら自身の生得の権利の中に掲げようとしている。
新しい、そしてより幸せな世界の創造を鼓舞しようとしている。
偉大なる主は、一人ひとり個々の人生に尊厳と価値を付与しようとしている。
マイトレーヤは、彼のヘルパー(助力者)たちをどこに見つけるだろうか?
応える用意のできている者は誰か?
愛の主を援助する勇気を持つ者は誰か?
マイトレーヤは、すでに彼が頼ることのできる者が誰かをご存じである。
マイトレーヤを見る用意をしておきなさい。
あなたの決意をぴかぴかに磨いておきなさい。
任務の膨大さにうろたえてはならない。
何事をするにも、気取らずに、真心を込めてやりなさい。
マイトレーヤは輝かしい白馬に乗って急速に近づいてくる。
マイトレーヤのマントラ(言霊)は、「恐れるな!」
やがて、すべてが新たになるだろう。
やがて、すべてが「光」のもとへ戻るだろう。
これを念頭に置きなさい──「あなたの兄弟の必要をあなたの行動の尺度となして、世界の問題を解決しなさい。それ以外の道はない」
(『覚者は語る』──マイトレーヤのお出まし──p.568-569)
(注)『マイトレーヤの使命 Ⅱ巻』第20章「奉仕への召集」の中で、この記事についてより詳しく述べられています。ご参照ください。
新たなる奉仕
人類がキリストを見るまでの時間は実に短いゆえに、その重大な出来事に対する予想される反響をいくらかでも考慮しておくことは賢明であろう。第一に、人間は新しい状況に、まったく未知の不思議な状況に目覚めるだろう。生きている人間の経験の中でそれに似たようなものは何もないだろう。その特別の日に思考が放送されるのを、以前に聞いたことのある人間はどこにもいないだろう。人間が彼らの神性への呼びかけを、地上における彼らの存在へのチャレンジ(挑戦)を聞いたことはかつてないだろう。そのひとときの間、各人が一人ずつ、厳粛に孤独に、自分の人生の目的と意味を知り、幼年時代の恵みを、自我欲に汚されていない志向の純粋さを、新たに経験するだろう。これらの貴重な数分のあいだ、人間はいのちのリアリティー(実相)に完全に参加することの喜びを新たに知り、遠い過去の記憶のように、お互いがつながり合っていることを感じるだろう。
突然、人間は今までの自分たちの人生が薄っぺらなものであり、人生を貴重なものにするすべてのこと――同胞愛と正義、創造性と愛――が大多数の者にとって欠けていることを悟るだろう。多くの者は初めて、自分が価値ある存在であることを、物事のもくろみの中で大切な存在であることを知るだろう。不慣れな自己尊敬の感覚が彼らの現在の絶望感に取って代わる
だろう。あらゆる種類の麻薬は人間に対する支配力を失うだろう。慎ましい感謝と良きものを切望する思いのうちに、涙が静かに流れるだろう。
その時以後、新しい神聖の気分がこの地球に充満するだろう。人はしばらくの間、忍び足で歩くだろう。しかしながら、間もなく、世界に必要とされる変化は膨大で、多様であり、忍耐と献身、想像力と信頼が必要とされることを悟るだろう。やがて、至るところにおいて、人は再建の仕事に、世界の復興の仕事に従事するだろう。貧しく飢える者たちの救援が誇らかに行われ、そうして人間の直中にある冒涜に永遠に終止符が打たれるだろう。大勢の人間が初めて、必要が満たされるという幸せを静かに味わうだろう――もはや、飢餓のために死んでいく形骸が豊かな者たちのスクリーンに映し出される恥はなくなるだろう。もはや、人は自分たちの兄弟が目の前で死んでいくのを眺めることはないだろう。そのようにして、人類種族の歴史の中の暗黒の一章は終わるだろう。
規模において比類のない変化が、人間の心(ハートとマインド)をつかむだろう。新しいものの猛襲の前に生き延びるのは、過去のものの中の最良のものだけだろう。日ごとの変容が記録されて、人はそれを比較し、感嘆するだろう。新しい世界は真っ昼間の輝く光の中で建設されるだろう。すべての者が、それぞれの方法で参加し、各人がそれぞれのビジョンを加えて総体に貢献するだろう。
多くの者にとって、キリストの臨在そのものが問題を提起するだろう。彼らが長い間持っていた信念がその根底から揺さぶられるだろう。彼らにとって、新しい啓示の意味を理解しようとするとき、己の心を探る期間が必然となるだろう。古くからの信念はなかなか死なず、その過程においてひどく傷つくだろう。にもかかわらず、何百万の人々はうれしい心(ハート)で反応し、彼らの直中にいる大教師を喜んで受け入れるだろう。時を経るにつれて、マイトレーヤという方に表されるキリストが再び地上を歩いておられるという一般の認識に対立する者は、ほとんどいなくなるだろう。
この時のための準備の仕事を先導してきた比較的少数の者たちは、彼らに別の奉仕の分野が提供されることを発見するだろう――広大な範囲の教育の仕事である。あらゆるところから質問が出されるだろう。長い間感じられていた知識への渇望は堰を切ったように溢れ出して、その堤防を破るだろう。多くの者がこの出来事の背景と歴史を知りたがるだろう。他の者にとっては、差し迫った将来のことが主な関心事であろう。さらに他の者はすべての説明を分析し、質問する必要を感じ、結局最後にいずれにしても、彼ら自身の信念以外には満足しないだろう。であるから、偏狭と高慢という非難を避けるために、説得と臨機応変の才が日課とならなければならない。世界的に様々な協会や団体が彼らの役割を果たして、必要な教えの広範囲な配布を保証するだろう。提供される教えはまだたくさんあるが、しかし、すでに授けられた教えで人間の手の中にあって開かれもせず、読まれてもいないものがたくさんある。多くを読む習慣を植え付ける努力をすることを勧告する。系統だった教えの勉強とマイトレーヤの教訓を実際に生きる真摯な努力が、教えるために必要なバランスと権威を与えるだろう。各人が、そのようにして準備を整えて、この新たな奉仕の機会に自分自身を供することができる。それを敏捷に、そして慎ましい誇りをもってつかみとることを勧告する。
(『覚者は語る』――新たなる奉仕――p.381-384)
奉仕への召集
奉仕への召集がかけられるとき、真剣な弟子にとっては、提供されたその機会を両手でつかみとることが必要である。召集が二度繰り返されることはめったにない、なぜなら覚者たちは浪費する時間を持たないから。「多くの者が召集されるが、選り抜かれる者は少ない」という言葉があるが、それは「多くの者が召集されるが、応える者は少ない」と解釈されるべきで
ある。
大いなる奉仕において、さようである。選り抜かれた者のみが、大計画に仕える機会が授ける祝福を認識する。奉仕は神聖なる義務であり、弟子たちにとってこの地球上における逗留を何転生も短縮することを可能にする。多くの弟子たちがこのことを知っているのだが、最も軽い任務にさえ尻込みする。多くの者が、昔、自分がたてた誓いを忘れて、心の裡に感じる不安を無視する。覚者たちが悲しげに頭を振りながら、(召集を)待っている光(弟子たち)の中を再び捜し求めるのは、いわれがないわけでは
ない。
奉仕する者すべてが、自分が奉仕していることを自覚しているわけではない。魂の、覚者の呼びかけに対する彼らの反応は非常に本能的であり、彼らは躊躇することなく大胆に飛び込む。彼らは非常に非自己集中的であり、世界の必要のみが彼らの唯一の関心事である。彼らは息をするように奉仕する。しかし、時代の必要に関連した奉仕をする者は非常に少ないのである。内界にいる覚者たちは、いくらかでも大計画を知る者たちを、そして自分が優先すべきことについて健全な考え方を持つ者たちを、捜し求める。わたしたちは、強い熱意を持ち、愛と犠牲で燃え立つ心(ハート)を持つ者を捜す。そのような勇敢な者たちをわたしたちの直中に迎え入れて、喜んで奉仕の分野を提供する。そうして、わたしたちは脇へ寄って見守る。繰り返し繰り返し、彼らの当初の喜び勇んだ歩みは遅くなり、そしてためらいがちになるのである。彼らの明るい期待はあまりにもしばしば倦怠と疑いに変わり、高尚な志向は萎え、そして消滅する。
これらの悲しい出来事の中に、信の欠乏が不気味に浮かび上がる。信なしには、永続するものは何も達成されない。ただこの特質を欠いたために、これまでに多くの有望な弟子たちが失敗した。時代を通じて、様々な教えが信の必要性を強調してきたのは、いわれがないわけではない。
信は奉仕のまさにハート(中心)として考えられてきた。
信とは、盲目的な受け入れや単に信じることを意味するのではない。それとは逆に、本当の信とは、直観が、魂の声が内的な認識を促すときにのみ生まれるのであり、あらゆる反論を乗り越えて、心(ハート)があなたに告げるのである──これは真実だ、と。その瞬間が訪れるとき、この新しく見いだした真実をしっかりと握りしめて、そして『そこに留まっていなさい』。
妬みや疑いの声があなたを攻め立てるとき、落ち着いて自分の任務を固守しなさい。あなたの心(マインド)はあなた自身に属するものであり、何を考えるべきかをあなたに指示する権利を持つ者は誰もいないことを覚えておきなさい。
賢明なリズムを培いなさい。それが奉仕の自然な拡大を可能にするだろう。時々思い出したように奉仕をすることを慎みなさい。なぜならそのようなやり方では、勢いはみな失われてしまう。
あなたは大計画に奉仕するためにここに存在するのだということを覚えておきなさい。あなたは気づかないだけであって、それがあなたの魂の願いである。あなたが自分の魂との接触
をつけていくにつれて、経験の客観化が起こりはじめる。魂は好みも欲望も持たない。その目的と一致調和するものとだけ交わる。その目的とは、進化の大計画に最大限に仕えることである。
覚者たちの影響が学習と経験の分野を提供する時がやってくるだろう。それによって、いま門口に立っている者たちが光と知識の領域に入り、自分自身で本来の己の姿を知るだろう。多くの者が新しい時代の創造を待っている。それは現存の機構に深遠な影響を及ぼすだろう。奉仕し、そして成長しなさい、奉仕し、そして成長することがあなたの人生の基調となるべきである。
(『覚者は語る』――奉仕への召集――p.304-306)