現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 3月 読者質問

読者質問

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Q 世界経済の危機は徐々に後戻りできないところまで滑り落ち続けているように見えます。マイトレーヤは国際金融制度へのすべてのエネルギーの軼栓を抜く軻か軼切断する軻かしたのでしょうか。このような制度へのエネルギーを断ち切ることは彼にできますか。
A マイトレーヤにはおできになるでしょうが、そうはされないでしょう。それは私たちの自由意志の完全な侵害であり、覚者方は決してそれを行いません。
Q 現在の市場の停滞は続き、そして大宣言の日は数週間のうちに起るでしょうか。
A いいえ。
Q 主マイトレーヤはもうアメリカでインタビューを受けましたか。
A いいえ。
Q アメリカ国防長官ロバート・ゲイツはヨーロッパでNATO諸国に対して講演し、要請し、脅しつけて、NATO諸国がテロとの戦いを離脱することはできないこと、彼らの軍隊派遣が“アフガニスタンでの勝利”の達成とアルカイダ撲滅に必要であることを述べました。(1)いまやNATO諸国はアメリカの言うテロとの戦いへの支援を拒絶すべきですか。(2)NATOはその付託された権限を考え直すべきですか。(3)ヨーロッパの国民がこれ以上の軍事協力に反対して、その立場を知らせ、アメリカに(多かれ少なかれ)単独でやることを強いるならば、アメリカのアフガニスタンとイラクからの撤退は早まるでしょうか。
A (1)はい、彼らにその意志と度胸があれば。(2)はい。(3)はい。
Q チャドはとても貧しい国ですが、石油を持っています。これが現在の紛争の真の原因ですか。
A はい。
Q アフリカ諸国は、軼天然資源の呪い軻または軼石油の呪い軻と呼ばれるものを経験しています。石油や鉱物資源からの利益をめぐる争いが、ナイジェリアのデルタ地帯、アンゴラ、コンゴ民主共和国、その他のアフリカ諸国における紛争の背後にある鍵となる要因です。(1)これは本当ですか。(2)世界銀行とIMFはしばしば介入しますが、彼らの介入もまた紛争の要因となっていますか。
A (1)はい。(2)はい。
Q 現在コフィ・アナン氏によって提唱されている、真実と和解のアプローチは、ケニアの内戦解決に役立つでしょうか。
A はい、それが達成可能であれば。
Q マイトレーヤは、2007年9月26日にアムステルダムで行われたあなたの講演会に出席していましたか。
A 彼は休憩時間まで出席していました。私が、マイトレーヤが出席されていますと言うとき、彼は必ずしも彼ご自身の姿でいるとは限りません。マイトレーヤと覚者方の多くは、‘ファミリア(使いの精)’と呼ばれるものを用います。彼らは、男性や女性、ときには子どもの姿を創造し、それに彼らの意識の一部を置きます。その‘人物’は完全に実在の人物のように見えます。彼らはそれを非常に素早く行うことができます。 マイトレーヤはご自身の姿を見えなくして、全く異なった人物として部屋に戻ってくることができ、これをすべて思考によって行います。彼はただ思考するだけで、美しい若い女性になることもできるし、歯が一本しかないお婆さんになることもできます。しばしばそこには何か奇妙な特徴があります。ファミリアは全く正常かもしれませんし少し奇妙なところがあるかもしれません。 例えば、一度、私の講演会に東京の覚者がお見えになり、書籍売り場に行った時のことを思い出します。彼は本を見て、買おうとしました。彼は美しい古風な服装をしていました。とても気品のある、美しく仕立てられたネクタイとシルクハットをしていましたが、シルクハットの上から、綿と詰め物が飛び出していました。彼は腰をかがめ、おじぎをして、人々に帽子の上を示していました。書籍売り場のスタッフは即座に「あれは覚者に違いない」と思いました。もちろんそれは東京の覚者だったのです。あるいは、覚者はとても美しい服装をし、仕立ての良いスーツを着て、家庭用スリッパを履いているかもしれません。
Q ビルマ政府に抗議した仏教の僧侶たちは、マイトレーヤに鼓舞されたのですか。
A いいえ。彼らはマイトレーヤに直接鼓舞されたのではありませんが、マイトレーヤが世界に注いでいるエネルギーに鼓舞されたのです。このエネルギーが至るところにいる人々に、自由、正義、つまり正しい関係への欲求を生み出します。自由と正義がなければ、平和も正しい関係もありません。 これは世界中で見ることができます。至るところで人々は自分たちの権利を主張しています。自由、正義、世界資源の分かち合いです。このすべては、エネルギーと、ある程度は、精妙なレベルからのマイトレーヤの思考とアイディアに対する反応から来ます。 マイトレーヤがテレビとラジオで語るとき、何百万もの人々がこう言うでしょう。「これが私たちの欲することだ。私たちはこれがしたいのだ、正しい関係を欲しているのだ。戦争やテロや飢餓の終わりを求めているのだ」と。 そして、人類は、刺激され、これらの物事を要求するよう活気づけられるでしょう。このようにして、教育され、集中された人類の意志が、戦争、テロに反対する世界的世論を作り出し、正義と分かち合いを求めるでしょう。マイトレーヤはこれを無理強いしませんが、マイトレーヤに刺激された人類が、仕事を行うでしょう。 すでに何百万もの人々が世界中でデモを行っています。毎日、毎週ではありませんが、この行動はますます頻繁になり、世界の政府が、何万、ときには何百万もの人々が、彼らの権利を主張し、職や平和や分かち合いや正義を要求するのに直面するようになるでしょう。そしてついに政府は譲歩を強いられるでしょう。 マイトレーヤはこのことを常に刺激しておられます。彼はあらゆる大規模なデモに参加しています。あらゆる大きなデモや集会にマイトレーヤはしばらくの時間おられます。
Q グループ・ワークにとって破壊的な活動とはどんなものですか。
A この仕事で最も大切なことは、他の人々があなた方を正しい関係の模範と見るような正しい印象を生み出すことです。 例えば、人々はミーティングに来て、グループのメンバーがアイディアについて語るのを聞きます。彼らは興味を持つかもしれません。グループが話をしている何百万もの人々の苦しみを認めますが、しかしグループのメンバーがどのように振る舞っているかも見ます。彼らはそれを好まないかもしれません。グループのメンバーは傲慢に見えるかもしれません。狂信的に見えるかもしれません。聴衆にアイディアを押し付けたり、聴衆の反応や反応のなさに苛立っているように見えるかもしれません。言葉を換えれば、人々はグループのメンバーの態度に応じてこの情報の真偽を判断します。あなた方が傲慢で、競争的で、一方的であるなら、この仕事を正しいやり方で提示しているとはいえません。それはグループのイメージに有害でしょう。耳を傾けに来る人々を尊重しないならば、グループのイメージと提供されるメッセージを損なうでしょう。 もっとも破壊的な要素の一つは競争です。他の人々に優越感を感じているメンバーもいるかもしれません。例えば、より長い間グループにいるといった理由で。彼らは、あらゆる答えを知っており、新しいメンバーよりも効率的だと考えています。それは正しいグループ関係にとって非常に破壊的であり有害です。同様に有害なのは、彼らを頭の古い頑固者だと考える新しいメンバーたちです。彼らはすべてを学ばなければならないのですが、自分は教える側の人間だと考えます。あまりに熱狂的な新参者は、古いメンバーにとって非常に厄介で、しばらくの間非常に破壊的です。 さらに有害な活動は、何でもないように思われるかもしれませんが、グループ関係にとってゴシップ(噂話)は非常に破壊的です。ゴシップは信頼を破壊するので、グループ関係を破壊します。進歩を望むあらゆるグループはゴシップを追放すべきです。それはグループが保持しようと努める霊的緊張への大きな障壁となります。 グループを害するものはたくさんあります。グループというのは、とても注意深く育てる必要のある、小さなか弱い草花のようなものです。 ジュワル・クール覚者がアリス・ベイリーの教えの中で述べているように、すべてのグループに必要な基調となる特質は、言葉には出されない、非感傷的な愛を仕事の基盤とすることです。仕事の中に、深遠な愛の感覚と和合の感覚が必要であり、グループのあらゆる人に対する全面的な尊重が必要です。もちろんそれが理想です。
Q 人生の旅路の中で私たちは奉仕のために"個人的な"生活を放棄し、モナッドが魂を吸収すると、アリス・ベイリーの『光線とイニシエーション』に述べられています。私たちは自己の本源を知り、必要なところで用いられます。人格的なエゴは奉仕の道具となります。
多くのニューエイジ解説者は、私たちは自分が夢見るような人生を創造することができるといいます。確かにマインドは創造します。しかし、自分の世界を支配できると考えるなら、偉大なる放棄のイニシエーションを受けるときにより大きな苦痛を感じるのではないでしょうか。私たちは皆、集団的、グループ、家族のカルマを持ち、そのカルマは"個人的な"事柄ではありません。私は月に2回執筆しているレポートの中で、受容、包含、信頼の美徳について述べています。私は、恐怖心を与えることは危険で生産的ではなく、犠牲という考え方は人々を怖がらせることに気づいています。しかし犠牲は私たちの聖なる特質ではないでしょうか。この主題について何らかの洞察をいただければ非常に幸いです。
A 確かに魂は第四イニシエーションのときにモナッドに吸収されます。そのときは地上における人間の旅路の終わりに近づいています(第五イニシエーションで覚者となります)。自己犠牲の規律は実際には第一イニシエーションで開始され、それぞれのイニシエーションごとにますます顕著なものとなります。"ニューエイジ解説者"のアイディアは実際にはマインドと意志の強化についてであり、個人が自分自身の可能性と志向に従って人生を創造することを可能にするものです。しかしながら、自分の可能性と志向を実現することは、他の特質を犠牲にすることを伴うかもしれません。霊的な道におけるあらゆる進歩は、低位の側面を犠牲にすることによってなされます。大半のニューエイジ解説者は"霊的な道"ではなく、パーソナリティの装備を強化することについて述べているのかもしれません。これは大半の著述家や思想家が最も近づきやすいレベルですから、仕方のないことだと思います。例えどれほど長い道のりであろうと、犠牲の道は覚者のレベルに達するためには不可欠であるというおとに同意します。

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