現在位置: ホーム シェア・インターナショナル記事 2008年 5月 読者質問

読者質問

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Q シェア・インターナショナル誌は最近二通の文書を発表し、あなたの情報をもっと広く知らせる宣伝活動に焦点を当てたもののように思われました。(1)なぜそれがそれほど重要なのですか。(2)マイトレーヤは今、講演、本、雑誌、情報それ自体についてあなたの情報を効果的に宣伝する必要性を強調されているのですか。(3)世界中のグループはもっと多くの、さらに効果的な宣伝を行うことができるということですか。(4)グループは宣伝活動を地域的、全国的に行い続けるべきですか。それとも、協力して世界的な宣伝を行うべきですか。
A(1)私たちの仕事は、人類を、マイトレーヤと覚者方の外的活動への帰還という事実に目覚めさせ、この出来事に向けた希望と期待の風潮をつくり、マイトレーヤと彼の一団が、私たちの自由意志を侵すことなしに私たちの日常生活に入ってくることができるようにすることです。マイトレーヤは非常に間もなく出現されるので、道を整えるために残された時間はほとんどありません。(2)はい。(3)はい。(4)そのすべてです。
Q 分かち合いは素晴らしい目標であり、世界に必要なことですが、人々が最もやりたがらないことだと思います。周囲を見れば分かります。他の点では‘善良な’人々も分かち合うことには消極的です。利己主義は世界的な現象だと思います。この考え方を変えるには何が必要か分かりません。喜んで分かち合うことは無理に分かち合うこととは全く違います。マイトレーヤはこの60億の人々の考え方を変えるために、何か奥の手を用意しているのでしょうか。大宣言の日の体験だけでは十分ではないと思います。多くの人々はそれを欺瞞や幻惑として退けるでしょうから。
A これは私の情報に対する非常に一般的な反応であり、マイトレーヤや覚者方の存在と、分かち合いが正義と平和への唯一の道であることの必要性を受け入れるのに困難を感じない人々にとってもそうです。しかしながら、これは全く間違いであると思います。私たちが深い物質主義に落ち込んでしまったことは事実であり、それは商業主義が生活のあらゆる分野を締め付けていることに表れています。 商業主義は、原子爆弾よりも人類にとって危険であるとマイトレーヤは警告されます。 問題の一つは、平均的な人々が、分かち合いがどのように行われるか、その仕組みについて想像するのが困難なことです。人々は、純粋に個人的な観点から分かち合いについて考えがちです。自分の収入を海外の見知らぬ人々と分かち合うことを強いられると考えます。しかし、分かち合いの原則は、人類がその必要性を知った時に、世界的に組織的に行われるものであり、それぞれの国がその必要の余剰分のみを中央の備蓄に与えるというものです。その共通の備蓄からすべての人々の必要が満たされます。 これは、人類が分かち合いの原則を受け入れるまでは起こらないでしょう。覚者方は私たちの自由意志を決して侵しません。実際には、商業世界ではなく現実の世界では、私たちは分かち合う以外の選択肢を持ちません。他のあらゆる方法は試され、失敗しました。その結果、現在の世界の経済構造(それはナイフの刃の上でよろめいています)の悲しい状態が生まれ、この惑星の生態系に危険な不均衡をもたらしています。分かち合いのみが、人類の直面する多くの危険な問題に真剣に取り組むために必要な国家間の信頼を築くことができます。マイトレーヤは私たちが世界を救うために正しい唯一のことを行うよう説得するためにどんな‘奥の手’を用意しているか? 彼の愛のエネルギーがハートに届き、男女の中の最良のものを引き出すでしょう。誰もマイトレーヤの力を知りません。
Q 私に奉仕するだけの価値があるかどうかはともかくとして、何かできることをして奉仕したいと思っています。私はベンジャミン・クレーム氏のニューヨークの講演会をインターネットで聞き、講演中、そしてそれが終わった後に、子供のように泣きました。家に帰ったような気分になりました。
A 奉仕する価値のない人は誰もいません。そのために私たちは世界に生まれたのです。私の話を聞いて“子供のように泣く”ことができたのなら、あなたは間違いなくマイトレーヤの奉仕への召集に応えたのです。遅れないようにしなさい!
Q 私は長年ベンジャミン・クレーム氏を見続け、本も読みました。私は何年も前にマイトレーヤがやって来た、とあらゆる人々に話しました。彼はどこにいるのでしょうか。私は心底失望し、すべての希望を失いました。先日、私は小さな女の子が父親に熱湯に入れられ折檻されたという記事を読みました。もしこれがカルマなのだとしたら、カルマは残酷で愚かなものであり、これを考えた者はサディスティックな性格に違いありません。私はいわゆる覚者方(彼らの存在は否定しませんが)が、私たち人類が子供の虐待で見せる恐怖をただ傍観しているのに怒りを覚えます。世界に平和があるとしたら、それは人間が世界から消え去ることによって生まれる平和だけでしょう。私の見解は、人類は役割を果たせないということです。人間の中には平和を不可能にするような内在的な何かがあり、覚者方が私たちに平和を押し付け、完全にコントロールしない限り平和は生まれないのだと思います。
A あなたの不満と怒りは理解できますが、今希望を失ってはいけません。私たち人類がマイトレーヤに強いてきた長い待機の時はほとんど終わりつつあります。過去30年間、私たちはマイトレーヤが公に現れるようにするための機会を持っていました。家を浄化し、整頓し、ひとつの人類として行動し始めるだけでよかったのです。あらゆる苦痛や苦難(あなたや無数の人々を正当にも愕然とさせるもの)は、人類が真の自己から道を踏み外し、生活の商業化を貪欲にも選んだことの結果です。多くの人々は貪欲と粗野な物質主義によって非人間化しています。その結果が、あなたの毎日目にする恐怖です。 マイトレーヤは私たちの誰よりも、彼を束縛する、私たちの行動に対する法をよくご存じです。彼は愛の主であり、彼の慈悲は限りがなく、誰も聞いたことのない無数のやり方でそれを示しておられます。もう少し我慢すれば、あなたの怒りは喜びの涙の中で消えるでしょう。約束します。

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