現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 1月 ヨーロッパ研修会質疑応答

ヨーロッパ研修会質疑応答

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【以下は2007年9月にオランダのケルクラードで開かれたヨーロッパ伝導瞑想研修会におけるベンジャミン・クレームとの質疑応答を編集したものである。研修会のテーマは「全人類の世界教師」に関するものであった。】
Q マイトレーヤは自己満足感がすべての悪の根源であると言われます。私たち自身や他の人々のうちにある自己満足感にどう対処すべきでしょうか。
A あなたが対処できるのは自分自身のうちにある自己満足感のみです──それを除去しなさい。あなただけが、あなた自身の自己満足感を取り除くことができるのです。それは性格の欠陥です。一種の分離感であり、あなたはそれを克服しようとしなければなりません。他の人々については、もしそれが全体としての世界に強い影響を及ぼすような自己満足感であるならば、あなたが出来ることは、説得し、意見を述べることだけです。もし、より小規模な個人レベルのことならば(ある程度、自己満足していない人はほとんどいないでしょうから)、彼らが自分自身でそれを克服するに任せることです。  それは深刻なグラマー(幻惑)であり、世界には分離というものは存在しないという事実について無知であることの結果です。顕現している宇宙全体にある最小の原子とその他の原子との間に分離はありません。すべての魂が、そして私たちすべてが肉体に転生している魂なのですが、宇宙にある他のすべての魂と関連しているのです。  ですからあなたが実際できることは、自分自身の自己満足感に対処することのみです。もしあなたがそれに気がついたら、取り除きなさい。それに気がつかないならば、あなたは自由になれません、世界を助けることはできません。なぜならあなたは、あまりにも自己満足的なのでその必要を見ることさえしませんから。しかしマイトレーヤはそれをあらゆる悪の根源であると呼ばれます。お金のことではありません。お金は単なるエネルギーであり、エネルギーは良くも悪くも使われます。それは非個人的です。お金は非個人的なエネルギーであり、良い使い方も悪い使い方もできます。広い一般的な規模で良く使うこともできるし、あるいはそれを蓄えて、すべてをあなた自身や自分の家族のために増そうとし、そしてあなたの子供たちに相続させ、彼らがそれをまたその子供たちに渡すことを願うこともできます。  それは恐怖心から生じる大きなグラマーです。人々は恐れるから、世界に直面できないから、自己満足感に陥ります。自分の責任に直面し、人生の真の目的と意味に直面するのをあまりにも恐れており、そして自己満足的になります。他の人々のことを忘れます。海の向こうの人々、異なった皮膚を持ち、異なった宗教をもつ自分の知らない人々とのつながりを認知しません。  それが人々を自己満足感に陥らせるのです。それは好都合なのです。自己満足感は人間としてのあなたの真の責任からあなたを切り離します。あなたは責任ある『存在』としてこの世に転生しています。赤ん坊は、生まれた当初は、自己満足的な大人よりもずっと理非の分別があります。赤ん坊は魂としてこの世に入ってきます。目的を、通常いくつかの目的を持って生まれてきます。そのうちの最も基本的な目的は、正しい人間関係の確立です。魂は、もしその反映であるパーソナリティー(肉体人間)が自己満足していれば、正しい人間関係をつくることはできません。自己満足はただふところ手をして、世界を包含するための努力をしないことです。それはあなたがいくらかの金を貯め込んで、いくらか快適で、‘安全’であるときのみ、そうすることができるのです。そうしてその中にどっぷりとつかり、世界はどこかへ行ってしまい、あなたをそっとしておいてくれることを、あなたを煩わせないことを願うのです。  自己満足とは、自分よりもずっと哀れむべき環境にある他の人々について知ることを欲しないことです。
Q どこから始めるのがよいですか。まず私たち自身を磨くことに努めるか、あるいはマイトレーヤと覚者方の降臨とマイトレーヤの優先事項についての情報を広く伝えることですか。
A ‘自分自身を磨くことに努める’というのは、あなたのアプローチの仕方によって異なります。あなたの注目を自分自身に完全に集中させ、そうすることであなたは自分自身を磨いていると考えることを意味するかもしれません。人々が、「あなたは自分自身に夢中になっており、自分以外には興味を持たないですね」というと、あなたはこう言うかもしれません。「でも私は秘教(オカルト)の学徒だから、それをすることが最も大切なのです。秘教の教えを学ぶそのような弟子にとっては自分自身を磨くことが義務です」  自分自身を磨くとは、何を意味するのか。自分自身を磨くということは、責任を背負うことを意味します。あなたは自分自身の性格を改善することに取り組み、そして他の人々を彼らの性格の特質によって認知するのです。人がより進化していればいるほど、彼らの思考はより深く、より信頼でき、より創造的でしょう。これらはすべて人生の責任を受け入れるということの特徴です。  自分自身を‘開発する’とか、自分の注目を自分自身に集中する、すなわち自分自身を‘磨く’ということは、通常全く何の意味もなしません。それはしばしば何もしないことの、つまり外的世界に注目を払わない、マイトレーヤと覚者方の一団が世界におられることを世に伝えようとしない、マイトレーヤの優先事項について、そして変化の必要について世に知らせようとしないことの言い訳でしかありません。  あなたが自分自身を磨くことと、マイトレーヤについて世界に知らせることは分離していません。同時に両方ができるのです。もしあなたがマイトレーヤについて本当に世に伝えているならば、あなたは自分自身を磨いているのです。そのように思えないかもしれませんが、しかし実際にそれをやっているのです。演壇に登って、50人あるいは500人の聴衆にマイトレーヤと覚者方のグループの到来について、そしてそれが人類にとって何を意味するのか、その意義とそれの結果について、それに関連する人類の行動(それは最も重要なこと)について話をするうちに、あなたは変わらざるを得ません。話の仕方を考え、まとめ、講演をするということは、あなた自身を磨いているのです。マイトレーヤの優先事項について話をする代わりに、それとは別に行うというものではありません。自分自身を磨くことなしに、マイトレーヤの優先事項について語ることはできません。  秘教の教えの学徒のほとんどにとって自分自身を磨くということは、アリス・ベイリーの書物を読むことのようです。彼らは、明けても暮れてもそれを読み、ブルー色の本をいつも小脇に抱えて、コーヒーを飲むたびにそれを取り出し、そして何時間もコーヒーショップに座り込んで、ときどきページをめくりながら、あたりを見回し、それについて考えることが‘自分自身に取り組んでいる’ことなのです。これが多くの人々のやっていることです。全く無益です。アリス・ベイリーの書物は素晴らしいです。そしてそれは真剣に読まれるべきです。しかしそれはあくまでも書物にすぎません、それは思考と同様に行動を刺激することが意図されているのです。  自分自身を磨くということは行動です。仕事であり、実際に働くことです──演壇に立って、自分の不安や恐怖心を克服し、口を開いて、他の人々に話をすることです。たった一人に向かってだろうが、5~6人だろうが、500~600人だろうが関係ありません。2人に話をすることも、200人に話をすることも、同じ努力が必要です。同じ言葉を語るのですから。2人ではなく200人ならばラッキーですが、いずれにしろどこかからか始めなければなりません。  私がこの仕事を始めたばかりの頃を思い出します。聴衆が4人しかいなくて、しかもその4人が全部、以前にこの話を聞いたことのある人々だったこともあります。はじめのうちは容易ではありませんが、少しは勇気を持たなければなりません。勇気を持つためには、このストーリーをよく勉強し、何を言いたいのか、それについて考えることで、自分自身を磨いていかなければなりません。機械的に記憶することではなく、それを最もよく表現するにはどうするかを考えることです。それが人々にこの話を提供するための準備をするために働くということなのです。この話を提示することは、自分自身を磨いていることなのです。そうすることであなたは成長するのです。  成長するために、自分自身を磨くのです。そして成長するための最良の方法は、人生の中で成長することです。世の中にあって奉仕することで、あなたは成長します。成長せざるを得ません。家にいて書物を読むことは、あなた自身を真に磨いていることにはなりません。それは逃避です。ただ書物に頼っているならば、たとえアリス・ベイリーの書物であろうとも、あなたは決して向上しないでしょう。  いずれにしろ、人々は書物を正しく読みません。あまりにもたくさんの本を、私の本でさえ、読み過ぎています(いや、私の本をたくさん読み過ぎることはできません、ちょっと口をすべらしてしまいました!)。しかし、もしあなたがそれらを正しく読むならば、今語っていることと全く同じことを、私は本に書いていることが分かるでしょう。  あなたは行動することで変わります、行動することで、本当は自分自身に取り組んでいるのです。マイトレーヤについて世に知らせることと分離した活動ではありません。もしあなたにとって最も重要なことは何かと尋ねるならば、それはマイトレーヤの到来でしょう。彼はキリストです。偉大なるアバターです。あなたを通して世界を変えるために、彼は来られたのです。もしあなたがコーヒーを飲みながら、アリス・ベイリーの書物を読み、‘あなた自身を磨いている’だけならば、マイトレーヤはどのようにしてあなたを通して、世界を変えることができるのですか。
Q 私たちは信頼について、そして「すべてが良くなるだろう」ということを知ることについて話をしました。そこに自己満足感が忍び込んでくるのではないかというコメントを述べた人々がいました。信頼と、しかも仕事をしなければならないこととのバランスについてコメントをお願いします。
A 信頼は、自己満足とは全く関係がありません。自己満足は恐怖心の結果です。信頼は確信の結果です。あなたの魂がこれは本当だと告げるあの確信、これは信じられることであり、信頼できると思うあの信頼の確信です。マイトレーヤだったか覚者だかが言われました、「信頼しなさい、すべては良くなるだろう。あらゆる事柄は良くなるだろう」と。だからといって彼らは、あなたがふところ手をして何もしないで、自己満足的になることを期待しているのではありません。  信頼とは何かを理解しなければなりません。信頼とは確信です。これはそうであろう、例えば、すべてが良くなるだろう、そしてやがてそうなるだろうということの確信です。だからといって、その間あなたは何もしないで、自己満足的になり、「構わないよ、世界に何百万もの飢えている人々がいようとも、あるいはマイトレーヤについて知っている人々は世界にほんのわずかしかいなくても、私には関係ない。それについてもう少し何かをすることはできるけれど、別にどうということはない。すべては良くなるだろう」というようなものではありません。それは自己満足であり、信頼ではありません。それらは異なったものです。  覚者が「すべては良くなるだろう」と言われるとき、彼はそれを意味しており、恐怖心を除去するためにそれを言うのです。恐怖心が行動を妨げます。もしあなたがすべては良くなるだろうという確信を持つならば、あなたの行動を抑制する恐怖心から解放されて働くことができます。あなたが全く行動しなくてもよいということを意味しません。それと逆です。あなたが信頼して、恐怖から解放されればされるほど、より役に立つことができ、あなたの行動の範囲もより大きくなるのです。  信頼と自己満足は大きな差があります。あなたが信頼(確信)をもつならば、自己満足でいることはできません。もし自己満足しているならば、あなたは信頼(確信)をもちません。
Q 私たちはカルト組織だという人々にどのように答えればよいですか。
A 「あー、そう? カルト組織? カルト組織って何?」と聞きなさい。彼らは言うでしょう、「説明するのは難しいけど、あなたたちはそうだよ。」「あー、そうなの? それは良いことなの、悪いことなの?」「通常は悪いことだ」と彼らは言うでしょう。するとあなたは言います、「ではキリスト教はどうなの? キリスト教は300年間、カルトと呼ばれていたのだけど」「本当? それは知らなかった」と彼らは言います。するとあなたは言いいます、「ほらね、いつも何か学ぶことがありますね?」
Q シェア・インターナショナル誌の2007年10月号に載った覚者の記事の中に、‘普通の’人々と世界にいる弟子たちの間にある隔たりが除去されるとありますが、それについてコメントをお願いします。
A このことに関して覚者が意味されたことは、マイトレーヤと覚者方が公に世界で働かれ、教え、メディアなどからの質問に答えるようになるので、会合に出席したり、そのようなラジオやテレビの番組を視聴する一般の人々に教えることになるだろうということです。彼らは人々に、不朽の智恵の教えのより簡単な基本的な面について理解させるでしょう。そうすることで、アリス・ベイリーやH・P・ブラヴァツキーの書物を読まない平均的な一般の人々と、それらを読む人々の間に現在存在する隔たりを縮めるでしょう。  現在は、ある程度不朽の智恵の教えを少しでも読んだ人々と、読んだことのない‘一般の(普通の)’人々との間に隔たりがあります。それゆえに、弟子たちが平均的な一般の人々に話を理解してもらうのが困難なのです。これまでは弟子たちによって行われてきたこの活動に、比較的単純なレベルにおいて、覚者方ご自身がアプローチすることで、この隔たりを縮めようとする試みです。  これは、人類一般に、人生のまさに土台である秘教の教理の法則に親しんでもらうための非常に歓迎すべきことだと思います。今日、近代西洋文明の中にいる平均的な一般の人間は、(おそらく第5光線の影響ゆえに)濃密な物資界より上位にあるものの存在を認知しない、あるいは受け入れない傾向があります。しかし不朽の智恵の教えの学徒は、これは始まりであり、基本的な時点であり、すべてが相対的であり、その相対性には終わりがないということを知っています。永遠に拡大していく「実相」についての意識があります。  いま、一般の人間と平均的な不朽の智恵の教えの学徒との間の隔たりに橋を架けるために覚者方はご自身で直接に大衆に接近して、基礎的な秘教の教えを伝えようとしています。それは当然、教えを読み、ある程度それを実践している人々と、そうではない人々との間に橋を架けることになり、隔たりを縮めるでしょう。
Q メディアはわれわれの情報を事実に関連させるのが困難だから何もしないのですか。事実あるいは証拠が欠けているからですか。
A ネルソン・マンデラ氏が、27年間の牢獄生活の後に突然釈放されて、新しい南ア連邦の大統領になったのは事実です。それは事実であり、その事実はシェア・インターナショナル誌に掲載されています。マイトレーヤがマンデラ氏の独房を訪れて、大統領に手紙を書いて、南ア連邦の将来について討議するために会いたいと伝えることを、彼に提案したのです。マンデラ氏は笑って、「私はこの刑務所の所長にさえ会うことができないのに、大統領などとんでもない」と言いました。マイトレーヤは、「それはよく分かっている。しかしとにかく手紙を書きなさい。あなたが手紙を書けば、あとはわたしがやろう」と言われたのです。そしてその後はマイトレーヤが行ったのです。彼は大統領が祈りを捧げているときに接近して、南ア連邦の人種隔離政策(アパルトヘイト)を終わらせる時期が来たということを彼の心(マインド)に刻みこんだのです。大統領は祈っていたので、それを心(ハート)に刻みました。神が彼の祈りに応えられたと思ったのです。彼は真摯なクリスチャンでした。彼は神に語りかけ、何をすべきかを問いました。そして答えを得たのです、「人種隔離政策を終わらせる時期が来た」と。その結果は皆が知っています。 これらは事実ですよ。メディアはそれを信じるか、信じないかのどちらかです。しかしこれらのことは途方もないストーリーです。彼らはそれを知っています。彼らは人生の大半をストーリーのために費やしている人々ですから。  私は1982年5月14日にアメリカのロサンゼルスで記者会見を行い、およそ100人の記者団に話をしました。このストーリーの全部を話しました。集まったジャーナリストは様々な種類の人々でした。徹底したファンダメンタリスト(伝統固執主義者)もいました。全くこの話に反対している人々もいました。しかし多くのジャーナリストはオープンな心(マインド)で聞いていました。世界に分かち合いと正義の必要について触れたとき、彼らは拍手をしたのです──誰にも拍手などしたことのないあの頑固なジャーナリストたちがです。私のこの話に、この単純なストーリーに拍手をしたのです。最後に私は、ジャーナリストがロンドンへ行って、マイトレーヤを探すかたちだけでも行うことを、もし彼らがそれをすれば、マイトレーヤは前面に出て来られるだろうという話をしました。  BBC(イギリスの国営テレビ)は、それと同時に放映した番組の最後にこの記者会見の模様を衛生中継でつなぎ生で放送しました。私が、マイトレーヤが住んでおられる場所として発表したそのロンドンに彼ら(BBC)はいたのです。アメリカのメディアはBBCに、それについてどうするのかを尋ねたところ、彼らは「何もしない」と言ったのです。アメリカ人は言いました、「なぜ何もしないのか、これはすごいストリーリではないか」。BBCは、「すごいストーリーだということは分かっているが、もっと確実な証拠を待っている」と言ったのです。  その「もっと確実な証拠」は、彼らが私の頼んだことをやることによってのみ、すなわちロンドンに行って、アジア系移民社会の中で、形だけでもマイトレーヤを探そうとすることによってのみ、得ることができるのでした。  これらのジャーナリストたちのなかの力のある地位にいる人々が、マイトレーヤにお会いして、信じたならば、そして同僚たちに「確かに本当だ、このストーリーは本当だ。私は彼に会ったよ、途方もない方だ」と言っていたならば、1982年の時点ではそれで十分だった、とマイトレーヤは言われました。 メディアは情報を、彼らの膝の上においてほしいのです。そして私たちは彼らの膝の上にその情報を置くのですが、それでは十分でありません。彼らはマイトレーヤを見たいのです。そして、マイトレーヤが‘バルコニー’に姿を現すや否や、彼らは行動するでしょう。  マイトレーヤが1990年4月にロンドンで開かれた会議に招かれて、マイトレーヤにお会いしたジャーナリストが大勢いました。約40名の非常に重要な地位にいるジャーナリストがそれに出席していました。彼らは、私と同じように、このことをよく知っています。しかし、それについて何かをしようという責任を担いません。なぜなら彼らの職が危うくなるからです。彼らには妻や家族に対する責任があります。容易ではありません。バレスチナにおけるイエス・キリストの到来の先触れをしたバプテスマのヨハネにとっても容易なことではありませんでした。
Q 私たちは特にマイトレーヤの降臨の準備の仕事に関わるために転生してきたと言われましたが、それについてもう少し説明してください。本当にここにいる(この研修会に出席している)私たちすべてが、この目的のために今転生しているのですか。
A マイトレーヤは非常に明確に言っておられるのに、あなた方はまだ彼を疑うのです。それについてもっと説明して欲しいと言いますが、それは本当か、本当でないか、どちらかです。あなた方の確信を強めるために、それ以上私が付け足せることは全く何もありません。あなたは信頼について話をしますが、信頼とは確信の結果であり、確信は信頼の結果なのです。確信を持たなければなりません。信頼しなければなりません。また経験も持たなければなりません。  もしマイトレーヤがあなた方に、このグループはこの仕事をするために世に転生してきたのだと言われるならば、あなたはそれを信じるか、信じないか、どちらかです。これをもっと説明してくださいと私に尋ねるくらいならば、あなたが信じていないということは明らかです。これが本当であるという確信を実際持っておらず、したがって、あまり何もしないのです。すべての人についてではありませんが、この部屋にいる大多数の人が、‘自分自身を磨く’こと(それも実際あまりやっていないのだが)以外に、あまり何もしていないと言えると思います。両方ともというわけにはいきません。  誰もが、自分を弟子として見られ、認められ、扱われたがります。弟子(ディサイプル)とは規律(ディシプリン)という意味です。それが語源です──規律のある者です。もしあなたに規律がないならば、もしあなたが働いていないならば、奉仕していないならば、この情報をできる限りの方法で、エネルギーと時間を費やしてできる限り頻繁に伝えるという仕事をしていないならば、規律を持たないのです。あなたはそれを信じないから、やらないのです。  あなた方はこの仕事をするためにこの世に転生してきた、とマイトレーヤが言われたのです。誰かがこれをやらなければならないのです。分かりますか、誰かがしなければなりません。  マイトレーヤが1990年4月にロンドンで会議を召集したとき、彼はある寺院に(今おられるところとは異なった寺院ですが)住んでおられて、彼はそこにいるスワミ(僧侶)たちに会議への招待状を書くように頼みました。約350名の人々が招待され、その3分の2の人々が来ました。彼らはみな世界で強力な力を持つ人々──国王、政治家、ジャーナリスト、経済専門家、ビジネスマン、宗教の指導者等々でした。あらゆる種類の人々、かなりの程度の感受性と知性をもった人々であり、さらにそれ以上のものを持つ人々もいました。しかしスワミたちは招待状を書こうとしませんでした。すると誰がそれをやったと思いますか?マイトレーヤです。世界教師であり、ハイアラキーの長であり、愛の体現者であるマイトレーヤご自身が手書きで招待状を書かれたのです。「誰かがそれをしなければならない」と彼は言いました。彼はスワミたちに強制することも、不満を述べることもしませんでした。誰かがやらなければならないと言っただけでした。しかしスワミたちは、そのような種類の仕事をやろうとはしませんでした。彼らは宗教に入り込み過ぎていたのです。それで宗教に入り込んでいないマイトレーヤがカードを書いたのです。  誰かがしなければならない。誰かがこの情報を知らせなければならない。それは独りでに起こりません。マイトレーヤが言われるように、「人は行動して、自分の意志を実施しなければならない」。あなた方はやらなければなりません。人任せにすることはできません。それは自己満足です。  あなた方がこの理由のために今この世にいるということを、私はあなた方に証明することはできません。この仕事をするためにあなたが転生してきたかどうかを私は言うことはできませんが、しかしもしこのグループに語りかけているマイトレーヤがそう言われるならば、私はそれを信じます。あなた方はどうか知りません。マイトレーヤを信じなくても構いません。誰も彼を信じろと頼んでいません。彼を信じるか、信じないかです。彼があなたに信じるように頼むからではなく、私があなたに彼を信じるように頼むからではなく、あなた自身でそれをしなければなりません。あなたが彼を信じようと信じまいと、私は構いません。  それを言われた方はマイトレーヤであり、その言葉はマイトレーヤの心(マインド)から来たものです(もちろん私を通してですが)。彼が言われた言葉ですから、私はそれが真実であることを信じます。あなた方はこの仕事をするためにこの世に出てきたのだと私は信じます。あなた方がそれを非常に強力にやっていないということも本当だと思います。しかし私は偏見を持っているのかもしれません。あるいは期待し過ぎるのかもしれません。マイトレーヤはおそらく私よりも期待していないのでしょう。なぜなら彼は、あなたのことを私よりよく知っているからです。  しかし驚くでしょうが、わずかでも役に立つのです。少しの活動でもあなた方が見ることのできない効果があるのです。このストーリーについて話をしなさい。これは世界中で最大のストーリーです。これまでに語られたことの中で、この話よりも重要で、もっと啓発的なものはかつてありません。それは私ゆえではありません。私は自分の役割を果たしているにすぎません。これはこれまでの世界の歴史の中で最も重要な出来事なのです。途方もないことが生じるのです。世界の完全な変容、あなた方が夢想することさえできない、あらゆるサイエンスフィクション(空想科学小説)をもってさえ想像することのできないような変容です。25年後の世界がどのようになっているか、私たちは想像することはできません。  ですから、マイトレーヤが、あなた方はこの仕事をするために世界に転生して来たと言われるとき、私は彼が本当に、正確に、単純にそれを意味しておられるということを信じます。あなた方はこの仕事をなすためにこの世に出て来たのです。だからやりなさい。それのみです。やりなさい!
Q 貧しい人々は、私たちが「キリストのからだ」と呼ぶところのものの重要な部分ですか。この象徴的な言葉のリアリティー(実相)についてもっと説明してください。
A 貧しき者たちはマイトレーヤにとって、おそらく「キリストのからだ」の最も重要な部分ですから、その答えは然りです。  「キリストのからだ」というのはキリスト原理(愛の原理)が目覚めている人々のことを意味します。マイトレーヤの仕事はこれらの目覚めた魂(人々)をグループにまとめて、彼らを進化の周期の中の第一と第二段階のイニシエーションに導くことです。これは絶えず続いていく過程です。彼は今でもそれを行っております。そしてこの過程を速められるでしょう。マイトレーヤは国から国を巡り、第一段階のイニシエーションの準備のできている人々を、そしてそれよりも数はずっと少ないですが第二段階のイニシエーションの準備のできている人々を、グループとして一堂に集めるでしょう。それが「キリストのからだ」です。それには貧しい人々も裕福な人々も、中産階級、中流の下、中流の上の人々も含まれます。つまり人類の魂であるキリストの聖なる光が裡に灯されている人々です。マイトレーヤはそれに働きかけ、育成し、強めて、その人々をイニシエーションの門に導いていかれます。この最初の二段階のイニシエーションがその人を第三段階のイニシエーションのために整えるのです。それは皆さんご存じのように、世界の主であるサナットクマラの御前で受けるのです。  これはもちろんキリストである彼の大きな関心事です、なぜなら第三段階でサナットクマラの御前に来る者はすべて、その前に第一と第二段階のイニシエーションでキリストの御前に来なければならないのですから。この意味で、クリスチャン(キリスト教徒)の言葉にあるように、キリストは「道」であり、「いのち」であるのです。  長い進化の周期の中で、最後のいくつかの転生体験(20-30回かもしれません、でもそれ以前の転生回数に比較すればわずかです)は五つの意識の大いなる拡大によって特徴づけられます。それがイニシエーションです。それは意識の拡大であり、第一イニシエーションで始まり、第五イニシエーション、すなわち復活のイニシエーションで最高潮に達します。それがあなた方を覚者(智恵の大師)にするのです。覚者方はすべてこれらの五段階のイニシエーションの体験をたどられたのであり、この部屋にいるあなた方すべて、そしてこの惑星に住む人間すべてが、やがてその同じ過程を通るでしょう。  「キリストのからだ」というのはキリスト教徒の象徴的な用語であり,裡にキリストが見いだされ、表されている人々、裡にキリスト原理が目覚めた人々を意味するのです。キリスト原理が裡に目覚めている者たちの数は十分でないので、キリストは世に出て来ることはできないと考える人々、グループがいることを私は知っています。つまりそのように言う人々は、自分たち自身を平均的な人々よりもより特別だと見なしており、キリストが彼らにとって現実であるという感傷的なアイディア(彼らにとっては現実ですが)を持つ人々だと私は思います。必ずしも宗教的な意味で述べているのではありません、しかしそれを含むかもしれません。キリストが裡に目覚めている人々は、何百万人もいます。それは、‘彼ら’のような人間は数少ないのでキリストは世に出て来ることはできないと信じているちっぽけなグループではありません。  例えば、この世に転生している人々の中で、すでに第一段階のイニシエーションを受けている人々、85万人の裡に、キリストは、キリスト原理は目覚めています。それはとても大勢です。自分たちのように啓発されており、特別な人間の数はあまりにも少ないので、キリストが世に出て来ることはできないと考えている特定のグループは全くばかげており、それは大きなグラマーです。世界には、第二段階のイニシエーションを受けた人々が24万人いるのです。ですから、キリストは非常に多くの人々の裡に生まれているのです。第三段階のイニシエーションを受けた人々は世界に3000人から4000人います。この「アクエリアス(宝瓶宮)の時代」の終わりまでには人類の大多数が第一段階のイニシエーションを受けるでしょう。そしてより少ないが第二段階を受けるでしょう。さらに少ない数の人間が第三、第四段階、そして第五段階のイニシエーションを受けるでしょう。  これが「キリストのからだ」です。それはこの質問に示唆されているような貧しき者たちのみではありません。日常の必需品を欠き、苦悩の中に生きている貧しい人々に対して、マイトレーヤは特別に関心を持ち、特別の責任を感じ、特にいとしく感じられるのは確かでしょう、なぜなら彼らの必要が彼の愛を引きつけるのです。彼は「愛の主」ですから。

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